横芝町教育委員会が昭和63年に建てた坂田城跡の看板には千葉氏によって築かれた旨が書いてあるが、200mほど離れた地の、平成9年付けの横芝町のもうひとつの坂田城跡の看板には井田氏が築城したと書かれていて統一されていない。
昭和63年付け看板によると、14世紀の中頃に千葉氏によって築城されたという。千葉氏重臣三谷大膳胤興の居城になり、長倉砦、小堤要害などの支城が整備された。弘治元年(1555年)ごろ、井田因幡守友胤は、三谷氏の内紛に乗じて胤興を討ち、代わって城主に収まった。井田氏は小田原北条氏に属した。手勢300騎を擁して、東上総における戦国土豪として勢力をはった。天正18年(1590年)小田原の役で北条方であったため坂田城も攻められ、北条氏と命運を共にし、廃城となった。
城は南北1500m、東西250mの下総台地の舌状地に築かれている。
井田氏が勢力を張っていたというが、この城ではあまりに巨大であり、周りの土豪が集結する城であったのではないかと考えられている。
JR総武本線横芝駅から県道78号線を北上し、坂田池を越え、左に台地を削ってつくった坂道をぐわっと登り、梅園になった外城部分に出る。脇を進み、岬側に曲がると登城で、さらに先が主郭である。いわゆる直線連郭式と呼ばれる構造である。巨大な空堀、土塁が残る。横芝町は遊歩道を設けている。
*攻城時は千葉県山武郡横芝町