氏神さま 『 山崎神社 』






  山崎神社について

      私達が子供の頃、神社が身近にあり、諸々の行事が、日々の遊びや生活と密着していました。

      一時期、旧住民のお年寄りが亡くなられて氏子が減ったり、新住民と言われる人達が増えたり
      して、『氏神さま離れ?』 が見られたのですが、 最近、全国的にも、著名な神社に初詣をする
      よりも、身近な神社(氏神さま)にお参りすると言う人が増えているということで、私達の町でも、
      『氏神さま』に、地区の人々が戻って来たという感じがします。
      (そう言う私が、他でもない、その一人です)

      昭和54年(1979年)に社殿が総改築されましたが、それを期に、氏子の長老の方が神社の
      由来を後世に伝えるために、『由来記』を記され、神社に掲額されています。それによりますと、



    昔、京都では鴨川の水が度々氾濫し、その為に悪疫が流行し、それが住民の悩みの
    種であったとのこと。
    当時の人々は、これを、奈良時代から平安時代にかけての政治的失脚者達の怨霊の
    仕業と見たようです。

    そこで、京都の祇園社(八坂神社)では、牛頭(ゴズ)天王という疫神を祀り、悪疫退散
    を祈るようになりました。

    そのうちに、疫神それだけを祀るのではなく、疫病を退ける神を祀るということになって、
    主祭神としてスサノオノミコト(素戔嗚尊、須佐之男命)を祀りました。

    スサノオノミコト(素戔嗚尊、 須佐之男命)は、
    天照大神の弟君で、出雲で八岐大蛇を退治してから、『強い神』の象徴となり、厄除神
    の第一人者として取り上げられるようになったのです。
  
    その後、この祇園社の『分社』が全国各地に出来るようになりましたが、山崎神社は、
    その『分社』の一社であるか、あるいは、これを模倣して造られたものか、いずれかと
    推定されています。

    山崎神社の主祭神は、村史にも記している通り、スサノオノミコト(素戔嗚尊、須佐之男
    命)ですが、昔から「お天王さん」と呼ばれて親しまれたり、お詣りの時には「牛頭天王」
    と言って拝んでいたように、牛頭天王も一緒にお祀りされている神社です。
    主祭神としては、むしろ『スサノオノミコト(素戔嗚尊、須佐之男命)』よりも『牛頭天王』
    の方が、大衆に親しまれて来たようです。

    毎年7月14日には、『祇園さん』と言って宵宮祭が行われ、塩で味付けしたそら豆を
    神前に供え、それを参拝者に振る舞っていました。
    その豆をいただいた参拝者は、それぞれの家に持ち帰り、家族で食べると、暑気当り
    がしないと言うので、当日は氏子や参拝者で賑わったそうです。

    山崎神社は、山崎町が、凶作や悪疫の災害を受けることなく、恙無く発展して行くこと
    を祈願して創建された神社なのです。
                              < 昭和55年5月(1980年)記 >



    山崎神社の管理運営について  
    年間行事と下五人衆(頭家)の仕事 




昔この境内で大神楽が行われていました


石段の下から見た拝殿





拝殿から見下ろした鳥居


拝殿、奥に本殿がある





拝殿から、奥にある本殿を見る





本殿





拝殿内部には奉納された絵馬





住宅地の中にある氏神さまの森


氏神さまの森


氏神さまへの参道、正面左が石段


氏神さまの森