蹂躙

 


 いっそ、はっきりと罵ってくれれば良いものを。

 自分をじっと見つめる視線に気付かぬ風を装いながら、イシトは聞こえぬようにかすかな溜息を吐いた。
 近頃、気が付くと自分を捉えている視線の主は、何かいつも不機嫌そうに思い詰めた眼差しをしている。最初の内は、言いたいことがあるなら言えとばかりに見返したりもしたのだが、決まり悪げに目を伏せて慌ててあからさまに誤魔化すような咳払いをする相手に、それ以上食って掛かるわけにもいかず、イシトは気にすまいと努めるようになった。
 『パレポリの犬』と、かつて彼はイシトを罵った。彼、カーシュの大切な故郷テルミナを蹂躙したパレポリの将校である自分に、それは当然向けられるべき怒りの発露だった。当時も、そして仲間として共に戦うようになった今も、イシトはそのことを恨んではいない。相変わらず言葉を交わすことなどない二人ではあるが、戦闘時にはちゃんと協力して戦うし、時には互いを庇うこともある。食事時など、カーシュは怒ったような顔で無言ながらもイシトに皿を差し出し、決してイシトを無視してはいないことを示そうとする。カーシュという人間を知るにつけ、それは彼なりの謝罪なのだとイシトは思うようになった。直情径行ではあるが、カーシュががさつなだけの人間でないことは、イシトにもよくわかった。このままなら、少しずつでも和解できるだろうと思った矢先のことだった。
 ふと気付くと、カーシュがじっと自分を見ている。振り返ると消えるその視線は次第に強い色を帯び、軟化してきたと思われた態度も、心なしかよそよそしくなった。

 自分の何かが、カーシュの気に障ったのかも知れない。

 イシトはそう思った。
 思い当たるようなことが、特別あったわけではない。だが、元々憎まれて当然の間柄なのだ。少々疎まれたとて、恨みに思うわけにはいかない。
 イシトはそう自分に言い聞かせ、なるべく素知らぬ振りを装っていたが、こう続くと、さすがに気分が重くなる。
 カーシュらしくないな、とイシトは思った。
 短いつきあいの中にも、カーシュがこうした陰険な嫌がらせを好む人間とは思われなかった。むしろ言いたいことははっきりと口にし、後腐れのないやり方を好むさっぱりとした男だ。自分とはかなり違うそうしたカーシュの言動に、憧れにも似た好感を抱きつつあっただけに、イシトは近頃のカーシュの態度を訝しみ、残念に思っていた。

 ある夜、イシトの部屋を訪なうノックの音がした。
「……誰?」
 すでに装備を解き休むばかりの状態だったイシトは、慌ててイスの背に掛けてあった上着を肩に羽織り、銃を片手にドアに寄った。
「……俺だ……」
 躊躇いがちに答えた声は、カーシュのものだった。意外な相手の訪問に、イシトが一瞬息を飲む。その気配が伝わったのか、ドアの向こうでもゴクリと生唾を飲む音がする。しばしの緊張に満ちた沈黙の後、カーシュがぼそりと言った。
「ちょっと、良いか……?」
「どうぞ……」
 イシトは戸惑いを隠せないながらも細くドアを開け、硬い面もちのカーシュが部屋に滑り込んだ。
「……入れてもらえないかと思った……」
 銃をベッドサイドのテーブルに戻すイシトの背に、呟くように漏らしたカーシュの声が届く。
「まさか……」
 振り向きながら顔に笑顔を張り付かせてイシトは言ったが、彼はまだ、カーシュの突然の訪問に動揺していた。

 何か話があるのには違いないだろう。いっそはっきり罵られた方がマシだという思いが伝わったのか。

 イシトは、カーシュの意向を探ろうと、うつむきがちに立ちつくすカーシュの表情を窺った。思い詰めたような顔は、わずかに紅潮している。額にはうっすら汗がにじんでいるのが、照明に光って見える。指先はせわしなく服の裾を引っ張り、また髪をかき上げた。口元はきつく引き結ばれたかと思うと、何か言いたげに開かれ、再び閉じられる。
「それで……」
 沈黙に耐えかねてイシトが用件を促すまで、それは幾度も繰り返された。
「話したいことが……あってよ……」
 ようやく重い口を開いたカーシュを、それは判っていると言うように、イシトがベッドサイドに立ったまま腕組みをして見つめた。カーシュは言いにくそうに、再び俯いた。
「……悪かったな……」
 カーシュがぼそっと言う。
「ひでぇこと……言った……」
 最初に『パレポリの犬』と罵ったことに対してなのだろう。カーシュは照れくさそうに頭を掻いた。イシトはやっと頬を弛めた。その一言を言いあぐねて、彼はこのところ、じっとイシトを見つめていたのだろう。そう思って、イシトは微笑を返した。
「良いんだ。気にしていない」
 カーシュはホッとするだろうとイシトは思った。だが目の前の彼は、怒ったような顔を上げた。
「気にしてない?」
 怒鳴るように問い返されて、イシトは困惑した。
「おまえにとっては、それだけのことか? 気にせずにいられるような、それだけのことだったのか?」
 深く傷ついていたと、そう言えば満足だったのか。だが、謝罪している者にそうは言えないのは当然のことではないか。
「カーシュ……?」
 子供じみたカーシュの反応に、イシトは苦笑を返すしかなかった。
 カーシュは頭を振った。
「おまえはそうやって、何でも涼しい顔でやり過ごしちまう。人の気持ちなんざ、お構いなしにだ!」
「カーシュ……」
 困惑を通り越し驚愕の表情を浮かべるイシトの両腕を、カーシュは突然グイと掴んだ。その掴んだ腕をイシトの背後に回し、カーシュはイシトを抱き締めた。
「なっ……!」
 腕を後ろ手に回され、動きを封じられる形になって、イシトはもがいた。
「俺は……!」
 カーシュの唇が、イシトの口を塞いだ。そのまま身体を預けるように、カーシュはイシトをベッドに押し倒した。イシトとカーシュ、重ねられた二人の身体の重みで、イシトの腕は更に自由を奪われた。
「カー……シュッ! 、離……っ!」
 カーシュに唇を押し当てられながら、切れ切れにイシトが抗議する。だが、カーシュはイシトを離さなかった。イシトの両手首を片手で掴み、空いた手を、カーシュはイシトの胸元に滑り込ませた。口づけはいよいよ深くなり、カーシュの舌先がイシトの口内を犯す。
 突然、イシトの抵抗が止んだ。

 これは復讐なのだ。

 イシトはカーシュの愛撫に身を委ねながら、ぼんやりと思った。

 テルミナを蹂躙した『パレポリの犬』の自分は、蹂躙されても仕方がないのだ。

 イシトは、考えることを止めた。
 イシトの抵抗が止んだのに力を得て、カーシュの愛撫はイシトの最も敏感な部分にも及んだ。唇は胸元を這い、その突起を弄ぶ。
「う……あっ……」
 必死に声を漏らすまいとするが、イシトの吐息がいつしかかすかな喘ぎに変わる。
「イシト……!」
 やがてカーシュが、耐え難くなった己をイシトに潜り込ませた。
「あ……あっ!」

 これは罰なのだ。

 薄れゆく意識の中で、イシトは思っていた。


「……気が……済んだか……?」
 自分の上に重ねていた身体を、ようやくぐったりと傍らに滑らせたカーシュに、イシトは皮肉混じりに問うた。そのくらいのことは、言っても許されるだろう。
 だが、意に反して、カーシュは驚いたように身を起こしてイシトの顔を見下ろした。
「おまえ……」
 カーシュは絶句した。
「おまえ、そんな風に思ってたのか?」
 カーシュは眉間に深い皺を寄せた。
「良いんだ……私を蹂躙して、それで気が済むならそれで良い……」
 きつく見据えるカーシュの視線を逃れるように、イシトは顔を横向けながら独り言のように言った。
「馬鹿野郎!」
 カーシュはイシトの顎を掴み、正面を向かせた。
「それじゃ、おまえはテルミナの人間になら、誰にでもこうやって身体を許すってのか?」
 イシトは、思いがけないことを言われたという顔をした。
「……そうじゃない……」
「そう言ってるのと、同じだ!」
 カーシュは顔を歪めた。
「俺だから、じゃないのか? 俺は、おまえが……俺のこと、少しでも好きだから、だから……許したんだと、そう思って……」
 カーシュは忌々しげに首を振った。彼は、イシトが抵抗を止めたのは、自分を受け入れたからだと信じていたのだ。
「好き……だから……?」
 カーシュは哀しげな顔で、不思議そうな顔で自分を見上げるイシトの頬を両手で挟み込んだ。
「好きだから……。俺は……おまえが好きだから……だから……うまく言えなくて、だからおまえを……」
 カーシュは両手をイシトの背に回し、おそるおそるというように抱き締めた。
「好きだ……」
 改めてそう告げて、カーシュはイシトを見つめた。それを見つめ返し、イシトはやがてゆっくりと瞼を閉じた。

 すべてを許すというように。
 その想いを受け入れるというように。
 口づけを促すように。

 カーシュは優しく、その唇に触れた。ついばむようにしながら、少しずつ少しずつ、確かめるように、口づけは深まり、激しさを増した。やがて、イシトの腕がカーシュの首に回され、二人は抱き合った。

 暖かい。

 カーシュの腕は、暖かだった。唇は優しく、傷ついたイシトの心を癒した。

 絡みつく視線の答え。
 罵倒ではなく、憎しみでもなく、本当に欲していたのは、この暖かさだった。

  彼に見つめられることをいつの間にか期待していた自分に、イシトは初めて気付いた。抱かれながら、厭だと思ったわけではない。ただ、その意味を考える前に、これは自分への罰なのだと思い込んでしまっただけだ。
 カーシュの腕に抱かれて、この腕を失いたくないと、イシトは思い始めていた。




Ende.

 

 


2002.1.20

昨年9月に書いた「
報復」の視点を変えたようなシチュエーションです。
馴れ初めの1バージョンではありますね。
先頃、重症の肩こり(いわゆる五十肩のような状態)で腕の自由が利かなかった時、ちょっと無理強いも良いなぁ♪とか妄想してしまいました(^^ゞ でも、基本は両想いでないとイヤなんですけどv