「今夜はここで野宿だな」
カーシュが、大きな木の根本に背負った荷物をどさりと下ろした。
世界のへそを彷徨っていたセルジュ、イシト、カーシュの三人は、その日はそこで休むこととなった。
セルジュは、近頃はいつもこの二人と行動を共にしていた。もちろん、セルジュは他の仲間たちをも大切に思っている。だが、彼は好んでこの二人を呼ぶ。属性の組み合わせが丁度良いということもある。冷静なイシトと、熱血漢のカーシュ。そういったバランスがとれているせいもある。しかし、それにも増して、セルジュはこの二人が好きだった。
イシトの、パレポリでの知識と分析力に裏打ちされた助言は貴重だったし、セルジュは彼の冷静な判断力を頼りにしていた。何より、自分がヤマネコの姿であったとき、本当のヤマネコとは違うと気付いてくれたことを、今もうれしく思っていた。
カーシュはいつでも自分を子供扱いする。それが時には腹立たしいこともあったが、心身共に疲れた折りに、その暖かい包容力を感じさせる笑い声が、彼を力付けてくれる。
そしてまた、道中で繰り広げられる二人のケンカともじゃれ合いともつかぬ会話を聞くのが、セルジュのささやかな楽しみでもあった。
『パレポリの犬』。
最悪とも言える出会いの後、行動を共にしながら、カーシュとイシトの二人は信頼を深めていった。大雑把なカーシュと緻密なイシトのことだ、口論は日常茶飯事である。だが、その根底に互いへの揺るぎない信頼と友情が感じられ、セルジュは二人の言い合いを、漫才でも聞くように楽しんでいた。
野宿のために荷物を出しながら、イシトが当然のように言う。
「じゃあ、カーシュ。薪用に木をとってきてくれ」
「……何で俺なんだよ? そんなの、おまえが行けばいいだろ?」
「君の武器は何だ? アックスだろう? 木を切るのはお手の物じゃないか。銃で木は切れないんだ」
「……むがががっ。じゃあ、小僧にも手伝わせろよ」
「セルジュは疲れているんだ。職業軍人の我々とは違うんだからな」
「……甘やかしすぎだぜ、おまえはよぉ……」
そう言いつつも、カーシュは一人で森の中に入っていった。
「僕、大丈夫だよ」
セルジュが困惑顔で言うと、イシトは涼しい顔で笑った。
「今日はほとんど戦闘がなかったから、カーシュは力が余ってるんだ。やらせておけばいい。君はここで、私と一緒に食事の用意だ」
そう言いつつ、イシトがカーシュのために、多めに食事を用意してやるのを、セルジュは知っていた。そんな二人を見るのが、彼はうれしかった。
やがて食事も済み、夜も更ける。
「セルジュ。これを掛けて休め。我々が交代で見張りと火の番をする」
布団代わりの薄手の布を差し出しながらのイシトの言葉に、カーシュも頷く。
「そうそう、ガキは早く寝ろ」
「……僕、ガキじゃないよ。大丈夫。僕も交代するっ」
セルジュのわずかの抵抗。だが、イシトはやんわりとそれを拒む。
「セルジュ。君はまだ成長期だ。そういう時期には、休息と睡眠が大切なんだよ」
理論武装したイシトには逆らえない。セルジュは軽く口をとがらせながら、横になった。とはいえ、腹を立てているわけではない。それが、イシトやカーシュの思いやりだということは、セルジュにもよく判っている。ただ、何となく仲間はずれにされたような思いを拭えず、むくれて見せただけのことだ。
横たわったセルジュに、イシトが布をかけ直す。見上げたセルジュの目に、イシトの微笑が映る。
「……じゃ、お先に。お休みなさい」
小声で言うセルジュに、二人が応じる。
「お休み」
「おうっ」
眠りに落ちる前にセルジュが最後に見たのは、セルジュの脇でなにやらメモ帳に書き付けるイシトの姿だった。
「……小僧は寝たのか?」
「ああ、寝入ったようだ」
イシトが、セルジュの寝顔をのぞき込んで小声で答える。
「寒くねぇか? もっと火のそばに寄れよ」
「ああ……」
イシトは、横目でちらりと眠っているセルジュの様子を窺うようにしながら、小枝で火をつついているカーシュの隣に腰掛けた。少し冷えた手をさするようにしながら火にかざす。火の明るさに、かざした手がわずかに赤く透けて見える。イシトはその両手の平を、じっと見つめた。
「赤い……」
呟くように漏らしたイシトの声に、カーシュが怪訝そうに見つめる。
「……どうした?」
「この手は……見えないけれど、たくさんの血で汚れているんだと思ってな……」
カーシュは肯定するでも否定するでもなく、黙ってわずかに眉を寄せた。イシトは、銃で狙いを定めるときのように、何も持たない手を目の高さに挙げた。
「こうして狙いを定めてトリガーを引く……相手とは距離がある。返り血さえ浴びることはない。だが……どんなに遠くても、姿が見えなくても、命中したという確かな手応えを感じることがある……」
イシトはそこまで言って再び広げた両手を見つめ、次の瞬間にはうつむいて、その手で顔を覆った。
「……いやな手応えだ……何度経験しても……」
そう呟いたイシトの頬は青ざめ、額はじっとりと汗ばんでいた。カーシュが心配そうに横からのぞき込む。
「おい……大丈夫か?」
「……初めて人を撃った時のことを思い出したんだ……」
顔を覆ったままのイシトの声はくぐもり、わずかに震えていた。
「吐いて吐いて、吐くものが無くなっても吐き続けた……未熟だったな……」
カーシュは黙ってイシトを見つめた。
「それ以来、私は更に銃の腕を磨いた。どんな体勢でも的を撃ち抜けるよう、日々の鍛錬を自分に課した」
確かに、イシトの攻撃の正確性は群を抜いている。だが、命中した時の手応えを嫌いながら何故、という疑念が、カーシュの表情に出た。わずかに顔を上げたイシトはカーシュのその表情を窺い、ふうっと息を吐いた。
「一発で確実に相手の攻撃力を奪うためだ。そうすれば、お互いに致命的な傷を負わずに済む」
イシトは、ようやく顔を正面に向けた。
「私は軍人だ。戦いから逃げるわけにはいかない……」
その思い詰めた横顔に、カーシュがポツリと言った。
「……俺も、パレポリに生まれてれば良かったな」
唐突な言葉に、イシトが驚いて見返す。
「……その時、吐き続けるおまえのそばにいて、どうせ、ただオロオロするばかりでなんにもできやしねぇんだけどよ……震えるおまえの背中を、ずっとさすっててやりたかったよ」
「カーシュ……」
イシトが、泣き出しそうに顔を歪めながら、かすかに笑顔を浮かべた。
「……ありがとう」
生まれた国が違う。そもそも属する世界が違う。それでも――。
カーシュはイシトの肩を抱き寄せ、まだ少し青白いその頬にそっと口づけた。イシトがセルジュを気にして、小さく身じろぎをする。カーシュもそれを察して、すぐに身体を離した。
「カーシュ……」
「ん?」
イシトはカーシュに向き直り、きっぱりと言った。
「それでも私は、君が危険にさらされたら、相手が誰であろうと躊躇無く撃つ」
カーシュは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「ああ。俺もきっとそうする……」
見つめ合う二人の顔がゆっくりと近付く。唇がわずかに触れ合った時、たき火の中で、枝がピシリと音をたてて弾けた。
「……ん……」
炎の向こうで、眠っていたセルジュが寝返りを打ち、布団代わりに掛けていた布が、その肩から落ちる。
慌てて離れた二人は、顔を見合わせ小さく笑った。
「風邪引くぞ……」
イシトが立ち上がり、セルジュに布をかけ直す。カーシュが、小枝を火に投じながら微笑んだ。
「おまえも、もう横になれよ。後で交代して貰うからよ」
「ああ、そうさせて貰う」
セルジュに並んで横になったイシトの背に、カーシュの暖かい声が掛けられた。
「お休み。ゆっくり休めよ」
Ende.
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