疑問

 


 “なんでだ?”

 カーシュは、ふて腐れたように軽く口をとがらせ、周囲に知られないよう、そっと今日何度目かのため息をついた。その様子は、まったくもって、いつもの彼らしくなかった。いつものカーシュは豪放磊落で、思ったことはズバズバと口に出してしまう。だが、近頃の彼は、どこか様子がおかしい。
 パレポリ軍に占拠された蛇骨館からリデルを助けて以来、彼はヤマネコの姿のセルジュに協力することになった。不本意ながら、『パレポリの犬』も一緒だ。
 いわゆる犬猿の仲というヤツだろうか。会いしなに罵倒してから、彼、イシトとは、ほとんど口を利いていない。いや、どう話して良いのか判らないと言う方が適切かもしれない。
 パレポリの軍人とは言え、リデルを助けるのに協力してくれたし、一緒に過ごしてみれば、そうイヤなヤツではないことも判ってきた。だが、出会い頭に一方的に罵ってしまった手前、今更おいそれとは仲良しこよしもできはしない。カーシュは出来うる限り、イシトとの接触は避けていたし、イシトの方もカーシュに近付こうとはしなかった。

 “さぞかし、嫌われてるんだろうな”

 身から出た錆、自業自得とはいえ、それを思うとカーシュの胸は痛んだ。

“気にすることはねぇ。言い方は悪かったかもしれねぇが、あいつがパレポリの軍人で、こそこそ俺たちを探ってた『犬』ってのは、まんざら、でたらめじゃねぇじゃねぇか”

 後悔の念に襲われるたびに、そう自分に言い聞かせてはみるが、それはあまり効果的とは言えなかった。
 イシトはあくまでも紳士的だったし、カーシュの非礼にも腹立ちを顕わにすることもなく、必要以上にカーシュに近づきはしないものの、無視したりないがしろにすることもない。

“なんで怒らねぇんだ? 俺がどう思ってようと、お構いなしってことか?”

 イシトが自分に敵意を顕わにしたとしたら、それはそれで身に応えるだろうと思わないではなかったが、どうでも良いと思われている方が、なぜだか辛い気がした。そのせいなのか、近頃、この『パレポリの犬』の様子が、気になって仕方がない。チラチラとイシトを盗み見、彼がこちらを向くとサッと目を逸らす。その繰り返しだ。
 今日も、少し離れて歩くイシトを、チラリと窺う。汗ばんだその額に、淡い色の金髪が一筋張り付いている。

“パレポリは北国だから、エルニドの陽射しは、結構応えるんだろうな……”

 丁度木陰が見えたので、カーシュはセルジュに声を掛けた。
「おい、小僧! ちょっと一休みしようぜ」
互いに直接言葉を交わさないカーシュとイシトは、いつもセルジュを介して意志を通じているのだ。
「あ、うん、そうだね。イシトはどう? 少し休憩で良い?」
「ああ、そうしよう」
 あからさまにうれしそうにはしなかったが、イシトはホッとしたようにわずかに頬をゆるめた。それを見て、カーシュは少しうれしくなる。
 昼近い太陽の高度は高く、木はわずかな空間にしか日陰を作ってはくれない。三人が一緒に休むには、無理があった。
 カーシュは自分で日の当たる側に座り込むと、顎で日陰になった辺りを示して、セルジュを座らせた。自然、イシトもセルジュに並んで木陰に座ることになる。二人とも汗を拭き、心地よさそうに木の幹に寄りかかった。イシトの、男にしては色白の顔に、ちらちらと木漏れ日が揺れる。

“あいつ、きれいな顔をしてるんだな……”

 カーシュは陽射しの中、頭だけ日陰に突っ込んで眼を細めた。
 不意にイシトが、カーシュに視線を向けた。一瞬、目が合う。カーシュは慌てて顔を背け、眩しい空を仰いで目を閉じた。目を閉じていても、閉じた瞼に陽射しが熱い。汗がじわじわと湧いて、タラリと頬を伝う。その頬に、まだイシトの視線を感じ、カーシュは心臓がバクバクした。

“なんだ? なんか文句でもあるのか?”

 気にはなるが、見返すことも出来ず、カーシュはじっと陽射しの中、目を閉じて木にもたれていた。
「カーシュ。そこ、暑くない?」
 カーシュが日向側にいることにようやく気付いて、セルジュが心配そうに声を掛けた。
「俺は、暑くねぇ。俺ぁ、エルニドの男だからなっ」
 汗だくになりながらも、カーシュが威勢良く答えてみせる。だが、それは逆効果だったようだ。セルジュは、カーシュが自分とイシトのために日陰を譲ってくれたことに気付いてしまった。
「それなら、ボクだってエルニドの男だもん。カーシュ、ちょっとボクと代わろう?」
「おまえのその身体は、『エルニドの男』じゃねぇだろうがっ」
 カーシュがわざとムッとした様子で、ヤマネコの姿のセルジュを軽く睨む。
「その毛むくじゃら、見るからに暑苦しいぜっ。おとなしく、そこに居ろっ」
 セルジュは、申し訳なさそうに、シュンと小さくなった。
そう言ううちに、陽射しにさらされたカーシュの口の中は乾き、なんだか気分が悪くなった。カーシュにとっては、こうして暑い中でじっとしているより、いっそ歩き続けていた方が楽だったかもしれない。変にイシトに気を遣い、気疲れもしていたのだろう。カーシュは頭がぼうっとしてきた。
「おい……水……くれ……」
カーシュは、堪りかねてセルジュに水をねだった。自分の手持ちの水は、すでに飲んでしまっていたのだ。
「カーシュ! 大丈夫!? ごめん。ボクのもさっき飲んじゃって……。ボク、すぐ汲んでくるよ!」
 セルジュが慌てて飛び上がり、水を探しに駆け出した。
 カーシュは力無く木にもたれた。どうやら、軽い熱射病らしい。すぐに日陰に移れば良いのだが、カーシュは身動きするのもおっくうだった。その閉じた瞼には、変わらず陽射しが降り注ぐ。
 と、突然、カーシュの上に濃い陰が差した。陰はカーシュの上に覆い被さるように近付き、やがてカーシュの頭上に水が滴り落ちた。
「ちょっとの間、君に触れるが、我慢してくれ……」
 それは、イシトの声だった。

“『我慢』とはどういうことだろう? それより、もっと水が欲しい……”

 カーシュが虚ろな目を開くと、イシトの顔がすぐ近くにあった。イシトはカーシュの脇を抱きかかえ、日陰の方へ引きずった。軍隊で鍛えられたイシトは決して見た目ほど非力ではないのだが、ぐったりと力の抜けたカーシュの身体は存外に重いらしく、力を入れて踏ん張るたびにその吐息がカーシュの頬をくすぐる。
 こんな時だというのに、カーシュはどぎまぎした。心臓が高鳴り、体中がカッカと熱い。熱射病の症状がひどくなったのかと、カーシュは思った。
 ようやくカーシュを日陰に引き込み、イシトは大きな息を吐いた。額に滲んだ汗をぬぐい、自分の水筒をカーシュの手に握らせる。カーシュは、飛びつくようにゴクゴクとそれを飲み始めた。
「私が口を付けたものだから、君はイヤだと思ったんだが……」
 傍らに膝をついてカーシュを覗き込みながら、イシトがちょっと困ったように言う。一息に水を飲み干して、カーシュは怪訝そうに目を上げた。
「……どういうことだよ? 『イヤ』だとか『我慢』だとか……」
「どうって……」
 イシトがついと立ち上がり、うつむきがちに視線を地面に落とす。
「君は、『パレポリの犬』は嫌いだろ? 私に触れられるのは、イヤだろう……?」
 頭をガンと殴られたような気がした。カーシュは、自分が嫌われているだろうとは思っても、相手が自分に嫌われていると思っているだろうことには、考えが及ばなかった。
「お、俺は……別にイヤじゃ……」
 カーシュは、それ以上、何と言っていいのか判らなかった。
「そうか? ……君はさっき、私が暑くてつらいだろうと思って、気遣ってくれたんだろう?」
 目を上げたイシトが、その蒼い眼でじっとカーシュを見つめる。
「それなら、私は、少しは自惚れて良いんだろうか? ……君に嫌われていないと、信じて良いんだろうか……」
 イシトの視線を初めて真正面から受けて、カーシュは心臓を掴まれたかのように苦しくなった。

“この感覚は、何かに似ている。……そうだ。かつてリデル様に恋いこがれていた頃、リデル様に見つめられた時と同じだ……”

「冗談じゃねぇっ」
 カーシュは、思わず、そう口走った。

“なんでリデル様と、『パレポリの犬』のこいつが同じなんだ! それじゃあ、俺はこいつに惚れてるってぇのか!? こいつは男で、しかもパレポリの軍人だぞっ?”

「……やっぱり……だめなのか……」
 はっと気付くと、目の前のイシトが、悲しげに見つめている。無理もない。カーシュの言葉を、自分に対する否定の意と取ったのだ。カーシュの胸はキリキリと痛んだ。
「ち、違うっ。今のは……。そうじゃねぇっ。俺は……嫌ってなんかいねぇよ……」
 イシトの顔が、パッと明るくなる。それを眼にして、カーシュはどぎまぎした。自分の発言がイシトにそんな顔をさせたのだと思うと、震えるような喜びを覚える。
「俺は……おまえにひでぇこと言っちまったし、おまえの方が、俺を嫌ってると……」
 紅く染まった頬を隠そうと深々とうつむいたカーシュの目の端に、イシトが静かに首を振るのが、かすかに映った。カーシュの心臓が、いよいよ高鳴る。

“嘘だろ? なんでこいつなんだよ? そりゃ、きれいな顔してるとは思ったが、こいつは男なんだぞ?”

 カーシュはおそるおそる顔を上げて、イシトの様子を窺った。イシトは、穏やかに微笑んでカーシュを見ていた。
「良かった……ずっと気掛かりで……。だから、さっき君が休憩を申し出てくれたのが、私を気遣ってくれたらしいと判って、とても……嬉しかった……」
「いや……。こっちこそ、面倒掛けて……。……水、どうも、な……」
 急に気恥ずかしくなって、カーシュは真っ赤になって再びうつむく。
「じゃあ、ここに座って良いな?」
イシトはニッコリと笑って、カーシュのすぐ隣に、並んで腰を下ろした。イシトの肩がカーシュの肩に軽くぶつかり、それだけでカーシュは心臓が破裂しそうになる。

“これじゃ、否定しようがねぇじゃねぇかっ。俺は、こいつに惚れちまった……。でも、なんで、よりによってこいつなんだよ? いくら仲直りしたって言ったって、こいつは生真面目で堅物の男なんだぞ? リデル様以上に望み薄の、不毛の恋じゃねぇかよっ!?”

 カーシュの動揺など想像だにせず、イシトは心地よさそうに木陰を吹く風に目を細め、樹上を見上げた。
「良い風だ……。具合はどうだ? もう、落ち着いたか?」
 そう言って自分を覗き込むイシトに曖昧に頷き、カーシュは大きなため息をついた。
「おーい! カーシュ、大丈夫ー?」
 水を探しに行ったセルジュが、ようやく帰ってきた。カーシュは、ホッとしたような気持ちと、もう少しイシトと二人こうしていたかったという残念な気持ちの混じった複雑な表情でセルジュに手を振った。
「はい、水。いっぱい汲んできたからね!」
「おお」
 自分の水筒を受け取り、カーシュは少し水を飲んだ。さっきイシトの水をもらって飲んだので、もうそれ程喉は渇いていなかったが、せっかくセルジュが汲んできてくれたので、少し口にして見せたのだ。
「私にも、少しもらおう」
 イシトが脇からカーシュが飲んだ水筒を取り上げ、ゴクゴクと飲んだ。
「あれ……?」
 さっきまでなら考えられなかったような二人の様子に、セルジュが目を見張る。照れくさそうに顔を赤らめたカーシュに水筒を返し、イシトはセルジュに小さな笑みを見せた。セルジュもまた、二人のうち解けた様子に、うれしそうな笑みを浮かべる。

“頭の中は、疑問でいっぱい。それでも、悪い気分じゃない。この想いがどう転ぶとしても、まずは、お互い嫌いじゃないと判っただけ良い”

 自分に向けられたイシトの微笑に胸を熱くしながら、カーシュもまた、ようやく頬に笑みを上らせた。



Ende.

 


ものすご〜く久しぶりの新作となりました。
今回は原点に帰って、非常におとなしい、カーシュの淡い恋心(笑)。
これからどうなる? という辺りが、想像を楽しくさせてくれるのでは。
2002.10.20