〜1〜

 



「大丈夫かなぁ……カーシュ」
 ガルドーブにあるドクの診療所。セルジュが、奥の診察室を心配そうに窺った。傍らで、イシトも沈痛な面もちで腕組みをしている。
 昨日のことだった。セルジュ、カーシュ、イシトの3人は土龍の島へ行っていた。足場の悪い、勝手の違う戦闘の場で、カーシュは砂地に足を取られ、岩に頭を強打し意識を失った。戦闘には残った二人の活躍で危なげなく勝利したものの、カーシュの意識が戻らない。ケガ自体は、さほど重傷とは思われなかった。イシトが応急処置を施し、カーシュの意識の戻るのを待ったが、どうにも様子がおかしい。そこで、慌ててガルドーブのドクの元へ運び込んだのだった。
 本当を言えば、ボムを投げつけられて体勢を崩し掛けたイシトを気遣って、カーシュは怪我を負ったのだ。イシトは唇を噛んだ。
 何かにつけて、自分を守ろうとするカーシュ。自分の身は自分で守ると、いくら口を酸っぱくして言っても。
「まったく、余計なことを……」
 それが、イシトがカーシュを心配して言っているというのは、セルジュにもよく判っていた。セルジュはそっと、腕組みをしたイシトの肩に触れた。
「セルジュ! イシト君! 来てくれ!」
 突然、奥でドクの呼ぶ声がした。二人は急いで診察室に駆け込んだ。
「カーシュ! 気が付いたの!?」
 セルジュの歓声に、ベッドに身を起こしたカーシュがぼんやりと見返す。だが、その表情は、すぐに怪訝そうなものに変わった。
「……誰だ、このガキは? 四天王のこのカーシュ様に向かって、ずいぶん馴れ馴れしいじゃねぇか……」
「え……?」
 セルジュが呆然と立ち尽くす。
 カーシュは続いてイシトに目を留め、険しい顔をした。
「……その軍服。おまえ、パレポリの人間だな? なんで、こんな所にパレポリの犬がいやがんだ!?」
 『パレポリの犬』。その言葉に、イシトの貌が凍り付く。
「カーシュ! いったいどうしちゃったの? 僕だよ。セルジュだよ!」
 セルジュが、そんなイシトとカーシュを交互に見やりながら、悲痛な叫びを上げた。
 ドクは大きなため息をついて、大げさなジェスチャーで肩をすくめて見せた。
「……というわけなんだよ。どうやら打ち所が悪かったらしい。カーシュ君は、我々と行動を共にして以来の記憶を無くしてしまったようなんだ……」
「……一時的なものなんでしょう……?」
 どうにか気を取り直して、イシトが口を開いた。
「わからんね……」
 ドクがフッと息を吐く。
「衝撃によって記憶と記憶を繋ぐシナプスが一部分切れても、別の経路で繋がっているはずだから、何らかの刺激でその記憶が再び認識されさえすれば、記憶は戻るはずなんだ。理論上はね……」
「理論上……? では、ずっとこのままかも知れないと……?」
 イシトの眉間のしわが深まる。
 ドクはそれには答えず、訳がわからずに難しい顔でこちらを凝視するカーシュに目を向けた。
「とにかく、刺激を与えてみることだ。とりあえず、天下無敵号の蛇骨様たちに会わせて、現況を説明していただくのが良いんじゃないかな? 蛇骨様のおっしゃることなら、彼も素直に聞くだろう。あそこにはリデル様もいらっしゃる。何しろ、あれほど慕っていた女性だ。彼女に会えば、或いは記憶も戻るかも知れない」
「そうだね! グレンにも来て貰って! 懐かしい人たちに会えば、きっと大丈夫だよね!」
 光明を見いだして笑顔に戻ったセルジュを後目に、イシトは少々複雑な表情で頷いた。
 カーシュは、本当に自分を忘れてしまったというのか。自分では、彼の記憶を取り戻す刺激にはなり得ないのか。
 イシトは、不安そうにしきりに首を傾げるカーシュを、その蒼い眼でじっと見つめた。
 反発しあい、口論を繰り返し、それでも、互いの中に互いを求め合う魂を見出した二人だったというのに、カーシュはそれを忘れてしまったのか。
 イシトの視線を感じたカーシュは、ただギロリと、この見知らぬパレポリの将校を睨み返した。



*−*−*

 薄いベールを掛けられているようだと、カーシュは思った。
 天下無敵号に赴き、蛇骨大佐、ゾア、リデル、マルチェラたちに会った。グレンにも会ったし、今、自分たちが於かれている状況も説明された。
 理解した。理解できたと思う。あのセルジュとか言う少年と共に、戦わなければいけないのは判った。パレポリの軍服を着たあの男も、今は仲間なのだということも判ったつもりだ。
 だが、それでも何かが、モヤがかかったようにすっきりしない。
 頭の傷が癒えるまで身を於いた天下無敵号で、よくリデル様の心配そうな視線を感じ、心躍った。見返すと、リデル様は優しく微笑んでくれる。至福の時だった。
 それなのに、何かが違う。
 リデル様はダリオのものだ。それは忘れていない。それでも、俺はリデル様のそばで幸せだったはずだ。
 それなのに、今は違う。
 カーシュは、ちらりと部屋の隅に控えめに佇む男に目を向けた。
 気が付くと、その男の蒼い眼が、自分を見つめている。振り向くと、何事もなかったかのように伏せられてしまう蒼い眼。ただ気遣うような視線ではない。もっと強い意思を感じさせる眼。『パレポリの犬』と罵ったことを、恨んでいるという風でもない。どこか哀しげで、何とはなしに、こちらの気が咎める。
 共に旅をするようになってから、彼とはケンカも絶えなかったが、それなりに良いコンビだったのだと、皆が口にする。あのパレポリの男は、それでは、自分というケンカ友達を失って寂しがっているのか。
 声を掛けてみようかとも思う。だが、何と言ったら良いのだろう。記憶を無くしているとはいえ、いきなり罵ってしまった自分。それに、やはり話を聞いただけでは、仲間という実感は薄い。
 カーシュは、様々な感情を振り払うように、勢いよく頭を振った。
 翌日から、また旅を続けることになっていた。あえてセルジュたちと共に戦闘に参加し、刺激を受けた方が良いだろうということになったのだ。
 戦うことに関しては、体が覚えている。問題はない。あのイシトというパレポリの将校も一緒だ。確かに共に行動する中で、何か思い出せるかも知れない。
 カーシュはもう一度、部屋の隅のイシトをちらりと窺い、自分の部屋に戻った。



* −*−*



人と人とを繋ぐのは、やはり記憶に他ならないのだろうか。
イシトは、時折カーシュを見つめては、ぼんやりと考えていた。
 『パレポリの犬』。初めて会った時にも、投げつけられた言葉だ。記憶を無くした中でも同じ言葉を使うとは、なんだかカーシュらしくて、それを思うと少し可笑しい。
 イシトは、微苦笑を浮かべた。
 最初こそあからさまな敵意に辟易したが、イシトの誠意を認めると、カーシュはすぐに自らを悔い、イシトへの信頼を表明した。それだけではない。戦いを生業とする者の、同じ苦悩、同じ胸の痛みを共有することを知り、二人は次第に互いを求めるようになった。互いの温もりの中で、それらの苦しみを癒し、また次への力を得る。
 あの暖かい腕も、厚い胸も、私は忘れていないというのに、カーシュは私を忘れてしまった。
 イシトはじっと、自分に背を向けたままのカーシュを見つめた。
 私たちの絆は、それほど簡単に忘れてしまえるだけのものだったのか。覚えているというだけでなく、理解し合ったというだけでなく、もっと心の奥深いところで、私たちは繋がっていると思っていたのに。もう二度と、あの熱い抱擁を交わすことは無いのだろうか。絆は、信頼は、取り戻せないのだろうか。
 いや、このまま失った記憶を取り戻せないとしても、私たちの信頼は取り戻せるはずだ。新しい記憶を重ね、新しく絆を結び、再び戦友として歩んでいけるはずだ。
 イシトは、翌日からの旅の再開に希望を託した。



   
〜ノーマルバージョンへ続く〜

妄想刺激バージョン(?)へ続く   


 

 


 

2002.1.3