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メール39
1/31 介助のために定期券の購入
宏子さんの病状から見て治療には1ヶ月以上は要することは素人の私でも判る。ほぼ毎日病院へ行くとなるといちいち乗車券を買うより定期券の方が、経費も安くなるし途中下車もできるので便利だ。早速、7年ぶりに定期券を買う。日暮里駅と秋葉原駅での2回の乗換えがあるが、自宅から飯田橋駅まで約40分だ。30年以上前に我孫子から東京駅まで通勤していた。ほぼ同じコースであり、懐かしさも感じる。変貌著しいのは秋葉原駅周辺である。高層化されたビルと電気街との関連はどうなるのか楽しみだが、ただ、今の私には妻の宏子さんの病状が心配で途中下車して様子を見聞する余裕はない。
病室に入ると宏子さんが寝ている。窓から外を眺めると夜のとばりが周辺のビルを覆い、業務、住宅、商業ビルから光がもれ、仕事や生活、楽しみにつつまれているのだ。
人は、生のある限り病にとりつかれる。窓外から見える光る窓の中にはおおくの人がいる。その人たちもいずれ病に冒され、繁華街の病院で孤独なベッドに寝かされるのかと思うと厭世的になる。
7年半前に宏子さんが脳梗塞で倒れた時には、生と死の境界をさ迷い、幸運にも半身不随と言語障害すむ。しかし、こうした状況になれば気が動転するのは当然だと思う。
今回の宏子さんの発症では、前回ほどの気の動転はない。しかし、病院から誰もいない家に戻るとこれまで経験したことのない虚無感におそわれる。何故なのか、宏子さんの生活は私の支えが欠かせない。その役割を思うと常に緊張の連続である。また、私にとって宏子さんは生甲斐になっていたのではないか。その世話の焼ける宏子さんが部屋にいないことが虚無感になっていたのである。
今朝新聞の文化面を見ると、生と死をテーマに描いてきたノルウェーの代表的な画家ムンクの「生命のダンス」が載っていた。美術家横尾忠則氏の解説で「生命のダンス」は、我々は死と約束を交わした時間の中で生きている。人生は束の間の生命のダンスなのである。が妙に脳裏に焼きついた。
1/26 宏子さんの症状がおかしい(2)
昨夜も前日と同じに、トイレに起きるが尿が出ない。チアノーゼは治まらない。これは放置できないと思い。朝一番の診察をお願いするために7時に病院へ出かけ、理由を告げて診察券を出し9時からの診察の最初にしてもらう。
警察病院からきている梶原医師が診察で宏子さんの足を見て「これは相当ひどい。警察病院の専門医に連絡しますから」と言って電話をし、症状等を説明してくれた。
「今日診てくれる」との報告がある。
「すぐに、警察病院へ行けますか」
「すぐに、連れて行きます」
「では、紹介状を書きます」
朝から雪がちらついている。宏子さんを乗せ、付き添い無しの私の運転で出かける。警察病院に着いたのが11時頃になった。初診等の手続きを済ませ、外科診療で待機。総合病院なので各種診療科目があるがそのいずれの診察科目の前には多くの受信者が待機していた。診察は11時40分頃になる。担当医の松橋医師が宏子さんの足を診、何度か足を触る。正常な左足を触り脈をさぐる。「後から、病状や治療方針を説明します」と言ってすぐに、関係者へ指示を出し入院が決まる。
これまでの症状や診察経過、服用している薬、病歴等「病状経過等について 」をまとめプリントして持っていた。医師、看護士さんにいろいろと聴かれるので、その用紙を渡して読んでもらう。その経過等はカルテの中に綴じられた。看護士さんは重宝していた。
病室に入り、入院手続きをして部屋に戻ると、点滴が施され糖液5%」「生食注NT]の二つの袋がぶら下がっていた。担当看護士さんからの患者の事情聴取を受けて、一端家に戻り、服用している薬と入院用の身の回り用品を持って再度病院へ。
午後6時半頃に松橋医師から、「病名と今後の治療方針」の説明がある。
病名は「右下肢急性動脈閉塞症」と言われた。心臓から出る血栓が下肢の動脈で詰まるものである。閉塞してから48時間以上経過している。細胞が壊死しているので、一気に血栓を溶かすと壊死した細胞には毒素があり、その毒素が心臓や他の臓器に循環すると死に至ることもある。阪神淡路地震で家屋の下敷きになって2〜3日後に救出されてそのまま血液を流して症状が悪化してなくなった方が多く出た例を説明してくれた。
いずれにしても、治療方針は、症状を見極めながら慎重にしていくとのことである。
現在の宏子さんの足は紫色に変色している。2日前とはまるで違う。できるだけ元の状態に回復することを願っている。
家に戻ったのが9時近く、食事をしてベッドに入る。ここ2日ほとんど寝ていないこともあって朝8時まで熟睡する。
1/25 宏子さんの症状がおかしい(1)
1月24日(月)午前中は脳の診察で足立共済通院へ行く。検査の結果は特に異常なしである。しかし、夕食後の午後8時頃、トイレで「気分が悪い」と言ってので、すぐにベッドでやすませる。
その後気分はすぐれず朝まで寝たり起きたり、横になると「寒気」がすると言って布団を掛け、暖房を入れると。今度は「暑い」と布団をはだける。トイレに頻繁立ちますが、尿はほとんど出ない。これが20分おきに繰返す。麻痺している右足先にチアノーゼが出ているので、マッサージを続けた
翌25日、足立共済病院へ電話を入れ
「チアノーゼが出ていること等について説明する」
「すぐに診察するので来てください」病院へ連れて行く。心電図やレントゲン写真を見る限りでは変化はないとのことである。安心はしたものの、チアノーゼが心配。食べると吐き気が出るようでヨーグルトを中心に食べさせる。医師の指示で 昼からラシックス1錠を追加して服用する。
26日、昨夜も30分おきに「出ないけど、トイレに行きたい」と訴える。簡易トイレへ移動するが前日同様に尿が出ない。トイレに立ったのが8回になる。これは異常ではないかと思う。それと気がかりなのが麻痺の右足のつま先がチアノーゼの状況が昨日より悪くなっている感じがする。ただ、右足だけで正常な左足には出ていない。また、右足全体が痛いと訴えっている。チアノーゼが出て血液の循環が悪くなっているのだから痛むのは判る。
今朝、お粥とヨーグルト、バナナ食卓に出したが、お粥を食べると吐き気をもよおし食べることができない。ここ数日ヨーグルトとバナナ(半分)しか食べていない。
心機能に起こった障害により血液の循環機能が不十分となって、体循環や肺循環にうっ血をきたす状態にあるのではないか。一般的に心臓疾患の症状として現れるケースが多く、呼吸困難や起坐呼吸、尿量の減少、チアノーゼ、腹水、肺腫大、脾腫大、全身浮腫瘍などの症状を伴う。といわれる。宏子さんのケースでは現在症状として認められるのは、起坐呼吸 チアノーゼ 、尿量の減少等は確認できる。
今、振り返ると「寒気とほてり」の繰返し「尿が出ない」「麻痺の右足チアノーゼ」は動脈閉塞症になっていたのだ。
最近の医師は機器の検査結果に重点をおき、触診、観診をしない傾向にある。診察の時に強引に靴下を脱がせて診せればと思った。しつこく聞くと医師はいぶかることさえある。普段は1分診療なのだからこうしたケースではよく診察してもらいたいものである。
1/23 寝酒のつまみつくり
食後すぐに片付けないと落ち着かない人が多い。ところが、私は夕食の後片付けは食後はしない。食器はボールの中につけておく。台所に食器とが置いてあるのが気にかかるときには台所の戸を閉めておく。食べた後にすぐ動くのは体に良くないと理由をつけているが、そうではない。食後にアルコールのカップ持ちながら夕刊を見るのを楽しみにしているからである。
片づけは、テレビを見終わったり、メールを書き終える10時から11時近くになる。その時の片付けは苦労ではなく楽しみでもある。理由は、寝酒の肴を作りも行うからだ。
宏子さんが倒れる前は、私が夜中に一人で飲んでいれば、起きてきて眉を吊り上げて「何してんのよ、アル中になるから」と厳しく叱責するに違いない。
現在は、宏子さんは半身不随の身、私を叱咤できる状況ではない。飲もうと思えばいくらでも飲める。誰も私に小言を言う人もいない。
面白いことに、制御するものが自分しかいないと、むしろ厳しく自己管理するものである。寝酒は一杯以上は飲まない。また、おつまみも限度を設けてそれ以上は絶対に食べないことを徹底している。
もし、自分がここで倒れたら私はもとより宏子さんの生活を誰が面倒を見るのかと考えると、自然と規制が働き暴飲暴食などはしない。多分一日に飲む量は1合5勺に満たないと思う。酒は百薬の長、飲まない人より毎日1合程度飲む人が長生きする。と言われている。また、つまみも一日の全体摂取カロリーの一部としてとらえているので、決して多いものではない。それは夕食では宏子さんと一緒に食べるが、宏子さんより少なく食べているなど、寝酒のための準備を行っている。
毎日が休み、朝は宏子さんが起こしてくれる。寝酒の肴とアルコールを狭い我が部屋に持ち込み、録画した好きな番組を見るときは至福の時かもしれない。
いま、メールを送信したので、これから片付けに立ち上がる。
1/20 電車の眺望(1)
昨年札幌へ出かけた。途中の浜松町から終点の羽田までのモノレールはが楽しみだ。先頭車両の一番前に座るために次の車両を待つことにしている。 待っている間に、前の電車は発車時刻になり運転手が乗り込む。すると直ぐに運転席の後ろのブラインドを下ろす。 通常、昼は羽田空港近くのトンネルがあるところまでは乗客に景観を楽しんでもらうためにブラインドは下ろさない。前の運転手の車両に乗らなくてよかったと思う。私の乗った車両はブラインドを降ろさない、浜松町を滑り出す。天王洲まではカーブが多く、狭いビルの間をすすりぬけて走る様は、平面のジェットコースターに乗るような気分でとてもスリルがある。天王洲から流通センターまでは運河に沿って直線的に走る。メーターを見たら80キロ、とても快適な気分。昭和島に着くと、運転手がブラインドを下す。この先にはトンネル、見通しを確保するためにはブラインドを下ろすのはやむを得ない。その後一端トンネルに入り、再び地上に出ると羽田空港で多くの機体が目に入る。はるかかなたにターミナルビルが見える。終点は間近、三十数分があっという間に過ぎた。この運転席の全面からの眺望は、心をワクワクさせる。飛行機からの眺めに勝るとも劣らないものだ。運転手がいとも簡単にブラインドを下ろすことには怒りさえ感じる。安全対策のことを言うなら筋違いで、価値のあるビューポイントをを維持しながら図るのが乗客の本位に姿勢と思う。
電車の眺望(2)
昨日は、浜松町から羽田までのモノレールの眺望について書いた。
ところで、一昨日の夕刊、「世界途中下車」のコラムで、「ガラス窓一枚隔て目の前は運転席、男なら誰しも憧れる特等席である」と書いてある。私も60歳半ばを過ぎているが、子供と同じように興味ある。場合によっては子供と席の奪い合いになるのではないかと思う。
筆者が乗車した電車は、フランクフルトからケルンまで、ドイツの超特急の中でも最新鋭の
ICE3型である。この列車の特徴は、電気機関車の多きヨーロッパでは珍しい電車方式であり日本の新幹線と同じである。違う点は、ヨーロッパの電車は運転席と客席との間に壁はなく、間仕切りは透明なガラスだそうだ。
運転席の後部座席からは、300キロと言う高速で走る眺望はどんなものか興味がある。一本の線にに見えるレールや景色が見る間に近づき後方に飛び去る。これまでの交通機関では味わうことのなかったスピード感や景観を堪能できると思う。
結びで「日本の新幹線運転席は伝統的にブラインドである。こんなにおもしろいものはぜひオープンにしてほしいもの。新幹線に憧れる子供たたちと、蛇足ながら大きな子供のためにも」と書いていた。まったく同感である。新幹線をつくり上げる技術があれば直ぐに実現できるのではないかと思う。
1/18 浮腫みの解消
昨年の12月の中旬に「浮腫みと薄味」というメールを書く。当時、宏子さんの足に浮腫みが出ていた。利尿剤を服用しているが、それだけでは浮腫みは改善しない。食生活で減塩を根気よく続ける必要がある。正月三が日に食べるおせち料理は保存が利くので味が濃く、塩分も多いので、特に気をつけた。
そこで食事を替え、朝食は、「雑炊」にした。私も血糖値が高いので、宏子さんの食生活と同じように減塩が好ましい。雑炊には、昨夜の残ったご飯に、小松菜、納豆、卵をいれる。この雑炊に入れる塩分は、納豆についている小さな醤油だけである。多分始めてこの雑炊を食べた人は、「味がない」と、言うに違いない。しかし、慣れてくると素材の味が判り意外に美味しいものである。朝食には、雑炊以外にヨーグルトと果物がつくが、塩分はない。
夕食では、刺身を良く食べる。量は意外に少ないが、直接に醤油につけるだけ塩分の摂取量が多くなる。醤油に代えて、今回はレモンと酢をあわせたものに1,2滴醤油を入れるだけにした。それ以外の料理についてはできるだけ減塩にこころがける。ポテトサラダもマヨネーズだけで作っている。
減塩の食生活の効果が現れてきた。この1週間でヘルパーさんから「浮腫みがなくなった」と、言われている。体重も2キロほど減った。
引き続いて、この生活を続けていきたいと思っている。ただ、寝酒を一人で楽しむ時の肴の味になると減塩が徹底されないきらいがある。
1/17 買い物が変わる
このところ、ほとんど家にいる。それに慣れると外に出ることが億劫になる。ましてや寒くなるとなおさらだ。生活パターンが変わると行動もそれに応じて変わる。その中で大きく変わったのが買い物もである。勤めていた頃は、帰りに商店街で、野菜類と牛乳乾物類の2店を中心に交互に、少しずつ買っていた。最近では週に一度だけ買い物に出かける。品数が多くなるので、スーパーになる。また、量も多くなり自転車では積みきれないので自動車を使っている。
自転車の方が手軽だが、重いものを乗せると力がないとハンドルを取られ、転倒するおそれもある。また、週に一度になると天候に左右されない事も必要だ。
以前アメリカでの高齢者の生活をテレビで放映していた。歩行が不自由な方でも自動車があると買い物が出来る。と言っていた。運転に支障があるのではないかと思うが、なれた道で、10キロ未満の距離であれば高齢者の運転でもそれほど危険なことはない。
週に一度の買い物になって、メリットもでてきた。それは献立を想定して計画的に買い物ができ、無駄がなくなった。結果は食費が5〜10%とほど節減になっている。家にいるのでその有利性を活かして、ウイークデイの安売りの日を選んで買い物ができるからである。
1/16 お鼻スッキリの購入
宏子さんは半身不随になって以来、花粉症に悩まされる。マスクをしたり、嗽、手洗い等予防を臨機応変にできないことも理由かもしれない。例年なら2月頃から症状が現れる。しかし、今回は昨年暮れか悩まされている。報道によると、昨年7月が暑かったことが杉花粉が例年の10倍以上身に付け、それが飛散している。
宏子さんが花粉症に悩まされているのは判る。いろいろと対応策があるが、これまでは晴れて風のある日は外に出でない。マスクをする程度であった。薬を服用する事はない。それは、現在も心臓疾患のための薬を何種類も服用しており、できるだけこれ以上の薬を飲ませたくないと思っているからである。
先週の朝、宏子さんが起きて衣服を着ているときに、テレビをつけた。流れる映像が、花粉症対策として電磁波で鼻のトラブルを治すもので「お鼻スッキリ」と宣伝している。宏子さんが見逃すはずがない「これ欲しいな」とさかんにつぶやいている。
先般、宏子さんが私に「貴方は私が欲しいと言う歯ブラシを買ってくれない」と、言ってた事を思い出す。その時「使えるものは例え安い物でも買わない。本当に必要なものは、金額の多寡に関わらずに買ってやる」と格好のよいことを言っていた。その手前「お鼻スッキリ」を買う羽目になった。昨日この品が届く、代金は送料込みで1万640円である。
こうした商品は、人により効果が異なる。果たして宏子さんに効果が現れるかどうか見守りたい。
1/15 勝手な思い
宏子さんの生活には一定のスケジュールがある。朝の起床は5時半、朝食は7時20分、
昼食は11時30分 、入浴(清拭)が3時,その後マッサージと歩行訓練、夕食が5時、就寝が9時の基本的な行動がある。この基本動作の間にテレビ、読書、パソコン、絵描等のさまざまなことが行っている。さらには、人の手を煩わすお漏らし等の臨時的なものが出てくる。
事の処理で、私と宏子さんの間で食い違いがしばしば起こる。お漏らし等のように直ぐに対応しなければならないものは、問題は起きない。だが、事柄によっては、直ぐに対応しなくても、私の仕事のけりがついてから処理してもよいものもある。ところが、宏子さんに取っては直ぐにやって欲しいと感じている。
「ねぇ、直ぐにやって」
「テレビを見終わったたら、やるからそれまで待ってて」
「何時も私は、貴方の言う通りにされる」と、捨て台詞をいう。
「何を言っているの、私こそ、宏子さんのためにいろいろな事をやっているのじゃない」と暫く口論になる。
私の生活は宏子さんの介護を中心だ。したがって行動も宏子さんの基本スケジュールに沿っている。その間に時間的な余裕があると自分の趣味等に没頭する。人は物事に集中すると中断されたくない。一方、宏子さんにとっては自分で出来る行動は限られており、多くの場合、不安の無いように直ぐに対応してもらい。
それぞれの「思い」に差がでる。この差をできるだけ解消できるように努力していきたいと思う。
1/13 メールの題材がない
メールjの題材は介護関連を主にいろいろな分野について思いついたことを書く。ところが日によっては全くメールの題材が思い浮かんでこないことがある。テレビを見たり、新聞を開いたり努力をするが、一向に思いつかない。そんな時のために幾つかテーマを残しておく。ところがこうした日に限ってその用意をしていない。勝手なきままな雑文を書いていてもテーマがなくなる。もし、もの書きを職業としている人にとって、書けないことの苦しさが判るようだ。
話題の多くを提供してくれるのは宏子さんの言動なのだが、変化やトラブルがあるとメールの話題になるのだが、平凡な日だと書くテーマがなくなる。
今日は入浴の日で3時頃に風呂から上がり、その後暫くしてからマッサージをする。ヘルパーさんが「今日は足の浮腫みがないようです」と言ってくれた。私もこのところ浮腫みがなくなったと思っている。年末から年始にかけて減塩の食事に取り組んだ効果が表れた。
この話を聞いていた宏子さんも嬉しそうである。気をよくしたのか「歩行の練習をしようかな」と言い出した。
「じゃ、マッサージを終わった後に歩行訓練をしよう」
「でも、パジャマで行ったことはない」
「パジャマのほうが軽くて歩き易いと思うよ」
こんな会話の後に歩行訓練を始める。気分がよいと足取りも快調で、何時もより多く歩いた。気分を爽快にしておくことは体力の維持にも役立つことが判った。
1/12 淡路・阪神大震災後の10年
昨年暮れにはスマトラ島沖大地震津波での甚大な被害、さらには中越地震など災害の当たり年になった。
ところで今年は阪神・淡路地震が発生して10年目になり、テレビで「阪神・淡路地震後の10年」の特別番組が放映された。構成は神戸市の被災地区復興と個人の生活を10年前の震災当時の状況、5年前、現在と時の経過を追うという大変息の長い取材の中で作成された。
震災後、自治体は震災に強い街づくりをめざすために、広い道路と公園の多い街づくりを計画する。一方、地区の住民は行政の復興計画では住民の2〜3割は他の地区へ転出しなければならない。その確執があり、復興計画も10年を経過しても半分しか完成していない。
行政は区画整理事業とう手法で復興を図る。神戸市全体を配慮した道路網や公園の配置を考える。また、復興には国からの補助金も必要で、基準にあった計画にすることが求められる。住民は自分達の意見を主張する。この利害調整はことのほか難しいことが判った。
私も、震災後1年数ヶ月を経て被災地を視察した。特に、商店街の復興に関心があった。 長田区 菅原商店街の状況を見た。当商店街は活気ある商店街として注目されていた。地震と火災でで壊滅状態になる。その後地区の人々が仮設店舗で営業を開始していた。商店主の意気込みに感心したが、多くの住民が既にこの地区を去っていて果たして営業が成り立つものかと思っていた。その後すっかりそのことを忘れていた。テレビでこの商店街について放映していた。やはり経営が難しくなり、商店街はなくなり現在ではりスーパーマーケットになっていた。
震災は、地域や人々の暮らしに大きな変化を与えていることが10年の軌跡が物語っていた。
1/10 左手と眠気
私は、利き手は右ですが、宏子さんが右半身が不随になって以来、宏子さんの苦労を少しでも共有したいとの思い。左手をいろいろな場面で使ってきました。今では食事や歯磨き髭剃りは左手で行っています。左手で食事をしている限りでは、周りの人は私を左利きと思うに違いありません。 先日、私の左手の使い方はどの程度か、試すために自宅の住所を書いてみました。いやはや、字の体裁にならないのです。すっかり自信を失いました。それと、左手の活用もそれぞれの分野で使わないと習熟しないことも判りました。箸の使い方ができれはペンの使い方が出来ると思っていたのが認識の甘さでした。 今後1年ほどかけて宏子さんに教えてもらいながら書き方の練習に励みたいと思います。字が書けるようになって始めて左手が使えると公言できるのかもしれません。
上記の決意を書いたのが昨年9月末である。以来左手で字を書く練習を続けている。
毎日200字程度を書くように心掛けるようにしているが、なかなか予定通りにはいかない。一向に上達はしていない。ただ、書き出すと300〜400字まで書いても疲れないので、書きなれつつあるかもしれない。何を書くかも苦労の種だ。そこで「般若心経」を書くことにする。全体で262字で、A5版のメモ用紙になら縦書きで一列約17文字で15列で書きあがる。漢字で画数が多いので、80字ほど書けば仮名書きの文章の200字に相当する。
既に、1ヶ月ほど「般若心経」の書き取りを続けているが、困ったことが起きている。書き取りは夕食後行う。書き出して1,2行書くと睡魔に襲われてそれ以上書けなく断念する。何故、般若心経を書き出すと眠くなるのか。
食後であるので眠気が出るのは判る。また、心経は同じ字の繰返し多く、単調になることも理由として挙げられるかもしれない。それ以外に般若心経からオーラが発生してそれが眠気を誘うのではないかと非科学的なことを考えたりしている。ところで左手でボールペンで書いた心経は、字はばらばら行は曲がりとても有難いものとはいえない。これがオーラを発するとは思えない。暫く続けこの眠気が出なくなった頃に上達の兆しが現れるのではないかと期待して継続したい。
1/9 断水
一昨日久し振りの断水だ。集合住宅で十数軒ごとに水道配管の取替えのために朝9時から午後5時までの8時間である。半月前に事前の通告があるので風呂には水を汲み置き、台所には2.5リットルペットボトルを数本の水を用意した。
健常者だけなら、ドライビングやショッピングに出かけて帰ってくれば断水の不便さは感じなくてもよい。しかし、半身不随の宏子さんと私の場合には簡単に出掛けるわけにはいかない。この断水と向き合って一日を過す。
最初、利尿剤の服用を今日一日は服用するのを止めるかどうか宏子さんと相談した。結果は、断水の時の対応についても経験してみることにした。
丁度断水のはじまる9時頃から薬が効いてくる。トイレを使用して2、3回目までは毎回、風呂場からポリバケツで水を汲んで流していたが、頻繁な水汲みは体にこたえるので、2回に1度にした。また、皿等は蛇口から温水を流しながら洗う習性がついているのか、ボールにペットボトルから水を注ぎ溜まり水だけでは洗った感じにならない。用意したペットボトルの水も直ぐになくなる。
宏子さんも「お漏らし」のないように、何時もより回数が多いようだ。
5時前に蛇口をひねると勢いよく水が噴出した。この便利な生活に改めて有難さをかみしめた。それと同時に、災害等で突然水をはじめライフラインが使えなくなった時に、どれだけ耐えられるか。便利の生活をしていればいるほど、耐乏力は少なくなることは間違いないようだ。
1/8 介護から得たもの
宏子さんの介護も7年半になる。この間の精神的、肉体的な負担や制約された時間を考えると、失われたものが相当あるように思える。たしかに失われたものもがあるが、反面、得るものも多くある。もし、得るものと失うものとを相殺できるならば、むしろ得るものの方が多いと思っている。
よくノーマライゼーションなどと口からでていた。それが身近な自分の問題として検証したときに、言葉の意味と現実には乖離がある。しかし、その乖離が行政等の努力で徐々に埋められていることは嬉しい。また、車椅子の目線でいろいろなことを思慮できたり、
失われた身体の機能が継続的な努力の結果回復するときの喜びは精神的な充実感になった。宏子さんが「継続は力なり」と時々口に出す。これも実践してきた証かもしれない。
精神的な充実感以外にも介護が私に与えてくれたことがある。先ず挙げられるのが、パソコンの活用である。宏子さんの介護経過や介護保険等についての思いをかき続けられたのもパソコンのお陰である。今ではパソコンは我々の生活の一部になっている。
家事は介護の中で大きな比重を持つ、この家事を通して生活していくための技能を身につけることができた。以前、農家の人はほとんど仕事をこなす万能の能力を持っていた。それが農家の人を「百姓」と呼んだのも頷ける。私も、それに近づくための努力をしている。
今、家事介護を苦労なくできることの技は、私にとっては大きな財産だと思っている。
1/6 賀状の近況報告
職場の先輩からの賀状で「最近は足腰が弱り、もっぱら読書とパソコンでのインターネット囲碁を楽しんでいる」との近況報告があった。先輩は、退職後は週に一度はゴルフに行くなど、ゴルフ三昧の生活との賀状を頂いたことがある。しかし、70歳代後半になると体力の衰えからゴルフもめっきり少なくなる。また、囲碁の対局と言ってもすぐに相手が見つからない。いちいち相手と連絡しても互いに都合がつく日程調整も難しい。
我ら高齢者も65歳から70歳代前半までは体力的にもそれほど急激に衰えるわけではない。むしろその後の後期高齢者になった時期から如何に暮らしていくかが人生の最終コーナーのテーマになる。
よく、退職したら旅行、観劇、ゴルフ等いろいろな趣味を並べて充実した日々を過ごす。と話される人が多い。体が動く時期は、それなりに楽しく過ごせる。体のすべての機能が衰え、仲間との交流も途絶え時の過し方だ。あれほど楽しかったゴルフもクラブを握れても振る事ができない。旅行もショッピングも足腰が思うように動けない、付き添い無しには無理だ。
だからと言って、毎日テレビに向っているだけでは味気ない。先輩がパソコンを使っての囲碁対局をされているとのこと。その慧眼に感心した。
私もパソコンを使って文章を作っている。これから体力が衰えてペンを持てなくなっても、キーボードは押せるのではないかと思っている。
後期高齢者にとってパソコンは欠かせない道具になることは間違いないようである。
1/5 スマトラ地震津波の被害と街づくり
スマトラ島沖地震とそれに伴う大津波の被害状況が次々と放映される。その惨状は地獄絵図以上である。
最初の被害発表は数千人死亡。その後報道される度に増え、現在では15万人の死者、家を失った人が500万人以上と言われている。関東地震の被害、死者約14万3千人を超えるものであり、その甚大な被害に驚くばかりだ。
津波の実態も明らかになりつつある。気象衛星からの写真を見ると、波は内陸部10キロ近くまで押し寄せている。ところどころでは山肌が削り取られている。専門家の話では波の高さは30メートルを超えていた。また、時速30キロ以上の速さで家屋すをなぎ倒して進む、そのエネルギーは想像を絶する。
今回の津波被害はインド洋周辺国の沿岸地区で大都市があるわけではない。もし、沿岸の大都市で地震と津波の双方の打撃を受けたらどうなるだろうと思うと。背筋が寒くなる。
これからの街づくりには、地震に強いだけではなく津波のエネルギーを沿岸部で吸収する消波ビルを沿岸部に林立させた街が意外に早く現れると思う。
1/4 少子化に挑む
新聞社で「少子化に挑む」の特集を組んでいる。時々記事を読む、今日の記事で目にとまったのは、新聞社の調査だ。子供を増やさない理由として(複数回答)、最大なものは「経済的負担」で76%になっていることである。
日本の世帯平均所得は年600万円程度、私立に学校に通わせると年100万円はかかる。子供は一人で精一杯かもしれない。公立に通わせればよいのだが、公立学校の教育には不信感がある。 不信感は学習内容の習熟度に関わるものでないかと思う。
ここで、経済的負担の軽減と学習内容の理解度の向上のために、教育の発想を変えてはどうか。子供もが小学校に入学したらパソコンを無償で貸与し、3年に一度は最新型のパソコンに更新する。画面も精細になっているし、教科のソフトも習熟度別に判りやすいものが開発されている。 国語、英語、算数、理科等の主要教科の学習はパソコンで行う。家での学習はインターネットでいろいろな教科を学習するのはすべて無償にする。所得の格差による学習機会の不平等も解消される。
学校は、学習よりは徳育、体育や遊び、パソコンの操作、会話や発表の場となる。
子供の学力低下はすぐに解消するし、日本のIT化は世界でトップクラスになる。再び日本人の多くがが豊かさを感じられるようになれば、少子化は解消されるはずである。
1/3 新年に思う
暮れの荒天とは打って変わって、正月三が日は真っ青な青空が広がる。富士山をはじめ周辺の山並みを見え、穏やかな日が続いた。明日からは社会全体が動き出し、そのエネルギーの残滓が空に漂い見通しが悪くなるが、正月三が日の好天には感謝したい。
これまで新年には、まがりなりにも目標を立てていた。しかし、振り返ると家事介護を担う中での目標の達成はおぼつかない。むしろ如何に1年を無事に過ごすかであったと思う。そんなこともあって今年は目標を立てるのではなく、生活の仕方のありようを定めることにした。
私は、ルーズな面があるのだが、反面物事にこだわる。それが自分の行動を制約したり、余裕をなくしていた。
今年は、この枠から解放されるために生活の仕方を変えることにした。まず第一は、物事に反応するのに、一息、いや二息ほど間おくことにする。ある意味では義理を欠くこともあっても自分の生活を大事にしたい。第二は、時代の流れを気にしない。例えば、新聞を読まないと時代感覚を失う。という脅迫感みたいなものがあり、2紙に目を通し、記事を読むと2〜3時間はかかってしまう。また、関心がある記事があるとパソコンで整理となると意外に時間がかかる。これが生活にゆとりをなくしているのかもしれない。新聞を読まなくても生きていけるぐらいの気持ちを持つことにした。
いずれにしても、今年はのんびり暮らすことにした。果たして実行できるか、生来の性格から一向に変わらないかもしれない。
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