SCENE2 ダリオ
数日後の夜遅く、帰宅したダリオは家の前に立つ人影に驚いた。
「あ、お帰り…。」
暗がりの中、ゆらりと動いたその人影が、ダリオに向かって手を振った。
「カーシュ!?どうしたんだ?何かあったのか?」
暗い中、待っていたのはカーシュだった。
「今日な、グレンは合宿でいないんだろ?明日は店も定休日だし、久しぶりにおまえと二人で飲もうかと思って…。」
カーシュは、先日貰った酒瓶を見せて笑った。ダリオは苦笑した。
「なんだ。昼間ランチに寄ったとき言ってくれれば、大急ぎで帰って来たのに…。」
カーシュは照れくさそうに頭を掻いた。
「言うと、おまえ、絶対無理して仕事すると思ってよ…。」
「水くさいこと言うなよ。久しぶりにおまえと飲めるんなら、それくらい…。」
ダリオはそれでも、うれしそうに笑った。
「水くさいのはおまえの方だろ。いっつも、気ぃ回して…。」
二人の間を、初冬の冷たい風が吹き抜ける。
「う、サブッ。ま、とにかく中に入ろう。冷えただろ。」
ダリオが促し、二人は家に入った。ダリオは早速冷蔵庫を覗いている。
「飯は…この時間じゃ済ましたよな?えっと…何かつまみになるもん、あったかな…。」
「クシュン!」
勝手知ったるダリオの家だ。勝手にコップを並べていたカーシュが、くしゃみをして身震いした。南国エルニドとはいえ、やはり夜は冷える。
「あ!カーシュ!やっぱり冷えたんだろ。シャワー浴びて、あったまって来いよ。その間に用意しとくから。」
ダリオの言葉に、カーシュはちょっと頬を赤くして頷いた。
「ああ、悪ぃ。そうさせて貰う。」
やがてシャワーから戻ったカーシュは、ダリオと並んで座った。
「ホントに久しぶりだな。学生の頃は、毎日みたいに飲んでたのに。」
ダリオもしみじみと頷く。
「楽しかったよな…。」
「ああ、練習はきつかったけどな。…今思うと、よくあんな練習する根性があったと思うよ。」
カーシュが笑い、ダリオも笑う。
「はっはっは。ホントにな…。」
カーシュはちょっと黙り込んで、小さな声でポツンと言った。
「…おまえがいたから頑張れたんだ…。」
「ええ?なんだよ…。」
突然のカーシュの殊勝な言葉に、ダリオは戸惑っていた。
「ガキん時から、なんでもそうだった。おまえがいたから、一緒だったから、弱音吐かずに、おまえに追いつきたくて頑張った…。」
「どうしたんだよ…カーシュ…。」
カーシュは小さく頭を下げた。
「ありがとな。」
「なんだよ。どうしたんだ?…俺の方こそ、おまえに随分助けられたんだ。このエルニドの名士だったおやじは早くに死んで、その名声が、いつも俺にのしかかった。グレンのためにも、俺はいつも、しっかりしなきゃって思ってた。」
「ダリオ…。」
カーシュはダリオを見つめた。
「いつもはそんなに気にならなかったんだけどな、時には息苦しくて、逃げ出したくて…でも、おまえが、そんな時いつも黙ってそばにいてくれたから、おまえの前では無理しなくていいって、すごく…ありがたかったんだ…。」
カーシュは頭を振った。
「そんなこと…おまえの一番の親友だってこと、俺は誇りに思ってたし…。」
ダリオはカーシュに笑い掛けた。
「それは俺の方だ…。みんな、俺に一目置いてたとしても、おまえの方がみんなに好かれてた。今も、昔も。でも、そんなおまえが一番信頼してくれてるのが自分だってことが、俺はたまらなくうれしかったんだ…。」
カーシュは辛そうに眉を寄せてダリオを見つめた。
「ダリオ…俺、今だって、おまえを信頼してる。大事に思ってる…でも…俺…。」
言い淀んで俯いたカーシュは、絞り出すようにようやく口にした。
「俺…イシトが好きなんだ…。」
ダリオは言葉を失った。
「最近になって、自分のそんな気持ちに気付いて…だから…言わなきゃと思ってた…ごめんな…俺、おまえの気持ちには応えられないから…。」
ダリオは呆然として呟いた。
「知ってたのか…俺の気持ち…。」
カーシュは黙って頷いた。
「いつから…。」
「俺とおまえの仲だからな…。学生の頃から、何となく気付いてはいたんだ…でも、自分がイシトを好きになって、ああ、ダリオもこんな風に俺のこと、思ってくれてるんだって思ったら、知らないフリ出来なくなった…。」
カーシュはそう言うと、いきなりダリオを抱き締めた。
「…おい!なんのつもりだ!?」
ダリオは虚を突かれ、カーシュに押し倒されるように倒れた。
「だから…俺、今夜だけは…。」
カーシュが顔を上げ、ダリオを見つめる。ダリオは唖然としてカーシュを見つめ返した。
「受け入れられない代わりに、バージンを捧げると、つまりそういうことか?」
カーシュが、さすがに顔を赤らめて抗議する。
「まじめな顔ではっきり言うなよ。身も蓋もねぇじゃねぇか…。」
カーシュは今夜、そのために覚悟を決めてやって来たのだろう。ダリオは静かに笑った。
「感動してるんだ。」
ダリオは、逆にカーシュの上に重なるようにして身体を起こした。
「…ここで、そういうわけにはいかないって断れば、俺の男も上がるんだろうが、生憎、俺は据え膳はしっかり頂く人間なんだ…それに…。」
ダリオは言葉を切ってカーシュを見つめた。それに、そうしなければ、カーシュは自分を受け入れられなかったことに負い目を感じることだろう。
「それに?」
カーシュが怪訝そうに見上げる。ダリオは苦笑した。
「いや…。」
カーシュは、バタリと手を広げ、ギュッと目を閉じた。
「ま、とにかく、そうと決まったら、ひと思いにやって貰おうか!」
そのあまりの言いように、ダリオも顔を赤らめてたじろいだ。
「…おまえな…いくらなんでも、ムードってものがあるだろう…。」
「俺とおまえの間で、今更ムードも何もあるか!」
照れくさくて仕方がないのだろう、頬を赤くして、カーシュは言い放った。
「本当にいいのか?」
ダリオがカーシュの顔を覗き込む。カーシュは頬を染めながらダリオを見上げた。
「…おまえがいやなんじゃない。おまえは好きだ。ただ…。」
そこで、ダリオは突然口づけた。『ただ、それ以上にイシトを好きなのだ』とは、言わせたくなかった。聞きたくはなかった。自分を好きだと言ってくれた、それだけを覚えていたかった。
だが、据え膳は頂くとか言っていながら、ダリオはそのままそっと触れるだけのキスを繰り返す。ついばむように優しいキス。まだ引き返せる、そのギリギリのところで、ダリオはまだカーシュを気遣っていた。ダリオはいつも、そんな風に優しい。そんなダリオが哀しくて、カーシュは切れ切れになりながら、ダリオの名を呼んだ。
「ダ・・リ・オ・・。」
「ん?」
ダリオが唇を離し、カーシュを見つめる。カーシュは、そのダリオの頬を両手で挟んで小さく笑った。
「大好きだ…。」
カーシュの両手はそのままダリオの首に回され、彼を引き寄せた。改めて唇が触れ合う。もう、ダリオは引き返せない―――。
カーシュはじっと目を閉じていた。ダリオとの数限りない思い出。物心ついたときから、いつも一緒だった。いつも強くて優しかったダリオ。優しい気遣い。自分に向けられた熱い眼差し。今夜限りで、全てが過去のものになる。それでも、とカーシュは思う。自分たちは先へ進まねばならないのだ。お互いに、こんな閉塞した状態は、もう終わりにしなくてはならない。
ダリオは、それでも、あくまでも優しかった。
夜半、ダリオは、眠ってしまったカーシュをじっと見つめていた。こうしていると、若い頃評判の美人だったという母親に似て整った顔立ちをしているのに、がさつな態度の故か、普段はそんな風に思うことはない。そういうアンバランスなところが、またカーシュの魅力なのかも知れない。それにしても、と、ダリオは今更のように思い出して可笑しくなった。今夜カーシュが訪ねてきたとき、何かあるとは思ったが、こんな事になるとは想像だにしなかった。
「知ってたのか…。」
ダリオは小さな声で呟いた。知ってて、ずっと変わらず親友でいてくれた。自分を気遣って、カーシュとしては精一杯の思いやりを示してくれた。充分だ。ダリオはそっと、カーシュの頬を撫でた。その手を、突然カーシュが掴んで自分の肩に持っていった。
「夜明けまでには、まだ時間があるぞ…。」
まだ、自身を差し出すというのか。ダリオは苦笑した。
「…無理するなよ、もういいんだ。」
「俺は、中途半端はキライなんだ。」
カーシュが身を起こし、ダリオの上に重なった。激しく口づける。
「ダリオ…大好きだ。」
カーシュがダリオをきつく抱き締める。
「ごめん…ダリオ、ごめん…。」
カーシュはダリオの耳元に口づける。首に、肩に、胸に…。
カーシュは、パンの焼けるいい匂いで眼を覚ました。窓から差し込む陽光が眩しい。朝だ。
「あ、起きたのか?悪いが、俺は出勤だ。勝手にそこらのものを食べて、戸締まりしてってくれよ。鍵は、帰りにおまえんとこ寄るから預かっててくれ。」
身支度を済ませたダリオが、パンをかじりながら笑っている。いつものダリオだ。
「…そうか、俺は店、休みだけど、おまえは仕事だったんだ…悪ぃ…。」
カーシュは頭を掻いた。さすがにちょっと照れくさい。起きあがろうとすると、だるくて身体が重い。ダリオが察して苦笑する。
「いいからゆっくり寝てろ。まったく、無茶苦茶なヤツだ…店、休みで良かったな…。」
カーシュが赤くなったのを見て、ダリオはクスクスと笑う。
「イシトを落とすときも、休みの前にしろ、な?」
カーシュが更に真っ赤になる。
「おまえ!俺で、遊んでるだろっ!」
ダリオは悪びれずにクックックと笑った。
「当然だ。親友の特権!だろ?」
『親友』。カーシュは思わずダリオを見返した。ダリオが小さく目配せをする。
「チェッ!」
カーシュが肩をすくめて笑いながら溜息をついた。
「おっと、時間だ。」
ダリオが慌ただしく出て行く。
「またな。」
カーシュは大事な親友の後ろ姿に声を掛けた。ダリオが微笑んで振り返る。
「じゃ、またな!」
FINE.
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