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追悼寄稿 「おーいっす!」の声はもう届かない・・ お笑い総合大学教務部 平成16年3月21日
私が生まれたのは1973年。このとき既にドリフはコミックバンドを経て、8時だよ!全員集合!!で絶頂期に入っていた。いつしか土曜の夜8時はドリフのコントを釘付けで見る自分がいた。
当時、ドリフの最大の大票田、ドル箱であった子供達のいかりや氏への評というものは、「ドリフのリーダー、なかなか逆らえない偉い人」というもので、「この人がドリフを仕切っているんだ」というものであった。だから最初のコントのオープニングで「おいーっす!!」と言われたら、全身全霊をこめてとびきり大きな声で「おーいっす!!」と我々当時の子供は声を返すのであった。子供であったが故、ドリフがお笑いにどれだけ貢献したのか、ということはまだわからない。長さんのツッコミがどれだけ加藤、志村のボケを引き立たせていたかということも考えつかなかった。
8時だよ全員集合が終わる1985年には私もそろそろドリフを卒業しなければという思いで、当時のひょうきん族へと流れていく。それまではドリフの笑いというものは空気のように、水のようにいつでもたくさん好きなだけ享受出来るものと思っていたものだ。8時だよ全員集合がいざ無くなって、ものすごい大きな財産を得て、そしてもう見ることが出来ないという空虚も味わうことになった。まだ人との別れ、物事の終結という人生経験のあまり無い我々にとっては人生初めて味わう別れ、物事の終結であったかもしれない。
ドリフがいかりや氏が教えてくれたもの。
我々がドリフ・いかりや長介氏を見て、グループの行動というものはリーダーがしっかり仕切っていくものだという集団行動の術を知らず知らずのうちに叩き込まれていたのかもしれない。俗悪番組とPTAから叩かれていた当時の全員集合を見て我々は物事の道理やあらゆる善悪を見分けることを身につけ、格好の学習教材であったのかもしれない。
その後時間が経つにつれ、生活にまで溶け込んでいた当たり前のドリフの笑いが伝説となりつつあった。その伝説が今大人になった我々が全員集合DVDを買ったりする必然的理由となったのだ。その後の俳優としてのいかりや長介氏を見ては、改めていかりやさんの偉大さを知り、ドリフの笑いを平成に呼び込む呼び水になっていったのだ
ろう。
もう「おいーっす!!」とどれだけ大声で叫んでもいかりやさんは応えてくれない。そんなことより既にあの世へ先立った荒井注さんとまたおいしい酒を飲みながら酒宴をする姿が想像される。たくさんのドリフの笑いを与えてくれたいかりや氏、我々若き日の少年達のリーダーでもあったいかりや氏。ほんとにほんとにほんとにほんとにご苦労さん。ゆっくり体を休めてください。
それでは最後のもしものコーナー「もしも長さんが死ななかったら・・・」もしもそうだったら我々は悲しい思いをしなかったでしょう
・・・
もう一回だけ惜別として叫びたい、「おーいっす!!!!」
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