投稿少年の見た梶川進氏
@
A
![]()
新井洋光氏(昭和22年生まれ 学年は荒木氏より2つ上)
『梶川進さんとは、私はまったく交流がなく、投稿欄で梶川さんの作品に接した思い出しかないです。@の作品は私は今でも鮮明に覚えています。ほんのちょっとした1コマ、このような絵どこに出てたんだろうと思うような絵をムード満点に表現できる実力、そして皆が見過ごしてしまう1コマを捉える感性、投稿少年の中の最高の実力者であると同時に、天才の一言につきます。われわれとは段違いでした。
年齢も私と同年配か、もしくは年上かもしれません。梶川さんは我々にとっては憧れの人であり、梶川作品の構図や画風を真似たり、参考にしたりした記憶があります。投稿少年に多大な影響を与えた偉大なる天才であると同時に、投稿欄に対する貢献も計り知れないものがあると思います。』
荒木良則氏(昭和23年生まれ) B
C
D
E
『ふなまさあき氏(昭和21年生まれ)と梶川進氏のこと
梶川進、よく知っています。私が、貸し本単行本に投稿していた中学2,3年の頃(昭和37,38年)、主に台風五郎の本で活躍されてました。似顔絵を単なる”似せ絵”というだけでなく、一つの作品として描いていたように思います。線(ペンタッチ)はもちろん、構図、バック処理から来る独特のムード、すばらしいものがありました。画友宮下鉄矢君といつも”上手だなあ”とうわさしあっていました。
なぜ、今でも梶川氏のことを覚えているかといいますと、ふなまさあき氏と関連してきます。私は、中学2年のとき、当時投稿少年だったふな氏と文通していた時期があります。そのふな氏が、梶川氏と交流があったかどうかはわかりませんが、私に梶川氏のことをよく書いていたんです。似顔絵がすごくうまい人だと誉めていました。傾倒しているという感じでした。年令的にはふな氏と梶川氏は同じくらいだと思います。私が中2の時ふな氏は高1でした。
私が、ふな氏、梶川氏から影響を受けたこと。それは、似顔絵を単なる「似顔」だけに終わらせないということ。一つの作品として、真剣に描くということでした。たとえば、バック、タイトル、サイン、レイアウト、こういうのも一つのデザインのセンスなんだと。
ふな氏の本名は、符名正昭ですが、もう一つのペンネームを持っていました。それが「梶ススム」です。梶川進をもじったことはもちろんです。たぶん、梶川氏が、似顔絵をあまり投稿しなくなった頃から、ふな氏は「梶ススム」を使い出したと思います。
劇画世代の人なら、投稿をよくしていた人なら、「梶川進」と「ふなまさあき」の名前を知らない人はいないのではないでしょうか。一世を風靡したかのような印象はありますね。
ふなさんの話が主になりましたが、そのふなさんに影響を与えた梶川さんっていったい・・・。名前もカッコいいですし、すい星のように現れて、そして消えていった、・・・そんな感じがしました。』
出典
@『台風五郎10集ストップ禁止』
AC『台風五郎23集紺碧に消ゆるとも後篇』
B『劇眼漫歩21号』原稿作品
D『台風五郎20集1級殺人』
E『攻撃4戦場に賭ける』(南波健二・トップ社・S38年)