森田陣 (日向) 宮崎県都城市

 慶長4年(1599年)、都城主伊集院忠棟入道幸侃が島津忠恒に伏見で殺害された。それを引き金として子の伊集院忠真が庄内の乱を起こした。島津方が伊集院側の志和池城攻めるために築いた陣城である。島津忠恒(後の家久:島津氏系図へ)は東霧島神社に陣を構えて山田城を攻め取ると、志和池城と野々美谷城を攻めるためにこの地に進出した。翌年2月に志和池城が落ち、伊集院忠真は降伏した。
 都城島津家が蔵する『森田御陣古絵図』によれば、「北郷陣」(北郷長千代)、義弘、忠恒の腹心であった「入来院又六陣」(入来院重時)、「長寿院陣」(長寿院盛淳)、「島津中務殿陣」(島津豊久)、そして忠恒の陣である「御陣」が記載されている。
 野々美谷城から大淀川沿いの道を進む。高速道路をくぐる。その先の左手の台地が森田陣である。このまま大淀川沿いの田圃を進んでもしようがない。御陣跡と長寿院陣跡の間が台地上に上がる道になっていたので、坂を登って左折してみた。すると住宅の敷地に案内板に出会った。御陣は畑地になっている。畑地の中にも碑が有ったので行ってみた。