微熱より熱く

 


「はしかぁ!?」
 ガルドーブにあるドクの診療所に、心底あきれ、拍子抜けしたイシトの声が響いた。奥の部屋では、突然の発熱に苦しむカーシュが横になっていた。
「まあ、パレポリ育ちの君にすれば麻疹なんてと思うだろうが、エルニドではいまだに"命定め"の病気なんだ」
 ドクは肩をすくめ、ため息混じりに語った。
「せめてこのガルドーブの子どもたちにだけでも予防接種をと思ったが、ここにはワクチンを作る設備も技術も無いからね……」
 その言葉にイシトも頷き返す。
「機会があったら、予防接種のシステムを取り入れるよう、蛇骨殿に進言しよう。ワクチンに関しては、私が本国に働きかけて少しは力になることも出来るし……」
「そうして貰うとありがたいな。私が手を尽くしても、病気にうち勝つ体力の無い子は助けられない……設備にばかり頼るわけではないが、自分の無力さを、幾度恨んだか知れない……」
 ドクは噛みしめるように言って、俯いた。ドクに助けられた命も数多いはずではあるが、それでも、ドクは自分の手からこぼれ落ちる命を、惜しみ、悲しんでいたのだ。
 顔を上げたドクは小さく笑った。
「それはさておき、カーシュをどうするかだな……」
 カーシュはまだ麻疹の罹りはじめで、免疫の無い者には感染の危険が高い。
「幸いセルジュには感染していないようだが、大人が罹ると麻疹はつらいんだよな……」
 ドクは頭を掻いて、ちらりとイシトに目を向けた。
「君は、当然、予防接種はしているんだろう?」
「ああ。軍では定期的に免疫の検査があって、その都度必要なワクチンを追加されている。海外派遣の場合、派遣先の風土病なども、たいていはチェック済みだ」
 イシトは、さも当然だというようにドクを見返した。ドクはにっこりと微笑んだ。
「決まりだな」
「は?」
 イシトが怪訝な顔をする。
「カーシュの看護役だよ。適任者は君をおいてない」
 ドクはニコニコしながらも、きっぱりと言った。
「私が? なぜ!」
 イシトが慌てて問い返す。その頬がわずかに紅い。ドクは腕組みをして笑い返した。
「当然だろう? 免疫のない者を付けるわけにはいかない。私は、他のけが人や病人の治療があるし……」
「だからと言って……」
 イシトはまだ不服そうだ。
「イシト君、他でもない仲間の事じゃないか。せめて熱が下がるまででも、付いていてやってくれよ」
 仲間、という言葉を口にされ、イシトは不承不承頷いた。特殊部隊隊長の自分がなぜ看護など、という思いはあるものの、看護自体がそれほどいやなわけではない。ただ、相手が自分とは犬猿の仲と思われているカーシュだけに、気恥ずかしさが先に立つ。イシトは、カーシュの病室に入ると、乱暴にドアを閉めた。
 ベッドの上のカーシュは、赤い顔で熱に喘いでいた。日頃、人一倍元気の固まりのような男だけに、そうした姿はいっそう痛々しく映る。イシトは大きなため息と共に、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
 見ると、額に浮かぶ汗に、カーシュの長い髪が張り付いている。イシトは濡らしたタオルで額の汗を拭ってやった。気持ちが良いのだろう、カーシュがホッと息を吐く。こうして見ていると、普段のがさつな言動が嘘のようだ。イシトは苦笑しつつ、濡れタオルで顔を拭いてやる。それが唇に触れた時、カーシュがわずかに吸い付くような反応を示した。水が欲しいのだろうか。
 そばのテーブルには水差しとコップが置いてあるが、それでは、起こさなければカーシュに水を飲ませてやることは出来ない。イシトは周囲を見回した。パレポリでは、こういった場合に水を飲ませる道具があるのだが、ここにはそうした便利なものはないらしい。せめてストローのようなものでも、と思ったが、それも見あたらない。
 濡れタオルで湿してやったカーシュの唇はすでに乾き、無惨にひび割れている。
 イシトは軽く舌打ちし、眉を寄せた。水差しからコップに水を注ぎ、コップとカーシュの顔を交互に見る。
「カーシュ。おい、起きろよ。起きて水を飲めっ」
 一応、声を掛けてはみたが、カーシュは高熱のために朦朧とし、小さく呻くばかりだ。
 イシトは大きなため息をつくと、コップに口を近づけ、水を口に含んだ。意を決したように、その唇をカーシュの口元へ運ぶ。わずかの逡巡の後、イシトはカーシュの唇に触れた。熱い唇。カーシュの熱をもった口内に、冷たい水が流れ込んだ。
 コクリと、カーシュの喉が鳴る。口元から一筋、漏れた水が顎を伝う。
 もっと水を求めて唇をうごめかすカーシュに、イシトはやけくそのように、また水を含んで与えた。数度それを繰り返すと、カーシュの呼吸は楽になり、深い眠りに落ちた。

 目を覚まして、カーシュは驚愕した。ベッド脇の椅子に座ったイシトが、ベッドの端に上半身を突っ伏して眠っている。どうやらもうすぐ夜明けらしい。だとすれば、イシトはずっと自分に付いていてくれたのだろうか。
「……ん……?」
 カーシュの動く気配に気付いて、イシトが目を覚ました。
「起きたのか。気分はどうだ?」
言いながら、イシトの手は乱暴にカーシュの額に触れる。
「熱はだいぶ下がったようだな。起きられるなら、水を飲むか?」
「ああ……」
 カーシュがふらふらと上半身を起こす。差し出されたコップを手に取り、何とか口元へ運ぶ。カーシュはごくごくとおいしそうに水を飲んでいる。イシトはカーシュの口元のコップを見て昨夜の事を思い出し、思わずふいと横を向いた。
「おまえが……付いていてくれたのか?」
 空になったコップを手に、カーシュが問う。
「好きでそうした訳じゃない。他の者に、病気がうつると困るからな」
 わざと乱暴にコップを受け取り、イシトは投げやりに答えた。それでも、カーシュは深いため息と共に微笑んだ。
「……夢を見てた。熱くて、苦しくて……夢の中で、おまえが水を差しだしてくれて……だから、目を覚ましておまえがそばにいたんで、驚いた」
 イシトは答えず、わずかに染まった頬をカーシュに気取られないよう、俯いた。カーシュは再び横になりながら呟いた。
「水って、うまいんだな……俺は酒好きだけどよ、水のほんとのうまさって、初めて判ったって気がしたな……」
 イシトは、カーシュのそれ以上の言葉を制するように、もう一度額に手を当てた。
「まだすっかり熱が下がった訳じゃない。おとなしく寝て、早く治せ。君が治らないと、私も身動きがとれなくて迷惑だ」
 言い捨てて立ち上がったイシトに、カーシュが少し心細そうに声を掛けた。
「……どこ行くんだ?」
「ドクに知らせてくる。熱が引いてきたら、薬を処方すると言っていたからな」
 イシトがわざと不機嫌そうに言う。カーシュは首をすくめた。
「……そうか」
 部屋を出ようとするイシトの後ろ姿に、カーシュはもう一度声を掛けた。
「イシト……」
「なんだ」
 イシトが鬱陶しそうに振り向く。
「……わりぃ……」
 振り向いた先には、気恥ずかしそうに、布団から目だけを覗かせたカーシュの顔があった。イシトは苦笑し、肩をすくめた。
「仕方がないさ。何の因果か、仲間ってヤツになったからな」



Fine.


 

 


病気といえば、お約束〜(笑)の「口移し」v。
お約束の場面をお約束通り描くというのも、また一興ではないかと(^^ゞ
この二人は、まだ深い仲じゃないんですよ〜。
表にも出せる代物かも知れないんですが、やっぱ、こういう場面がお嫌な方もいらっしゃるでしょうから。
キーワードは「仲間」ですか。
ドクも初出演ですね(笑)。
ついでにエルニド衛生事情。整備しないといけませんよ、蛇骨大佐。

2001.12.8