《有川家の人々



―――今は昔、鎌倉は有川という家に、スミレという女ありけり。




鎌倉、有川家の縁側。仔犬のように仲良くたわむれる孫たちをこのうえもなく柔らかな目で見つめる、ひとりの老女がいた。
「―――将臣、譲、望美ちゃん!」
柱時計の優しい鐘の音が邸内に三度響くのを耳にした老女が、庭にいる孫たちに呼びかける。
「おやつにしますよ! みんな手を洗ってらっしゃい!」


「ありかわのおばあちゃん、このクッキー、とってもおいしいね!」
「気に入ってくれてよかったわ。望美ちゃんの分もたくさん焼いたから、いっぱい食べてね?」
「うん! おばあちゃん、大好き!!」
テーブルに並べられた手作りの菓子を美味しそうに頬張る幼い少女へ、老女が穏やかに笑う。
「ふふ、ありがとう、望美ちゃん。おばあちゃんも望美ちゃんが大好きよ?」
元気いっぱいに転げまわっているうちくしゃくしゃになってしまったらしい少女のくせのない長い髪を、いとおしむように指先でくしけずる。

「本当に…いつか望美ちゃんが将臣か譲のお嫁さんになって、うちに来てくれたらいいのに…」
誰言うともなく呟いた言葉に、食べる手を止めた少女。それに気づいた老女がふと首を傾げた。
「…どうしたの、望美ちゃん? もうお腹いっぱい?」
ふるふると首を振ってみせる少女に、老女がさらに問う。
「おばあちゃんが言ったこと、気にしちゃった? 将臣や譲のお嫁さんに……おばあちゃんのうちの子になるの、嫌?」
祖母たちのやりとりに頓着なくロールケーキを頬張り続ける将臣とは対照的に、ホットミルクを口にしていた譲の動きがぴたりと止まる。
「ううん、そんなことない。ちがうの、おばあちゃん。望美ね、まさおみくんやゆずるくんや、おばあちゃん…ありかわのおうちのひとたちみーんな、とってもとっても大好きだよ。
…だけど望美、およめさんにはなれないんだ」
手にしたマグの影からふたりの様子をそっと伺う譲の視線に、少女は気づかない。
「まあ…、どうして?」

「―――だってわたし、およめさんじゃなくて、おむこさんになるって決めてるんだもの!」

元気よく返された答えに一瞬目を見開いた老女は、それでも少女を笑い飛ばすでなく、ごくごく真面目に問い返す。
「…望美ちゃんは、お嫁さんが欲しいの?」
「うん!」
「それは、どうして?」
「だって…、だってね望美、おうちのおてつだい、ちっともじょうずにできないんだもの!」
ぷっと頬を膨らませた少女に、老女は堪えきれぬ笑みをくすりと漏らす。
「あらあら、大変。…でもねえ望美ちゃん、最初からなんでも上手くできる人なんて何処にもいないのよ?」
「でも、おばあちゃん。わたし、ようちえんのときからずーっと一生けんめいおてつだいしてるんだよ? …なのに、どうしてもうまくできないんだもの。きのうもね、お母さんといっしょにおやさいを切らせてもらったの。…だけど、やっぱりうまくできなくて、こんなになっちゃった」
絆創膏だらけになっている小さな手を差し出された老女が、いたわるようにその手を撫でる。
「おゆうぎも、体いくのとびばこも、おべんきょうだって、がんばってたらすぐできるようになったよ。…だけど、おうちのおてつだいだけはだめ。どうしてもうまくいかないんだもの。
―――だからね望美、およめさんにはならない。…そのかわり、ありかわのおばあちゃんやうちのお母さんみたいに、おうちのことがなんでもできちゃう、すてきなおよめさんをもらうの!」
欠けた乳歯を見せながら笑顔を全開にする望美に、老女―――有川スミレは微笑みながら頭を撫でるだけで、それ以上は何も言わなかった。






―――そして、それからほどなく。
有川家では、内孫ふたりに対する祖母の家庭教育が開始された。

「…なあ、ばあちゃん。なんでいきなりおれたちに、だいどころてつだえっていうようになったの?」
「覚える必要があるからよ」
「………たまねぎ切ったり、じゃがいもむいたりすんのを?」
「ええ。この際徹底的に叩き込んで、料理のいろはからきっちり覚えてもらわなければ。
―――まずは基本よ。材料を洗って切ることからできるようになってもらうわ」
「…あのさ、ばあちゃん」
「将臣。口を動かす暇があるのなら、手のほうを動かしなさい」
すっぱりきっぱりにべもなく言い切る祖母に、有川の総領息子、すっかり引き気味である。
「…だからさ、おれが言いたいのは…」
「にいちゃん。いいからはやくそこのたまねぎ切ってよ。でないと、いつまでたってもカレーができないだろ」
「―――ゆずる! おまえそれで…!」
いいのか、と言いかけながら、隣に目をやった将臣が見たものは。

「……………なあ、なんだっておまえ、そんなにしんけんなんだ…?」
…自分には見向きもせず、熱い眼差しをひたすら人参へと注いでいる弟の姿であった。

「おーい、ゆずるー…?」
もはや問いかけに応える間も惜しいとばかり、もくもくと包丁を動かしていく弟の姿に、ますます首を捻る将臣。
「…だからなんで、こんなことしなきゃいけないんだ…?」
「―――将臣、早くしなさい。お夕飯を抜きにされたいの?」
祖母の容赦ない叱咤に慌てて玉葱に向き直る孫息子の、抱える謎は深まるばかりであった。





                        ◆◇◆





「…譲くんたちのお祖母さん―――菫姫には、小さい頃にお世話になりました。私のことを可愛がって、とっても大切にしてくれて。祖母のいなかった私にとっては実の祖母以上の…、本当に大好きな人でした」
「そうですか…、神子様にそのようなことを言っていただけて、菫姫もきっとお喜びでしょう」
星の一族の女と望美とのやりとりに、何か思い当たったらしい将臣が自らの髪をがしりとかきあげた。
「―――将臣殿に、譲殿、でしたね。龍神の神子様のこと、どうぞよろしくお願いします」


一行が嵐山の屋敷から辞去したのち、将臣がぽつりと呟く。
「…思い出したよ。そういやうちのばあさん、望美のことがものすごく気に入っててさ、ことお前に関してだけは、いっつも目の色が違ったんだよな」
「え? そうだったっけ??」
首をかしげる望美に、ため息をひとつ。
「…やっぱ、覚えてないか。お前が何気なく言ったことが鶴の一声になって、ばあさんえらく張り切っちまってさ。お陰で俺も譲も、みっちり花嫁修業させられる羽目になったんだぞ?」
「はっ……花嫁修業ぉ!!??」
頓狂な声を出す望美に、将臣がおかしそうに破顔する。
「正確には家事っつーか、料理の修行なんだけどな。―――譲、お前も覚えてるだろ?」
「…。―――さあ? 確かに、家事をひと通りこなせるよう俺たちに手ほどきしてくれたのはお祖母様だったけどね。そうなったきっかけまでなんて、いちいち覚えてないよ」
「ふーん、そっか。…いやもうほんっと、凄かったんだぜ? 来る日も来る日も、台所仕事。大根のかつら剥きから、火で飯を炊くとこまできっちり仕込まれてさ。
嫌気がさして一度、反抗したことがあるんだよ。『男子厨房に入らず』だろ、なんてカッコつけてほざいてさ。そしたらばあさん、なんていったと思う?」

『お黙りなさい、将臣! それを言うなら「君子ハ厨房ヲ遠ザク」でしょう!? 孟子の言葉を都合よく曲解した挙句、己が怠けるために引用するとは何事ですか!!』

「―――って、俺の目の前に包丁をふりかざしながら、こうだぜ? あんときゃ心底参ったよ…」
困ったように頭をかく将臣に、こらえきれず望美が吹き出した。
「あの、ものすごーく優しかったお祖母ちゃんが?? …まったまたぁ! 将臣くんてば、私をかつごうとしてるんでしょ?」
ばんばんと自身の背中を叩く望美に、将臣が苦笑をもらす。
「いや、ホントにマジだって。ばあさんを本気で怒らせたらどれだけ怖いか、あの時ほど身にしみて思い知ったことはなかったな」
「そもそも兄さんが、そんな言葉を引っ張り出してつまらない反抗をしたりするからだろう?」
それを受けた譲から、呆れたような茶々が入る。
「…ま、確かにそうなんだけどな。そのあとの剣幕も凄かったのなんのって。
『ひとり暮らしに、単身赴任や離婚のやもめ暮らし、男とて家事技能が必要となる出来事など人生にはいくらでもある』だの、『食い物屋もコンビニもない場所でそうなってから、嘆いたところで遅い』だの、『そもそもプロの板前が大抵男子であることを、お前はなんと心得る』だの…小一時間、淡々とした口調でぐうの音も出ないほど矢継ぎ早に責められてさ。もう散々だったぜ?
…まあ実際、そうやって仕込まれたお陰で、向こうじゃ単位を落とすこともなかったし、こっちでは世話になってる連中に結構まともなもんを喰わせてやることができたしな。一応、ばあさんには感謝しないといけないのかもな」
「ふーん、『芸は身を助く』ってとこ? …そっかぁ、やっぱり私もお祖母ちゃんに頼んで、いろいろ教えてもらえばよかったかなぁ…?」
「お前の天文学的不器用さからすると、ばあさんにちょっと仕込まれたくらいじゃ技術向上は望めなかったと思うけどな」
「―――んもう、将臣くん!」
拳を振り上げる真似をする望美に、将臣は降参、とばかりに諸手をあげた。
「…ねえ? だけど…、なんだか不思議だね?」
ふと気づいたように小首を傾げる望美を、兄弟がこれまた不思議そうに見る。
「…何がですか、先輩?」
「だって『食べるお店もコンビニもない場所』なんて、私たちの世界にはあんまりないよね?」
「ああ…まあな」
「将臣くんってサバイバル強いし、そういうの好きだから、いきなり思い立って人里離れた島に移り住んじゃうとか、そういうことも全くありえない話じゃなかったと思うけど…。
―――今考えてみると、なんだかお祖母ちゃん、まるで将臣くんがこの世界に来るって予測してたみたいじゃない?」
「言われてみれば…」
「…確かに、妙だな?」
望美の言葉に、兄弟ふたりして考え込む。
「星の一族って未来を読むことができるんだよね? …もしかしたら、もしかするのかな?
―――ね、譲くん。お祖母ちゃん、譲くんにも何か言ってなかった?」
「? …そうですね…そういえば昔、何か言われたような………ええと、確か―――」

(『…よいですか、譲。古典的ですが、「餌付け」は
意中の存在を射止めるに際しては最も効果的かつ有効な手段
なのです。
そのことゆめゆめ忘れず、これからも精進なさい?』)

「…っ!」
閃くように脳裏に蘇った祖母の声に、譲がさっと顔を赤らめる。
「―――えっ!? なになに、どうしたの譲くん!? やっぱりお祖母ちゃん、譲くんにも予言めいたこと言ってたとか!?」
(そういうときだけ)譲の変化をけして見逃さない望美が、譲の側に駆け寄ってくる。
「い…、いいえ先輩!! 祖母は俺に対しては、特に何も言っていませんでした!」
いろいろな意味で顔を赤くする譲を、(やっぱりこういうときだけは)鋭い望美が真意を確かめるようにじっと目を見る。
「………譲くん。なんか私に隠してない?」
「し、してませんよ! ―――そろそろ日が暮れます、邸に帰りましょう!」
いきなり踵を返そうとする譲に廻りこんで、望美がその顔をのぞきこむ。
「…なーんか、あやしいんだけど…?」
「―――先輩! さっさと帰らないと、晩ご飯の時間がどんどん遅くなりますよ? いいんですか?」
「ええっ…、そんなぁ!」
「だったらほら、早く!」
「ちょっ…、ちょっと待ってよ、譲くん! …待ってってば!」
その場から早足で歩き出す譲に、望美が、続いて将臣がその後を追い始める。





―――今は昔、鎌倉は有川という家に、スミレという女ありけり。

龍の宝玉と確固たる信念をもって遙かなる時空を越えた 神子様追っかけ 星の一族が総領、菫姫。
彼女が自らの孫たちに行った早期教育。
その真の意図は、果たして奈辺にあったのか。

…それは龍神にすら分からない、永久(とわ)の謎である。





というわけで、ニュー天白虎ゆんたんの特殊技能の誕生話でした。…いや、だってオムレツが簡単とかあっさり仰ってましたけど、あのぽよぽよ感はプロの技ですよ。ちっとも簡単じゃないっつの。大体現代とはあまりに環境が違う場所でお料理するのに道具や材料を工夫してあっさり何とかできちゃうなんてミスター@っ子も真っ青の腕前だと思います。てな訳で、これは元の世界でかなり徹底的に仕込まれてなきゃありえないだろうと。
で、私家設定。
有川兄弟は中学にあがる寸前まで虎の穴有川家で祖母に家事のスパルタ英才教育をされていました。よって、銀英伝のユリ@ン並に家事万能、というとんでもない技能を持っています。
ちなみに「君子は厨房を遠ざく」という言葉は孟子の言葉に本当にありまして、これ自体どうよ、と考えてしまうような意味なんですけども。「男子厨房は入らず」はこれをさらに転じた言葉のようです。これまたどうでもいいことですが、有川家ゴッドマザーが孫息子に言った説教科白は、そのままワタクシの見解に通じてたりします(笑)

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