《はくりゅうといっしょ ―おはよう篇― 》
ちゅん…ちゅん、ちちち―――
…ことことことこと……とんとんとん…
にぎやかに遠く響く鳥のさえずりに混じって、小気味よく包丁を動かす音や何かを煮炊きする音が聞こえる。
身を包み込む冷気に、ゆっくりと意識が浮上して。うっすらと開いた瞼からは、朝の光がかすかに差し込んで。
いつもの京邸とはまるで違う、周囲のひっそりとした空気と濃密な緑の気配に、今いる場所が熊野だということを思い出していく。
…ああ、そうだ。今は、私がこの時空で唯一知る平穏なとき。みんなが側にいてくれる、最も幸せな時間。
本当は、もうちょっとだけまどろんで、この優しい時間に甘えていたい気もするけど…。そうもいかないよね。私にはしなきゃいけないことが山ほどあるんだもの。…いい匂いもしてきたことだし、そろそろ起きよっと。
ぐっと手足に力をいれてあお向けになろうとした、そのとき。
ふと、硬くて温かな何かが胸の辺りにうずくまっているのに気づき。『そこ』に目を向けて。
「きゃあぁぁあ!!!」
―――熊野での平穏な時間は、私自身の絶叫によってあえなく崩れ去った。
我ながら呆れるほどのたまぎる悲鳴は、屋敷じゅうにしっかり響き渡ったらしい。複数の足音があわただしくこちらへ向かって駆けつけてくるのを感じ取り、私は蒼白になって引き戸に駆け寄った。
「先輩? ―――先輩!? 一体どうしたんです、先輩!」
一気に開かれようとする引き戸をはっしと両手で止め、渾身の力で元に戻す。
「だ、だめ! 入らないで! 私、まだ寝起きそのまんまなの! こんな姿、誰にも見せられない!お願い、譲くん、入って来ないで!!」
「でも先輩! 今の悲鳴は―――」
「そうよ望美、何かあったんでしょう? ねえ、開けてちょうだい。女同士ですもの、私なら構わないでしょう?」
「あの、あの…、―――ごめん、朔! 本当になんでもないの、大丈夫だから! 着替えたらすぐにそっちへ行くから、今だけはひとりにしておいて!」
「だめよ、事情も分からないまま、あなたを放っておくことなんかできないわ」
「心配させてごめんね。でも、ホントに、本っ当に大したことじゃないの!」
枕元においてあった剣を手繰り寄せ、つっかえ棒がわりにぐいぐいと戸へ立てかける。
「ええと……ええとね! 実は、目が覚めたら顔の上、しかも目の前に蜘蛛がいてね。それでつい、びっくりして叫んじゃったの。―――それだけのことなの!」
「…あのさ、姫君。悪いけどその話、全然説得力ないんだけど?」
「そっ…! そんなこと言われたって、事実は事実だもの!」
私が蜘蛛を苦手なのは本当のことだし!
多分ヒノエくんは『今までさんざん土蜘蛛と闘っておいて、何を今さら』ってことでも言いたいんだろうけど、あれはただ単に、あの怨霊が全然蜘蛛に見えなかったから平気だったってだけのことだし!
「…なるほど、お話はよく分かりました」
そのまま押し黙った私の後を引き継ぐように、弁慶さんがいつものゆったりとした声で応えてくれて。
私は、ほっと安堵の息をついて。
「ですが望美さん、それならばこうして僕らを締め出す必要はないでしょう? …さ、戸に立てかけているものを外して。ここを開けてください」
…いたところに、声にならない悲鳴を咽喉の奥でほとばしらせることになった。
「―――ダメ!! 絶対にダメです!」
「何故ですか?」
「だから! 何度も言ってるじゃないですか! 私今、本当に凄い格好を―――」
「そのことでしたら、僕は別に気にしませんが?」
「私はめいっぱい気にするんです!」
「そうですか。困りましたね…ならば、君に衣の一枚も頭から被っていただいて、それからここを開けてくだされば、それで結構ですよ?」
「いえ、あの、ですから…」
「…僕らは、君が心配なのでそちらの様子をあらためたい。ただそれだけなんです。それ以上の他意はありません。ですから、君がどうでも今の姿を見られたくない、と言うのであれば、その意思を踏みにじるような真似はけしてしません。
そして、そんなことをする輩がここにはひとりもいないことなど、君はとうにご存知の筈」
必死で言い返そうとする私の言葉などとうに見越したように、ひとつひとつ確実に逃げ道を塞いでいく柔らかな口調。
私は金魚のように口をパクパクとさせながら、戸の向こうにある弁慶さんの温厚な、けれどどこか底知れない笑みを確かに見たような気がした。
「それに…、僕自身のことを言わせてもらえれば、今さらしどけなく寝乱れた君の姿のひとつやふたつ目にしたところで、僕の、君への想いが変わったりすることなどありえません」
―――ああもう! こんなときにまで、人をからかってもてあそぶな―――っ!!
「誠に申し訳ありませんが、どうか皆さま、お引き取りを! なんと仰られようと、今ここを開けるつもりは毛頭ありませんので」
「…では、問答無用ですね」
柔らかな声がいきなり硬さを帯びたとたん、戸の向こうにあった人の気配がさっと消えて。
「どいてくれ、朔殿。俺が蹴倒す!」
九郎さんの声と同時に、気合が一閃され。反射的に身を避けた私の鼻先を掠めるように、儚い防衛線はあっさりと蹴倒されて。
「―――なんで白龍がここで寝てるんですか、先輩!!」
…そんなの…、……そんなの!! 私のほうこそが聞きたいわよ―――っ!!
譲くんの凄まじい怒声を寝起きの頭に響かせながら、私はその場にがっくりと膝をついた。
もういっそこのまま、意識ごと遠くに行ってしまいたいと思っていた矢先。
「―――望美! お前って奴は! あれほど言って聞かせたのに、また白龍を部屋に引っ張り込んだのか!」
「…引っ張り込んだって…!」
聞き捨てならない科白に、瞬時に頭が戦闘モードへと切り替わる。
「言うに事欠いて、なんて言い草ですか! 失礼にもほどがあります! 天地神明に誓って、そんなふしだらな真似してませんよ!
だいたい、『また』ってなんですか、『また』って! 人聞きの悪い!!」
「事実、今までさんざん白龍と同衾してただろうが!」
「ど、同き…! ―――九郎さんのどすけべ! 変態!! なんでそういちいち誤解を招くようなやらしい言い方するんですか!? それは以前、白龍が小さかったときに、せがまれて一緒に眠ってただけのことでしょう!」
「大昔みたいに言うな! つい一昨日までの話だろうが!!」
「相手が神様で、ちょっとばかり普通の人と成長速度が違ったんですから仕方がないじゃないですか! 欲求不満だかなんだか知りませんけど、おかしな想像した挙句私に当たるの、止めてください!」
「なんだとお!?」
霊地には実に似つかわしくない悪口雑言ラリーが延々と続くなか、騒ぎの当の元凶が、ようやくその寝ぼけまなこを開けた。
「…おはよう、神子。………どうしたの?」
ぱっちりと目を開けて周りを見渡し、きょとんとしてみせたその表情は、小さかった頃の白龍そのまま。私と九郎さんは一気に脱力し、シンクロでため息をついた。
―――が、譲くんのお怒りは、何故かその程度ではおさまらなかったらしい。
「…先輩。念のためもう一度お聞きしたいんですが。先輩が、自分で白龍をここに引き入れたわけじゃないんですね?」
絶対零度のオーラを背負ったまま、ちっとも笑っていない目で、このうえもなく穏やかな笑顔を向けてくる。
いっそさっきのように怒鳴られる方がよっぽどましだと思えるほど恐ろしげな形相の譲くんにすっかり気を呑まれ、私はこくこくと操り人形のように頷いた。
「う、うん。もちろんだよ」
いくらなんでも、こんなにも大きくなっちゃった白龍相手に添い寝だなんて、どんなに頼みこまれたところでできる筈がない。
「…そうですか。では、とりあえず今はそれでよしとします」
えーっと…譲くん。『とりあえず』っていうのは一体…。なんだか言葉の端々から妙にうすら寒いものを感じて、めちゃめちゃ怖いんですけど。
そんな私にお構いなく、譲くんはくるりと白龍に向き直った。
「―――白龍。どうして先輩の側で眠っていたのか、説明してもらおうか」
周りの刺すような視線をものともせず、にこにこと天真爛漫に白龍が笑う。
「神子と京に戻ってきた最初の晩、不安がる私に、神子が自分の心の臓の音を聞かせてくれた。こうしていると少しは安心できるだろうからと、そう言って。それからは、いつもずっとそうやって眠らせてくれた。
でも、大きくなったらもう駄目だって、それが当たり前なんだって皆に言われて。…最初は、我慢しようとした。だけど、全然寝られなくて。だから…」
「―――夜中になって姫君のもとにそっと忍んでいった、と。…ふぅん、やってくれるね?」
「?? うん。だって、眠っている神子を起こしちゃいけないと思って…」
「黙って潜り込んだ、という訳ですか。―――望美さん、君はいけない人ですね…?」
…白龍。あなたが無邪気にひとことひとことを重ねていくたび、ぴしぴし、ぴしぴしと周りの空気に亀裂が入ったような音が聞こえてくるのは、私の気のせいですか?(泣)
滂沱している私をよそに、ほのかに頬を染めた白龍はなおも語り続けていく。
「神子の気は、桜の木が放つ木気のように心地いい。…それにね、桜にはない、とても良い香りがするよ」
…あああ、なんだか今度は、ずごごごって地鳴りみたいな音がし始めたんですけど。
おまけにどうして、戦闘後でもないのに『精神統一Lv.5を習得可能になりました』とか『攻撃力増加Lv.4を習得可能になりました』なんてありえない声がどこかから聞こえてくるのかしら…(号泣)
「…ね、ねえ、白龍? 私、今すぐあなたによく言って聞かせなければいけないことがあるの。私とあちらの部屋に行きましょうか?」
刻一刻と悪化していく事態を素早く察知してくれた朔が、慌てて助け舟を出してくれたけれど。そのときにはもう、手遅れだった。
「それにね、神子はとても柔らかい。特にあのあたりがふっくらとして、寄り添うととても気持ちが良くて―――」
にっこり笑ってある一点を指差されたとたん、私の頭のなかは完全に真っ白になって。
「―――やっ…、やめてぇぇえぇえ!!!」
ばっちぃ―――ん!(←花断ちLv.5)
―――気がついたときはもう、反射的に自分の手首を翻していた。
頬に季節外れの見事な紅葉を形どって、呆然としている白龍。その治療と今後の情操再教育のため、朔や弁慶さんたちが白龍を別室に連行していったあと。
「神子。そのままでは身体を冷やすだろう」
ひとり脱力している私に先生がそっと衣をかけながら、静かに言った。
「…神子、さきほどは迷いのない太刀筋だった。闘いでもその呼吸を忘れぬように」
―――先生。せっかくのお言葉ですけれど、今だけは褒められても嬉しくありません…。もしかして、ひょっとしなくてもそれって、私を励ましてくださってるおつもりなんでしょうか?
…そのお心遣いはとてもありがたいんですけれど、先生。なんだか私、かえって泣き伏したい気分になってきたんですが…。
うなだれる私に、気の毒そうな顔をした景時さんが話しかけてきた。
「ごめんね〜、望美ちゃん?」
「…? どうして謝るんですか、景時さん?」
さっきの騒ぎでは姿を見せていなかった筈のこの人が告げた言葉に、首を捻る。
「いや、実はさ……昨夜、白龍に『眠れない』って相談されたの、俺なんだよね。…それでそのときにさ、白龍にこう言ったんだよ。
『望美ちゃんは怨霊との闘いや慣れない山歩きでいつもよりずっと疲れてる筈だ。その望美ちゃんを夜中に叩き起こすような真似をしたりしちゃ駄目だろう?』
…って。それで一応白龍は納得したみたいだったし、俺としてはそれでちゃんと止められたつもりだったんだよね。だから、翌朝になって姿が見えなかったときにも、あれだけ言ったんだからまさか、って思ってさ。
…せめて最初の騒ぎが起きたとき、それを皆に説明してあげられたら良かったんだろうけど…、あのとき皆、あとも見ずに駆け出してっちゃったものだから、俺が火をほったらかしてそっちへ行く訳にもいかなくてね。
結局、望美ちゃんには悪いことしちゃったね。…本当に、ごめんね?」
「…いいえ、いいんです」
こんなに申し訳なさそうに謝ってくれる景時さんを怒る気になんて、到底なれない。
「今回のことは、ある意味私の自業自得なわけですから。…景時さんを責めるなんて、筋違いもいいところですよ」
「お? お前も、そのへんは一応分かっちゃいるわけか」
茶化したように言ったのは、いつの間にか私より年上になっていた幼馴染みの声。
「…まったく。飯前にひと運動して外から帰ってきてみれば、朝っぱらからこの騒ぎだ。お前と一緒にいるとほんと、退屈ってものとは無縁だよな」
言い返したくても言い返せなくて、ますますどん底へ落ちこんでいく私に、さらにのんびりとした声がかかる。
「―――まあ、そう落ち込むなって。具体的なサイズを口にされたり、ゼスチャーで示されたりしなかっただけマシだろう? それに一応、褒められてたわけだし。くびれた胸、豊かな腰、とか言われたりしないで良かったじゃねえか」
………。
「将臣くん。それは元気づけようとしてるのと、止めを刺そうとしてるのと、一体どっちなのかな…?」
「俺としては、一応慰めてやってるつもりだけど?」
どこまでも爽やかに笑う将臣くんに、がっくりと肩を落とす。
「あ、あの、皆…。あまりそうやって責めては、神子が気の毒だと…」
ああ…ありがとう、敦盛さん。朔がいない今、この場で針のむしろにいる私を庇おうとしてくれる優しい人は、きっとあなただけね…。
私は、まだお怒りモードらしい譲くんを始め、みんなに向かって頭を下げた。
「ごめんなさいごめんなさい。心底反省します、今後の行動も心して改めます。…だからもう、いじめるのはどうかどうか勘弁してクダサイ…」
そんな私を前にしたあと、将臣くんが譲くんを見やる。
「―――だとさ、譲。お前もいつまでもそう膨れてないで、そろそろ許してやったらどうだ?」
「…兄さんにわざわざ言われなくたって、そうするよ。…白龍にも、今後は十分に行動を慎ませるつもりでいるし。
先輩、分かってもらえたのならもういいんです。だから、そんなに気にしないでください」
「(えぐえぐ)…ホ…ホントに…?」
「ええ、勿論です。さあ、少し遅くなってしまったけれど、朝食にしましょうか。俺は料理の仕上げをしますから、先輩は顔を洗って、着替えてきてください」
「………うん、分かった。じゃあ、着替えてくるね。ありがと、譲くん。―――じゃあみんな、あとでね!」
ようやくお許しを得て、足早に水場へ向かう私。
―――そして今日も、騒がしくも平穏なる熊野の一日が始まっていくのだった。
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…ひた隠しにされていたあの方の配役を熊野のあのイベントで知ったとき、「還内府」以上の衝撃を受けたのは私だけでしょうか。八葉の皆さんはじめとして口調が変わったなぁとは思ってましたけど、けど…ここまでポジとネガみたいに存在が反転した方はいなかったと思います。…でもその分、朱い鳥のついてる方々がえらくどす黒く(略)。それはさておき。衝撃をお伝えすべく書いたお話は、見事にセクハラな内容に…ごめん、神子ちゃん…
実は、仕上がりこそ遅くなりましたが、実はこちらが正真正銘の遙か3、しかも2005年の初書きです。だって潮岬のイベントと、勝浦の「一晩でこんなに大きくなりました」イベント見てたら頭にぽこっと話が湧いちゃったんだもん!(←ワいているのはオノレの頭じゃ、というもっともなツッコミは禁止)
…よそのサイト様はちゃんとらぶらぶとかシリアスしてるのに…我ながら今年も先が思いやられますな…。
…おまけに参られますか?