更新日 '11.04.23
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'11年1月 俳誌白魚火へリンク
合同句集[槇」自注 "春"
'10年12月 合同句集「槇」発刊
'10年12月
'10年11月
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'11年1月
<ヤマハ吟行句会>
 1月22日は豊橋市内と豊橋公園を吟行した。豊橋は非県庁所在地としては珍しい、市電の走る街である。最新式の市電車両を利用したが、至極快適であった。豊橋公園には吉田城が再建されまた、かつての軍都としてそこに陸軍歩兵第18連隊と118連隊があった。前者には亡父も兵役で参集・訓練をし南支派遣軍に加わり南京攻略戦に参加。後者の第118連隊はサイパンにて玉砕の連隊として、生存者により立派な記念碑が建立されていた。昼食は豊橋市役所の13階にあるレストランで豊川の蛇行を見下しつつ摂り、帰りには名物のB級グルメ「豊橋カレーうどん」を食す。

一月の朝日の中を市電来る
読み難き風生(ふうせい)句碑や青木の実
草萌ゆる広場練兵場の跡
萬歳(まんざい)の地に玉砕の連隊碑
遠雪嶺(とおゆきね)十三階のレストラン
枯蘆(かれあし)の蛇行の川や三の丸


市電の走る街、豊橋。

豊橋公園内の吉田城。

今は豊橋公園となっている練兵場跡地
にある歩兵第118連隊碑。

市役所13階のレストラン。


<雑詠>       (白魚火)3月号掲載句
(白魚火集)

濃く匂ふわけて今年の(ひいらぎ)

校門に至る照葉の並木かな

寧日(ねいじつ)や今年も同じ日記買ふ

コンサートの余韻に浸り師走の夜

床の間に千両の壺年迎ふ



(白光集)

十二月八日未明の静寂(しじま)かな

(にお)水脈(みお)浮根(うきね)伝ひに流れけり

年惜しむラストダンスは円舞曲

初春や白き(かいな)のピアニスト


'合同句集「槇」の自注
 2010に刊行した合同句集「槇」の自作の分76句のうちの春の部に自注を加えた。

“春
描き終ふるエンジン図面春立つ日

昭和49年(1974) 2月、その後ヤマハSR400/500として、ビッグバイクとしては異例のロングセラーとなった単気筒500ccのエンジン一次試作図面が、チームの手によって描き上げられた。そのとき29歳の私は、そのチーフだった。


(そら)んずる般若心経寒戻る

父母の仏壇に毎朝欠かさずに仏飯を供えてもう十余年になる。時には般若心経を唱える。


混み合へる浜の食堂多喜二の忌

本好きだった私は、プロレタリア文学も少々読んだ。磐田市福田豊浜に吟行したときには、地元の漁師の集まる食堂で句会をした。夜は漁師相手の居酒屋になるというその店は焼酎のボトルが所狭しとかつ綺麗に並べられていた。人々の生活は多喜二の「蟹工船」の時代よりは随分豊かになったものだ。


春の畑アイアンのごと鍬振ふ

アメリカ加州に会社の駐在員として住んでいた頃には、下手ながらもよくゴルフに行った。定年後の週末農業の鍬の扱いも、深く耕すにはゴルフクラブの扱いと同じで、手首の返しが肝心である。


春耕(しゅんこう)や未だ手放せぬ工学書

平成22年の春は、ヤマハ発動機の経営危機の煽りで定年退職後はそこの派遣社員だった私も、失業の憂き目に遭っていた。しかし、余暇の農業だけでは物足りず、「いつかまた設計の仕事をしたい」と、長年にわたって買い貯めた工学書を温存した。幸い、この句の半年後には、再び設計の職を得ることができた。


野良帰り梅の一枝携へて

定年後は、父が本家から受け継いだ山間の畑でずっと週末農業を楽しんでいる。その周辺の採草地には梅の木が4本あり、二月には咲き始め、その花を我が家へ手折り持ち帰り花瓶に活ける。


駅伝の走者春風残しけり

春寒の中を吟行し、図らずも浜名湖一週駅伝を見た。沿道で声援を送っていて、走者の巻き起こした風に春があった。


強東風(つよごち)や医科大学の日章旗

浜松医科大学は私がヤマハSR500の単気筒エンジンを設計していた1974年に設立された。三方原台地の中腹にある付属病院の屋上の日章旗が強い春風を受けてはためいており、地元の医の本拠地としての矜持を感じさせた。


若鮎の影追ひしばし橋の上

春になると秋葉ダム以南の天竜川の支流河川には遠州灘から鮎が遡上する。通りがかりに橋の上から清流を見下し、今年の鮎の成育具合を観察する多くの鮎釣太公望を見かけるが、私もその中の一人だ。


相伝の里山に折るわらびかな

父の本家は十代以上山間の地で営林・営農してきた。その土地の一部を相続した父の残した里山には毎年沢山の蕨が出る。


淡雪や(のこぎり)屋根の町工場

浜松は工業の町。まだ電気代の高い時代に建設された採光効率の高い鋸屋根の工場が未だに処々に見られる。町工場とは言い難いがヤマハ(株)本社工場の屋根もそれである。


チューリップ全校児童二十名

私の卒業した山間の小学校も、終戦後暫くまではかなりの児童数を誇っていた。しかし、今日は過疎化で複式授業を免れるのがやっとの児童数となってしまったと聞いた。


四車線を渡り切つたり紋黄蝶

国道152号線飛龍街道の景。昔の狭い二俣街道は広いバイパス道路に取って代わられた。蝶が二頭、疾走する車の風に翻弄されながらもなんとかその道を渡りきった。レストランから見ていた私は「やれやれ」と胸を撫で下ろした。


富士赤石望む職場や花の昼

ヤマハ発動機の8階建ての本社ビルが磐田原台地に建ったのは1982年、その7階には20年間ほどお世話になった。花の時期にも、北フロアからは富士山と赤石山脈(南アルプス)の聖岳がよく見えた。


春宵(しゅんしょう)や万年筆はモンブラン

アメリカへの赴任祝いに部下たちより贈られたモンブランの万年筆は長年愛用し、俳誌に出句の時には今でもこれで認めている。


春の月微醺(びくん)を帯びて仰ぎけり

酒好きの私は、晩酌3合は欠かさなかった。しかし最近は節酒している。


曽祖父の植ゑし霧島躑躅(つつじ)燃ゆ

私の幼いころから大きさの変わらない真っ赤な霧島躑躅の株は本家の背戸の石垣の上で、今も変わらず真っ赤な小花を咲かせる。


(かど)に出て人を見送る朧かな

親しい人の帰宅時は外に出て見送るが、特に酒の入った朧の夜の見送りはいいものだ。


蝌蚪(かと)の国蹂躙(じゅうりん)せしは裸足の子

田の脇の湧き水にはおたまじゃくしがうようよ。それを面白がって追い立てる。


大凧に糸目付けせる町若衆

浜松凧揚祭には町の凧組幹部として長らく参加している。我が町の凧は五帖凧で糸目は親糸3本、小糸が26本であり、長さは各10m余。凧に対して下側の糸を長めにするのを”ノシ”と言い弱い風に適し、逆を”タチ”と言い、強風向きである。祭前の良い日を選び、氏神様の境内で若い衆によって行われる。


うねりつつ大凧揚がる砂丘かな

浜松凧揚祭は日本三大砂丘の一つといわれている中田島海岸で5月3、4、5日に行われる。
170町以上が参加する。


'10年12月 合同句集「槇」上梓
合同句集「(まき)
 俳句を学んでいる「槇」の集まりで、合同句集を発刊した。総勢26名、指導者は黒崎治夫先生である。私の句の題名は「春耕」、75句が収蔵されている。



'10年12月
<ヤマハ忘年句会>
 今月は忘年句会である。日本の湖沼で水質ワースト5で常連の佐鳴湖のその東岸を散策した。公園としてはよく整備されているのに驚く。水質改善に取り組む研究者と会話をし、大きく育った蜆を見せてもらった。しかし、流入河川の入水量が少なく、夏場に水温が上昇するので、夏は越せないのだそうだ。そこから台地に上り、浜松の高級住宅地"佐鳴台"の居酒屋にて飲みながらの句会を持った。忘年句会だけ参加の数名も居て、参加19名の賑やかな会となった。
帰りに駅近くのアクト展示会場で、小惑星"イトカワ"から奇跡の帰還を果たした"はやぶさ"のそのカプセルの展示会に立ち寄った。

ジョギングの初老の夫婦冬紅葉
近郊の水辺の小径銀杏散る
短日や湖面を走る細波(さざれなみ)
佐鳴湖や浮き根を廻る(にお)水脈(みお)
しろがねの花芽を孕む猫柳
集合は昼の居酒屋年忘


佐鳴湖。


水質改善の研究者。大きな蜆を手に。

参加者の殆ど。

居酒屋”天狗"が忘年会場。

選句は短冊に選者の名前シールを貼る。

"はやぶさ”のカプセル展示会場に立ち寄る。


<雑詠>       (白魚火)2月号掲載句
(白魚火集)

今日だけはクリスチャンなり秋の婚

草虱(くさじらみ)意中の人の背に投げし

神無月去年(こぞ)登りたる山仰ぐ

産土(うぶすな)新嘗祭(にいなめさい)の餅七つ



(白光集)

SLの尖る汽笛やもみぢ谷

産土の石段険し()の実落つ

地芝居の子供女形(おやま)のおちよぼ口

暖鳥(ぬくめどり)昔話は無慈悲にて


'10年11月

<ヤマハ吟行句>
 ヤマハ俳句クラブの11月吟行会は27日、紅葉を詠みに天竜区(旧磐田郡龍山村)の白倉峡へ出かけた。国道152号線を走る間は二車線の良好な道路だったが、秋葉ダムの手前を右に取ると、すれ違いも儘ならない狭い山道だった。初めてこの地を訪れる私だが、古語で"くら"とは崖を意味する言葉と「日本の地名」(松尾俊郎著)で読んでいたので、白い崖がある集落に違いないと見当を付けていた。実際に現地で白い直立した広い岩壁を見たときには、「やっぱり!」と心の中で叫んだ。
 里興しを担う地元の主婦たちの運営する、土産物店兼食事処であるお店の前の駐車場に車を置いて、(そま)林の底にある沢へと、先ずは下った。杉・檜に覆われて日の殆ど差さない沢は、最近の多雨のおかげで水量豊か、沢筋には紅や黄色の葉を付けた雑木が茂る。よく整備された遊歩道には沢を跨ぐ吊橋が随所に懸かり、滝壷である淵の各々には、"機織淵"とか"垢離(こり)取淵"などという優雅な名前が付けられている。滝の多い沢と楓や楢類の紅葉を愛でながら一周2kmほどのプロムナードを心ゆくまで楽しんだ。
日の差す場所での紅葉はとても美しい。「遠州にもこんな良い紅葉狩りの名所があったのか」と皆で再認識した。昼は(くだん)の店で、五平餅、味噌だれで食べる茹里芋、山菜うどんなどを頂き、食後1時間半ほど、その場で句会を持った。

山葡萄紅葉してをり鉄路脇
紅葉沢火の用心の札処々に
滝壷は機織淵とふ夕紅葉
紅葉の火滝の飛沫を糧として
神無月白倉峡の沢の音
日を受けて黄葉の一葉滝壷へ


参加者。

幾つもの滝と遊歩道。、

滝壷は淵となる。

地名「白倉」の由来と見られる崖。

<雑詠>       (白魚火)1月号掲載句
(白魚火集)

婚の鐘響動(とよ)む教会初紅葉

投稿の切手()りをり秋の宵

山里の果樹は裏年秋深し

庭木刈る一番星の()るるまで

桐一葉()()せの神の常夜灯


(白光集)

零れ萩(かち)にて越ゆる和田峠

増水の大河の(おも)を秋燕

倒伏(とうふく)の蕎麦を刈りをる農夫かな

食卓の小さき花瓶に藤袴