サラミとマミイは幼稚園時代、ともに川崎に住んでいた。
サラミは幸区戸手本町、マミイは隣町の塚越である。偶然同じ銭湯に通っていたが、仲良しになったり、ケンカをしたりすることもなく、お互い面識がないままに幼少期を過ごした。サラミは幼稚園の頃、レコードプレーヤで初めて聞いたシングルがピンキーとキラーズの「恋の季節」だったことを覚えている。

サラミは幼稚園を卒園するとヨコハマに引っ越し、磯子区杉田にある横浜市立梅林小学校に入学した。当時、川崎は京浜工業地帯のケムリが凄く、『デリケート』なサラミは小児喘息になってしまい転地療養を余儀なくされたのだ。新しい家は金沢区富岡町で通うべきは富岡小だったが、圧倒的に近い梅林小に越境入学していた。(町内の子供は全員そうしていた)。当時、富岡では漁業もあり、国道16号沿いでは富岡の海で採れた海苔を干していたのをサラミはよく覚えている。また、海の埋立が始まったのもこの頃で、出来たての埋立て地、鳥浜町に引っ越してきた転校生の家に自転車でよく遊びに行ったのは3年生の頃だ。また、根岸線が磯子から洋光台まで延伸したのもこの頃で、小学校のある山にできた根岸線のトンネルに忍び込んで試運転中の電車にはねられそうになったりした思い出がある。小学生時代は、主に歌謡曲を聴いていた。特に好きだったのはドリフ、桜田淳子だった。小学校5年生の時にカーペンターズの虜になり、いまだに虜である。そのころから演奏したいと思うようになり、カレンカーペンターに憧れてドラムをやりたかったが、家にあるガットギターをポロリとならすのが関の山であった。

一方、マミイは川崎市立古川小学校で元気に成長し、眉毛は剃るわ、ベルボトムのサイケなズボン(ジミヘンドリックスをイメージしてほしい)を履くわ、そうとうなヤンチャぶりであったが、小学校を卒業すると同時にやはりヨコハマの谷津坂(今の能見台)に引っ越していった。

二人の出会いは1974年4月、横浜市立富岡中学校の入学式である。当時富岡中は新設校で二人は5期生。同じ1年5組になった。

小学校時代を黄金色に輝かせた数々の単語を思い付くままに並べると、ザリガニ釣り、円海山探検、草野球、手つなぎ鬼、駄菓子屋、メンコ、仮面ライダーカード、ベビーチョコ、スパイセット、銀玉鉄砲、麩菓子、トミーのプラレール、プラッシー、手ベース、秘密基地、ファンタゴールデンアップル、クッピーラムネ、アポロチョコ、マテルのクルマのレール、こままわし(こまを回すひものしっぽをふさふさにして、こまをはたいて回転を付け、長持ちさせる)、まんがのくに、ママと遊ぼうピンポンパン、ケロヨン、ブースカ、コメットさん、ヒミツのアッコちゃん、サリーちゃん、太陽に吠えろのマカロニの死、歯車に鉛筆をさしてくるくる回して絵を描くやつ、指に付けてピコピコやるとケムリみたいになるやつ、タミヤのプラモデル、電子ブロック、1石ラジオ、ゲバゲバ90分、スカイセンサー、ギンザNOW、フィンガー5、学習と科学、ワンダーブック、モーレツあ太郎・・・あなたはいかがですか?

お祭りでなぜか半ベソ