平佐城 (薩摩) 鹿児島県薩摩川内市

 総州家の久世は碇山城に居たが、叔父の忠朝は平佐城に居した(島津氏系図へ)。応永14年(1407)に忠朝が反乱を起こすと、島津元久は平佐城を攻めている。その後、天正15年、豊臣秀吉は九州征伐のため川内泰平寺に本陣を置いた。周辺の将は次々降ったものの平佐城主桂神祇忠ムは城兵わずかに三百であったが、固く守って降らなかった。小西行長、脇坂安治、九鬼嘉隆などが大兵をもって囲んだが、忠ムは意気盛んで城兵も奮戦し、攻城軍の死傷者が増えるばかりであった。しかし、島津義久が秀吉に降り、義久も忠ムに城を渡すよう諭した。忠ムは泰平寺で秀吉に謁した。秀吉はその忠を賞して、宝刀を下賜したという。後に平佐城は北郷氏が居城とし、明治に至った。