言葉では軽すぎるから
| 不思議な静けさが、その夜を支配していた。 オパーサの浜に生じた新たなワームホールがセルジュをいざなおうとしている。いよいよ、この長く不本意な戦いに終止符が打たれようとしているのだ。 天下無敵号のサロンに集った面々は、夜が更けてもその場を去りがたく、何となく皆黙り込み、ただお互いの気配を窺う。 この戦いの果てに何があるのか。 何のためにこの戦いはあったのか。 それぞれに自問してみるのだが、答えは見出せない。 明日の夜にも、またここにこうして集うことが、果たして出来るのだろうか。 それさえも、確証はない。 ラヴォスに囚われた魂の解放を、と、あのオパーサの浜の幻たちは語るのだが、それが結果として現実に何をもたらすのか、彼らには知り得ない。誰も、その答えを知らない。 わけの判らない漠然とした不安が、今、彼らを黙らせる。しかし、その沈黙は決して重苦しいものではなく、この数奇な出会いに結ばれた仲間たちをいたわるように包んでいた。壁に掛かった古めかしい振り子時計の、時を刻む音だけが室内に響く。時計の短針はすでに1時を回っていた。蛇骨大佐が大きな溜息を吐き、ゆっくりと椅子から腰を上げる。 「そろそろ、皆、休まないか?疲れを癒さないと、大事な時に力を発揮できないだろう…」 彼にしても、この場に留まりたいのは皆と同じである。だが誰かがこう言わなければ、朝まででも、皆、こうしてここに居続けることだろう。続いて立ち上がったのはセルジュだった。 「また…明日ね、みんな」 彼は一同をぐるりと見回して、少し哀しげに微笑んだ。その言葉を合図に、一人、また一人と重い腰を上げる。 「じゃ、また明日」 グレンが、リデルが、部屋を出ていく。ゾアも、カーシュも、イシトも、ファルガも続いて自室へと向かう。セルジュは入り口に立って、一人一人を見つめていた。全員の背中を見送って、セルジュは呟いた。 「忘れないから…みんなのこと…」 イシトは部屋に戻っても休む気になれなかった。窓枠に腰掛けて、窓越しに暗い空を見上げる。月の無い夜に、星が明るく瞬いている。 「星は、どちらの世界でも同じなのにな…」 イシトは独り言を言った。特に何かを考えたというわけではなかったのだが、このアナザーワールドで見上げる星空が、自分の知るホームワールドと同じであることが、なんだか妙に感慨深かったのだ。 その時、コンコンと、遠慮がちに小さくドアがノックされた。イシトには、それが誰であるのか判っていた。ドアを掛けると、案の定、照れくさそうな笑みを浮かべ、頭を掻いてカーシュが立っていた。 「ちょっと良いか?」 イシトは黙って顎をしゃくり、カーシュを室内へ促した。 「何だ?」 室内に入り、勝手にイシトのベッドに腰を下ろしたカーシュに苦笑しつつ、イシトはわざと冷たく言った。 「何って、どうせ眠れねぇしよ、一人でいると、ろくな事考えねぇし…」 「それで、人を起こしに来たわけか?」 イシトが相変わらず冷ややかに応じる。カーシュが口を歪めて笑った。 「へっ、起きてたくせに!…それに、判ってたんだろ?俺が来るって」 イシトは肩をすくめて苦笑した。いつもこうだ。カーシュといると、いつの間にかそのペースに巻き込まれてしまう。イシトはそれを不快だと思っているわけではなかったが、時折、何となく悔しくなる。それで、あえて冷たく応じてみたのだったが、どうやら何の意味も為さなかったらしい。カーシュがヘラヘラと笑いながら手招きをする。イシトは軽く溜息を吐いて、カーシュに並んでベッドに腰掛けた。 「まあ、こんな夜に、平気で眠れる方がどうかしてるとは思うがな…」 カーシュがプフッと笑った。 「じゃ、ゾアとグレンはどうかしてるぜ。部屋の前を通ったら、すっげーいびき!」 イシトも少し笑った。だが、二人の笑い声は、力無くすぐにたち消えた。ベッドに腰掛けた両足に頬杖を付き、カーシュはちょっとの間、じっと床を見つめていた。 「明日、全てが終わったら…俺たちはどうなるのかな…」 先程のサロンで、誰もが考えながら、ついに口に出せなかった問い。イシトはカーシュの表情を覗こうとしたが、俯いたカーシュの顔は、その長い髪に覆われて窺えない。イシトはフーッと長い溜息を吐いた。 「…考えても仕方のないことだ」 「でもよ!」 カーシュがパッと顔を起こす。 「おまえの居た世界と、こっちの世界、いったいどうなっちまうんだろうって、考えないわけにいかねぇだろ?」 イシトがかすかに眉を寄せてカーシュを見返す。 「…もう、会えないかも知れねぇんだぜ?」 カーシュの真摯な眼に押されて、イシトは目を伏せた。 「こっちの世界にも、私は居るだろう…」 「違う!」 カーシュはじっとイシトを見つめた。 「それは、おまえじゃねぇ!」 「カーシュ…」 イシトが眼を上げる。カーシュの太い眉が歪む。 「今まで一緒に戦ってきた、同じ時間を、同じ苦しみを、同じ悩みを、一緒に背負ってきた、おまえとは違う…」 イシトは黙って首を振った。何を否定しようとしているのか、自分でも判らない。だが、そうせずには居られなくて、イシトは首を振った。 「…おまえは平気なのか?そっちの世界に、俺は…俺はもう、居ないんだぜ?」 イシトはフッと小さく息を吐いて、腕組みをした。 「君は、全てが終わったとき、この二つの世界が完全に分離されると考えているようだが、私は違う。そもそもひとつだったこの世界は、セルジュの生と死によって分かたれた。それは何故か?セルジュがこの世界の重要な鍵だったからだ。ラヴォスの呪縛を解くのに必要な鍵。そして解放が実現されたら、どうだろう?世界が二つである必要はあるか?」 カーシュはただ、驚いたような眼をイシトに向けた。 「私は、この世界はひとつに戻ると思っている。凍てついた炎が存在しなかった新たな次元に、この二つの世界が融合した世界が生じるのではないかと」 「それじゃ…」 「現在、それぞれの世界に存在する二人の私は、統合された人格の一人のイシトとなるだろう。君は君で、存続し得たはずの君と融合される。そうは思わないか?」 カーシュは、眉を寄せ、目を伏せた。 「…でも、それは、今ここに居る俺とおまえじゃねぇだろ?今の、この、俺の気持ちとかって、どうなっちまうんだ?もう一人の俺って、きっとおまえにひでえ事言っちまったような俺なんだぜ?…今まで一緒にやって来た想い出とかって、そういうのはどうなっちまうんだよ?」 イシトも眉を寄せた。考えていなかった。いや、考えないようにしていた。カーシュがブンブンと頭を振った。 「わかんねぇよな。いくら考えたって、やってみなけりゃわかんねぇんだ。だから…俺は、その時になって後悔したくねぇ…そう思ったから来たんだ」 カーシュはおもむろにイシトの両肩を掴み、その顔を覗き込んだ。 「俺は忘れたくねぇ。おまえを傷付けたことも、おまえに助けられたことも、おまえと一緒に戦ったことも、何もかもだ」 カーシュはそのままイシトを抱き締め、押し倒した。 「無くしたくねぇ。この気持ちも、おまえと過ごした記憶も、思いも。小僧やおまえと出会ったことで知った、いろんなこと。忘れたくねぇ…」 「カーシュ…」 イシトがカーシュの背中に腕を回した。イシトとて、本当は同じ不安を抱えていたのだ。彼は、その腕にギュッと力を込めた。カーシュがそれに呼応するように顔を起こし、口づける。 「…おまえが好きだ…おまえの頑なさも、おまえの誠意も、俺はみんな気に入ってる…おまえを失うのは…いやだ…」 イシトは黙ってカーシュを抱き締めた。カーシュはイシトの細い金髪に頬ずりをした。 「おまえと、ずっとケンカしていたい。一緒に戦って、そっぽ向いたり、言い合いしたり、酔って絡んだり、ずっと一緒の時間を生きたい…」 「…ああ…そうだな…」 イシトは子どもをあやすようにカーシュの髪を撫でた。カーシュが顔を起こし、イシトを見つめた。 「おまえ…結局一度も言ってくれなかったな…好きだって…」 イシトがわずかに頬を染め、口元をキュッと結ぶ。 「言えよ…最後なんだからよぉ…」 カーシュがイシトの頬を両手で挟み込む。イシトは無言のままカーシュから眼を逸らした。 「言ってくれよ。俺のこと、好きだって」 カーシュはその赤い瞳で、じっとイシトを見つめた。イシトは苦笑した。 「…言うだけなら、簡単なことだ…」 カーシュがムッとしたように口を尖らす。イシトはまた少し笑って腕を伸ばし、改めてカーシュを抱き締めた。 「言葉はいつも、想いには足りない…」 抱き寄せられたカーシュは、イシトの耳元で繰り返した。 「言ってくれよ。それでも…」 イシトは静かに首を振った。 「そんな軽いものにしたくないんだ…君との…いろんなこと」 イシトは、まだ少し納得できない顔のカーシュの頬にそっと口づけた。 「朝まで…こうしていようか」 「え…!」 カーシュが驚いて身体を起こす。 「おまえ、みんながどう思うかって、いっつも言って、いやがってたじゃねぇか」 イシトは小さく笑って、カーシュを引き寄せた。 「いいさ…今夜は」 ただ一つの言葉の代わりに、イシトはカーシュを抱き締める腕に力を込めた。カーシュが呟くように言った。 「忘れんなよ、俺のこと…」 「忘れられるもんか…君みたいな自分勝手なヤツ…」 互いの温もりを確かめるように、二人はじっとそうしていた。
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| 言い訳 本館「前夜」のバージョン違いです。 いやん、自分で書いてて泣きそうでした(バカ) 2000.12.7 |
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