「むかさ」と読む。なじみのない漢字なので難しい。伊東48城のひとつである。
南北朝時代、穆佐は足利尊氏の所領であったという。後に尊氏妻の実家赤橋氏が領したこともあった。土持氏、伊東氏、肝付氏がこの城で攻防を繰り広げたという。日向守護職を得た畠山直顕は、この穆佐城に居して勢力を拡大し、一時は大隅まで至る勢いであった。応永10年(1403年)に島津宗家の久豊はこの穆佐に拠った。(島津氏系図へ)子の忠国の誕生杉が町の天然記念物になっている。文安2年(1445年)からは日向で勢力を伸ばした伊東氏が支配するところとなった。天正5年(1577年)に伊東氏が豊後に逃亡すると、穆佐城は再び島津氏のものとなり、去川四ヶ郷の一つとして幕末まで至った。
穆佐城は本丸、西の丸、新城で構成されている。
瓜田ダムを訪れたあと、穆佐城に向かう。穆佐小学校を時計回りに廻ってみたところ、敷地の裏山の麓に石碑があるのが見えた。校門から中に入る。案内板には平成11年3月31日と書いてあるから、この城、まだ町の指定文化財になったばかりのようである。先ほどの天ヶ城でもらったパンフレットには、この城のことが何も書いてなくて、歴史あるところなのに何も保護もアピールもしないのかと少々憤慨していたのだが、取りあえず町指定史跡になったようなので、まあ、いいことにしよう。
*攻城時は宮崎県東諸県郡高岡町
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