
努力などしないほうがいい
私は「努力」は嫌い。
「努力」しなければならない状況は「工夫」でその労力の軽減を図る。工夫のための努力なら厭わない。しかし単純な動作の繰り返しとしての努力は認めない。
単純な動作の繰り返しとしての努力とは何か?
例えば左右の足を交互に前に進めることによって、人は発祥の地アフリカから地球全土の陸地に広がった。徒歩以外に人の移動手段が存在しなかった時代は今でも一部の地域では継続しているが、急速に終焉しつつある。人は、単純な動作を繰り返して旅をするよりも自動車や鉄道を選ぶのである。自動車や鉄道の利用とは、工夫によって労力が軽減された結果である。それら、工夫の積み重ねが工学技術であり、その上に載っているのが我々の社会である。後に戻るのは誰も望まないだろう。
ところが、一部にはこの単純動作の繰り返しを尊び、工夫された低労力な手法を否定する連中もいる。そういう連中は普段自分がその恩恵にあずかっている先人の遺業を否定しているのだ。しかも、それに気付くだけの脳味噌も持っていない。そんな連中は尊敬に値しない。唾棄されるべき存在である。
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Written by やまぐちまさ和
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