旧陸軍地下司令部跡 宇都宮の中心部に程近い八幡山公園。連日、家族連れで賑わうこの公園の地下に、旧日本陸軍が本土決戦を想定して建設した地下司令部跡があると分かったのはH12年、奇しくも20世紀最後の年でした。敗戦から47年目を数える'02年8月25日(日)、その旧陸軍地下司令部跡が一般に公開されましたので、その模様を紹介致します。
 先の大戦中、宇都宮には栃木・茨城・群馬の3県を管轄する「宇都宮師管区司令部」が置かれていました。大戦末期、米軍の本土爆撃が激しくなるにつれ、本土決戦を想定して司令部の地下施設への移動が計画されました。こうして建設されたのが八幡山地下司令部です。
 司令部の所在を敵に悟られぬ様、建設は極秘に進められました。民間人を徴用せず、部隊のみで建設にあたった為、戦後もその存在が知られることはありませんでした。地域の人々には「八幡山の地下には大きな防空壕があるらしい…」程度の認識しかなかったそうです。近年になって宇都宮市の戦災記録保存事業の進展と共に、その存在が明らかになりました。
 建設はS20年6月中旬から開始され、総勢250名程が動員されました。効率を高める為、全体を11のグループに分けて掘り進められたので、この地下司令部は11の入口を持つこととなりました。更に各グループを3つの班に分け、24時間体制で作業は続けられました。11のグループを互いに競い合わせ、その日最も作業のはかどった班にはお酒が振る舞われたという話です。それでも1日に掘り進める距離は各グループ1mが限度でした。こうして敗戦までの2ヶ月で掘り進んだ距離は、延べ721mにも達しました。実は敗戦時、全ての坑は貫通していませんでした。しかし米軍が進駐して来た時に、未完の司令部を見られたのでは日本軍の名折れとばかりに、敗戦後も作業は続けられ、全ての坑の貫通をもって作業は中止されたというエピソードが残っています。


地下司令部跡MAP

 今回公開されたのは、Aラインの一部(鉄格子まで)とBラインで距離にして150m程です。この範囲は内部の崩落物が除去され、仮設照明が取付けられていました。上の平面図をクリックして頂くと、内部の紹介に移ります。
 最後に、このような歴史の遺構を保護し、広く市民に公開している宇都宮市の姿勢は素晴らしいと思います。更に調査・整備が進み、地下司令部跡の全容が公開される日が来ることを祈念して止みません。

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