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| '10/01/03 JRと徒歩で法多山初詣 遠州一の初詣客を誇る袋井市の法多山尊永寺に妻と参拝した。一昨年は車で出掛けて、JR袋井駅付近からは渋滞で車が全く進まずに、やむなく引き返した苦い思い出がある。そこで、今回はJR東海道線愛野駅からエコパスタジアムの脇の道をハイキングを兼ねて行ってみることにした。愛野駅近くで、ウオーキングをしている人に道を尋ねると「3Kmくらいはあるし、参道に入ってからは人出でごった返していて、牛歩ですよ。時間が掛かりますよ。」とアドバイスを貰った。それでも初志貫徹! このルートの歩きの参拝客が多いかと思いきや、エコパスタジアムを中心とした県立小笠山運動公園を西に迂回する道路を登ったのだが、10組ほどの徒歩の人たちを見かけただけで、実にマイナーな参拝ルートだと知った。その、法多山へ向かう車のスピードは渋滞ながら徒歩のスピードよりは若干速い感じで流れている。掛川の市街を望む峠を越えて、法多山の谷へと入る「山門まで10分」との標識があり、以後左右に臨時有料駐車場が設けられていて、勿論どこも満車状態であった。門前通りの食堂に入って昼食を食べてから、山門へと進む。香具師のテントが両脇に居並ぶ道を隣の人と肩が触れるほどの混み具合の中、やっと山門までたどり着く。この"仁王門"がボトルネックになっていて、参拝者の流れを阻害しているのであって、過ぎればあとはスムーズに進める。鬱蒼とした大杉の林の中の参道を本堂までの500m程の道を歩く。最後の急磴を登ると空の大きく開けた檜林の山腹に本堂はあった。、参拝を待つ本堂前の広場でのアナウンスは「宗教上の理由からペットの持ち込み禁止です。」とか「千社札禁止です。」とか、ネガティブなことばかり。仏閣ならばもっと気持ちを広く持てばいいのにと思ったりした。本尊参拝は横10名くらいの列を作って並ぶが、40m程の長さである。列の流れに身を任せて徐々に前方へ進み、10分後には大枚200円也の賽銭を投げて、参拝を済ますことができた。 帰路の境内では名物の厄除け"法多団子"を買った。数台並んだ自動販売機で団子交換チケットを買い、交換所で団子と引き換えるという効率的なシステムだ。飛ぶように売れている。 復路、峠までは往路と同じルートを辿り、峠を少し下ったところから、本道を離れ小笠運動公園内の遊歩道に入り、一気に急坂をエコパスタジアムまで下る。巨大なスタジアムの脇を通り、長く傾斜した"動く歩道"を利用し、真新しい愛野駅に着く。愛野駅・山門間は、行きが40分、帰りは近道をしたこともあって30分の所要時間だった。 浜松行きの電車は行ったばかりで、駅舎やホームで少し疲れたので座ろうとしてベンチを探すが「ない!」。仕方なしに次の電車までの20分間、寒風の吹きすさぶなか、ホームに立って待つ。サッカー見物客でごった返すことを想定して、ベンチを備えていないのであろうが、そんな日ははたして年に何日あるのだろうか?ひっきりなしに電車の来るところなら構わないが、20〜30分置きの列車しか走らない田舎の駅では、立って待つのが辛い。 新しい試みとして、法多山へ愛野駅から徒歩で詣でたが、近代建築と伝統建築が同時に見られたり、軽いハイキング気分も味わえて、餅腹には丁度良い腹熟(ごな)しにはなるし、2010年に向けての鋭気を養うことができた。 |
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![]() 法多山山門"仁王門" |
![]() 法多山参道 |
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![]() 法多山本堂 |
![]() 本堂への参拝を待つ 善男善女 |
![]() エコパスタジアムとオブジェ |
![]() 動く歩道 |
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| '09/02/19 2年目の電子確定 (e-TAX) 申告 昨年はe-taxのセットアップで一苦労したが、お陰で今年は単に数値をキーインするだけの凄くイージーな作業で済んだ。源泉徴集票などの必要書類が揃っていれば、30分もあれば充分。 『平成20年4月14日(月)から、e-Taxで利用するルート証明書が、財務省認証局発行のものから政府共用認証局発行のものに変更になりました。』とのことでこのための "ルート証明書ソフト"のダウンロードとインストールを行う必要はあったが、これも極簡単な作業であった。 電子確定申告を終了して気付いたのだが、うっかり者の私はインプットデータを平成20年の源泉徴収票にすべきところ、平成19年のものを使ってしまった。 しまったー! 「訂正はどうするのか?」をネットを駆使して調べるも、分からず。e-taxのヘルプデスク(TEL057015901)に何度電話をしても話中で、繋がらず。 尚、電子メール(https://www.suggestion.nta.go.jp/e-tax/toiawase/input_form.html) は昨年"梨の礫"だったので、トライすらもせず。 仕方なく新たな電子申告書を元から作り、平成20年分データを入力して再送付。 後に所轄税務署へ問い合わせたら、「3月15日までは再送付を受け付けます」との返事。正しい修正方法を聞くと「申告修正のニーズに対応できるところまでシステムが成熟していない」、「再送でOKです」との御担当の回答であった。 繰り返しになるが、今年の確定申告はチョー楽だった。 |
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| '08/02/25 電子確定申告 奮闘記 定年退職して既に3度の確定申告を経験し、コツが掴めて来たので今年は『電子確定申告(e-Tax)』に挑むことにした。 取っ掛かりとしてe-Taxで確定申告ページをざっと流し読む。ある程度理解したところで、これから電子確定書申告をする旨の『開始届出書』を、インターネット経由で所轄税務署に申請し、『利用者識別番号』を貰う。(真っ先にやらなくてもよさそうではあるが・・・。) これはなんら技術上の問題なくスムーズに行き、即時番号が入手できた。続けて、肩慣らしとして『作成』」に進み『確定申告書A』を作ってみると、「諸数値さえちゃんと入力すれば表計算機能で自動的に税額がはじき出され大変便利だ。」と知る。これはいい! ところが、(正式に)申告するには本人が確かに申告したという証、『電子証明』(印鑑証明の電子版みたいなもの)を含めた『初期登録」が必要なのだと気付く。厄介なことに『電子証明』を受けるには『住民基本台帳カード』を取得し、併せて、その内蔵情報をUSB経由でパソコンに読み取るための装置『ICカードリーダライタ』が要るというのだ。 翌日、区役所まで出向いて『住基カード』を作って貰ったが、これは意外にすんなりいった。(40分くらいで済み、写真付きは¥1000也)。 その足でヤマダ電機に行って、『ICカードリーダライタ』を購入したい旨尋ねたら「予約で1ヶ月近く掛かる。」とのつれない返事。これでは話にならないので、帰宅してネット販売がないかネットサーフ。そしてセブンイレブン系列の"セブンドリームドットコム"が最長6日で納入とのことで、即そこに発注。その際、『住基カード』の読み取り方式が接触式か非接触かで機種が分かれるというので、どちらの方式か市役所に電話で確認。幸い浜松市発行のものは併用式とのことで、価格の低い日立の接触式ICカードリーダライタ(¥3280)を注文した。 待つこと5日、品物が届いた。 「これでやっと申告できる。」と、リーダライタのドライバと住基カード読み取りソフトのインストールをして、『電子証明』ステップの『初期登録」へ。 ところが、まずはその『初期登録画面』がグレーのままで表示されない! 色々調べて、結局、Javaを見る『JRE』の未インストールが原因と判明。 そこを乗り越えて次に住所や利用者識別番号など所定のデータを入力して"Enterキー"を叩くと今度は、エラーメッセージ:AF0020-322 のダイアローグボックスがポップアップ。原因と対策を知るべく、そのエラーコードをGoogleに打ち込んだところ多数がヒット。e-Taxで苦労した親切な方々の記載記事によると、インストールした住基ネットのソフト(利用者クライアントソフト)のバージョンと我がOSのバージョンとのアンマッチが原因のようだ。もう一度"住基ネットのクライアントソフトCD"を開き、相性のよさそうなバージョンを追加インストールしてみたところ、嬉しや!やっとここをクリア。 しかし、またもや直ぐに、住基カードを読み込むステップで躓いた。今度のエラーコードは HJS04070 である。これもネット検索して原因が大方判った。 参照ページへ この対策を具体的にどうしたか忘れてしまったが、ドライバの再インストールや再設定などを実行し、やっとここもクリアして"静岡県知事の証明"とその"証明番号"を入手。やったー! ! ヒマラヤ初登頂の感激はかばかりかと思う。 これでやっと『初期登録』のうちの最大の難関『電子証明登録』が完了したわけである。 あとは、申告書をインストラクションに従がって源泉徴収票を見ながら値を打ち込むと、税額が自動的に計算され、確定申告書Aが作られる。それをネット経由で『利用者識別番号』と『電子証明番号』等を入力して送信するのだ。 そして最後に、正しく送信されたかかどうかを所定のサイトで直ちに調べる。OKだ! 終わったー !!! さて、この税をどういった用紙を用いて納めるのかについてはどこにも書いてない。仕方なく、電話で浜松西税務署に尋ねると「今年、確定申告書類と同封して送った『納付書』を使って銀行で入金してくれ。電子納税はまだ対応する金融機関が少なくて薦められない。」とのことだった。 |
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<感想ほか> 私のパソコン暦は長い方なのだが、それでいてこれだけ苦労したのだから、パソコン初心者にe-Taxは今は薦められない。ただ、『初期設定』だけ専門家にやってもらえばあとは至って簡単なので、そうする手はある。この初期設定の代行は今のままのシステムが続くならビジネスになると思う。 しかしそれにしても、何でこんなに種々のソフトをインストールせねばならず且つバージョンにひどく敏感にしているのだろう?セキュリティーの問題はあるだろうが、もっと柔軟で使い勝手のよいシステム設計ができるはずだが・・・。 ちなみに、「困った時には『ヘルプデスク』へ問い合わせてくれ。」とe-TaxのHPにある。メールとフリーダイアル電話だ。そこの"お知らせ"には、「メールへの回答は数日掛かる。」とあった。実は、電話がまず通じないだろうと、不肖私も今回のピンチの祭、メールで質問した。すでに6日程経過しているが、しかし、未だなんの返事もない。 まあしかし、今年は苦労したが来年は楽ができそうだ。 |
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| <初めての電子確定申告で辿ったステップの 纏め> (私のパソコンOSはWindowsXP SP2) 1. 申告する諸表(年金や給与の源泉徴収票など)を用意。 2. AdobeRreaderとJRE(JAVA実行環境)そして「e-Tax利用者ソフト」の最新版のインストール(いずれもe-Tax HP経由でダウンロード可)。特に前二者はOSなどの環境により所定のバージョンが異なるので、一苦労するだろう。 これらがないと、e-Taxの案内に辿っても、そのインストラクションや所要ページが見られなかったり、開けなかったりする。 2. 電子確定申告開始申告→利用者識別番号の取得 3. 住民基本台帳カードの取得 写真付きならその写真の事前準備 住基ソフトのインストール 4. ICカードリーダライタの入手 そのドライバのインストール 5. 初期登録作業。この中の主なものは「電子証明登録」で、これがひどく難物。 6. 申告ページで納税額を算出し、.電子証明番号などを入力しインターネットで送信。 7. 受理されたかどうか、ネット上の所定のサイトで確認する。 8. 最後に納税。「納付書」(税務署から事前に送付されたもの)に税額を書込み銀行で払込む。 電子納税は地方ではまだ環境が整っていないとのこと。 |
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| '06/12/20 クリスマスライトの飾付け 今年も横浜の孫(5才)が年末に来るというので、その喜ぶ顔が見たくてクリスマス電飾に精を出した。我が狭い庭の主木(木蓮)からは放射状に紐形の黄色ライトを垂らし、屋根の樋にはツララ(アイスクル)タイプを吊り下げる。丸く刈り込んだ植木にはネット状のものを被せ、楓の裸木にはカラーの紐状ライトを巻く。これらの殆どは、アメリカ在住時に現地で安く購入したものである。最近流行の発光ダイオードと違って電球式なので、よくそれが切れて厄介だ。というのも、殆どのクリスマスライトは100個が1サーキットの直列回路なので、たった一つが切れたり接触不良になると、100個全部が点かなくなる訳である。紐状のものは、それでも回路が明らかなのでテスターを頼りに不良箇所が探り当てられるが、ネット状のものとなると、どう配線が繋がっているのか分かりにくいから、全くのお手上げである。捨てるしかないのだ。発光ダイオードのものは球切れはないし、消費電量が少ないので電球式から次第に代わりつつあるが、値段が高いのが難点で、我が家には未だ一つもない。 この点灯かない電球を探しながら補修するのに大変手間取り、飾り付けに一日半も掛かってしまった。が、とにかく今年も梯子から落ちることなく、無事飾り終えた。我が家は大きな道路からかなり入り込んでいるため、見てくれる人が少なくて、その点努力の割りに報いが少ない気がする。 最近は植木屋さんに飾り付けを頼む家が増えて居ると聞く。彼らの働くチャンスは増すが、西洋的な美的センスも磨かなければならず、大変だろうと思う。 10年ほど前、バージニア州のアパラチア山中の人里離れた一軒家が、家のぐるりに電飾を施して、まさに煌々と輝いていた光景は、今でも忘れられないクリスマスシーズンの思い出である。 |
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| '06/11/12 八高山ハイキング 日頃の運動といえば農業と鮎釣くらいで、その鮎シーズンも終って運動不足を感じていたところ、釣友達のK氏から山行き誘いがあり、久し振りのハイキングをすることになった。行先は、私のビル7階の職場から良く見える大きな山で、一度登ってみたいと憧れ続けて来た八高山(はっこうざん 金谷町 853m)である。昨日の雨天とは打って変わった晴天で風のかなり強い、気持ちのよい朝だ。会社の駐車場でK氏と落ち合い、氏の車で国道一号バイパスを東上。今ではSLの発着駅として知られている金谷町でインターを降りる。いつもは過度のダム取水で涸れ川に近いのに、今日はかなりの水が流れている大井川に沿って北上、大井川鉄道福用(ふくよう)駅構内に車を止めさせてもらった。ここから八高山へは"急坂コース"(4.3Km)と"なだらかコース"がある。日頃の運動不足を考慮して、"なだらかコース"を選ぶ。そのコースは福用駅から鉄道沿いに北へ約300m行ったところに取り付きがある。9時30分。農家の苦労が偲ばれる急傾斜の茶畑の中を行くと、続いてお茶の密林に入った。茶園が長年放置された結果、樹高数メートルの茶の木林となったものである。丁度花の時期で白い花が美しい。その蜜が大好物と見えて、沢山の目白や四十雀(から)が集り、初冬の日射しの中で囀り交している。 そこを過ぎると楢主体の雑木林がすこし有ってから桧の杣山(そまやま)に入る。愛想のない景色だが、深山しきみが赤い実を付け木洩れ日に輝いて、目を慰めてくれる。暫く行くと件(くだん)の急坂コースと交わり、そして更に行くと林道に出る。轍から推測するに暫く車の走った気配はない。杣山の中の林道をどんどんへに進むとやがて馬王平という200坪くらいの開けた平に出る。ここから北を仰ぐと八高山の三角錐が拝める。この地点は林道の三叉路でもあるが、ここに駐車している車両は一台もない。車でここまで来れば楽な登山となるのだが・・・・。 平の外れのに頂上まで0.9Kmの案内板があり、林道を外れて急登に入る。相当厳しい荒れた山道を登ると、やがて静岡放送の巨大なマイクロウエーブ反射板に到着。「静岡市と浜松市との間のテレビ放送電波をここで中継している。」と説明書がある。 更に進むと桧の山のなかに白光(はっこう)神社が鎮座している。ちゃんとメンテナンスされていて注連縄の紙の形代も真っ白だ。大戦中には武運長久を叶える神社として多くの参詣客があったという。社を右に巻いて進むと見上げる太い桧の幹の間から青空が覗き始め、やがて南北に眺望の開けた一等三角点のある頂上に到着する。11時45分。頂上には15名ほどの登山者が居て賑やか。最近の流行りか、熊除けの鈴をつけている人も多い。南には霜月の太陽に輝く遠州灘、南西には浜松市の高層ビルであるアクトタワー、北東には富士山、北には見覚えのあるマッシブなお大無間や正三角形をした黒法師岳のがクリヤーに見える。 私の職場のある磐田市内の8階立てのビルは光線の加減か定かには認められず、一寸残念ではあった。 昼食には持参の缶ビールを飲んで喉の渇きを潤し、午後1時に下山開始。麓に近いところでは登山時には避けた"急坂コース"を選択。丁度平地に出たとき、SLが蒸気と汽笛を残して通り過ぎた。福用駅には3時に到着。 そこから大井川を上流に3Kmほどの秋の行楽客でごった返す"川根温泉ふれあいの泉"に寄る。さっき登った八高山が眼前に見える桧の露天風呂でハイキングの汗を洗い流し、筋肉を解す。 そして、日没の早い山里を後にし、帰途についた。 |
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![]() 大井川鉄道 福用駅 |
![]() 深山しきみ |
![]() 馬王平から八高山を仰ぐ。 |
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![]() 頂上から遠州灘・磐田方面眺望。 |
![]() 頂上より富士山を望む。 |
![]() 頂上より南アルプス・北遠の山々 |
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![]() 八高山の紅葉 |
![]() 頂上より見下ろす大井川(家山) |
![]() 急坂コースとなだらかコースの合流点 |
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![]() 我が職場から見る八高山と富士山 |
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| '05/11/29-12/06 ロサンゼルとラスベガスの旅 定年してから勤務が毎日ではないので、上司の理解もあって休暇を偏らせて何とか連続9日の連休を作り出し、5年前までの5年間住んだロサンゼルス南隣のオレンジ カウンティー(郡)を訪れ、懐かしい土地で懐かしい人たちと出合った。また、途中ラスベガスまで遠距離ドライブもした。 11月29日、我々夫婦を乗せたユナイティトB777機は、トヨタが主導して超合理的に作ったという中部国際空港を飛び立ち、息子の住む甲府上空を通過、首都圏から太平洋に抜けた。日付変更線付近で、1時間にも及ぶ乱気流帯通過があり、ベルト着用サインが付きっ放しとなり、揺れが激しく、少し気分が悪くなった。 サンフランシスコで入国手続きでは、911テロ後に始まった顔写真と両人差し指の指紋取りが行われる。まるで、犯罪者扱いで何度やっても愉快ではない。乗り継いで、隅々まで知り尽くしたロサンゼルス空港に着き、Avisレンタカーの送迎バスに乗って事務所まで。借りた車はフルサイズの赤い"シェヴィー インパラ(Impala)"である。 先ずは、勤めていた会社のあるCypress市に向かい、日本食レストランで昼食を摂る。日本人オーナーご夫妻は、「以前は割烹レストランでやって行けたけれど、この地での日本企業の衰退や日本人従業員削減で、最近、テイクアウト(セルフサービスかお持ち帰り)の店に変更した。」、「ここでは今、韓国系の会社が隆盛を極め、5年前の日本人優位は昔の話。」と寂しそうに語っていた。会社に寄って、日本人駐在員には殆ど知った人がいないので、アメリカ人に挨拶して廻る。リストラや依願で会社を去った人もいたが大半はまだ元気に勤めていて、リー、ジェーン、キャスリン、リンゼー、トム、マーク、チャック、フィル、ジョン等と軽く立ち話をする。 その夜はDisneyLand の近くに宿を取って、クリスマスで賑やかなそのアミューズメントパークに入場。夜のパレードを2種類見ることができ、また、まばゆいクリスマスライトも美しく、妻は大喜び。いつも思うのだが、パレードダンサーの心底から微笑んでいるような笑顔がとても良い。日本人ではなかなか真似ができない業だ。今日29日は時差の関係で41時間もあり、とても長かった。 翌30日は朝から、ラスベガスへドライブ。距離は500Kmくらいある。モハーベ砂漠の中をフリーウェイI-15号線をひた走る。途中バーストウのアウトレットモールに立ち寄るが、ここには往年の賑わいがなく、日本人は殆ど見かけず、やはり韓国人や中国人が圧倒的に多い。 夕方、灯点し頃に目的地に到着。宿泊ホテルは人気の高い"モンテ・カルロ"である。妻の風邪が悪化したので、夜はテイクアウトのピザで腹を充たす。 12月1日、ラスベガスの西に広がるレッドロックキャニオンをドライブ。グランドキャニオンやデスバレーほどのスケールはないが、オアシスや真っ赤な鉄分を含んだ巨大岩盤が興味深い。 夕方、モンテ・カルロホテルへ帰る途中に交通ラッシュのラスベガスのど真ん中の東西の道"イースト フラミンゴ"ロードのシーザズパレス前で、若い綺麗な米人の女の子に一寸追突されたのには参った。その娘が警察に通報して警察の到着を待つが、思えば警察も事故多発で忙しい時間にこんな軽微な事故へなど出動してくるはずはないのだ。 結局1時間待ちぼうけをし、その間中、彼女の車は片側2車線中の1車線を塞いでいたので大渋滞となり、通るドライバーの中には罵って行く者も何人かいた。 結局、互いに免許証と保険証を見せ合い、控え合って別れた。 夜は、シーザーズパレスの4200名収容の大ホールで、あの"映画タイタニック"の主題歌を歌ったセリーヌ・ディオン(Celine Dion)のショーを見る。50名のダンサーのダイナミックな踊りと、大仕掛けの舞台装置の中でのあの哀愁を帯びたビブラート混じりの歌声に魅了された。 その夜、レンタカー会社に先ほどの事故の状況を電話し、記憶の薄れないうちに事故報告書をしたためてから就寝した。 レンタカーの保険はフルカバーに入っていたのでこちらは何ら損害がない。 2日は砂嵐の中を、1mくらいの球形の枯れ草が道路を転がって来るのを避けたり、また横風でハンドルが取られそうになりながらも、無事オレンジ カウンティーに戻り、妻の友人であるデンマーク出身イーディスさん宅で手料理のディナーを頂いた。 3日はオレンジカウンティー一番のファッションモール、"サウスコースト プラザ"に行き、衣類と靴をしこたま買い込む。妻の買い物が終えるのを待つ間、モール内通路を行き交う人のファッションをそれとなく観察していると、ジーンズ穿きのラフな格好が多いのに気付く。シャツの下に更にTシャツを着て、それをビロビロと腰周りにだらしなく出しているのだ。それと、女性の95パーセントはスカートでなくパンツ姿で、たまにスカートを穿いた人を見かけるとそれは必ずシニア女性である。美脚はまったく拝めない。 その夜は、妻の元英語家庭教師ジョアンナさん夫妻に街のレストランでカントリー風味のアメリカ料理と美味しいフランス赤ワインを御馳走になり、続けてカリフィルニア大学アーバイン校のオーケストラコンサートを聴いて、その上、当地有数の高級住宅地の家に泊めていただいた。 翌日は米兵士と日本で知合い、結婚してアメリカに渡ったふみさんの家を訪問。外地暮らしの苦労や、「4人の子供を弁護士などに立派に育てたが、主人を亡して80歳を越えた今でも子供達の家庭に迷惑を掛けぬようできるだけ一人で頑張っている。」といった話を明るい語り口で聞かせていただいた。少し前の日本女性の凛とした生き方の見本を見る思いで、大感激。関西弁ではあるが、橋田寿賀子ドラマ「わた鬼」の森光子演ずるハワイのおばちゃんそっくりの、巻き舌英単語混じりの話り口も印象に残った。 夕方、ジョアンナさん推薦の映画"Pride and Prjudise"を見、夕食は、そろそろアメリカ料理に飽きて来たので、以前行きつけの中華料理で胃を鎮めた。 5日の午前中は、駐在中一緒に仕事をして今は他の日系企業に勤めるマイクさんを会社に訪ねて、挨拶をする。それから、ニューポートビーチ市にあるモール"ファッションアイランド"に行き、名物の大クリスマスツリーを眺め,買い物。私は所属俳句結社の俳句英訳をしているので、英語の俳句本を探し、3冊購入する。その次には、以前住んでいた懐かしい家を訪問。そして、近くのモールで日本で飾るクリスマスライトも3種、買込んだ。 夜は、元隣保だった、永住のKさんの白一色の素敵な新築のお宅を訪ね、鍋料理をいただき、奥様の素晴しい陶芸作品の数々を見せていただいた。 12月6日、帰国の時である。朝まだ真っ暗な5時にホテルを出て80Kmの道のりを空港へと車を飛ばす。片側6車線のフリーウエーI-405号はもう渋滞寸前の混み具合であった。 帰国の飛行はほぼ順調で、途中日付が一日進み、日本に入ってから富士山を左に見て、赤石山脈の上空を通り浜名湖と伊良湖岬も左に見ながら、伊勢湾上を北に向けて中部国際空港に無事着陸した。12月7日16時。 この時期のロサンゼルスはクリスマスムード一杯で、クリスマスツリーと真っ赤なポインセチアの鉢植えがここかしこに見られた。 旅行の思いを一句にして: 「再会すポインセチアに囲まれて」 |
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![]() ディズニーのクリスマス特別パレード |
![]() ディズニーのクリスマス電飾 |
![]() モハーベ砂漠の中のラスベガスへの道 |
![]() ラスベガスのホテル&カジノ群 |
![]() ラスベガスはいまだ新築ラッシュ中 |
![]() セリーヌディオンのポスターの前で。 |
![]() レッドロック峡谷。 |
![]() イーディスさん宅のディナー |
![]() 3家族で記念撮影。 |
![]() 朗らかに、亡き米兵士の夫の思い出を語るフミさん。 |
![]() 以前住んでいたIrvine 市のWoodbridge コミュニティー。この人造湖の周りをよくジョギングしたものだ。 |
![]() "ファッションアイランド"名物、大クリスマスツリー。もみの木は本物で、高さ40mくらい。 |
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| '04/11/3-11 ルネサンス芸術にふれるイタリア9日間の旅 定年を記念し、JTBのパックツワーを利用して夫婦でイタリア旅行をした。グループは総勢27名、新婚ペア7組、定年退職ペア4組そのほか5名である。ローマ、フィレンツェ、ピサ、ベネチア、ミラノ、コモ湖と回った。天候に恵まれ、親切で歴史、美術、建築、そして文学・音楽などの造詣が深く・語学力抜群の添乗員(JTBの有馬さん)さん、集合時間を始めとして規律をキチンと守り節度あるツワー仲間に恵まれた、素晴しい旅であった。また、宿泊ホテルが良く、加えて美術館・博物館・遺跡などの見学は事前に予約してあるので長蛇の列を横目に、並んでいる人たちには申し訳ないけれど、直ぐに入場できたのはありがたかった。そして、それぞれの訪問地でその土地の歴史・文化に詳しい現地の日本人ガイドさんが、見学対象物に付いて、一般的な説明に加え各々独自の見解交えての説明に、興味深く聞き入った。 最近のパックツワーは、全員胸にバッジを付けて添乗員さんの旗を先頭にぞろぞろ田舎者ツワー宜しく付き従がって行くというスタイルではなく、参加者の自尊心を保てる形での行動様式となっていることも、今回知った。 42年振りに本棚から取り出した高校時代の世界史教科書によると、ルネサンスとは"13世紀末(日本では室町時代)から15世紀末に掛けてイタリアから起こり、ヨーロッパ全土広がった文芸復興運動のこと"とある。全ての権威が神の名の下に集中していた暗黒の中世からの開放を意味し、古代のギリシャやローマへの芸術的回帰志向がその契機・原動力となった。単に文学・美術に限らず、“中世”を打破する人間性の解放(人文主義)運動として位置付けられる。そのスポンサーは、フィレンツェ、ミラノ、ベネチアなどの、地中海交易や金融で栄えた都市国家(長い城壁に取り囲まれ、町がその中にある)の権力者(たとえばフイレンツェのメディチ家)であり、その庇護の下にルネッサンス芸術文化が花開いた。ダンテ、ボッカチオ、ボッチチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどがその代表的人物である。 ルネサンス探訪ツワーは先ず、11月4日、ローマでのバチカン美術館とシスティーナ礼拝堂見学で始まった。前者ではラファエロの壁画「アテネの学堂」を、後者では「天地創造」の天井画及びキリストが筋肉隆々の若者であるミケランジェロの「最後の審判」が目玉であった。カトリックの総本山、サン・ピエトロ寺院の壮大さ、豪華さは石材建築の極致であり、これだけの大建造物がはるかルネッサンス期に作り上げられたということは、技術的にも、財政的にも驚嘆に値する。当時から続くカトリックの権威の凄さが良く判るが、わたしが心の底に持つ自然崇拝の宗教観からすると、その権威の集中に空恐ろしい気がした。私は、荘厳な石造りの教会よりも日本の、森や林に調和した木造の神社仏閣の方がはるかに好きだ。ヨーロッパ大陸は地震皆無である故に、石の建物物が普及し、その腐食しにくく燃えにくい特性のために朽ちることも焼失することもないことがここまで長く建物を保存できた理由であろう。木と紙の有機物の建物ではそうは行かない。 午後は円形闘技場コロッセオを訪問。ローマ帝国の為政者が民衆の不満のガス抜きのために作り運営したのだと言う。その規模の大きさに、狩猟民族コーケイジャンの戦慄すべきパワーを垣間見た思いだ。 翌日はバスで、糸杉とポプラの並木の田園風景を眺めつつ、高速道路をフィレンツェへと向かう。フィレンツェに着き、ダンテが眺め「神曲」の想を練ったと言う清流とは絶対に言えないアルノ川をヴェッキオ橋を徒歩で渡って、ダビデの裸像の立つシニヨリア広場に立つ。その場のウフィッツィ(Uffizi)美術館でボッチチェリ(Botticelli)の「春(La Primavera)」と「ヴィーナス誕生」を見る。先日のローマのミケランジェロ作のエネルギー漲るものと違い、柔らかい筆致で野の花々がちりばめられた絵画には心が休まる。また、「ひわの聖母」(ラファエロ)も鑑賞。 続けて、マキャヴェッリ、ガリレオ・ガリレイ、マルコーニ、ミケランジェロなどの数多くの有名人が埋葬されているサンタ・クローチェ教会を訪れ、更にたそがれ時になって、丘の中腹にあってこの町を一望できるミケランジェロ広場に行き、新婚カップルたちと写真を撮り合う。 次の日はバスをチャーターし、ガリレオが重力の法則の実験をしたというピサの斜塔を見学。観光客が、塔を望む芝生の広場で斜塔を支えるポーズで写真を撮っている姿が愉快である。同じ敷地にある洗礼堂の円形天井は残響効果が素晴しく、女性職員(ガイド)が美しい高声を発すると、いつまでもその声が反響して響き止まず、厳粛な気分になる。ここには驚いたことに、「言わず」、「見ざる」、「聞かざる」の三“さる”の彫刻(鋳造?)があった。日光東照宮の左甚五郎のものよりずっと以前に作られたはずである。尚、教会(ピサのドゥオモ)の石材には様々なオリエントの文字や紋様が見られるが、エジプトなどの地中海の国々からの略奪品だという。特に円柱材は、加工に膨大な労力を要するので中古品の使われる例が多々あったらしい。 余談ではあるが、この観光地はジプシー(放浪生活者。本来の意味はインド北西部発祥の祖国を持たない流浪の民族のこと)が多く、グループの中にはその女集団に囲まれて、危うくハンドバッグを奪い盗られそうになった人もいた。 フィレンツェ市とピサ市へ往復の道でも、農家の壁や屋根が、都会と同じように美しく地中海調に統一されていた。条例によりデザインやカラーリングを当局が厳しく指導しているのだという。 再びフィレンツェに戻る。そして、サンタマリア・デル・フィオーレ教会(Duomo)の高さ84mのジョット鐘楼最上階へ、414階段を息を切らせながらも登り切り、ルネッサンスの中心都市フィレンツェを眼下にする。夕暮れとなり、丁度この鐘楼の晩鐘が鳴り出した。歯車仕掛けで鐘を左右にスイングさせて鳴らすのだ。 ここで一句 「フィレンツェに響く晩鐘暮の秋」。 |
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| あくる日はまたバスで移動。、大理石の石切り場が点在するアペニン山脈の山懐を縫いながら、高速道路をベネチアへと向かう。ベネチア市内は自動車は禁止で、縦横に走る運河の水運に頼り、バスの駐車場からは水上タクシーでホテルに向かう。キャサリンヘップバーンの映画「旅情」で見たそのままの情景だ。到着してすぐにサンマルコ寺院を見学。エレベータで大鐘楼(Campanile)に登って、ロンバルディア平原に没する秋の太陽を眺め、美しいベネチアの町並とサンマルコ広場を見下ろす。夜は歌手付きの“ゴンドラセレナーデ”を楽しんだ。声量豊かな歌い手のカンツォーネが運河と石の家に響き、寒い夜空に吸い込まれ、消えて行く。 ここでまた一句「ゴンドラに聞くセレナーデ秋の宵」 |
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| 次の日はバスでミラノへ。宿はムッソリーニが建てさせたと言う権威主義の権化のようなごついデザインのミラノ駅の横で、中心街からは数キロ離れている。 荷物をホテルに置いてから、中世の城スフォルツェスコ城、有名な音楽ホール、スカラ座(改装中で外観だけ)、そして巨大な鋭角主体のデザインのミラノDuomoを見学。 夜はツワー仲間全員ドレスアップして、有名レストラン“サビーニ”の晩餐を楽しむ。特に新婚カップルたちはファッションの町ミラノにふさわしい装いをし、華やいだ雰囲気の中で、JTB提供のイタリア赤ワインを飲みつつ、イタリアンディナーを楽しんでいた。私もジャケットとネクタイで参加。食事と、このレストランの名物男だというヘッドウエ-ターのプロのサービスを楽しんだ。 翌11月9日は、午前中の自由時間を使って、息子に頼まれた"フェリージ”のバッグを求めてスピーガ通りへ向かい、ついにその店(Felisi)を探し当る。幸いにも、頼まれた3点を買うことができ、課題達成に、ひとまずほっとする。 午後、改装・修復が成った「最後の晩餐」をサンタマリア・デレ・グラツェ教会で見る。薄暗くつつましい教会食堂の壁に直接描かれたもので、改装直後と言うこともあって想像していたよりもずっと明るく綺麗な絵であった。裏切り者ユダが悪人面をしていないところがよい。俳人山口青邨が昭和13年にこの壁画を前に読んだ句に「春の寺最後の晩餐の図に見(まみ)ゆ」がある。当時の俳句界は教会も寺と表現していたのだ。しかし、この青邨句は俳句とはいえない出来栄えだと思う。 |
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| 帰国の日、出発が夜8時と言うことで、ほぼ一日自由時間として使えることになった。殆どのツワー仲間と一緒に、バスをチャーターしてアルプス山麓の氷河湖であるコモ湖を訪れ湖岸や山腹に点在する有名人(ベルサーチ、マリア・カラス、ヘミングウエー、ソフィア・ローレンなど)の豪華な別荘を遊覧船で湖上から眺める。 ここで一句「氷河湖やマロニエ黄葉していたり」 歌謡曲に色々歌われたマロニエと言う街路樹を初めて認識したが、ロマンチックとは程遠く、ガッカリ!、 ミラノ空港で税金(消費税)払い戻しの手続きをするが、対象商品の入ったスーツケースをあちこち空港内を長距離引き摺り回してやっと12%ほどの消費税の払い戻しを受けた。なんだか嫌がらせのを受けている感じがする。 帰りの飛行機は順調で、ほぼ定刻の午後5時に成田に着き、成田エキスプレスと新幹線を乗り継いで夜9時、浜松に戻った。浜松は集中豪雨だったが、無事帰宅。 今回の旅で気付いたこと、感じたこと、および反省点を挙げてみる。 1. 食事は、アメリカ旅行での、アメリカ料理ほどには飽きが来ない。イタリア料理は日本人の胃袋に違和感を感じさせない。 2. 今回、良いホテルが多く、しかも殆ど連泊だったので身体的に随分楽だった、又、貸切バスでの移動は荷物を持ち歩く必要が無いので良い。 3. ただ、パックツワーの場合、特に食事のときの飲み物代やチップが割り勘なのでクレジットカードを使うわけには行かず、現金払いと成る。その分、現金を多く必要とする。現地で円をユーロに換えるにはレートは良くないし、手数料を法外に取るところもある。日本から多目のユーロの持参を進める。 4. 石とステンドグラスとモザイクの教会は余りにも多く見過ぎ、どれがどの教会か思い出せないほどであり、食傷気味だ。木の建物の日本の文化、建物が恋しくなった。絵も段々ルネサンスの写実的なものに飽きが来て、雪舟、北斎、広重などの日本画家が後年印象派画家に影響を与えたことが判る気がした。(これは好みの問題であるが・・・。) 5. 親切で知識・語学力抜群の添乗員(JTBの有馬生美さん)さん、そして共に楽しく旅行を楽しんだ同行の皆さんに感謝いたします。 |
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| '04/04/01 HPBuilder”一般保護違反”Trouble Shooting 最近しばらくの間悩まされていた、「ホームページビルダーでWeb SsiteのHomePageを開こうとすると、”ホームページビルダーの一般保護違反です。”の表示が出るフリーズ問題が、やっと解決した。先ず対策第一弾では”Windows Temp ファイルの総削除”を行った。それをトライしたら一応OKであった。しかし、次の日にはまたフリーズが起きた。そこで、再び情報を得るべくInternetをSurfしたところ、「「Sound Card関連が問題である。」との情報に接し、その方面の対策を試みることにした。すなわち、 ”Media Playerを”最新バージョンにDown Loadにより更新した。。結果、嬉しいことに、完全に解決。 このトラブルで肝に銘じたことは、「この種の問題の対策案を得るには、使用アプリケーションと、表出ダイアローグをKey Wordとしてウエブ上で検索すれば、必ず同種の問題で苦しむ人がおり、親切な人がサイトに解決策を掲示して呉れている。」いうことである。 |
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| 株のお遊び ここ2年ほど、小量の株の購入をして、所有株の株価変動を見て楽しんでいる。また、最近では インターネットでの取引(買うのみで売ったことはない)もしているが、原資から言ってもほんのお遊びの範囲を出ないように留めている。 だから、購入銘柄の選択動機は"儲ける"と言う観点から見ると馬鹿げているかもしれない。 たとえば全日空(2002年4月、366円で千株購入、現在値280円前後)と松竹(2002年5月、592円で購入、現在値700円前後)は、どちらも当時も今も無配ではあるが、株主優待制度があるが故に購入した。全日空は国内線半額の航空券額割引クーポンが年二回千株当り1枚づつ配布するが、自分は国内線をほとんど利用しないので、受け取る都度金券ショップで5000円で引き取って貰っている。 もうひとつの全日空の購入動機は、少し前、ロサンゼルスからの帰りにANAを利用したのだが、その時、アグネスちゃん似のとても可愛い客室乗務員が、本当に涙ぐましいほど懸命に乗客に尽くそうと働いている姿を見て、大いに感動したことである。UAとかDeltaあるいはJALとかもよく利用したが、そのようなけなげな客室乗務員はついぞ見かけなかったので、「こういう良い社員を雇用し教育している航空会社の業績はやがて大いに上向くだろう。」と思ったわけである。それと、ワールドトレードセンターの事件から半年ほど経ていたので、国際化のこの時代に空の旅の需要は再度上向くに違いないと感じたからである。しかし、予想は全く外れて、いまだに株価は低迷をし続けている。 松竹は映画館の株主優待券を年に2度送って来る。これも東京新橋の金権ショップで売れば5000円程度にはなる。この会社の株式購入理由は、「これからの時代は映像エンターテインメントのソフト・コンテンツの価値が再評価される時代である。」ということで、東宝にしようか松竹にするか迷ったが、前者は800円前後と少し高かったので、安い600円弱のものにしたわけである。購入後の推移を見ると東宝は1400円くらいで、600円も上がっているのに対し、松竹は100円程度の上昇に留まっていいる。おまけに、株主優待券で映画が安く楽しめると期待していたのだが、静岡県の対象映画館は清水市に1館しかなかった。それなので、金券ショップへその優待券を売さばくしかないわけである。 大阪ガス(2002年1月314円で購入、現在値300円前後)は、ブルネイから液化されて船で送られて来る天然ガスの、生成後の残滓からカーボン材を取り出し、それを利用した様々な製品(たとえば炭素繊維で出来た消防服とか浄水器フィルター等)を製造・販売するベンチャービジネスを数年前に立ち上げた。そのことを、アメリカや日本の大きな新技術製品展示会などで見ていたので、将来はきっとこの新ビジネスに挑む姿勢が報われ、大きく花開くだろうと感じ、株を買ってみたのだが、ライバルの東京ガスや東邦ガスに株価ではかなり水を開けられ、なかなか購入価に戻らない状態である。 日産自動車は2年前の株価600円くらいのころからずっと気になっており、「ゴーン改革は本物かな?」と見守っている間に、今年半ばには1200円を超えて、慌てて7月に1193円で購入した。その後は買値前後で変動を繰り返している。幸い今日は1300円前後で悪くはないのだが、もっと早く買っておくべきだったと反省するばかりである。 以上のように、株売買の才能のなさ、金儲けの才の無さを嘆いている毎日である。でもまあ、晩酌をしながら「新聞を見る楽しみが増えたのは良いことだ。」と自分に言い聞かせる昨今である。 to TOP Page |
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| '03/09/06 青春18切符で大阪、名古屋へ 妻の買った青春18切符があと2回分残っていて、9月10日失効というので、急遽大阪行きを決める。8月の盆休みにはそれを利用して伊豆伊東に温泉と寿司の昼食を楽しみに行ったばかりではあるけれど。 遠鉄電車との接続時間がタイトだったが、なんとか午前6時07分発の米原行き特別快速に飛び乗ることができた。ガラガラの車内を想像していたが、案に相違して老若男女でかなりの混みようである。挙句に、大垣で「前2輌は切り離して車庫に入ります」と、6輌を4輌に短縮減車輌されたからたまらない。土曜日と言うのに通勤電車並みの満員の混雑となった。車庫に入れるのなら混み具合を見計らい、米原まで走らす柔軟性があってもよさそうなのに・・・。不運にも、1輌目に乗っていた我々は、大垣から米原までは立ちっ放しとなった。大垣市は関が原合戦の時、徳川秀忠が陣を設けた所だそうだが、自分には馴染みのない町で降りたこともない。浜松付近を走る鈍行列車に"大垣行"とあるので名前だけは馴染みがある。 大垣・米原間は各駅停車で時間が掛かる。関が原古戦場の稲は冷夏にも拘わらずたわわに稲穂を戴いている。米原で特別快速姫路行きに乗り換えたが始発なのに、これもかなりの混雑で妻とは数列離れて別々に座ることになった。"安土城址"の看板の掲げられた緑濃い杉檜の茂る小高い丘や、点在する松枯れ病で荒れた近江平野独特の古墳のような山々を眺め、大石蔵之助が仇討ち前の放蕩三昧した時の居住地だったという山科を過ぎると、やがて京都に着いた。多くの乗客が入れ替わった後、青い山並みが迫ってきた。羽柴秀吉が明智光秀を打ち破った山崎である。瀟洒な作りのサントリーの工場が見える。10時半頃大阪駅に着く。"るるぶ誌"刊の"もっと大阪"を購入してから、環状外回りに乗る。同乗のJR研修生が信号の呼称確認で大声を出すのが、微笑ましくもあるが、一寸うるさい。予定はしていなかったが、「大阪城公園前」との車内放送を聞き、下車。中学校の修学旅行の時以来である。その後40年余り、色々なことを見聞したせいか、田舎の中学生の感じた新鮮な驚きは何だったんだろうと思う。巨大な石垣や堀の広さ、天守閣のきらびやかさなど、今見るとどうって言うこともない。ただ、天主から大阪市内を見回すと、高層ビルが城の四方に林立していて、これは当時と大きく異なる点である。豊太閤もこんな姿は想像しなかったことであろう。また、この公園の広さには脱帽。都心にこれだけの広い公園を確保していると言うことは、市民の大きな財政的貢献があってのことだろうと思う。内堀では釣を楽しんでいる人も見えた。天主は昭和6年建立の鉄筋コンクリート作りであるが、これがいただけない。翻って、規模は至って小さいが、板の間を素足で歩ける近在の掛川城の木造天主閣の良さを再認識した。 地下鉄で難波に出て、案内誌にあるかやくご飯の"大黒"に寄る。15人も入れば一杯の古いひなびた店で、我々は3組の相席だった。ご飯も美味しいが、カレイ、ぜんまい、ピーマンのそれぞれの煮付けが、また良い。ついついビールを2本も飲んでしまった。 それから、戎橋商店街をぶらつく。道頓堀川を跨ぐ戎橋では、グリコのランナーが今年は阪神タイガースのユニフォームを着ている。阪神の優勝決定の日には何人の熱狂的ファンがここから飛び込むのだろう?しかし、思ったより低い橋である。この界隈は土曜日と言うこともあって、人々でごった返している。大阪・関西の地盤沈下が叫ばれて久しいが、今日のここは凄い活気で、それを微塵も感じさせない。地下鉄を大阪駅まで利用し、長浜行きの特別快速に、今回もまたも飛び乗る。幸いにも京都で着席できてほっと一息。珍しく検札が来た。回りの人の切符を見ると半分くらいは青春18切符である。定年過ぎの老夫婦、どういう関係か男一人女二人の青年美男美女の三人連れなど、皆その切符であった。 米原から乗り換えた快速では、またしても立ちんぼ。名古屋までずっとだったので、かなり疲れた。 夕食のために名古屋で途中下車して北口へ向かうと、JRセントラルタワーズに上がる数列のエスカレータがあったのでそちらに進む。そして地上245m(?)の展望台までエレベータで上ってみた。薄暮の市街地の眺めもまた良い。名古屋テレビ塔が下のほうに小さく見える。その場では、愛知芸術大学生5人の管楽器の合奏があって、サキソフォンの音色を楽しむ。写真展の回廊を回ると、アメリカにいた時コレクションしたスーベニアスプーン(Souvenir Spoon)を見つけたので、購入。このお土産はかさばらなくてありがたい。そのうちに日本各地でも扱うようになるだろう。 13回食堂街に下り、味噌煮込みうどんと熱燗で夕食。どのレストランも順番待ちの客で溢れている。今のところ、このビルは経営的には大成功であろう。若い人たちで溢れていて、活気がある。 8時20分快速に乗り浜松駅に10時前に着く。改札口で自動改札を使わない人たちが半分くらいいる。皆、同じ切符の利用者だ。 早起きは三文の得というが、今日は長くしかも充実した一日であった。車やバイクでの移動も悪くないが、公共交通機関を使ってのゆったりした旅もいいものだ。戦国時代・江戸時代に思いを馳せた一日であった。 |
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| '03/05/03 孫の初凧 5月3日、浜松凧揚げ祭りで、横浜に嫁いでいる娘の長男(私の初孫)の初凧を揚げる。5帖のサイズで家紋と名前入りである。凧の季節には珍しく、何時もは西風が多いのに南風が吹いて、中田島砂丘の凧揚げ会場から真北に向けて揚げる。会場のグラウンドは東西に長い矩形なので、この風向きだと、150以上の参加町の凧が互いに絡む可能性が低くて、幸いである。 この8年程、凧揚げから遠ざかっていたが、以前と違いグラウンドが青い芝で覆われていて気持ちが良い。曳馬宮組も参加15年目、今では経験充分、一発で皐月の空高く初凧を揚げて呉れた。 孫の幸せが約束されたように感じられ、熱いものが胸に込み上げて来て、不覚にも涙ぐんでしまった。孫の将来に幸多かれ! 凧の動きが安定したところで、娘夫婦は勿論、遠来の婿の母と叔母、そして我々夫婦が、皐月の風を受ける凧の強い牽引力に負けないように、皮手袋をはめて、協力して凧糸を引っ張る。子供を中心とする曳馬宮組ラッパ隊の高らかで力強く吹奏する凧揚げ伴奏曲の中、孫の航はひげ面の曳宮凧組長の肩車で、組の若衆の激練の中心に入り、揉まれながら祝福を受けている。強からず弱からずの凧にお誂え向きの風が吹き、糸はもう数百メートル送り出され、凧は皐月の青空を気持ち良さそうに泳いでいる。 3日間の祭り期間初日の今日は、”初凧揚げ”と言うセレモニーなので、荒っぽい他町との糸とからみ合わせての(糸切り)合戦はしないことになっている。また、この組はあと2枚の初凧を揚げることになっているが、我々のはそのトップバッターであった。 孫は1歳5ヶ月、これからの人生の中で、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、心に深く刻まれた懐かしく楽しい情景として思い出すことを皐月の空に願った。 |
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