「ホントに良いの?」
セルジュが、わずかに照れくさそうな表情になる。相変わらずヤマネコの姿ではあるが、彼の感情表現は素直で判りやすい。
アルニ村の近くまで来たのだからと、セルジュに一時帰宅を勧めたのはイシトだ。その瞬間、セルジュが嬉しそうにパッと表情を明るくしたのを、彼は見逃さなかった。運命に玩ばれ、この星の未来を担っているとは言え、セルジュはまだ十七歳の少年だ。大人への一歩を踏み出しているのではあるが、時には戦いに倦み疲れ、安らぎを欲することもあろう。
イシトは、彼にもこんな顔が出来たのかという程に、優しげな微笑で頷いた。
「もちろんだよ。お母さんは、さぞ君のことを心配しておられるだろう。たまには顔を見せて、君も心と身体を休めた方がいい」
反対に、カーシュはムスッとして何も言わない。セルジュは、気遣わしげにカーシュを見た。それを察して、カーシュは不機嫌そうな表情のままながら、ボソリと言う。
「ああ。さっさと行ってやれ」
セルジュは、遠慮がちにカーシュの顔を窺った。
「あの……さぁ? 二人とも、一緒に行こう? たいしてごちそうとかは出来ないけど、母さんも歓迎してくれると思う……」
「我々のことは、気にしなくて良いよ。一晩くらい、親子水入らずでゆっくりしておいで」
カーシュが何か言う前に、イシトがセルジュの肩を軽く叩いて言った。カーシュは何も言えなくなった。イシトはそんなカーシュをチラリと目の端に捉えながら、更にセルジュを促す。
「さあ。我々は明日の昼過ぎ、オパーサの浜で待っているから――」
「うん! ありがと」
セルジュは笑顔で走り去り、後には、笑顔のイシトと憮然とした顔のカーシュが残された。
「さて、と」
イシトが、心なしか含みを感じさせる笑顔でカーシュを振り返る。
「やっと、二人きりになれたわけだ……」
そう言ったイシトの眼は、笑っていなかった。
「え……っ」
カーシュは、思わず真っ赤になって後ずさりした。だが、イシトは真顔でカーシュを見据えた。
「私がセルジュのいないところで、君に何を言いたいか、察しはついていると思うが?」
カーシュはうつむいて黙り込んだ。イシトは、少し考えるように首を傾げ、それから顎をしゃくった。
「ここでは人目に付く。行こう……」
イシトはそう言って歩き出した。どうやらイシトは、カーシュと込み入った話をするために、セルジュをアルニ村に行かせたものらしい。カーシュには、話の内容は判っている気がした。
先頃、敵対しているかに思えたカーシュとイシトの二人は和解した。その時のイシトの喜びようは、カーシュがひどく気が咎める位だった。それ程にイシトは、自国パレポリのテルミナ占領を負い目に感じていたのだ。
それなのに、カーシュはそれからも、ろくにイシトと口を利かない。目を合わせることさえしない。イシトはそれを不審に思っているのに違いない。その理由を問いただされるのが怖くて、カーシュはセルジュ一人をアルニ村に行かせることに、諸手を上げて賛成することが出来なかった。彼とて、セルジュを休ませてやりたかったのだが、その結果イシトと二人きりになるのを恐れていたのだ。
カーシュは、仲間であるイシトに特別な感情を抱いている自分に気がついてしまった。
己の中に芽生えた、その認めがたい想いに困惑していた。リデルへの思慕はすでに恋とは別物になっていたから、彼にとってそうした気持ちが、実に久しぶりに湧き起こったものだということもあるにはあった。だが、何より相手が悪かった。
淡い金髪、涼やかな蒼い眼。ほっそりした肢体。ここまでなら、想いを寄せるのに申し分ない容姿と言えよう。しかし、その相手は、故郷テルミナを占領したパレポリ軍の軍人であり、更には同性の男なのだった。
初対面で手ひどく罵ったにもかかわらず、イシトはカーシュを恨んだりしなかった。そうした非難の声を甘んじて受け、彼は一人心を痛めていた。おそらくは、カーシュは彼のそんな態度に惹かれたのだ。
潔く誠実で、有能な仲間であるイシト。頑なで、常に自分を律しているイシト。彼に、安らげる時はあるのだろうか。
気がつくと、カーシュはぼんやりとイシトを見つめている。振り向いた彼に気取られたくなくて、つい、プイと横を向いてしまう。声を掛けられると、まともな返事が出来ない。そんな自分を、イシトが怪訝そうに見ているのも知っていたが、カーシュにはどうすることも出来なかった。自分のこの想いを、知られるのが怖かった。潔癖な彼のことだ。知れば、おそらくカーシュを嫌悪するだろう。先を歩くイシトの揺れる背を見つめながら、カーシュはどう言い逃れしようかと、頭を悩ませていた。
いつの間にか、二人は風鳴きの岬まで来ていた。ひと気のないこの岬には、その名の通り海からの風が吹き上げ、二人の髪を揺らした。
「君を……責めるつもりはない……」
海に目を向けたまま、足を止めたイシトが唐突に言った。
「君が私を許そうとしても、許したつもりでいても、やはり私はパレポリの犬なんだな……」
イシトが、寂しげな微笑を浮かべて振り返る。イシトは、カーシュがパレポリの軍人である自分を許しきれずにいるのだと思っていたのだ。返す言葉を見つけられずに黙ったままのカーシュを、彼は、自分の言葉を肯定しているのだと受け取ったらしい。
「だが、セルジュは聡い子だから、我々が不和だと傷つくだろう……。せめて、彼の前でだけは、もう少し……その……」
イシトは、困ったように言いあぐねてうつむく。カーシュはやっと、イシトの考えている事が判って焦った。
「お、おい……」
「いや、無理しなくて良いんだ……。私も馬鹿だな……。君が少し、私のことを案じてくれたからと、つい、いい気になってしまって――」
イシトは額に手を当て、悲しそうに自嘲した。
「おい! そうじゃねぇって……」
カーシュが堪りかねて、一歩、イシトに向かって足を踏み出した。イシトは、それではどういう事なのだ、と言うように、カーシュを見つめた。カーシュは口ごもった。
「俺は……いや、俺は……ただ……」
イシトは小さなため息をついて首を振った。
「私は、言い訳が欲しいわけじゃない。いや、許せないのも無理はないと思う。私だって、故郷が蹂躙されたら――」
「違うって!」
カーシュが、叫んだ。彼はもう、なりふり構ってはいられなかった。イシトにまた孤独な負い目を負わせるくらいなら、自分は嫌われても良いと思えた。
「俺はおまえを……その……テルミナの事じゃ、おまえが辛いの、判ってるし……仲間だと、ちゃんと思ってる……。俺はただ……おまえに、どう接して良いのか判らなくて……」
「……どう?」
イシトが怪訝そうに目を上げる。
「どうって……普通で良いじゃないか。そうできないと言うことは、やはり私を特別視しているという――」
「イシト!」
カーシュが困り果てて、大きな声を出した。イシトは口をつぐんだが、自分でも、なぜこうもカーシュの態度にこだわるのか、判らなくなっていた。彼が自分に対してよそよそしいのが、思いがけずこたえていたらしい。
イシトは、風鳴きの岬のぎりぎりの崖っぷちに立って風に吹かれた。風は下から吹き上げ、イシトの細い金髪を、空に向かって靡かせた。そこから臨む海と空は澄んだ青い色で広がり、その交わる水平線さえかすんで見える。
「……綺麗だ……。私もエルニドに生まれていたら……この開放的な空気の中で育っていたら、屈託無く、君と友達になれたんだろうか……?」
寂しげなイシトの背が、自分の想いを口に出来ないカーシュを苛立たせた。
「いい加減にしろよっ!」
カーシュはつい怒鳴った。
「さっきから、違うって言って――」
カーシュの言葉は、そこで途切れた。カーシュの怒声に、崖っぷちに立っていたイシトがビクリと身体を揺らし、バランスを崩したのだ。イシトの足元で、足場を支えていた石が崖下に転げ落ちる。
「イシト!!」
カーシュが慌てて駆け寄る。体勢を崩して落ちそうになりながら、イシトがカーシュに向かって手を伸ばす。カーシュは思い切り腕を伸ばして、何とかその手を掴んだ。足を踏ん張り、イシトを引き寄せる。引っ張られた勢いのまま、イシトはカーシュに抱かれるようにして崖の上に倒れ込んだ。
「……済まない……」
ホッと息を吐いて、イシトが小さく言った。だが、カーシュはイシトをきつく抱き締めたままだった。
「カーシュ……?」
イシトが抱き寄せられた姿勢のまま、目の端でカーシュを窺う。
青ざめた頬。きつく結ばれた口元。ギュッと寄せられた眉。音高く、激しく鳴る鼓動。呼吸も荒く、カーシュはわずかに震えていた。彼は、自分がどれ程イシトを失いがたく思っているか、改めて思い知らされたのだ。
「カーシュ……」
イシトは囁くように言った。
「カーシュ……大丈夫だ」
イシトは自分を抱き締めたままのカーシュの肩を軽く叩いた。
「私は、大丈夫だから……」
そう言って、イシトは、自分もそっとカーシュの肩を抱いた。身の内に何とも言えない暖かな思いが湧いて、彼はカーシュの肩に頬を乗せた。カーシュの髪が風に遊ばれ、イシトのその頬をくすぐった。
何故、あんなにもカーシュの好意を疑ったのだろう。カーシュは、これ程自分を心配してくれているのに。
「馬鹿……野郎……!」
カーシュがやっと絞り出すように言い、ゆっくりと身体を離した。照れくさそうに怒った顔を作って目を伏せた彼は、やはりイシトと目を合わせようとはしなかったが、イシトはそれで良いような気がした。
「ああ。……馬鹿なことを言って、悪かった……」
イシトは苦笑混じりに言って立ち上がった。カーシュも立って、衣服に付いた土を払う。
「……怪我はねぇか?」
「いや。君は?」
「無い」
相変わらずぶっきらぼうなカーシュの物言いも、今は暖かく感じられる。イシトは、先程カーシュの髪が触れた自分の頬がなんだか熱くて、手の平を押し当てた。
Ende.
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