ザ・ドリフターズのリーダー いかりや長介氏が亡くなってから今月20日で1年が経ちました。このコーナーはいかりや長介氏が死去した平成16年3月21日に急遽アップした追悼特設ページを再編集したものです。

あれから1年  お笑い総合大学教務部 平成17年3月21日
 
忘れもしない平成16年3月20日。そろそろ日付が変わろうとしていた時、インターネットを見ていたら「ドリフのリーダーいかりや長介氏死去」の文字が飛び込んできた。慌ててテレビをつけると速報でニュースで報じられていた。お笑いサイトを運営している自分としては大事件であった。徹夜で以下のページを作成した。

正直ちょっとした胸騒ぎはあった。その前年のドリフ大爆笑年末スペシャルのオープニング。「ドリフ大爆笑オープニング2003」バージョンが流れていた。何かやつれた感じのあるいかりやさんの姿、その後、総集編の紹介で4人は進行役で出てくるのだがいかりやさんは出てこない。「もしかして相当病状悪いのかな?」不安がよぎった。今となっては偶然だが「ドリフ大爆笑オープニング2003」の間奏部分でいかりやさんがウッドベースを弾くマネをしていた。

葬儀の際、忘れられないのが通夜の日、青山葬儀場に集まった方が午後8時に合わせてカセットテープのいかりやさんの「8時だよ!」に合わせて「全員集合!!」と叫んだことである。葬儀場の中まで声は届き、「何が起きたのか」と報道陣は慌てたそうである。

追悼の番組等を見たが、それ以上にいかりや長介氏を知る必要があると思い著書「だめだこりゃ」を読んだ。

私はサイトの中でドリフの笑いを「子供的笑い」という表現を使っていたが、いかりやさんに言わせると「誰にでもわかる笑い」という表現であった。アメリカのコメディなどから影響を受けて、日本語がわからない人でもドリフの「動的な笑い」で外国の人も笑える。そんなことを意図していたようである。

「だめだこりゃ」を読み終えて、正直「なるほどドリフの笑いのメカニズムってものは・・」という感想よりも、人の一生というものはドラマがありターニングポイントがあり苦楽があり、与えられた運命・時間の中で何が出来るかやらなければいけないのか。そんなことを痛感した。

ところでいかりやさん。荒井注さんと飲みましたか?確か飲む場所は注さんが決めておく約束でしたもんね。おいしいお酒でしたか?

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悲しみのお笑い総合大学 3月20日深夜
お笑い総合大学ではいかりやさんの死去を受け、21日0時にはトップページのtoday's topicsで死去を伝えた。また、トップページ下部に追悼広告を掲載。掲示板では教務部のコメントとして「退院後の痩せた姿を見て覚悟していた。お笑い総合大学開校以来最大の訃報」と最大限の哀悼のコメントを発表。現在入院中の本学教務部長が来週の退院後に追悼文を載せると発表した。

2004年3月21日0時頃 いかりや長介氏死去をトップページで伝える

2004年3月21日1時頃 追悼広告がトップページに掲載
お笑い総合大学 悲しみのアクセス増
お笑い総合大学は3月20日に1日アクセス数の新記録を達成しているがこれは前日のNHK爆笑オンエアバトルチャンピオン大会でのアンタッチャブルの6代目チャンピオンを受けてのもの。そして20日深夜のいかりや長さんの訃報でまた翌日21日も訃報を受けて深夜から前日を越えるアクセスがあった。このような形でのアクセス増は本当に辛い。まさに「悲しみのアクセス増」 となった

 

 

 

 

 

 

 

お笑い総合大学が紹介したドリフ・いかりや長介氏
お笑い総合大学開校後、すぐに「日本ギャグ辞典」に登場。いかりや氏のギャグは「おいーっす」(JGDB-16)と「だめだこりゃ」(JGDB-21)などが登録されている。「娯楽番組集中講義」では20世紀お笑い殿堂特集として「8時だよ全員集合」が掲載されている。死去後は追悼特集として「娯楽番組集中講義」でドリフ大爆笑を紹介し、「日本ギャグ辞典」でもドリフ特集3が追加された。
●日本ギャグ辞典 ドリフ特集1 ドリフ特集2 ドリフ特集3
●娯楽番組集中講義 第4回 20世紀お笑い殿堂シリーズ「8時だよ全員集合」  第19回 いかりや長介氏追悼特集「ドリフ大爆笑」

 

いかりや長介andドリフライブラリー
いかりや長介自伝
だめだこりゃ(文庫版)
いかりや長介自伝
だめだこりゃ(ハードカバー)
8時だョ!全員集合伝説
居作昌果

cover
ザ・ドリフターズ 結成40周年記念盤 8時だヨ ! 全員集合 DVD-BOX
(通常版)
cover ドリフだョ!全員集合(赤盤) cover ドリフだョ!全員集合(青盤)
cover 「ドリフのシングルコレクション」 ドリフターズ
BIG ARTIST BEST COLLECTION
cover
踊る大捜査線 THE MOVIE 2レインボーブリッジを封鎖せよ! cover 踊る大捜査線 THE MOVIE

 

追悼寄稿 「おーいっす!」の声はもう届かない・・       お笑い総合大学教務部 平成16年3月21日

私が生まれたのは1973年。このとき既にドリフはコミックバンドを経て、8時だよ!全員集合!!で絶頂期に入っていた。いつしか土曜の夜8時はドリフのコントを釘付けで見る自分がいた。

当時、ドリフの最大の大票田、ドル箱であった子供達のいかりや氏への評というものは、「ドリフのリーダー、なかなか逆らえない偉い人」というもので、「この人がドリフを仕切っているんだ」というものであった。だから最初のコントのオープニングで「おいーっす!!」と言われたら、全身全霊をこめてとびきり大きな声で「おーいっす!!」と我々当時の子供は声を返すのであった。子供であったが故、ドリフがお笑いにどれだけ貢献したのか、ということはまだわからない。長さんのツッコミがどれだけ加藤、志村のボケを引き立たせていたかということも考えつかなかった。

8時だよ全員集合が終わる1985年には私もそろそろドリフを卒業しなければという思いで、当時のひょうきん族へと流れていく。それまではドリフの笑いというものは空気のように、水のようにいつでもたくさん好きなだけ享受出来るものと思っていたものだ。8時だよ全員集合がいざ無くなって、ものすごい大きな財産を得て、そしてもう見ることが出来ないという空虚も味わうことになった。まだ人との別れ、物事の終結という人生経験のあまり無い我々にとっては人生初めて味わう別れ、物事の終結であったかもしれない。

ドリフがいかりや氏が教えてくれたもの。
我々がドリフ・いかりや長介氏を見て、グループの行動というものはリーダーがしっかり仕切っていくものだという集団行動の術を知らず知らずのうちに叩き込まれていたのかもしれない。俗悪番組とPTAから叩かれていた当時の全員集合を見て我々は物事の道理やあらゆる善悪を見分けることを身につけ、格好の学習教材であったのかもしれない。

その後時間が経つにつれ、生活にまで溶け込んでいた当たり前のドリフの笑いが伝説となりつつあった。その伝説が今大人になった我々が全員集合DVDを買ったりする必然的理由となったのだ。その後の俳優としてのいかりや長介氏を見ては、改めていかりやさんの偉大さを知り、ドリフの笑いを平成に呼び込む呼び水になっていったのだ
ろう。

もう「おいーっす!!」とどれだけ大声で叫んでもいかりやさんは応えてくれない。そんなことより既にあの世へ先立った荒井注さんとまたおいしい酒を飲みながら酒宴をする姿が想像される。たくさんのドリフの笑いを与えてくれたいかりや氏、我々若き日の少年達のリーダーでもあったいかりや氏。ほんとにほんとにほんとにほんとにご苦労さん。ゆっくり体を休めてください。

それでは最後のもしものコーナー「もしも長さんが死ななかったら・・・」もしもそうだったら我々は悲しい思いをしなかったでしょう ・・・

もう一回だけ惜別として叫びたい、「おーいっす!!!!」