ドアの前で、カーシュはゴクリと息を飲んだ。
何も、夜更けに女性の部屋を訪れようと言うのではない。相手は男だ。仲間だ。誰に見られようと、後ろめたいことなど無いのだ。頭ではそう思いつつ、二度三度とドアの前を行きつ戻りつしてから、意を決して彼はドアをノックした。ドアの向こうで、軽い足音が近付く。気配がドアのすぐ向こうに迫り、やがてドアの隙間から細い光が漏れた。
「君か……」
ドアから顔を覗かせたのは、イシトだった。イシトはカーシュの顔をチラリと見ると小さく頷き、入れと言うように顎を引いた。これまでにも、幾度か二人の間で繰り返されたやりとり。カーシュは軽く口を尖らせ、照れ隠しに怒ったような顔をしてイシトの部屋に足を踏み入れた。
イシトはカーシュの躊躇いをよそにスタスタと室内を突っ切り、ドサリとベッドに腰を下ろした。カーシュは所在なげにその前に立ち、頭を掻く。すでに上衣を脱いでくつろいでいたイシトは、見るとシャツのボタンを外し始めた。
「なっ、何やってんだよ……!」
カーシュが慌てる。真っ赤になったカーシュを、イシトは表情を動かさずに見上げた。
「……なんだ、違うのか? 君が夜分に私の部屋に来るって事は、てっきりそういうことだと思ったんだが?」
「そ、そういう事って……!」
カーシュは更に耳まで赤く染まった。
「そ、そりゃ、違わねぇってぇか……いや、違うって訳じゃ……」
汗だくになって弁解するカーシュを、イシトは薄笑いを浮かべておもしろそうに見ている。どうやら、カーシュをからかったのだ。カーシュはフーッと大きな溜息を吐いた。
「……人が悪ぃぜ、おまえ」
イシトがクックッと肩を揺らす。
「いつも一方的な、君が悪いんだ」
「……そりゃ……」
カーシュはまだ上気した顔で頭を掻き口ごもったが、今夜イシトを訪ねた本来の目的を思い出し、口元をきゅっと結ぶと思い切って話し出した。
「なぁ……おまえ、何か心配事があるんじゃねぇのか?」
イシトは肯定も否定もせず、じっとカーシュを見返す。
「黙ってるなんて、水臭いぜ。いつも通りにしてるつもりだろうが、どっか上の空だ。違うか?」
少しの間考えるように俯いたイシトは、ベッドから立ち上がり、窓辺に寄って空を見上げた。額に当てた手でそのまま前髪を掻き上げ、イシトはもう一度大きな溜息を吐いた。
「……君に見透かされるようじゃ、私も未熟だな……」
イシトはわずかに顔を歪ませて振り返った。
「パーティーを……離れようと思う……」
「なっ……!!」
ゆっくりと、自分自身の言葉を確かめるように口にしたイシトの言葉に、さすがにカーシュは驚愕の表情を浮かべた。祖国パレポリの命に背くようにしてまで「凍てついた炎」にまつわる真実を追い求めるために、望んでセルジュに同行したイシトなのだ。自らパーティーを離れるなど、本当なら考えられない事だった。事実、これまでの行程では常にセルジュと行動を共にし、その情報や知識を役立ててくれていた。そうしたイシトを次第に信頼し、惹かれ、いつしか彼を欠くことなど考えられなくなっている自分に気付いて、カーシュは愕然とした。
「もちろん、私にとっては不本意極まりないことだ……」
絶句したカーシュをなだめるように言葉を継いで、イシトは再び背を向けて窓外に目を向けた。
「先日、ホームワールドの蛇骨館跡……部下達の所に寄った折りに、部下の一人が消息を絶っていると聞いた……海月海付近の探索から戻らない、と」
イシトの肩がわずかに落ちる。
「部下たちも、私の事を思って、しばらくは黙っていたらしい……だが……」
イシトは唐突に振り向いた。
「今、ここを離れたくはない! ここで起きている事象の真相に迫りつつある今、そして、一層過酷な運命がセルジュを飲み込もうとしている今、ここを離れるのは……!」
イシトはベッドの端に、再び深々と腰を落とし、俯いた。
「だが……私は隊を預かる立場にある。このままにしてはおけない……」
「そうか……そうだよな」
カーシュは小さな溜息と共に、イシトに並んで腰を下ろした。カーシュもアカシア龍騎士団で部下を持つ立場にある。その心情は理解できた。イシトは顔を覆うようにして更に俯いた。
「消息を絶ってから、かなりの日数が経っている……すでに手遅れかも知れない……だが、部下達はサバイバル訓練も受けている。望みがないわけでもない。何より、生死はともかく、消息を確認して報告する義務が、私には、ある」
それは、まるで自分に言い聞かせているようにも聞こえた。イシトはゆっくりと顔を上げ、カーシュを見つめた。
「セルジュを……彼を、頼む」
カーシュは驚きを秘めてイシトを見返した。誰よりも理性に勝った男だと思っていた。だが、今目の前にいるイシトは、そうではなかった。
「今、彼から目を離すのは忍びない……」
「イシト……」
イシトは苦笑した。
「セルジュは、彼は……かけがえのない存在だ。そうだろう? この混迷を終わらせられるのは彼だけなんだ。それに……」
イシトは言葉を切って、視線を宙に漂わせた。
「彼は、どこかに置き忘れてきた自分のような気がする……」
そう言ってから急に気恥ずかしそうに目を伏せたイシトを、カーシュは意外そうに見つめた。その視線を受けて、イシトは一層恥ずかしげに頬を染め、頭を掻いた。
「何を言ってるんだろうな、私は……」
イシトはそう言って言葉を濁したが、カーシュには、イシトの言った意味が判るような気がした。
真っ直ぐで、純粋で、弱いかと思うと強くて……。セルジュは、かつての自分だった。その未熟さも、真っ直ぐに対峙するひたむきなあの眼も、大人と呼ばれるようになって、いつしか自分が失ったものだ。それは、カーシュにとっても同じだった。
「セルジュを……頼む……」
イシトはもう一度繰り返した。カーシュは黙って頷いた。
「誰が私の代わりに入ることになるかは判らないが、君まで一気に代えることは無いだろう……頼む……」
「チッ。ここを離れたくない理由は、小僧かよ!」
カーシュはわざとふざけた調子で言い捨て、肩をすくめた。
「嘘でもよぉ、俺と離れたくねぇって言やぁ、可愛げがあるのに!」
イシトがわずかに頬を染める。
「へっ。頼まれるまでもねぇ。俺が付いてるんだ。小僧のことは心配すんなよ!」
カーシュが軽い調子で言って笑う。イシトも、ホッとしたように表情を弛めたが、カーシュは真顔に戻ってイシトを見つめた。
「いつ、行くんだ?」
「明日、セルジュに話すつもりだった。それから、なるべく早く……」
「急だな……」
カーシュは俯いた。
「今からでも遅すぎるくらいなんだ……無事でいて欲しい……」
「そうだな……」
顔を上げ、寂しげな眼で自分を見つめるカーシュに、イシトはかすかな微笑を返した。
「セルジュのことを頼むのは、君しか居ないからってわけじゃない……君を、信頼しているからだ」
イシトは少し照れくさそうに目を伏せた。
「君が、がさつなようでいて、ちゃんとパーティーのバランスを取ろうとしているのは判ってた。私は生真面目すぎるきらいがあるから、君がさりげなくセルジュを力づけたり、和ませようとしてくれているのは知ってたよ……」
少し頬を染めたまま目を上げたイシトは、じっとカーシュを見つめた。
「そういう君を、私は誰よりも信頼に足る人間だと思っている……」
想いを告白されているかのようだった。カーシュは眼を大きく見開いたまま、ただイシトを見返していた。
幾度好きだと囁いても、イシトは応えてはくれなかった。カーシュを受け入れはするが、決して心を許しはしなかった。
カーシュは、イシトの言葉の余韻を確かめるように少しの間目を伏せ、やがて目を上げ、口の端を上げた。
「それって、誰よりも俺のこと好きだって、そう聞こえるぜ。がさつだってのは、余計だけどよ!」
イシトがいっそう頬を赤くし、怒ったように顔を背ける。だが、反論しないのは確かにそうした意味を込めた発言だったのだという証明だ。下手をすれば、二人はもう二度と会えなくなるのかも知れなかった。それが、あえてイシトがそうした発言をした理由であったろう。
「おい」
カーシュがイシトの顎をそっと掴み、こちらを向かす。
「帰って来いよ……」
いつもの彼には不似合いな、呟くようなカーシュの声に、イシトはその紅い瞳をじっと見つめた。この眼の奥にある暖かさに、どれほど救われてきたことだろう。
カーシュが、もう一度言った。
「無事に部下を見つけて、さっさと戻って来いよ」
「……ああ……」
どちらからともなく、唇が触れ合う。イシトは初めて自ら、カーシュの首に腕を回して、その耳元で囁いた。。
「帰ってくる……必ず。ここへ……」
Ende
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