砂浜に、月明かりに浮かび上がった二つの影が揺れる。
「おい。ちょっと座ろうぜ。月が綺麗だ」
返答も待たずにさっさと砂地に腰を落としたカーシュを見下ろして、イシトは軽く肩をすくめた。あくまで自分のペースで行動するカーシュに、イシトは苦笑しつつ、並んで腰を下ろした。そこは葉陰になっていて周囲からは見えないが、丁度空がぽっかりと開けていて、そこから月が綺麗に覗けた。
二人は揃って空を見上げた。夜風が周囲の葉を揺らし、イシトの髪も揺らす。その心地よさに、エルニドの暑さに辟易気味のイシトは、フーッと長い息を吐いた。
「な? 夜の浜辺は、少しは涼しいだろ? 来て良かっただろ?」
カーシュが、イシトの顔をのぞき込んでニッと笑った。眠っているセルジュ一人を残して行くわけにはいかない、と渋るイシトを、無理矢理夜の散歩に連れ出したのは、暑さに疲れたイシトを気遣ってのことだったらしい。
カーシュはいつも、こんな風に優しいのだ。
頷いて微笑んだイシトに、近付いてくるカーシュの顔が見えた。そのまま、唇が触れる。
イシトは、一瞬、少し驚いたようにピクリと身を震わせたが、すぐに静かに目を伏せた。だが、予想に反して、カーシュの唇はイシトの唇を軽くついばむようにして、すぐに離れた。ゆっくりと開けられたイシトの眼に、何事もなかったように、また月を見上げているカーシュの横顔が映る。
イシトは不思議なものを見るように、ぼうっとその横顔を見つめた。
「……どうした?」
その視線に気付いて、カーシュが見返す。
「あ……いや、ずいぶん久しぶりだと思って……」
ぼうっとしたままのイシトの返答に、カーシュは何のことかすぐには判りかねて、怪訝そうな顔をする。
「あ? 何が?」
イシトは、しまったというように渋面を作り、頬を染めた。
「いや、何でもない」
「何だよ。ちゃんと言えよ。はっきり言わねぇと、気になるだろう?」
イシトは頬を赤くしたまま、うつむいた。
「その……君が、そうして私に触れるのが、だ」
「あ? そうかぁ?」
カーシュは、初めて気付いたというようにキョトンとした顔をしたが、すぐにニヤリと笑ってイシトの顔をのぞき込んだ。
「なんだ。して欲しいなら、いつだってするのによぉ」
「バカッ!」
イシトが睨む。だが、その赤く染まった頬は、カーシュの口にしたそうした含みを否定し切れていなかった。カーシュはクスリと笑って、イシトの腕を掴んで引き寄せた。
「そう、睨むなよ……」
再び、唇が寄せられる。
「止せよっ。こんなところで……」
「どこなら良いんだよ?」
カーシュが笑う。
「こんなとこでもなきゃ、こんなこと出来ねぇじゃねぇか……」
「離せっ……」
言葉とは裏腹に、イシトの抗う腕に力はなかった。イシトはカーシュに抱きすくめられ、唇が重ねられる。触れ合った唇は、今度は長いこと離れなかった。
「……確かに、久しぶりかも知れねぇな……」
ようやくイシトの唇を解放して、カーシュが小さく笑った。カーシュは、その少しごつい指先でイシトの頬を撫でる。
「もう、こうやって、おまえに嫌われてないって確かめなくて良くなったからな……」
イシトが、気恥ずかしげに目をそらす。カーシュは構わず、その顎をつかんで上向かせた。
「俺は不安だった。おまえにとって、自分はどうでも良い存在なんじゃないかって……。だから、抱き締めずには居られなかった。でもよ、おまえ言ったもんな。俺が居た方が良いって」
イシトはカーシュの手を逃れて、プイと横を向いた。
「居ないよりは、だ! 居ないよりは居た方が良いと、そう言っただけだ!」
イシトの、今となっては無意味な反論に、カーシュはクスクスと笑った。
「ああ、そうだな。判ってるよ」
それでも、とカーシュは思う。旅のさなか、ふと振り向くと、イシトの眼に出会う。その眼がカーシュを認め、かすかに緩む。凍てついた星のようだと思っていたその蒼い眼の奥で、イシトは、確かに自分に向かって微笑む。だから――。
口づけは、もう必要ではなかった。無理矢理に触れ合わなくとも、心が触れ合っていると確信できた。
「でもよ……おまえに触れたくないわけじゃ無かったんだぜ」
カーシュは、もう一度イシトに口づけた。今度はイシトは抵抗しなかった。
深く熱い口づけ。
そうしながら、カーシュはそっとイシトを押し倒していった。少しひんやりとした砂の上に、イシトの金髪が散った。カーシュの唇はそのままイシトの頬をなぞり、耳元へ至った。
そんな風に触れられると、いつもならイシトはすぐさまカーシュを打ち払うのだが、今夜は黙って身を任せている。カーシュは思い切って、その首筋に唇を這わせながら、チラリと目を上げ、イシトの表情を窺った。白い月明かりに、イシトの紅潮した頬がかすかに見て取れる。その目は緩く閉じられている。
カーシュは少し身体を起こし、もう一度口づけながら、イシトを抱く腕に力を込めた。二人の身体が重なり、カーシュは、イシトが昂揚していることを知った。イシトは自分では気付いていないのだろう。少しだけ身体を堅くして、カーシュの腕に身を委ねている。
唇を触れ合わせたままそっと眼を開けると、イシトの、いつもとは違って弛緩した表情が見え、カーシュは自分もまた高ぶってくるのを感じた。カーシュはイシトの軍服の襟元を開いた。
「カーシュっ!」
さすがにイシトが抵抗を示す。だが、押しのけようとする手をカーシュに捕まれ、開かれた襟元に口づけを落とされると、イシトの抵抗はすぐに力を失った。
「カーシュ……止め……っ……」
わずかに抗う言葉を口にしながら、イシトの呼吸は乱れた。その腕はカーシュに軽く掴まれているだけなのだが、そこに抗えない大義名分を得ているかのように、それ以上は動かなかった。
「あ……っ……」
カーシュの唇が胸元へ至ると、イシトの頬は紅潮し、呼吸はいよいよ乱れた。そうした現実を、自分自身をさえも認めまいとするように、イシトの眼は固く閉じられていたが、その身の熱さは、今や否定しようがなかった。熱くたぎる身体が、抗おうとするイシトの意思をくじく。自分がイシトをそうさせている。その思いが、カーシュをも熱く昂揚させた。己の中の葛藤にもだえるイシトが愛おしかった。
「あ……っ……カー……シュ……っ!」
素直に縋りつくことも、かといって突き放すこともかなわず、イシトはカーシュの腕を掴んだ。
「イシト……」
ただ、そうして抱き合っているだけで、二人は満たされた。
「おはよう、カーシュ。よく眠れたみたいだね?」
セルジュの屈託のない笑顔に、カーシュは思わず顔が赤らむ。
「そうか?」
「うん。なんかすっきりした顔してるよ」
そう言われて、カーシュの顔は締まりなく緩んだ。
「あ、イシト。おはよう!」
セルジュの声に振り返ると、イシトがそばに立っていた。カーシュはニヘニヘとイシトを見やった。
「おはよう」
イシトは、にやけたカーシュの顔を見るとムッとした顔をした。
「朝っぱらから、何をニタニタしている? サッサと顔を洗ってくるんだな」
「へっ?」
「顔がにやけているぞ。仮にも、君は蛇骨四天王だろう? しゃんとしたらどうだ」
何事もなかったかのようなイシトの態度に、カーシュは戸惑う。イシトは更に畳みかけた。
「だいたい、君は近頃たるんでいるんじゃないか?」
そこまで言われて、カーシュも口元を歪めた。このイシトの態度からすると、昨夜のことは夢だったのだろうか。
イシトは腰に手を当てて空を見上げた。
「幸い、今日は曇りで、それほど暑くならずに済むだろう。今日もこの辺りの探索だから、夕方、少し涼しくなってからでも、浜辺でランニングでもしたらどうだ?」
「な、なんで俺がっ!」
さすがにカーシュは渋面を作って睨み返した。(まったく、夢の中では、あんなに可愛かったのに……。)
だが、イシトはフッと息を吐き、小さく笑った。
「私もつき合ってやる。たまには無心で走るのも良いものだぞ」
浜辺を、イシトと二人で走る――。カーシュの顔に、たちまち笑みが浮かんだ。
夢はいつかかなう!
End.
|