ホームワールドの蛇骨館で、イシトは、その日何度目か判らない深い溜息を吐いた。
「……隊長。お茶でもお持ちしますか?」
そばで書類を書いていた部下に声を掛けられ、イシトはハッとした。報告書に目を通していたはずなのだが、いつの間にか視線は宙をさまよい、つい、ぼんやりしていたらしい。部下に声を掛けられるまで、そんな自分にさえ気付かなかった。
どうかしている。イシトは眉を寄せた。だが、部下が返答を待ってこちらを見ている。イシトは気を取り直して微笑を浮かべた。
「ああ、そうだな。少し休憩するとしよう……」
「はっ」
部下はきびきびとした動作で席を立った。
お茶を煎れに部屋を出ていく部下の背を見送って、イシトはまた軽く溜息を吐いた。
妙に落ち着かない。
数日前まで、イシトはセルジュ、カーシュと共に行動していた。だが、ずっと部下を放っておくのも憚られ、丁度、所用でパーティーに入ることになったスラッシュに後を委ねるかたちで、この蛇骨館に戻ったのだ。
日の差さない地下室。まして、拷問に使われたのであろうこの部屋では、気分良く過ごせと言う方が、どだい無理な話ではある。
だが、イシトのモヤモヤした気分はそのせいだけではなさそうだった。
何かが自分の身に起ころうとしている。いや、すでに起こりつつある。それは、奇妙な予感と言っていいような胸騒ぎを、イシトに引き起こしていた。
すでにイシトは、それまでの軍に従順である自分を捨てていた。「凍てついた炎」について真に知りたい。自分自身の考えで行動を起こし、後戻りできない所まで来ているという認識がある。ここに至って、今更のように、イシトには迷いが生じていた。
だが、今、イシトの胸を騒がせているのは、どうやらそういった類のものではなかった。何とはなしに、何かの訪れを待つような期待と不安の入り交じったような感覚が、今、イシトを支配していたのだ。
ドアの向こうに足音が近付きはじめ、イシトは入って来るであろう部下を迎えるべく、ドアに目を向けた。
「入りますっ」
部下がドアから顔をのぞかせた。その手は持参するはずのお茶を持っておらず、イシトは怪訝な顔をした。部下が渋面を作る。
「隊長。申し訳ありません。どうしても隊長にお目に掛かりたいという者が来ておりまして……」
部下の言葉が終わらないうちに、大柄な男が、その部下の身体を押しのけるように室内に足を踏み入れた。頭にはすっぽりと頭巾を被って顔を隠している。だが、その下からのぞく一風変わった衣服には見覚えがある。
イシトは驚きを隠せず、その男の名を口にした。
「カー……シュ?」
男はバサリと頭巾を取り、ニッと笑った。
「ふーっ。暑かったぜ。あ〜、スッキリした」
「カーシュ。なぜここに? それに、その頭巾は?」
イシトの問いに、カーシュはそばにあったイスにぞんざいに腰掛けながら、片手をぱたぱたと振った。
「おいおい。俺ぁ、こっちじゃ数年前から行方不明なんだろうがっ? それが、テルミナ近辺を大手振って歩いてて見ろ。大騒ぎになっちまうぜ」
そういわれれば、もっともなことではある。だが、そうまでしてここへやって来た理由が解せない。
「セルジュは? 一緒ではないのか?」
カーシュはボリボリと頭を掻いた。
「スラッシュとマブーレに行ってる。俺は居なくて良さそうだったからよ、ここに残った」
「ここ……って、君の故郷はこっちじゃないだろう」
不審も顕わなイシトをよそに、カーシュははぐらかすように、部下が運んできたお茶を啜った。
「まあ、良いじゃねぇか。それよりな、ちょっと顔貸せよ」
「何?」
イシトが呆れたようにわずかに眉を寄せる。カーシュが机上の書類にチラリと目を走らせ尋ねた。
「忙しいのか? ちょっとくれぇ、出られるだろ?」
「まあ……出られないことは無いが……」
イシトは部下に視線を向けながら、曖昧に頷いた。報告書には、さして重要な事柄が無いのは部下に聞いて知っていた。ここにいても落ち着かず、仕事が手に付かないのだから、居ても居なくても同じかも知れない。部下も、そんなイシトを気遣ってか、頷いて見せた。
カーシュは勢いよく立ち上がった。
「よっしゃ! じゃ、行こうぜ!」
そう言ってサッサと歩き出そうとするカーシュに、さすがにイシトが難色を示す。
「行くって、どこへ行くって言うんだ。どれだけの時間留守にするのか、どこへ行くのか、部下に言って出ないと……」
カーシュは、やれやれというように大仰に肩をすくめて見せた。
「わかったわかった。テルミナだよ。メシ、食おうぜ。こっちじゃ、まだゾウイカスミのパスタが健在だろ? 食わない手はないよな」
イシトが無言で、呆れたような溜息を吐く。カーシュが不満げに鼻を鳴らした。
「なぁんだよ。それだけじゃねぇ。テルミナ流フルコースだぜ? 付き合えよ!」
イシトは仕方がなさそうに小さく頷き、部下に声を掛けた。
「そう言うわけだ。済まないが、ちょっと出て来る」
「はっ。ごゆっくりなさってください」
--continue--
|