天文6年(1537年)織田信康が、それまでの木ノ下城から、この地に城を築いて移ったの起源である。その要衝ゆえにこの城の争奪戦は数多い。城主もまことにもって目まぐるしい。信康が稲葉山城攻めで戦死し、子の信清が継ぐが、美濃の斉藤氏に内通したため信長によって攻められ逃亡した。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの前哨戦で舞台になる。守将の中川貞成が伊勢に出兵して留守なのに乗じた池田恒興によって奪われた。信雄と秀吉の講和がなると、武田清成、次いで土方雄久が城主になる。天正18年(150年)の小田原の役の後、信雄は下野に追放され、豊臣秀次が城主になるも、その改易で石川氏が城主になるも、この石川氏も改易になり、関ヶ原後に小笠原氏が入る。この頃、城が近世の城郭として整備された。平岩親吉を経て、元和4年(1618年)に尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、明治まで続いた。
明治24年(1892年)の濃尾地震で損壊したが、旧藩主の成瀬正肥が城を修理することを条件に譲渡された。城が個人の所有という珍しい城である。
城の3層4階の天守閣は日本最古といわれ、国宝に指定されている。
木曽川がそのたもとを流れている。
さて夕暮れに訪れてみた。雨が小牧城や岩倉城に行った時よりは小降りになったが、あいかわらずシトシト降っている。入城料を払って入ってみると驚いた。なんと、向かって右の側面が工事中で足組が建てられている。まっこと残念である。
気を取り直して入る。薄暗い。中学2年生の時に松本城に同じような薄暮に入ったことがあるが、それを思い出す。階段が急だ。昔の武士もこのような急な階段を上り下りしていたのかと感心する。