その手の温もり

 


 テーブルの上には、1杯の冷めたコーヒー。セルジュが空になった自分のカップを弄びながら、チラリと向かい側に座ったカーシュを見る。カーシュもまた、空いたカップをわざとらしく口元に運び、素知らぬ振りを装う。セルジュは溜息混じりに、隣の椅子に目をやった。
 先程まで、イシトが座っていたその席。今は空席だ。いつもは食後のコーヒーを楽しむイシトが、今日は食事もそこそこに、部屋へ引き上げてしまった。
「…どうしたんだろうね?」
ポツリと口にしたセルジュに、カーシュが軽く口をとがらせる。
「何がだよ? 別に、いいじゃねぇか。コーヒー飲まなかったくれぇ、なんてこたぁねぇだろ?」
セルジュがフンと短い吐息を漏らす。
「だってさぁ…イシトはお酒を飲まないから、いつも本当に美味しそうにコーヒー飲んでたんだよ? ゆっくり香りを楽しんで、本当に美味しそうに」
「…だから、なんだよ? 俺のせいだってぇのか? 俺が一緒にいるようになったから、さっさと部屋に引き上げたって、そう言いてぇんだな?」
腹立たしげなカーシュの物言いに、セルジュは口ごもる。
「そうは言ってないよ…。でも、気を遣ってるとは思うよ? カーシュに嫌われてるだろうから、なるべく寄らないようにしてるって感じで…」
カーシュがフンッと勢いよく鼻を鳴らす。
「俺は別に嫌ってなんかないぜ! そりゃ、最初はつい、食って掛かったけどよ、今は協力して戦うんだって事くらい、俺だって良く判ってるさ」
セルジュはまた小さくため息を吐いた。
「そりゃ、カーシュはね…でも、イシトはそうは感じてないんじゃないのかな? まだ、ずっとカーシュに嫌われてると思ってると思うよ? だからさぁ…」
「だから…なんだよ?」
カーシュがイヤな予感がするとでも言うように、かすかに眉を寄せてセルジュを見返した。セルジュはそれを牽制するように、ニッコリと笑みを浮かべた。
「様子見てきてよ。イシトの」
「なんで俺が!?」
カーシュが思わず椅子から腰を浮かせた。セルジュは相変わらずニッコリと笑顔を浮かべている。
「だって、そうすればイシトにも、カーシュに嫌われてないって判るでしょ? これからまだ旅は長いんだし、仲良くやらなきゃ。カーシュとイシトだとバランス的にも良いし、ボク、当分メンバー変える気はないから」
椅子に腰を落としたカーシュは、あからさまに渋面を作る。もうイシトを嫌っていないのは本当だが、今更気遣ってみせるのも気恥ずかしい。
「おまえが行きゃあ良いだろ? そんで、俺はもう嫌ってないって、そう言ってくれりゃあ良いじゃねぇか」
「はい、そうですか、って聞くようなイシトだと思う? ボクが心配して嘘言ってるんだと思うに決まってる。カーシュ本人が行くところで意味があるんじゃない?」
カーシュは口をへの字に曲げた。実のところ、カーシュ自身、気が咎めていた。いつか、イシトに対して、はっきりと謝罪するまでではなくとも、何かしなくてはと思ってはいたのだ。
「判った…」
カーシュは溜息混じりに言った。
「行きゃあ良いんだろ? ちょっと部屋ぁ覗いて、声掛けりゃ良いんだよな」
カーシュは自分を鼓舞するように言って、さっと立ち上がった。
「うん、そうそう。行ってらっしゃい! あと、ボクも部屋に戻るから、イシトによろしくね!」
セルジュは小さく手を振って、ニコニコと見送った。

 「…カーシュ!?」
ノックに答えてドアから顔を覗かせたイシトは、あからさまに驚いた顔をした。カーシュが照れ隠しに怒ったような顔でぶっきらぼうに言う。
「別に、用じゃねぇんだけどよ…ああ、その…明日は、海に出るって小僧が言ってたからよ…」
イシトは驚いたような表情のまま、小さく頷いた。
「あ…それは、わざわざありがとう…」
そう言い掛けて、イシトは急に顔を歪め、背を丸めた。どうやらどこか痛むらしい。
「…どうした?」
カーシュが室内に入り、イシトの顔を覗き込む。蒼白の顔に、脂汗が滲んでいる。
「…なんでもない…」
イシトが身体を起こし、取り繕うように言う。
「そんな青い顔しやがって、なんでもねぇって事あるか!」
カーシュが乱暴に、イシトの肩を掴む。それとほとんど同時に、再び痛みが襲ったらしく、イシトはまた顔を歪め、反射的に右手をみぞおちの辺りに当てた。だが、痛みに顔を引きつらせながらも、イシトは心配そうに覗き込むカーシュの顔を見上げ、小さくクスリと笑った。
「…何が可笑しい」
カーシュがムッとして言う。イシトはフッと短く吐息を漏らした。
「いや…君に案じてもらえるとは思わなかった…」
カーシュは口元をキュッと結んだ。

『パレポリの犬!』

 会いしなにイシトにぶつけた罵声。
 確かに出会った時には、こうして行動を共にするようになるとは、お互い思いもしなかった。
「…腹、痛ぇのか?」
カーシュが気を取り直したように言う。イシトが体を起こし、壁に寄りかかる。
「いつもの胃炎だ…時々あるんだ…心配掛けて、済まなかった…」
少し痛みが治まったのだろう、イシトはカーシュに微笑を向けた。そのうれしげな微笑が、なぜかカーシュには苦しくて、彼はわざと怒ったように言った。
「変に気ぃ回したり、無理ばっかりしてるからだっ。おまえ、こうしてあちこち歩いてる間も、合間に部下に指示を与えに戻ったりしてるだろっ。まったく…おまえみたいなヤツは、少し酒でも飲んでストレス発散させねぇと、そのうちパンクしちまうぜ!」
そう言うカーシュの言葉にも、イシトはうれしそうに頷いた。
「ああ、そうだな…」
だがまた痛みが来たらしく、イシトは胃の辺りに手を当て、顔をしかめた。
「さっさと寝ろっ。小僧には、明日は1日休むよう、言っといてやる」
カーシュはイシトの背を押すようにして、ベッドへ向かわせた。ベッドに身体を横たえたイシトは、そうすると幾分楽なのだろう、子どものように背を丸めた。いつも人前ではシャンとしているイシトがこんな姿をさらすのだから、余程苦しいのだろう。カーシュは腰に手を当て、ちょっとの間逡巡していたが、大きなため息を吐くと、イシトの横たわるベッドに上がった。
「…な!?」
イシトが驚いて振り返る。だが、カーシュはお構いなしに、イシトの背を抱くように並んで横になった。
「ちょっと、じっとしてろ」
カーシュの手が、イシトの胃の辺りに回される。もう一方の手は、イシトの背をなで始めた。
「痛むのは、この辺か?」
イシトが怪訝そうな顔をしながら、小さく頷く。
「…『手当』って言うだろ? 痛い時、反射的にそこに手が行くだろ? 手を当てるってなぁ、やっぱ、なんか意味があると思うんだよ…」
カーシュの手が、イシトの背で、胸で、ゆっくりと円を描く。
「俺、ガキん頃、よく腹壊してよ…いつもはおっかねぇオヤジが、そういうときにゃ、あぐらの中に抱いて、こうして手を当てて撫でてくれたもんだ…」
「…ザッパが?」
イシトが少し笑いを含んだ声で問う。
「ああ…そうすると、なんか楽になってよ…人の手って、不思議なモンだな…」
カーシュの手は、そう語る間も、優しくイシトを撫で続けた。丸まっていたイシトの身体が、自然に少しずつ伸びていく。
「…少しは、楽になったか?」
イシトは目を閉じた。
「…痛みが、解けて行くみたいだ…」
「そうか」
カーシュの満足げな声に、イシトは泣きたくなるのを感じた。

 自分はここにいて良いのだ。
 一緒に戦っていて良いのだ。

 イシトは、自分の胸を撫でるカーシュの手に、自分の手をそっと重ねた。
「君の手は、あったかいな…」
 カーシュは急にどぎまぎした。苦しそうなイシトを見かねて、何も考えずにその背を抱き締めた。だが、我に返ってみるとひどく恥ずかしい。カーシュは慌てて身体を離し、ベッドに起き上がった。
「す…少しは楽になったんなら、もう良いだろう。あとは、ゆっくり休め」
言い捨ててベッドを降りようとしたカーシュの手を、イシトが掴んだ。
「…もう少し、いてくれないか…? 背中をさすって貰うと、かなり楽なんだ…」
「…って…」
何か言い掛けて顔を赤らめたカーシュは、だが、意を決したようにまたイシトに並んで身体を横たえた。
「ったく、しょうがねぇな…」
「済まない…」
そう言いつつ、イシトの声にはわずかに笑いが含まれていた。
「良いか? 特別だぞ? いっつも甘えられたんじゃ、困るからな?」
ぶっきらぼうに言うカーシュだが、それほどいやそうには見えない。カーシュは再び、胸と背をゆっくり撫で始めた。イシトはその手の温もりを感じながら、深い吐息を吐き、目を閉じた。
「…ありがとう…カーシュ」


FINE.

 

言い訳
ソフトでしょう?(笑) 物足りないですか? だって、久々の別館なものですから(^^ゞ
先日持病の胃炎で寝てた時、ポポッと浮かんだネタです。だって、イシトって神経性胃炎を煩っていそう(^_^;)
まだ、深い仲(!)になってない頃のカーシュとイシト。これをきっかけに、徐々に…かも知れないけど(笑)
微妙にイシカーなんですよね。誘いイシカー(爆)。
「また撫でてくれるか?」なんつって。
カーシュの手は、麻薬的に気持ちいいのです〜。
カーシュもね、「背中を」って言われてるのに、胸も撫でてくれちゃう辺り…(笑)

でも、本当に手を当てて貰うと楽って事ありますよね? それが「手当」の語源なのかも。

2001.6.24