| updated 2005.03.13 | |||||||||||||||
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'04曳馬宮組凧日誌 |
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| 浜松の凧揚祭は全国的にも知られていますが、町を単位とした170にも及ぶ凧揚の組が,大きなものでは10帖にも及ぶ大凧を5月の凧揚祭に遠州の浜で揚げ、糸を絡めて落としあう凧合戦は大変迫力があります。今年は、小生もこの中の曳馬宮組(曳馬宮凧揚会)に所属し、その幹部として奉仕することになりました。小さな組(会)で、母体となる凧揚会員は僅か80名ほど、歴史もまだ15年にしかなりませんが、曳馬宮組の活動と奮闘振りを、祭の催される5月初旬まで記載して行きます。 |
| '03/12/06 | 曳馬宮凧揚会 役員選出会議 |
会員数80名が参加対象であるが、出席者は10名ほど。曳馬宮凧揚会が母体組織となって、その中に曳馬宮組がある訳だが、凧揚げ会の会長にY氏、副会長にW氏と小生、凧揚げ実戦を仕切る組長には若手のホープO氏が選出された。 |
| '03/12/07 | 竹取り | 大凧の骨格となる竹を採りに引佐町の川原までドライブし、直径4cm長さ8mほどの、女竹(川竹)を約30本、鋸とナタを使って採取。参加人数6名。 持ち帰って、集会所(宮会館)の横に立て掛け、遠州の空っ風で乾燥させる。これは凧の真中を上下を貫く尾竹(オッポ)と左右に配置する補強用の大骨となる。 |
| '04/01/23 | 役員会 | 大凧の骨格となる竹を採りに引佐町の川原までドライブし、直径4cm長さ8mほどの、女竹(川竹)を約30本、鋸とナタを使って採取。参加人数6名。 持ち帰って、集会所(宮会館)の横に立て掛け、遠州の空っ風で乾燥させる。これは凧の真中を上下を貫く尾竹(オッポ)と左右に配置する補強用の大骨となる。実践部隊の副組長、監督等を誰に委嘱するか話し合う。続けて、ささやかな新年会を持つ。 |
| '04/02/28 | 会長、副会長、 組長打合せ |
今年度の活動予定の立案。5月3、4、5日の本番のあとの反省会までの日程を決めた。 |
| '04/03/13 | 役員会 備品チェック |
半日を掛け祭備品のチェックし、追加購入部品をリストアップ。新規会員募集に戸別訪問。数軒で良い感触を得たが、本日は入会手続きまでには至らず。 |
| '04/3/20 | 凧作り開始 (六帖凧の骨組作り) |
年も手製の凧を2枚(六帖と三帖)を自前で作ることに決め、今日から作業に取り掛かった。長老のSさんに年初から乾かし、焼いてまっすぐに矯正して、割いたり、削ったり切ったりして用意して頂いた、真竹製の小骨{籤(ひご)}や女竹製の大骨(補強竹)を結び、組み立てる。今日は六帖を作った。参加者8名。工程は下記。(骨組みと糸付けの図) 1.細い籤を糸で縛り、組み立てる。 2. 補強用の半割にした女竹の大骨を銅線で籤と結び付ける。3. 形を整える十文字骨(半割の女竹製筋交い2本)を、1.と2.で作った大小の骨に銅線で縛り付ける。 本日はこれにて終了。 |
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| '04/03/21 | 凧作り継続 | 尻尾骨(オッポ): 凧の真中を上下に貫く丸のままの女竹で、凧の尾を取り付ける骨)を取付け和紙を貼る。 |
横に伸びているのが尻尾骨。尻尾骨を取付け、 その後和紙を張ったところ3帖と6帖が重ねて置いてある。 |
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| '04/3/27 −28 |
凧作り継続。 (三帖、六帖の 組印描画) |
1.曳宮の組印(ロゴ)をプロジェクターで和紙に投影し、鉛筆でなぞって書く。 2.その鉛筆の線に沿い、溶かした蝋を筆でひいて行く。塗料が水性で相手が和紙なので、境界をクリアに、また不要なところに滲み出ないように蝋を入れる訳である。 3.水性の塗料を塗る。 |
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| '04/04/03 | ☆出来上がった6帖凧を浜松まつり会館に寄贈。本日展示をした。 ☆会所開きとは、組の結成セレモニーで組員の懇親会も兼ねるもの。この日より組の会所は祭り本番まで連日オープン。会所では、連夜、凧の修理や他町との交流、種々の凧揚げの準備をする。今日は約50名が参加した。 |
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| '04/04/03 | ☆出来上がった凧を浜松まつり会館に搬入。 ☆会所開き |
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| '04/04/04 | 上島町友好町懇親会参加 | ☆凧揚げ祭は荒っぽいので、トラブルは付きもの。そこで、いざとトラブルと言う時のために、事前に近隣の組と友好(同盟)関係を保つべく心掛ける。そのために、祭りの前月である4月には各組とも会所で10町前後の友好町を招き、懇親会を開く。今日は上島町の懇親会に招かれ、当組からは3名が参加。全体で約15町、80名くらいが招かれていた。会場である会所(お宮の集会所)には提灯が数十個、整然と長押(なげし)に飾ってあり、接待者も被接待者もそれぞれの組の祭半纏に身を包み、所作も挨拶も昔風で、さながら高倉健の任侠映画の雰囲気である。会のクライマックスは大杯(たいはい)の儀。くだけた言い方をすれば一気飲み。まつりラッパの大音響と激練の中であっという間に2升5合瓶が空になった。2時間後、万歳三唱と上島組組長を戴いての劇練でお開き。 |
| '04/04/10 | 初家糸目付け | 初家とはここ1、2年の間に子供が生まれ、そのお祝いとしてその年の大凧のスポンサーとして凧を寄付し、夜の激練りの接待をしてくれる家のことである。今年、曳馬宮組の初家は2軒、例年通り初家凧は業者から購入し、今日は町内の氏神である八坂神社で、初子(祝われる子)の健やかな成長と凧揚げ祭の安全を祈る“初子祈願祭”が厳かに執り行われ、それに続き初凧糸目付け(初家の凧に糸をつける作業)をする。絶好の糸目付け日よりだ。糸は6帖凧の場合、太糸3本、細糸26本(糸目配置図)、長さは20m余である。 組員25名ほどが和気藹々作業をする。しかし一年ぶりの作業なので、忘れていることも多く、一進一退しながら何とか完成。その凧はラッパ隊10名ほどを従えて、直ちに初家の庭に運ばれ、しばし飾られる。飾るときには、高らかな浜松凧ラッパの吹奏(凧ラッパ楽譜)があり、初家・初子が各庭先で祝福される。 |
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| '04/04/23 | 曳馬宮組懇親会 | 当組主催で、友好町10組程を招待しての、懇親会を実施 | ||||
| '04/04/25 | ☆陣屋設営 ☆凧搬入 ☆糸伸ばし (凧練習) |
☆陣屋とは凧揚げ広場の隣接地に設ける各町のテント製ブースのことであり、場所は本部により区画され、貸し与えられる。勿論、テントは各町が持参し、設営する。この場で休息したり、初家さんの接待をしたり、凧の保存/修理をするのである。(実際には、8畳程度の広さしかないので、凧の保存修理は陣屋では困難なのだが・・。) その陣屋の設営を行った。 ☆“凧搬入”とは、中田島海岸近くの凧揚げ会場の、その傍に参加町総ての凧が収納できる仮設倉庫が用意されるので、そこへ各町がトラックで凧を輸送し運び込むことである。凧は走行中横風を受けると荷崩れを起こしやすい。そこで、ガラス屋さんのトラックにあるような大きな背の高い支えをトラックの荷台に用意し、凧を立て掛けて運ぶのであるが、祭期間中に、各町内から毎日現場まで輸送するのは観光客でごった返していて困難なので、このような倉庫が用意し保存しておくわけである。今日、当組ではいつもより早めではあるが、初家の5帖凧2枚、それと合戦用の凧10枚の計12枚を搬送し、そこに収納した。本番までには少し日にちがあるので、数町がちらほら作業している状態であった。 ☆終了後、糸伸ばしを行う。“糸伸ばし”とは、糸枠(凧糸巻きのこと)に巻き取ってあるものをいったすべて伸ばして、糸の撚(よ)れを取ることである。撚れがあると揚げているときにそれが原因で簡単に切れることがあるので、それを避けるためだ。さすがに、長さ数百mにも及ぶ糸を人が引っ張って伸ばすのは難儀なので、凧を揚げてその力で糸を伸ばし、撚りを取りながら巻き取るのである。勿論、凧揚げの練習と肩ならしの意味も大きい。今年は、新人も多いので何年か振りに実施。西高東低の気圧配置による砂嵐状態の、美しい風紋が形成されつつある中田島海岸で、20名ほどで4帖凧を揚げた。強風なので、張りを極端に大きくし、いつもの1.5倍位の尻尾(荒縄製)を付けて揚げた。本来なら、糸の焦点を凧の上方に動かしたいのだが、短時間で29本の糸を結びなおすのは困難なのでこのような応急対応をする訳である。 結局、強風のもとで余り長く糸を出すと降ろす時が大変なので、150mくらいで伸ばすのを止した。だから、本当の糸伸ばしは、後日、人力で行うことになるだろう。 |
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| '04/04/29 | 組長会議 | ☆浜松まつり本部召集による“組長会議”が、“Uホール”で、開催された。参加169町の夫々2〜3 名の凧祭責任者が、はっぴ姿で一堂に会した。当方はO組長、W副組長それと私が参加。 内容は、本部、市役所、教育委員会、警察署、消防署、中部電力、バス会社の夫々の代表からの、訓示、注意事項,要請等であり、ありがたく拝聴した。中央合同練りの参加予定者2万8千人、御殿屋台は78台が繰り出すそうである。特に記憶に残ったのは、「祭りだと言って羽目をはずさないこと。警察は大目には見ない」、「暴力団を参加させた町は、来年出場停止」、である。 場の雰囲気は静粛が保たれ、演壇に立つ人が皆大声でしゃべって聞きやすく、きびきびした進行に好感が持てた。1時間で散会。 祭期間中傷害保険料4万円弱を支払い、練りの道路占有許可証他を貰って帰途に着いた。 |
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| '04/05/02 | 前夜祭 |
☆午後6時に前夜祭スタート。組長挨拶・注意事項説明の乾杯をし会食。7時15分、明日からの祭の無事を祈念するために近隣の曳馬本郷町、曳馬金屋町そして当町の3町合同総勢200名で、氏神である八坂神社に向かう。道路の中央を車を心配しないで歩ける特権を享受。神社で二礼二拍手一礼で祭りの無事を祈り乾杯。境内で、3町組旗を中心として、練り提灯を手に手に参加者全員で浜松祭りの激練を行う。 引き続き、御殿屋台(山車)を所有している伝統町、「高林町」を訪れてその屋台の前で、再び練る。その二階建屋台は、唐破風の屋根、恵比寿大黒天や獅子の彫り物、赤い天幕、揚巻結びの房等、まことに煌びやかである。また、少女達の奏でる京風の祭囃子の笛の音も古式ゆかしい。 しばし、飲み物の接待で喉を潤してから、高林組の見送りを受けて帰途に着く。会所に戻ってから和気藹々、40名程で再び酒を酌み交わし、明日からの3日間の健闘を誓い合った。 |
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| '04/05/03 | 祭第一日 ☆ 凧揚げ ☆ 町内練り |
☆凧揚げ 昨夜の疲れが残っているが、7時に目覚める。雨が少し降り始めたがチャーターした大型バスの第二便に乗り、遠州灘のそばの凧揚げ会場に向かう。幸いにも現地に到着したときには雨が止んだ。当町(組)の参加者は例年より2割位多く賑やかである。 今日は祭りの初日ということで、初家さん(当組は2軒)の家紋付の新品凧を静かに揚げる日であり、糸切合戦は原則的にはない。 祭開始の花火の合図続き、先ずNM家の凧を揚げる。南東のそよ風は凧揚げには弱過ぎて、多くの町が揚げるのに四苦八苦している。我が町もその一つ。テギという直径20cmの滑車を用い、十数人が円状に次々に糸を引きながら回。この、言わば“人力巻き上げ”を何度も試みるが、呼吸が合わなかったり、他町の糸と絡んだり、ぶつかったりで上手く行かず、最初の初家さんには面目ないことをした。 2枚目は当組のベテランNJさんのお孫さんのもので、彼が自ら呼子笛を使って、巻き上げと糸出しの音頭をてきぱきと取ったので、何とか50mくらいの高さまで揚げることが出来た。そして、肩車の初子を中心に練りを行い、皆で、その健やかなる成長を祈念した。約20名のラッパ隊も、日ごろの練習の成果を発揮、高らかに凧ラッパを吹奏し凧揚げと練りを盛り上げた。 ☆夜6時半、約150名が手に手に提灯を掲げて隊列を組み、町内練りを開始。 先ず最初に、当会の発足以来凧作りの指導に尽力され、2週間前に急死されたSさんの家を訪れた。そして、代表して会の幹部が遺影に黙祷を捧げ、今までの恩に感謝し、冥福をお祈りした。 それから、6軒を訪れ幾度も幾度もラッパと太鼓のお囃子に乗りながら、激練(提灯を高く掲げ独特の凧祭ステップを踏みつつ左回りに人の渦を作る)をし、家門の繁栄を祈願。3軒のお宅では飲み物と食べ物の手篤いもてなしを受け、皆満腹になって会所に戻ったのは11時を回っていた。 最初の初家さんの凧が上手く揚がらなかったのは少し残念であったが、本日はトラブルもなく無事終わった。 |
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| '04/05/04 | 祭第二日 ☆ 町内練り |
朝から雨が降った。和紙と水性の塗料を使った凧は雨に弱いので、祭り本部から早々に中止の連絡が入った。疲れた体にとっては恵みの雨である。 ☆夜、7時集合で曳馬五町合同の練り。電車通りを300名程で練って往復。広い通りの真中を行進し、練るのは楽しい。町内だけの100名弱の練りに比べて、迫力と興奮度が違う。 その後、町内の初家さんを中心に6軒ほど訪問し練る。 12時前に散会。 |
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| '04/05/05 | 祭第三日 ☆ 凧揚げ ☆ 町内練り |
☆雨も明け方には止んで、チャーターした大型バスで凧揚げ広場に向かう。午前中は無風状態でどの組(町)も、揚げるのに四苦八苦している。その中で、凧の軽量化に成功した幸組や上西組は誇らしげに、天高く揚げている。我が組はスタンダードの骨組みなので、堅牢ではあるが微風にはむかず、何度トライしても揚がらない。心から、「来年は軽量凧も用意せねば。」と思った。 午後になって風が吹き始め当組も2枚の凧を揚げることが出来た。しかし、残念ながらすぐに落とされてしまった。その頃、オランダ人のEric(エリック)とWies(ウイーズ)君が私を頼って来たので、現場を案内、合戦を見学。 ☆中央合同練りは6時から始まった。浜松のメーンストリート、鍛治町通りを浜松北部連合二千人程が練り歩いた。列の配置上、激練りの時は渦の中心に入ってしまい、人の熱気と圧力で身の危険を感じるほどであった。くだんのオランダ人2人は曳宮の法被、宮組の手拭の鉢巻、そして宮組練り提灯を持って参加した。彼らは背丈が2mもあるので人々より頭一つ出ていて、練にも余裕綽々、“ワッショイ、ワッショイ”の掛け声をあげながら楽しんでいた。7時、「大変楽しい思い出深い体験だった。」と礼を述べ、宿舎である磐田に帰って行った。 ☆町内に戻り、町内練り開始。今日は4軒の接待があって、程よく酔って満腹。夜12時に解散。 ☆静岡朝日TVの“思いっきり静岡”で、最近急逝された当組の凧作り指導者S氏を中心に据えたTVドキュメンタリーが放送され、当組の凧や活動がTVに映った。 |
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| '04/05/08 | ☆後片付け ☆反省会 |
☆午前9時集合で会所の後片付けをする。15名程が集まり、凧やら備品やらを整理整頓。昼飯は店屋物を取り、談笑しながら食す。 ☆午後7時より、婦人部手作りのご馳走で、慰労会(たすき脱ぎ)。老若男女60名ほどが参加、役員挨拶などは程々に済ませ、酒宴に入る。配膳係は8時を境に、女から男に交代して皆平等、和気藹々と歓談する。主には祭りの思い出と来年への改善項目で、あっという間に時が過ぎた。そして、名残を惜しみつつ10時半にお開き。 凧揚げ会会長のYさん、組長で若手のホープであるOさん、本当にお疲れ様でした。 これで、やっと今年の凧が終わった。疲れた〜。 < 2004年度版 ---- 完 ----> |
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