| 埋蔵文化財発掘調査説明会報告 2002/1/27 |
● 発掘調査の概略 発掘調査の方法は、試掘・確認調査と本調査の2つに区分されているが、当地区は、対象 区域が広大な面積のため、区域を4分割(第1〜第4調査区)し、第1調査区より、一定幅の 溝堀りで行う方法で実施してきた。 試掘を進めて行くうちに、深度0.7〜1.0メートルの地層より、大量の土器(須恵器、土師 器等)が出土し、さらに掘削を進めて行くと、土器に混じって多くの埴輪片を検出した。 あわせて、試掘溝に前方後円墳の前方部の一角らしき痕跡を発見。 この痕跡が実際に古墳であるかどうかを確認する目的で、後円部が存在すると推測される 方向へ20メートル、面的調査を行った。 その結果、墳丘長20メートル、周濠幅3メートル規模の、小さな帆立貝式前方後円墳が、 姿を現した。 墳丘部は、すでに古代に消滅していたが、文献にない埋没古墳であり、重要な遺物が隠さ れている可能性があるため、周濠部を掘り下げ、崩落した遺物の調査を行った。 すると、その中から、多数の円筒埴輪とあわせ、馬形・人形・鶏形形象埴輪の一部が数点 出土した。 これらは、古墳時代に、この付近で権力を握っていた豪族の存在をうかがわせる貴重な 資料と言える。 また、発掘された旧河道からは、完成品土器類と一緒に、奈良時代の単弁蓮華紋軒丸瓦 (たんべんれんげもんのきまるがわら)と、重弧紋軒平瓦(じゅうこもんのきひらがわら)が 出土した。この古瓦は、殆ど磨耗が見受けられないことから、遠方より流れ着いたのでは なく、この近辺に廃寺または古代官庁跡が眠っている確率が極めて高いことを証明して いる。 そして、これらが出土した付近から斎串(いぐし)も出土しており、当時、ここで祭祀を行って いたことが証明された。 なお、その他の遺物として、深度2メートル強より、今から約3000年前と想定される縄文 晩期の土器片や矢じりが検出されている。これらの出土品は極少量であるが、今後、試掘 箇所が移動するにつれて、縄文文化の源が確認されることも考えなければならない。 現在まで試掘した区域のほぼ全域で、素堀溝(すぼりみぞ)が検出され、一部では、人や牛 の足跡も確認されており、奈良時代から平安時代頃の条理制により、耕作が盛んであっ たことを物語っている。 |
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● 発掘調査の説明 ・調査対象面積 175,690平方メートル 現在までの調査面積5,900平方メートル ・調査の方法 今年度は試掘調査を実施し、本調査の必要性の有無・範囲等を確認する。 試掘調査は来年度も継続の予定。 ・調査前の現状 一面に水田・畑が広がる。遺物は以前にも、水路改修などの際に採集されていたが、 多数の遺構を伴う遺跡の痕跡に乏しかった。 ・出土した主な遺物 埴輪、鉄製刀子、土器(縄文時代晩期・古墳時代〜中世)、石器(縄文時代晩期)、瓦、 せん、凝灰岩切石、斎串(いぐし)など。 ・検出された主な遺構 古墳1基、旧河道1条、水路2条、溝大小多数、掘立柱跡群、井戸2基、素堀小溝群 (耕作跡)足跡群である。 素堀小溝群は、調査した範囲の全域に分布する。 出土した土器片から平安時代末(12世紀)〜中世(13〜16世紀)で、条理制に基づ いた当時の水田経営の実態解明の手がかりとなる。 付近から、人や動物(牛など)の足跡が見つかっている場所もある。 古墳は、後円部の直径約16メートル、前方部約10メートル、前方部の長さ約5メ ートルで、墳丘全長約12メートルの帆立貝型の前方後円墳である。 この墳丘の周囲を幅約3.5〜5メートルの周濠が取り巻く。 この周濠内(深さ約80センチ)から、もとは墳丘に林立していた埴輪が崩落して多量 の破片として出土した。 多数の円筒埴輪のほか馬形埴輪2体、人物埴輪2体、鶏形埴輪2体、家形埴輪 1軒が今のところ確認されている。 なお、後円部側に渡り堤が有る。 古墳の時代は、埴輪群と一緒に出土した須恵器から、5世紀末〜6世紀後半と推定 される。帰属時期に幅があるのは、築造時期が5世紀末で、6世紀後半まで古墳 祭祀が行われていたと考えたい。 なお、平安時代前期(9世紀)ごろに、この古墳は、墳丘が削平された(墳丘部上に 平安時代前期の幅約50センチの溝を検出)ため、後円部にあったであろう埋葬施設 等は破壊された後である。 旧河道は、幅10〜20メートル、深さ約1.5〜2メートルで、南東から北西へ向か って流れている。途中で北流するようだ。 河道内に堆積した砂の中から、多数の土器(土師器・須恵器)や瓦(丸瓦・平瓦・軒 丸瓦・シ尾)等が出土した。時代は飛鳥時代〜平安時代と考えられる。 飛鳥時代の物が多そうだ。 その他、センや斎串なども出土した。 出土遺物は、川に流されてきた水磨の痕跡をあまりとどめず、凝灰岩の切石(焼けて いる)も出土することから、近辺に古代寺院が眠っている可能性が高い。 瓦の時期は7世紀後半と考える。 溝は、幅約2メートル、深さ約60センチで、多量の土器や瓦が出土した。 時代は、奈良時代〜平安時代で、寺院後に関係する溝であろう。 水路は2基見つかっており、水路1は幅約10メートル、深さ約1.5メートルで、 古墳の水を流した水路のようである。遺物の出土量はそれほど多くはないが、 円筒埴輪も出土している。 水路2は、幅約8メートル、深さ約2メートルで、出土した遺物から、飛鳥時代(〜平安 時代)と思われる。 水路内には、水の流れに直交させた堰を設けている。 掘立柱跡群は、旧河道の西方に一辺50〜60センチの柱穴が多数分布している。 柱そのものは直径20センチ程度でそれほど規模は大きくないが、一部柱穴が並ん でおり、柵や掘立柱建物が何棟か建っていたようである。 現在、明確にはなっていない。 時代は古墳時代(〜平安時代)と想像される。 付近には井戸も検出された。 |
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