未来と選択
「英雄的行為について、あなたはどう思いますか?」
まだ春と呼ぶには少し頼りなく感じるような日差しの中、道端に座っている青年に香川は声をかけた。
相手のいぶかしげな表情に、考えてから言い直し、青年の前に腰を下ろした。
「失礼。私に英雄的行為は可能だと思いますか?」
そして右手を差し出した。
妻と子どもを連れて時々来るレストラン。その窓越しに若い占い師の姿が目に留まったのは昨日のこと。占いなどに頼ったことは今迄の生涯で一度もなかった香川だったが…。
小さな椅子と布を敷いた台を前に座っていた青年は一瞬苦笑してから軽く首を振った。
「手相は見ないんです」
そしてまだ置いていなかった「コイン占い」の小さな看板を取り出す。
「これを使います。それでもいいですか?」
「もちろん、かまいません」
青年は微笑むと空中にコインを放り上げた。
緩やかな軌跡を描いた三枚のコインはその手の中に吸い込まれていく。
「…英雄的、行為…」
「ええ」]
香川は続ける。
「見てみないふりをすれば、私は何事もなく今まで通りの生活ができる。だか…ある事を知ってしまった時、決意するのが辛い時もあります。人はそんな時、このような場所を頼りにするのでしょうね」
なにか他人事のような話し方の中に、若干の哀しみのような苦悩が混じった口調だった。
「私はその決意をすべきなのか。すれば、私は全てを捨て去る覚悟で望まなければならないし、しかも一部の人たちに辛い思いをさせる…」
「でも、あなたはそれをやるべきだと考えている」
香川は苦笑する。
「コインはそう告げているのですか」
「ええ」
占い師はゆっくりと手の上のコインを開く。
「仕事も家庭も順調に過ごされてきた…だか、「変異」が訪れた」
「……」
「破滅」
占い師はその言葉を、明日の天気を告げるかのように、口にした。
「今のままでは、あなたの未来に見えるのは、破滅です」
香川の脳裏に不思議と動揺は起こらなかった。
「私はまだ決心はしていない。それでも、破滅だというのですか。いや、それだから破滅…というべきなのか」
「俺の占いは…当たります」
「……」
香川はゆっくりと立ち上がった。
「あなたは商売が下手ですね」
「……」
「それではお客さんが喜ばない」
「真実ですから」
香川はすこしだけ笑った。
「わかりました。また、きます…」
401号室の中で香川は仲村と向かい合っていた。
「これまでの話は、分かっていただけましたね」
「…はい。量子物理学の一環として、量子の移動という観念では理解できます。ただ…」
仲村はうつむいた。
「鏡の向こうの世界というのは、にわかには信じられません」
「だが、君はたしかにあの事故の結果を知っているのでしょう?」
「…はい」
「では、これから二つの事実をつたえます。それでも私の話が信じられなければ、全てを忘れて下さい」
「……」
「ひとつは、神崎士郎のことです。彼はかつて高見士郎と名乗っており、アメリカで実験中に事故を起こして死亡扱いになっています」
目の前に差し出された資料を見て、仲村の目が大きく見開かれる。
「でも、私達はたしかに…」
香川は仲村の言葉を制した。
「もう一つの事実です。これをお見せしたくて今日はここを選びました」
香川はテーブルの上に置かれた四角く薄い物体を手に取った。
「まだ、試作品です」
鏡に向かってゆっくりとかざすと香川の姿に変化が起こる。
浮かび上がってきたベルトの部分にその物体を差し込むと今度は香川の姿全体に変化が起こった。
「せ、先生…」
そのまま香川は…鏡の中に入り込み、その向こうに消えた。
程なく唖然とする仲村の前にもとの姿を現した香川は軽く肩をすくめた。
「まだ、信じられませんか?ミラーワールドの存在が」
仲村は無言で首を横にふった。
香川はコツコツと目の前の鏡を指で叩いた。
「この向こうにもう一つの世界があるなど、正気の沙汰では口にできません。でも、事実です」
「…はい」
「二つの世界はおそらく隣り合っていても決して交わることのないはずの世界。だが、何らかの理由で行き来する道ができてしまった。そして、鏡がその道。向こうの世界からモンスターたちがこちらの世界にやってきて人を襲っている…」
香川の指は鏡を叩き続ける。
「この特殊な体になったとき、人間も鏡を使って向こう側にいくことができる。神崎士郎のファイルに記されていたのはその方法。だか…」
香川は眉をひそめた。
「神崎士郎自身は、その方法を使わずにミラーワールドにいくことを欲した。最初の爆発事故は不完全だったのか?二度目のここでの実験は成功だったのか?」
「……」
「どちらにしても、今はっきりしている事実は、神崎の手で、あるいき他の何者かの手によってミラーワールドとの扉が開かれこちらの世界が危機に瀕しているということ…」
「…でも、僕らに何ができるのでしょうか」
「この扉を閉じるのです」
「どうやって?」
「それをこれから探すのです。我々の力で。そのためにも君の協力が必要なのです」 「しかし…」
「手がかりはあります」
「神崎士郎と…神崎優衣、ですね」
「ええ。ミラーワールドと深く関わるこの二人」
「……」
仲村はやがて香川を見詰めていった。
「あの事故以来僕の人生は変わりました。今の僕は…抜け殻のようなものです。僕は生きているのに…でも…」
仲村は唇をかんだ。
「正直言ってこれ以上「あのこと」とはかかわりあいになりたくない、そう思っていました。ですが、このままでは僕は多分一生抜け殻のままです。僕になにかできる事があれば…」
香川は仲村の手を取った。
「ありがとう」
「……」
「私にとっても、これは人生を根本から覆してしまう決断なのです」
「先生…」
「見ないですます事ができたなら。いや、私がここで覚えてさえいなかったら」
香川は自分の頭を軽く叩く。
「我々は何も知らず、今迄通りの生活を続け…静かに破滅を迎えられたたかもしれない」
「……」
「気づかなかった振りをして静かに破滅を迎えるか、自らを犠牲にしても…戦うか」
「先生は偉いです。でも僕は…」
「私は偉くも強くもありません。だか、誰かがやらねばならない。そして戦うということは、誰かを倒すことになる可能性も高いのです。相手は知っている人物であったりか弱い女性で在るかもしれない」
「それでも…やるのですね」
「人はそれを英雄的行為と呼ぶのでしょう」
「英雄…」
「なりたくてやるのでは、ありません。ですが私は決めたのです。誰かのために、ではなく、自分のためにですらなく、目的のためにやるべき事をやろうと」
生暖かい風の吹いている日。
香川は再び、その場所を訪れていた。
香川は占い師の瞳を覗き込んだ。
「もう一度占っていただけますか」
青年は軽く微笑んでいった。
「待っていました」
「私が来るのが判っていたのですか」
「コインが告げていました」
そして空中のコインを掴む。
「…決意したのですね」
「……」
コインをはじきながらつぶやく。
「破滅…」
青年はまた同じ言葉を告げた。
「結果は変わらないということですね」
「はい」
香川は笑って立ち上がった。
「やはりあなたは商売が下手ですね」
そして財布から抜き出した数枚の札を置くと背を向けた。
「いえ…事実ですから、でも…」
占い師は香川の背中に向かって言う。
「運命は変えられます。」
香川は立ち止まり、背を向けたまま答える。
「私が変えたいのは…自分の運命ではありません。この世界の運命ですから」
手塚海之は商売道具を片づけ始めた。
もうここにいる必要はない。
出会い、そして二度とあい見えることのないであろうあの男。
彼が去った後、海之には次の出会いが見えていた。
運命は変えられる… だか、それを自らの手でやることはできない。
ただ、言葉で告げるだけ。
「運命」と「破滅」を背負ったあの男がどう生きていくのか。
海之はふとあの男を追っていきたい衝動に駆られた。
(何かできるかもしれない…)
(何かをすべきなのかもしれない…)
そして…何かとても大切なことを見落としているような気さえしていた。
たが、想いとはうらはらに海之は男の去っていった方向に背を向けて歩き出した。
(人は皆自らの手で自分の運命を変えなければならない)
ただひとつだけ分かっていることは…海之が二度とあの男とは会うことはない、ということ。
そして自分には、また違う出会いと運命が待っているということ。
香川が東条悟と出会うのは、もう少し後のこととなる…
FIN
☆ なんか全編禅問答みたいですみません…あたまのなかに「絵」はうかぶのですが、せりふになると長くて難しい…ま、要するに大好きな香川先生と海之ちゃんを書きたかったというだけです。
仲村くんと優衣ちゃんが出会う前か後か難しいとこなんですが、とりあえず時系列には多少目をつぶって、資料を渡した後ってことで。
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