30/06/2002
|
24/06/2002
勝て大韓! 0試合 東京 曇り 今日は寒い。試合もない。外に出たくない。おまけに体調は優れず。とりあえず溜まりに溜まったメールや仕事の事務処理に追われる。夕方、近く、知人がさいたまスタジアムでの準決勝の試合をWCSで取れたというメールが来た。わたしの方もやってみた。確かに取れそうだが、やはり値段が高すぎる。ここまでフットボールを10試合、チュックを2試合見ているわけで、金銭的にかなりきつい。明日までゆっくり考えることにする。明日はたぶん、ドイツが大韓に勝つ試合の頃、大量に放出されるのではないだろうか? さて、まだ4試合残っているけれど、とりあえずここまでの今大会について感想を。まず、なんといっても大韓民国の勝利を心から喜べないわだかまりがある。僕がポルトガル贔屓だったから、イタリアが好きだからということも正直な理由の一つではある。そして日本国籍を持っている僕には、韓国への妬みもある。数字上、韓国が上なのだ。悔しくないわけがない。しかしこれらの理由はほんの一部でしかない。圧倒的な理由はポルトガルからはじまる大韓民国の3戦への違和感である。審判の問題もあるのかもしれないが、それより何より、セリエAの対抗意識丸出しの街同士でさえ、あそこまでしないというような大韓側の傍若無人。 ポーランドに勝ち、アメリカに引き分けたところまでの街の中での「て〜はみんぐっ」コールは良かったなあ、と本当に思った。できたら憎きアメリカにはきちんと勝っておけば良かったのに、あんなパフォーマンスしている場合じゃないだろう、と思ったりもしていた。 しかし仁川のポルトガル戦だ。ホスト国であることをいいことに、ポルトガル、ホーム扱いの試合で北側に陣取るレッド・デビルス。これはあまり書かれていないことなのできちんと書いておくが、フットボールへの反逆行為である。大韓の赤い悪魔たちはフットボールを拒否したのだ。僕の席に人文字応援の紙が置いてあったときには、僕の頭がおかしくなったのかと自分を疑ったほどだ。南側でやるのならわからないでもないのだが、そこには相手への敬意というものがまったくない。自分さえ良ければよい。強いものが勝つ。大きいものが勝つという、大韓精神そのものだ。韓国も応援している僕としてはとてもとても悲しかった。ワールドカップでこれでは…。いや、ワールドカップだからこそか。 そして、アメリカが負けているとわかってから、そして、ポルトガルがGKを含め9人になってからの、パク・チソンの得点。目を疑った。何かの意志が働いてるとしか思えなかった。その意志とは日本で問題になっている現代財閥や政府のそれではない。「大」韓の民の意志だ。それを僕は“大韓精神”と呼ぶ。この大会は大韓精神の発露の場になるのか。そんな思いが僕の心を暗澹とさせた。そしてアメリカが抜けたことも信じがたい。もちろんポルトガルがアメリカに負けたのがいけないのだが、死の淵にいたアメリカを復活させたのはパク・チソンのそれだ。この瞬間、あのオーノパフォーマンスは、確かにパフォーマンスでしかないことを確認した。実は、大韓はアメリカが大好きなのだ。それがはっきりした。実際その後、今大会、アメリカとはなかなかの有効関係を保っている。もちろん、上に上がるためにはポルトガルよりアメリカの方が決勝トーナメントの試合では組しやすいという考え方もあるので、あの得点だけならフットボールとして認めてもよい。しかし、それ以前にソルトレイクのリベンジとあれだけ煽っていたメディアやファン、選手。それは結果として単なるシャミセンだったということがはっきりしたわけだ。 それでも次のイタリアは舐めさえしなければ、勝つかもしれないとたかをくくっていた。しかし、この僕の意志も大韓精神にはかなわなかった。 イタリア戦の前日、大田スタジアム内に入り人文字の準備をしている大韓の若者を見て、この行為を許してしまう大韓精神には呆れて笑いしかでなかった。信じられない。なんだこの大会は?。いやあな感じがする。大田のスタジアムに到着しても、いやあな感じは続いている。しかし舐めさえしなければアッズーリは勝つ。そう思ってはいたが、結局、最後はイタリアが大韓を舐めてしまったのだ。大韓民国国家代表の走る走る走るチュックが狡猾なカルチョに勝った。そういう試合だ。 わたしは人文字のAの位置で椅子に貼り付けてあった紙を剥がさずにそのまま腰をおろした。まあ、こういった人文字応援はクラブ間ではないわけではない。が、やはり、国と国との代理戦争、他国と戦う意志の蕩尽の場であるワールドカップではその内容如何によっては、許されない行為だろう。ここまで大韓民国は海外に敵を作りたいのだろうか?。悲しい。信じられないほど悲しい。試合もチュックのテコンドーばりのキックやひじ撃ちがあちこちで見られ本当に醜いものだった。僕はトッティの2枚目イエローでスタジアムを出る。 そして次のエスパーニャ戦でも大韓精神の勝ちだと確信する。アッズーリさえやられたのだから、エスパーニャの選手がどれだけ巧かろうと、フィジカル的に優れていようと、大韓精神に勝てるわけがない。大韓精神の発露であるチュックというフットボールに似たスポーツが半島で負けるのは、負けを良しとしたときだけだ。次のエスパーニャ戦は負けてはいけないのだ。3位決定戦に出るために。 この大韓精神のチュックは明日、ドイツと試合を行う。主審はスイス人。公平に見ると、ドイツ寄り。普通なら不公平だ。が、大韓は何もいわない。負け方を探しているのが今の彼らだ。うまく負けること。それが明日の試合のすべてだ。チュック対フスバル。ほとんどフットボールであるフスバルは次回大会のホスト国の意地をぶつけるだろう。 わたしはエスパーニャ戦までは、大韓精神によるチュックの敗戦を願っていた。しかし、今はもうチュックが世界を制してほしいと思っている。ここまで“大韓精神”で大会を通してきたのだから、最後の最後までやれないはずはないだろう。しかし、テグゥでの3位決定戦を満員にするためには負けなければいけないという事実。それでもチュックをするチームのファイナリストを心底願う。行くとこまで行けば、逆に世界はこのあまりにあからさますぎる結果を、「もうしょうがない」、「勝手にしろ」とアキラメル可能性もある。 しかし、予定調和、大団円的に3位決定戦に進めば大韓民国に対する世界からの嫌悪の目はますます増幅されてしまう。それはまずい。やってしまったことを償うためには勝利しかない。そう、勝てばいい。大きいものが勝つ。強いものが勝つ。それが“大韓精神”ではないか。 そういった意味で僕は明日の準決勝のドイツ戦、ホームの圧倒的アドバンスがある大韓民国を応援しようと思っている。イギョラ。世界の爪弾き者になりたくないなら大韓民国には今大会で優勝がまず最低条件である。 その上、次大会から常にベスト4の常連国とならなければならない。前大会を勝利した新興国が次大会で負けることはままあるが、大韓民国の場合、それではいけない。あれだけのことをしてきたのだから、今大会優勝。次の大会からベスト4。今大会、力で世界をねじ伏せたことを世界に証明する義務が生じるのだ。 それだけが大韓民国がフットボールの世界で生き残っていく道だ。これは大韓精神が選んだ道なのだ。そうでなければ、ポルトガルからの3試合について今後1000年に渡って、何を言われてもしょうがない。とにかく勝て。もう勝つしかない。勝つことだけが大韓民国を未来の困難から救う。大韓、勝て!。 |