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風邪をひいたこともあるが、ここ数日はまったく移動がないため、ほとんど、こんな調子でグチを書いたりしているのは我ながらなさけないと思うけれど、旅は空間的に移動することだけではないと僕は考えている。思考や気分を変容させていくことも旅のひとつではないかと。そのタネとしてインターネットに氾濫する投稿やWebページなどへ「行く」ことはまさに旅と云っても良いのかもしれないと思う。今日は、そういった旅で少々気になっていることを、まとめてみる。

日本でインターネットを中心に、韓国叩きが増えている。曰く「かの国のことがよくわかった」「今までは韓国が好きでしたけれど嫌いになりました」などなど。また韓国や審判が問題なのではなく、正確な報道をしないマスメディアの方が問題であるとする声もある。


まず、後者については、何もいうことはない。日本のマスメディアは基本的に広告主が一義として存在している。広告主がNOという意見や記事は載せないというのが資本主義経済化における日本の新聞やテレビ、雑誌などマスメディアの使命である。なのでそういった存在に対していまさらジャーナリズムの死である、といった意見をしても無駄だ。

ただ、考え方を変更すればこの問題も大切なテーマとして成立する。つまり「なぜ、そういった偏向報道がなされてしまうのか?。つまり資本主義化におけるマスメディアを使ってどこかに“得をしたい”または“損はしたくない”と思っている人物がいる、または組織があるのだ。と考えるのは的を射ている。はたして誰なのだろうか?どんな組織なのだろうか?僕は、これについてはあまり深く考えないほうがいいと虫が知らせているのでほっておく。


さて、一方の「韓国叩き」の件なのだが、これは以前、書いたけれど、基本的に僕も含めて日本人がナイーブだったということだ。僕の場合、そのナイーブさは現地で、直接的には仁川でのポルトガル対韓国戦でどこかへ消えた。大韓の民とつきあう方法を、かつて僕が半島で行っていた方法を、改めて思い出したとでも云おうか。

韓国人とつきあう時に日本のような相手の気持ちを「察する」、「慮る」といったことはあまり意味がない。また、こちらがしても無駄である。それは美徳でもなんでもない。ただただ理解しづらいことでしかない。また、日本的な“穏当な話方”とか“一歩引いた物言い”も無駄。いや韓国人に対しては逆効果である。はっきり、思ったことをゾンザイに云ったくらいでちょうどいい。日本的なサービスを期待するならば、徹底的に言うだけ言って。大げさに態度で示す。これぐらいやると日本ではお互い気まずいことになるかもしれないが、韓国ではまったくそんなことはない。いや、逆に、それでなければ、僕たちの意志は伝わらない。それでいて、その後もけろりとした顔で相対してくれるのが韓国の人々だ。

強いものが勝つ、大きなものが勝つ、どんなことをしてでも勝つという「“大”韓精神」が“大”韓の民の民意として存在するということも分かっておかなければならない。これは何度か繰り返しているので、ここではあえて述べない。ただ、ここで付け加えておくと、この“大”韓精神からの経緯かと思われるが、基本的に判官びいきは存在しない。また、事大主義であり、自分達より優れていると思われるものからの意見には非常に敏感である。とくに欧米メディアに何かいわれると国家の一大事とばかりに騒ぐ傾向が強い。それでいてアジア諸国に何をいわれても鼻にもかけない。自分達が「上=大」と認めるものに対してはへつらうが、「下=小」と考えるものにはゾンザイだ。


さて、問題は、こういった韓国人のあり様を知ったときの僕たち日本に国籍がある者の態度である。これを日本人の尺度でみて「かの国のことがわかった」と突き放したり、「韓国嫌い」になったりするとそれは、大変不幸なことでしかない。

たとえばあなたが東京の下町で、「ひがし」を「しがし」と言う地元の老人にあったとする。不愉快な気分になるかならないかはあなた次第なので別にかまわない。が、この時あなたはこの老人を嫌うだろうか?。田舎のバスは停留所じゃなくてもたいてい手を上げれば乗せてくれるし、降りたければ降りたいところで降りられる。これを「規則破りだ」と糾弾することは可能ではある。あなたは怒るだろうか?。

そう、“大”韓の民衆の問題点は上記の「言葉のなまり」や「習慣」といったものとまったく同じレベルの話。ただ、それだけのことなのだ。彼らにとってはあたり前のことであり、僕たちとっては異常と映る。それだけだ。陳腐な言い方をすれば「文化の違い」でしかない。

ただ、この差異に不快感を示すか、示さないかは個人の自由ではある。僕は今回、不快なことがあったので嫌悪感を示した。ただし、彼ら自身と彼らの国自身を嫌悪していたわけではない。そこまでするのは失礼な行為ではないだろうか?。その行為は、言ってみれば、しゃっくりしたり、どもったりしている人に対して「おまえら人間として失格だ」といっているようなものだ。


「かの国のことがわかった」という言葉が、ここまで僕が書いたような意味で「かの国がわかった」というならば、それは喜ばしい。これからも、そういう国とそういう人々であるということをわかって、きちんと付き合っていくべきだ。しかし、「おまえらはそういう人間だっていうことがよーくわかった。嫌いだ」という意味なら、そう思うあなたが間違っている。

彼ら彼女らは「“大”韓精神」を個々に持っているがそれが最もよく発露されるのは集団民意となったときだ。今回のワールドカップはそれが正当に発露された。彼らからすればあたり前のことなのだ。それが正解。

僕も大韓民国でこういう大イベントことが行われる時には、こういった問題が起こる=大韓精神が発揮されることをすっかり忘れていた。これは国民性ではない。個々の心に宿る大韓精神の総体である。パルパル(=88。ソウルオリンピック)がまさにそうだった。今回もそうだった。それに対処できなかった国が負けた。いま思えば、そういうことだ。ただ、準決勝だけは納得がいかなかった。なぜ勝たない?。

やはりこの準決勝に“何らかの意志”が働いていたと考えるべきかもしれないと思う。誰が得をするのか。世界を納得させ、利を得られるのか。


韓国は基本的に旅する国として魅力的だ。ハングルが読めればなおさらだ。そう。もしも、今回のワールドカップで一瞬でも大韓民国が嫌いなったと思った方は韓国語を勉強したらどうだろうか?。そして韓国を旅してみたらどうだろうか?。そういったきっかけとして捉えれば、あなた方の不快感も非常にポジティブな智慧となる。おせっかいだったかもしれないが。