埋み火
1.寄せる波

 

1. 2. 3(完結)

 


 オパーサの浜に波が寄せる。月光に照らされ、波頭がちらちらと煌めく。砂浜に一人腰を下ろしたイシトは、それを小さな白い炎のようだと思った。

 ちろちろと、私の中にも燃える火がある。
 消え消えになり、暗くなり、消えたかと思うと、また燃え上がる。
 暖炉の奥の埋み火のように。

 波が寄せる。
 繰り返し。
 私の中にも寄せてくる想いがある。
 繰り返し繰り返し、寄せては返す波のように、消そうとも消えない想い。

 イシトは深い溜息をついた。今夜はホームワールドのセルジュの家で休むことにしていたが、イシトは黙ってアルニ村を出てきてしまった。今頃セルジュたちは心配しているだろうか。そう思った矢先に、背後で砂を踏む足音がした。軽やかなセルジュの足音ではない。踏みしめるように歩く、大人の男の足音。イシトにはわかっていた。それが彼であることが。彼が捜しに来ることを、畏れてもいたが、期待してもいた。イシトはあえて振り向かなかった。そして、彼もまた、黙ってイシトの隣に腰を落とした。
「…ここだとは思ったが、小僧が心配してたぞ。黙って出ていくなんて、おまえらしくねぇな…」
しばしの沈黙の後に、カーシュはやっと言葉を発した。がさつなようでいて、繊細な観察眼を持つ彼は、今夜のイシトに、何かいつもとは違うものを感じ取っていたのだろう、探るように、イシトの堅い横顔を見つめる。
「らしくない、か…。…カーシュ…私らしいって、なんだ?」
相変わらず波間を見つめたまま、イシトは静かに言った。カーシュは困惑して頭を掻いた。
「おい、なんだぁ?絡むなよ…。どうしたんだ?」
イシトはようやくカーシュを見た。その蒼い眼は複雑な表情を湛えて、いつも以上に深い色をしてカーシュの目を奪った。いつも思う。宝石のような眼だと。セルジュたちの蒼い眼とはまた違う。何か別の色を持って、その眼はカーシュを見つめる。カーシュは思わずごくりと喉を鳴らした。
「セルジュもたまには、親子水入らずで過ごすのも良いだろう…」
イシトははぐらかすように目を伏せて、呟くように言った。
「まあな。姿形が違ってても、黙って受け入れる。母親ってのは強いもんだな…」
セルジュはまだヤマネコの姿のままだが、母親のマージはそんな彼さえも喜んで迎えてくれたのだった。相づちをうってはみたが、カーシュにもそれが口実だと言うことは判っていた。数日前、アナザーの蛇骨館でリデルを救出し、それから隠者小屋、天下無敵号と、息吐くまもなく行動してきた。ひとまず束の間の休息をとることにしたのだが、蛇骨館に入った頃から、カーシュはイシトの様子が変なのに気付いていた。
 このイシトとは、出会ってまだ数日だ。しかも、最初に会ったときには思わず「パレポリの犬」などと口にしてしまった。だが、共に戦ううちに、その冷静沈着な判断力、正確な射撃、誠実な態度に感服し、一目置くようになった。そして、彼のその蒼い眼が自分を捉えるたびに、何か不可思議な感情に襲われ、戸惑うことがしばしばだった。だからといって嫌なのではない。それはイシトも同じはずで、改めて口にはしなかったが、すでに、互いに認め合っていることは双方が認識していると思われた。だが、今日のイシトは何かが違う。何とは無しに、カーシュはそんなイシトに、見過ごしに出来ないものを感じていた。イシトは何かに苦しんでいる。理由は判らないまでも、カーシュはそう察していた。
「俺をなめんなよ?おまえがなんか変だってことぐらい、気付いてたぜ?」
はっきりと口に出され、イシトはかすかに眉を寄せて再び眼を伏せた。そのまま、また水平線へ顔を戻し、月を見上げる。
「アナザーの蛇骨館は、健在だったな…。初めて見たとき、月明かりに浮かび上がって、なんてきれいな建物だろうと思った…」
思いがけず蛇骨館の話を出され、カーシュは少し拍子抜けした。ホームワールドの蛇骨館は、廃墟と化していると聞く。イシトはいつ、蛇骨館を見たというのだろう?カーシュのそんな疑念を察したのだろう、イシトは微笑した。
「アナザーの私が蛇骨館で皿洗いをしていたことに、君は気付いたか?…私も、蛇骨館が崩壊する前に、皿洗いとして潜入していたんだ」
「じゃあ…」
カーシュが言いかけ、イシトは頷いた。
「ああ、ホームの君にも会ったことがある…。」
元来が真っ直ぐな気性のカーシュは、瞬間、あからさまに好奇の色を見せた。だがすぐに、そこにイシトを苦しめている原因があるのを察し、イシトの続く言葉を待った。だが、イシトはそれきり、何も語ろうとしない。一握りの砂を目の高さまで上げ、サラサラと指の間からこぼれ落ちていくのを見つめている。カーシュは訊ねざるを得なかった。
「…何かあったのか?その蛇骨館で…」
イシトはピクリと砂を落とす手を止め、それから一気に手に残った砂を落とした。
「…君は知らなくていいことだ…」
イシトは手の下に出来た、小さな砂の山を見つめて呟くように言った。カーシュはムッとした。その気配を感じたのだろう、イシトは言葉を継いだ。
「君は何も知らない。あそこで何があったのか。私がこれまで、どんな時を過ごしてきたのか。…知る必要もない…」
「ああ、知らねぇ。俺はこれっぽっちも知りやしねぇ。でもな、俺は、今ここに、俺の目の前にいるおまえを知ってる。俺にはそれで十分だ」
カーシュはちょっと怒ったようにまくし立てたが、そこまで言って口をつぐんだ。イシトが驚いたようにカーシュを見ていた。その眼を見つめ返し、カーシュは照れくさそうに少し笑った。
「最初に会った時よぉ…悪かったな、ひでぇこと言っちまって…。でも、おまえも、あっちのおまえも、リデル様を助けるのに協力してくれたし…それに、これでも俺は蛇骨四天王だ。一緒に戦ってりゃ、おまえがどんなヤツかはだいたい判る。俺はおまえが気に入った。おまえの過去に何があっても、それは変わらねぇ。だから過去は知らなくていい。…だけど、だけどな…それがおまえを苦しめてるんなら、俺は知りたいと思う…知らなきゃならねぇ…。知って…俺に出来るんなら、どうにかしてやりてぇと思う」
イシトは困ったような顔で、だがうれしそうに僅かに笑った。しかし、静かに俯いて首を振った。
「ありがとう…。だが、私の話を聞く勇気があるか?…聞いたら、きっと君は後悔するだろう」
「このまま聞かずに過ごすより、聞いて後悔する方がずっとましだ!」
カーシュはイシトの手の下に出来た砂の小山に手をつき、それを押しつぶして叫ぶように言った。イシトは観念したように眼を伏せて頷いた。

 

1. 2. 3(完結)