うさ耳イシトの蛇骨館潜入記 3 |
| まただ。 うさ耳メイドの姿で蛇骨館に潜入中のイシトは、自分を見つめる強い視線を感じて、床を磨いていた手を止めた。 ここに、この姿で潜入してからというもの、行く先々で邪な視線に晒され、時には襲われそうになり、すっかり閉口していたが、そういった類の視線には不本意ながら慣れつつあった。だが、この強い意志を感じさせる視線は、これまでのものとは違っていた。 誰か、自分の素性を疑っている者が居るのか?イシトは床掃除を続けながら、注意深く辺りを窺った。だが、人の気配は消えている。遠く、入り口の方から賑やかなざわめきが聞こえてくる。鍛錬のため出掛けていた騎士たちが帰ってきたのだ。やがて、イシトが掃除している廊下に、龍騎士の一団が近付いてきた。イシトはサッと立ち上がり、脇に退いて、彼らが通り過ぎるのを待った。そうしている間にも、彼に声を掛けていく輩が実に多い。男ばかりのこの蛇骨館では無理からぬことではある。ここでは女性といえば、令嬢のリデルと、彼女の身の回りの世話をする召使い、そして9歳ながら蛇骨四天王の一人となっているマルチェラくらいなのだ。イシトは、自分がうさ耳メイドの姿をさせられるわけが、よくわかったような気がした。兵士たちの興味を向ける対象は必要だが、本当の女性では間違いが起こりがちである。 廊下の壁にもたれ、兵士たちの通り過ぎるのを目を伏せてやり過ごしていたイシトは、また、違った視線を感じて目を上げた。そこにはカーシュの笑顔があった。 「ユージーン。」 カーシュは、イシトの本名を知っているのだが、他の者たちの前では偽名のユージーンと呼ぶ。カーシュには「イシト」というのが、親しい者だけが呼ぶ名だと教えた。彼に偽名で呼ばれるのが、何故かいやだったのだ。 「ユージーン。その仕事が済んだら、あとで良いから俺の部屋にお茶を持ってきてくれ。」 それが何を意味するのか、イシトにはわかっていた。イシトは自分の頬が紅潮するのを感じた。周囲がざわめく。羨望の声が飛ぶ。だが、兵士たちはカーシュの真意に気付いていない。カーシュが、令嬢のリデルを慕っているのは周知の事実だったからだ。 「…かしこまりました、カーシュ様。」 イシトは表情を見られないよう、俯いて答えた。 イシトも、カーシュがリデル嬢を慕っているのは知っていた。そうした事実が、また更に彼の心を乱し、混乱させた。それならば、何故カーシュは自分を慰み者にしようとするのか。イシトは、突然湧き起こった悔しさに似た自らの感情に戸惑い、強く唇を咬んだ。 イシトは急がなかった。掃除を終え、他の雑用を済ませ、上司にもう良いと言われてからお茶の支度をした。ポットとカップにお湯を注ぎ、暖める。茶葉を添え、新しいお湯を用意して、トレーに載せる。彼はゆっくりとカーシュの居室に向かった。 カーシュの部屋へ行くには、厨房からは階段を上がらねばならない。一段一段、階段を上りながら、イシトは自問自答していた。 先日のようなことになったら、どうするつもりだ?突っぱねるのか?逃げるのか?情報はどうする?それよりも、四天王カーシュの手を不審に思われずに逃れるのは至難の業ではないのか?仮にも特殊部隊の隊長である。その気になれば、カーシュの手を逃れることくらい出来そうだ。だが、それでは素性を怪しまれるのは必定。では、どうする?どうする…? 答えは出ないまま、階段は終わった。もう、カーシュの部屋は目の前だ。イシトは心を決めかねていた。 その時、カーシュの部屋の中から、大きな声が聞こえてきた。 「なんで俺を庇ったりするんだよ!」 イシトは驚いてドアを凝視した。カーシュが何か答えているようだ。だが、怒気を放つ、声の主の気配が戸口に近付く。 「俺はもう二十歳(はたち)だ!子どもじゃないんだ!」 次の瞬間に、ドアが勢いよく開け放たれた。 「知らないよ!兄ぃの馬鹿っ!」 「グレン!!」 カーシュの声が、開け放たれたドアから、廊下に響き渡る。飛び出してきた若者を、イシトは知っていた。今は亡き四天王ダリオの弟。悔し涙を滲ませたその眼が、イシトを捉え、一瞬大きく見開かれると、次の瞬間には射るような眼差しに変わった。イシトの前で足を止めたグレンは叩きつけるようにドアを閉め、鋭い目で彼を睨みつけると再び駆け去った。 この眼だ! 先刻から感じていた、きつい視線。それはグレンだったのか?何故?自分の素性を知っているのか? イシトはドアの前で立ちつくした。だが、自分の素性に気付いているのなら、もうすでに彼は取り調べを受けていることだろう。あるいはまだ、怪しんでいるだけなのかも知れない。 イシトは気を取り直し、ドアをノックした。カーシュが慌てたようにドアを開ける。 「…イシトか…。」 声にはわずかに落胆の色が混じっていた。グレンが戻ってきたと思ったのだろう。イシトは自分の心が波立つのを感じた。彼は出来るだけ事務的に言った。 「…お茶をお持ちしました…。」 「あ、ああ、そこに置いてくれ…。」 カーシュは困ったように頭を掻いて、空いた手でテーブルを指差した。イシトは黙って、トレーを置き、ポットに茶葉と湯を注いだ。ポットの蓋の隙間から紅茶の芳香が立ち上る。イシトはポット越しにカーシュを盗み見た。細い湯気の向こうのカーシュは、何も言わずに、まだドアを見つめていた。まるでその向こうに誰かが居るかのように。 イシトは穏やかならぬ自分の心を鎮めるように、静かにカップにお茶を注いだ。イシトはソーサーに載せたカップを手に、カーシュに歩み寄った。 「どうぞ…。」 「ああ…。」 カーシュはお茶を一口飲んで、またカップを皿に戻した。そのまま、カーシュはお茶をテーブルに戻し、ソファに腰を埋めて大きな溜息をついた。再び、部屋に沈黙が戻る。イシトは困惑していた。言いつけられた用は済んだ。退室すべきだろう。だが、カーシュが自分を呼んだのは、本当はお茶を煎れさせるためではなかったはずだ。それなのにカーシュは黙ったままだ。先程のことで、そんな気が失せたのだろう。彼は膝の間で組んだ自分の手を、見るともなくじっと見つめていた。イシトのことなど眼中にないかのようなその様子に、イシトは腹立ちを覚えた。それならそれで、サッサと部屋を出てしまえばいい。だが、何故かイシトは立ち去りがたく、そんな自分に苛立っていた。 「どうかなさったんですか?」 気が付くと、イシトはつい、カーシュに声を掛けていた。カーシュが眼を上げてイシトを見つめる。イシトは慌てて俯いた。 「あ、いえ、あの…済みません。立ち入ったことを…。」 カーシュは、また大きな溜息をついて、前屈みになっていた身体を起こし、背もたれにもたれながら、両手を首の後ろに回した。 「さっきのなぁ…グレンは…俺の弟分なんだ…。」 「はい。」 イシトが相づちを打つと、カーシュはまた小さな溜息をついた。 「…庇ってるつもりは無かったんだけどなぁ…つい、ちっちゃかったあいつの姿が浮かんで、手加減しちまったのかなぁ…。」 カーシュは照れくさそうに頭を掻いた。 「赤ん坊の時から知ってるし、ホントの弟みたいなもんだから、いつもは厳しくしてるつもりだったんだけどよ…いざとなると、怪我させたくねぇし…ダリオの代わりに、あいつを守らなきゃって…思っちまうんだろうな…。」 どうやら今日の訓練の際、カーシュはグレンに手加減し、グレンはそれを不服として抗議に来たらしい。イシトは頷いて見せたが、そう話すカーシュの優しげな眼差しを、複雑な思いで見つめていた。 「それで、ケンカなさったんですね。」 カーシュはちょっと口を尖らせた。 「ケンカったって、グレンのヤツが一方的にわめき散らして行ったんだ。それに…。」 カーシュは口ごもり、チラリとイシトを見た。 「それに、あいつ、おまえのこと、気付いてるみたいなんだ…。」 イシトはドキリとした。気付いている?自分のことを?パレポリのスパイだと?だが、それは杞憂だった。 「メイドなんかにうつつを抜かしてちゃ、龍騎士の、四天王の名がすたる!って、な。だから、俺は言ったんだ。人が人に惹かれるのは理屈じゃねぇし、ガキの口を出すことじゃねぇって。そしたらだよ、いきなり怒り出して、もう子どもじゃないんだから変に庇い立てするな、とかわめいて…。」 イシトは思わず赤面した。この男は、何故こういうことを、臆面もなく本人を目の前にして口に出せるのだろう。だが、それで少し事態が飲み込めた。グレンは嫉妬しているのだ。カーシュがこれ程気に掛けているのだ、おそらく、グレンの方もカーシュを慕っていることだろう。だからこそ、グレンは気付いたのだ。カーシュが新しく入ったうさ耳メイドに心惹かれていることに。それ故の、イシトへの敵意に満ちた眼差しだったのだ。 イシトの沈黙を勘違いしたカーシュが、照れくさそうにイシトを見つめた。 「いや、だからって、おまえはなんにも悪くねぇんだからな。俺が…俺がおまえに…その、惚れちまったんだから…。」 イシトはそれを聞いて、自分が喜びに満たされるのを感じた。打ち消そうとしても、自然と頬が緩む。自分自身に戸惑い、その表情を見られまいと一層俯くイシトをカーシュは引き寄せた。イシトは抵抗できなかった。カーシュの腕に抱き寄せられ、心躍る自分が居る。 自分は待っていたのだ。こうして抱き寄せられるのを待っていたのだ。うさ耳メイドとして潜入し、気を張りつめる毎日。こうして、この腕のの中で安らぎたいと願っていた。もはや否定できない。自分もまたカーシュに惹かれている。情報のためでも、任務のためでもなくて、自分はただ、こうしていたいのだ。 「イシト…。」 カーシュがイシトの細い顎をそっと掴み、その顔を上向かせる。優しい眼が、イシトを見つめる。呟くように、イシトはカーシュを呼んだ。 「カーシュ様…。」 「カーシュ、でいいって言ったろ。」 そう言いながら、カーシュの顔が近付く。イシトは瞼を閉じた。優しく触れるくちびる。ついばむように何度も。 「カー…シュ…。」 その合間に、イシトはカーシュの名を呼んだ。ただ、そうしたかったから。カーシュはイシトを抱き締めた。イシトは、このまま何も考えたくないと思った。考えると泣きたくなる。知らなかった。自分は、それほどに弱い。だが、カーシュはイシトをその胸に抱きながら、まだグレンを気にしていた。 「グレン…どうしたかな…。あいつ、ホントの兄貴のダリオじゃなくて、なんか俺に似て猪突猛進型だから…。」 「だから…心配?」 どうやら少し気持ちの余裕を取り戻しつつ、イシトはカーシュの胸に頬を寄せながら笑った。カーシュも小さく笑った。 「ああ、心配。…おまえのことも、心配。」 「私ですか?」 イシトは意外そうにカーシュを見上げた。 「あったり前だろう。さっきだって、みんなおまえにちょっかいだそうとするしよぉ、遠征の時なんて、気が気じゃないぜ。そばにいなきゃ、守ってやれねぇもんな。」 カーシュは、いかにも「あったり前」そうに言った。イシトは微笑んだ。 「あなたは、なんでもご自分で守ろうとなさるんですね…。」 カーシュは憮然とした顔をした。 「…ダメか?」 「ダメです。」 イシトは笑った。 「さっきのグレンもそうでしょうけど、私も、守られてうれしいと思う人間ではありません。時にはそれが辛くなると思うんです。…グレンは…きっと、本当にあなたを慕っているんですね…。だからこそ、そして男だから、庇護されるより、あなたに近付きたい。対等に見て欲しいんだと思います。」 カーシュは口をへの字に曲げた。 「…おまえもそうなのか?」 イシトはかすかに頷いた。この腕の中で守られ、何も考えずにいられたら、それは確かに楽だろう。だが、それでは自分ではなくなる。自分は自分自身であってこそ、価値があるのだ。どんなに辛くても、現実から眼を背けていてはいけない。イシトは意を決して、カーシュから身体を離した。 「私が、あなたにどんな風に見えているのか判りませんが、私は…きっとあなたの思っているような人間ではないんです。」 カーシュは驚いたようにイシトを見たが、すぐにニヤリと笑った。 「いや、判ってる…判ってると思う。でなきゃ、俺がおまえに惹かれた訳がわからねぇ。」 イシトは怪訝そうにカーシュを見返した。 「俺は…知ってると思うが、ずっとリデルお嬢様を大切に想ってきた。子どもの頃から、それこそずぅっとな…。だが、お嬢様は俺でなくダリオを選んだ。判ってるんだ。俺は…決してあの人を得ることはできねぇ。だからって、他の女に惚れるなんて考えられねぇし、俺はこの先、一生惚れたはれたってのには、無縁だと思ってた。」 イシトは思わず眉を寄せた。だが、カーシュは続けた。 「今までにも、うさ耳メイドはいっぱい居たんだ。そりゃ、おまえほど上等じゃなかったけど、俺は一度も気に掛けたことは無かった。でも、おまえは違ったんだ。おまえは、他のヤツとは違う。おまえは、どこか凛としてて、カッチリしてて…俺、うまく言えねぇけど、だからおまえのことが気になって仕方なかった。…自分の気持ちに気付いたとき、俺だってショックだった。ずっとリデル様をお守りしていこうと思ってた俺が、なんでって。グレンに言われるまでもなく、俺だって、こういう気持ちを打ち消そうとした。だけど…思ったんだ。これも俺だ。蛇骨四天王である俺、リデル様を慕い、守ろうと誓っている俺、だが、おまえという人間に惹かれているのも俺だ。そう思ったら、無理に隠さなくて良いと思った。今、やっとわかったよ。おまえも…きっと、そういう風に自分を持ってる。そういうおまえだから、俺はおまえに惹かれたんだ。」 イシトは弾かれたようにうさ耳を外し、それを床に叩きつけた。自分が自分であるために、任務とはいえこのままではいけないのだ。イシトは心を決めた。 「私は…ここを去ります…。」 「なっ…!?」 当然のカーシュの驚きと疑念に満ちた眼差しに、イシトは微笑みをもって応えた。 「メイドをやめます。私が私であるために。」 「イシト…。」 「あなたが…好きだと言ってくださった、私自身であり続けるために…。」 「イシト!」 カーシュが悲痛に顔を歪ませてイシトの腕を引いた。イシトはわずかに抵抗を見せたが、突然フッと力を抜いて、引き寄せられるまま、再びカーシュの腕に収まった。 「ユージーンでなく、ただのイシトとしてあなたの前に立つために、しばらくのお別れです…。」 イシトは、カーシュの頬を両手で挟むようにしてその眼を見つめた。 「また、会えるんだな…?」 カーシュが顔を歪ませる。イシトがかすかに頷く。会える保証はない。だが、イシトは淡い予感を抱いていた。近い将来、自分たちはきっとまた出会うだろう。違う形で、違う立場で。 イシトはカーシュの首に腕を回し、初めて自分からカーシュに口づけた。だが、カーシュの腕をすり抜けるようにすぐに身を翻し、ドアへ向かって歩き出した。カーシュは、黙ってその背中を見送った。引き留めて抱き締めたいのを堪えていた。イシトを尊重するなら、それは許されないことだ。イシトは自分に言い聞かせていた。戻るのだ。「黒き風」隊長イシトに。この部屋を出たら、自分に戻る。 ドアノブに手を掛け、イシトはカーシュを振り返った。カーシュは腕組みをしてじっとイシトを見つめている。イシトは微笑んだ。 「ありがとう、カーシュ。」
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| 言い訳 なんでこんなテーマを「うさ耳」で書くんでしょうね、私ってば。我ながらあきれてます(^^ゞ。 |
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