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協会設立経緯
協会役員
協会の活動
協会規約

日本クロアチア協会は、クロアチア人のブランコ・シカティック、日本人の菅原出、宗泰行の三人が、「日本とクロアチアの架け橋になろう」との想いから2000年4月に設立した任意団体です。本来ならば現地に大がかりに進出している日系企業等が音頭をとって、このような協会を組織するのが普通なのでしょうが、クロアチアの場合はいまだに日本企業の現地法人がごくわずかしかなく、本格的な企業進出はまだなされていないのが現状です。そこで日本企業のクロアチア進出を促すためにも、こうした「協会」の活動が必要ではないかと考えました。
クロアチアは欧州で有数の観光資源を持つ風光明媚な国です。日本ではとかく戦争のインパクトが強く、灰色がかった東欧の貧国といったマイナスのイメージが強いと思いますが、実際のクロアチアは色で喩えるなら「澄んだ青」です。「アドリア海の秘宝」という名にふさわしい美しい国土と自然を持つ国です。
アドリア海の澄んだ海と豊富な海の幸、緑深い山には温泉も多数あり、日本人にとって理想的な環境を備えています。一人でも多くの日本人にこの美しい南東欧の小国を訪れて、その魅力を味わって欲しい、そんな想いも込めて協会の設立を思い立ちました。
クロアチア人は素朴で、おおらかで、すがすがしく、接していて実に楽しい民族です。クロアチア人と話をしていると、「この国を応援しよう」、「この国の為に何か出来ることをしよう」、という気持ちに自然となってきます。そんな気持ちになった日本人が一人、また一人会員になって協会という形が自然と出来がりました。
「クロアチアに魅せられた日本人が、親日家のクロアチア人と共に、楽しく日本とクロアチアの友好の為の活動をする」それが日本クロアチア協会です。
<「日本クロアチア協会」設立秘話>
日本クロアチア協会は、クロアチアという国の魅力に魅せられて、この国と日本の為の架け橋になりたい、という有志が集まって作った団体です。今でこそクロアチア大使館の全面的なバックアップを得て、「立派な」組織になっていますが、そもそもの始まりはオランダ・アムステルダムにある一軒の日本料理屋にありました。
「博多せん八」。アムステルダムで本格的な博多流の焼き鳥を食べさせてくれる日本レストランに、やけに威勢のいいちょっとコワモテの若手オーナーがいます。彼の名は宗泰行。20代前半でアムステルダムにレストランを出したというとんでもない若手実業家です。アムステルダムのホテル・オークラの近くにある「博多せん八」は、アムステルダムの日本人駐在員の憩いの場で、コメディアン顔負けの話術で客を魅了するオーナーの宗は、言ってみれば「アムスのおじさん達のアイドル」的な存在です。この宗氏、実は大の格闘技ファン。格闘技が好きなだけでなく実際にオランダ格闘技界との太いパイプを持っており、彼の店にはピーターアーツ、アーネスト・ホースト、ノブ・ハヤシといったK−1のビッグファイター達がたむろしています。このオランダ格闘技ネットワークを通じて、彼は一人のクロアチアの格闘家と親交を結んでいました。この人物の名はブランコ・シカティック。「あのK−1初代チャンピオンの?」日本の格闘技ファンならそうたずねることでしょう。そう、あのシカティックと親交があったのです。
舞台は再び「博多せん八」。ある日本人の常連客がカウンターで焼き鳥を食べながら宗氏と歓談しています。彼の名は菅原出。オランダにある某日本企業で契約社員として働きながら、日本のメディアにレポートを書き送る国際政治ライター。ふとした事から二人の話題はクロアチアへ。「えっ、ブランコ・シカティック?
あのK−1初代チャンピオンの?」格闘技好きの菅原は「お約束」通りたずねました。「そうなんですよ。ブランコは政財界にもコネがあるから取材もサポートしてくれますよ。」宗はその場でシカティックの携帯へ電話をかけ、菅原に電話を渡しました。その場でシカティックから取材協力の確約を得た菅原は「クロアチアかー、面白そうだなー。」とまだ見ぬ異国の地に胸を膨らませ小躍りしたのでした。
それから時は流れ、1999年12月。クロアチアではそれまで独裁体制を保っていたトゥジマン大統領が病死し、俄かに政治改革の動きが活発になっていきました。翌年の1月に行われた議会選挙では与党が大敗し、野党改革派連合が議会の多数を握ったのでした。日本で言えばちょうど自民党体制が倒れて日本新党ブームが来た時のように、大きな政治改革が起きていたのです。「取材に行くなら今しかない。」1月末には議会選挙に続いて大統領選挙も予定されていたからです。思い立った菅原は急いで「せん八」の戸を叩きましたが、あいにく店は休み。宗の携帯に何度も電話をするが応答なし。実はこの頃宗は日本でノンビリと正月を楽しんでいたのでした。
久しぶりにアムスに帰国した宗は、留守電を聞いて大慌て。急いでシカティックに電話をしコーディネートをお願いしました。こうして何とか最初の取材旅行の準備が出来たのでした。
雪の降りしきるザグレブはアムステルダムより幾分気温は低かったのですが、国の行方を大きく左右する大統領選挙を前にしたクロアチアは、革命前夜のような熱気とエネルギーに包まれていました。そして民族派による一党独裁を倒し、EUという船に乗り遅れまいとする国民の願いが、改革派のスティペ・メシッチを大統領に押し上げたのです。
この歴史的な瞬間、ザグレブで数多くのクロアチア人にインタビューをした菅原氏は、自国の将来の為に真摯に取り組むクロアチアの老若男女のひた向きな姿に感激し、「この国の為に何か出来ないだろうか」と考え出していました。そして何よりも、超多忙な中にあって、献身的に取材のサポートをしてくれたブランコ・シカティックの姿勢に、言いようのない感謝と尊敬の念を抱き始めていたのです。
シカティックは20年以上にわたるキックボクサーとしてのキャリアの中で、何度も世界タイトルを手にし、しかも先の独立戦争の時には、スポーツ選手を組織して戦地に赴いて功績を上げた国民的な英雄です。あるクロアチア人は同氏の事を「生きた伝説(Living
Legend)だ」と表現していました。今ではキックのジムを経営し、クロアチアで最大級の警備会社の社長を務める実業家でもあるシカティックは、経済的には何不自由なく暮らせる身分です。しかしまだクロアチアには沢山の貧しい人達がいる現状に心を痛めるシカティックは、何か国の発展の為に出来ないかと模索し続けていました。
「現状を改善するにはどうしても国際社会の助けが必要だ。でもその前に正しいクロアチアの姿を世界に知ってもらわなければならない。」シカティックが菅原の取材を全面的にサポートしてくれた背景にはこうした考えがあったのです。特にシカティックは日本との関係強化を熱望していました。キックボクシングの試合等で既に25回以上来日している同氏は、クロアチアきっての日本通であり、こうした経験から同氏は「日本の文化的、思想的レベルは西欧より上」との考えを持つに至っています。
「その国から沢山の日本人がクロアチアにやってきて、仕事をして、お互いに助け合い、理解し合えば、クロアチアの未来にとってどれだけプラスになるだろうか」と同氏は日本とクロアチアの間に交流の橋を架ける夢を描き続けてきたのです。取材を通じてそんなシカティックの想いに触れた菅原は、アムステルダムに帰ってから宗とこの問題について話し合いました。「日本にはクロアチアとの友好を促進するための組織的な活動をしている団体はほとんどない。ないのだったら、自分達でやろう。」
それが二人の結論でした。そして一度決めたらこの若い二人、動きは迅速でした。それから何度となくクロアチアに足を運び、たくさんの人に会い、協会設立の為の組織作りに奔走したのです。もちろんシカティックは大喜び。持てる人脈と力を総動員して協会の組織固めに尽力しました。こうして、エネルギーと乗りだけで突っ走る日本人の若者二人とクロアチアの英雄が不思議なトリオを結成して、日本クロアチア協会を作っていったのです。

<常任理事>
ブランコ・シカティック
クロアチア最大手の警備会社TIGAR-CIKATIC代表取締役、プロキックボクサー(格闘技イベントK1グランプリの第一回大会優勝者)、日本とクロアチアのビジネスをサポートする企画会社CISS社代表取締役。クロアチアではシカティックの名前を知らない人はいないほどの有名人。アスリートとしてだけでなく、クロアチア独立戦争の英雄としても尊敬を集めている。ザグレブとスプリットにオフィスを持ち、スポーツとビジネスの二つの世界で活躍する超多忙なクロアチア人。現在はザグレブで妻と娘と三人暮らし。
菅原 出
フリーランスの国際ジャーナリスト、翻訳家。バルカン情勢を中心とした国際情勢やヨーロッパにおける国際犯罪、国際諜報、第二次世界大戦の裏面史等に関して『選択』、『フォーサイト』、『正論』、『世界週報』、ベルギーのニュースレター等に執筆。オランダのプレスシンジケート会社International Feature Agencyの日本エージェントも務め、世界のさまざまな情報を日本のメディアに提供している。一方で両親が経営する私立幼稚園の体操講師として、平日の朝は幼児とのサッカーやドッジボールに忙しい。江戸川区小岩周辺では「いずるせんせい」として親しまれている。(本協会事務局長)
宗 泰行
オランダ・アムステルダムにある焼き鳥屋「博多 せん八」のオーナー。蘭HAKATA SENPACHI B.V.代表取締役、 SO KIKAKU
B.V.代表取締役、宗企画取締役も務める。大学を中退して23歳でアムステルダムに日本レストランをオープンした凄腕の若手実業家。98年に日本人としては初めて大理石貿易の可能性を探りにクロアチア入りした、クロアチアにおける日本人ビジネスの先駆者的存在。オランダの日本人社会ではクロアチアの宣伝マンとしても活躍している。外見はこわもてだが、気は優しくて細部にまで機転の利く几帳面な性格。血液型はA型。
<顧問>
山本寧雄
日本の商社に34年間勤務後1998年春に退職し、ザグレブに在住。現在は貿易・コンサルタントなどをする会社Japan House,Ltd.をザグレブで営む傍ら、両国の文化・スポーツ・観光交流を支援している。
<協賛者>
近藤等則
音楽家(トランペット奏者)
ノブ・ハヤシ
プロ・キックボクサー(チャクリキ・ジャパン)
<事務局>
花井雅保
音楽家(アルトサックス奏者)
木村理恵
翻訳家
菅原(須貝)桃子
フラワーコーディネーター

日本クロアチア協会は、日本とクロアチアの友好を深めるために色々な活動をしています。まず「クロアチア」という国の事を日本人に知ってもらうことが必要ですから、日本のメディアにクロアチアの事を取り上げてもらう活動に力を入れています。つまりメディアを通じたクロアチアのプロモーション活動です。
またクロアチアを実際に訪れてみたいという方の為に、親善ツアーを企画・実施したり、ビジネスに興味があって現地を視察する場合にも、クロアチアの要人との会談をセッティングするなど、必要なアレンジをしています。さらには講演活動やセミナーの開催、イベントの企画・実施等を通じて、クロアチアの事を日本に紹介し、また日本人とクロアチア人が共同で楽しく時を過ごす機会を提供しています。
こちらでは主に協会設立当初の活動をお知らせします。最新の情報につきましては「協会からのお知らせ」で随時お届けしていきます。
2001年11月
日本・クロアチア友好協会 活動再開のお知らせ
過去数年間、休眠状態を続けていた日本・クロアチア友好協会(Japan
Croatia Friendship Society)の東京本部が、新たな指導体制で活動を再開いたします。シベニック世界子供の祭典の日本代表理事で、クロアチア・シベニック市に今年オープンした日本文化センターの館長も務める大谷昭二氏が、このほど日本・クロアチア友好協会の新会長に就任することが決定、友好協会の活動再開に向けて歩みはじめました。友好協会は新たな指導体制で日本とクロアチアの友好を促進する活動を展開することになります。
我々の日本クロアチア協会(Japan
Croatia Association)は、活動の一部を友好協会の活動と一体化させ、友好協会の活動を全面的に支援していくことになりました。もちろん当協会独自の活動(会報の発行や観光ツアーの実施等)はこれまで通り継続して参りますが、大使館を使った親睦パーティーやセミナー等は、友好協会の活動に統合させていく予定です。そこで当協会の会員の皆様は、当協会の活動に加え、友好協会の活動にもご参加頂くことが可能となります。12月中には友好協会のパーティーが大使館で行われる予定だそうです。日程が決まり次第、またお知らせさせて頂きます。
日本とクロアチアの友好を願う気持ちは共通ですから、団体間の壁を越えて、一緒に出来る活動はどんどん一緒にやっていきたいと考えております。来年は友好協会と力を合わせて、より多くの活動を企画・実施していきたいと思っておりますので、どうぞ宜しくお願い致します。
2001年9月〜10月
「クロアチアについて語ろう会」開催
2001年9月22日に、最近会員になってくださったメンバーとの顔合わせと、9月後半からクロアチア留学に旅立った佐久間藍さんの激励会を兼ねて、ささやかなパーティーを行いました。当日は13名という少ない人数の参加でしたが、わいわいと楽しい時を過ごせたと思います。これからもこのような会を催しつつ、会員間の親睦を重ね、色んなアイデアを出し合って活動を展開していければと考えています。
2001年7月〜9月前半
「クロアチア通信」遂に創刊号が発刊
お待たせ致しました。日クロ協会の会報である「クロアチア通信」がやっと出来上がりました。今回の特集記事は「アドリア海の夏の魅力」。7月末に行われたクロアチア実験ツアーに参加した会員の方に、アドリア海の魅力を語って頂きました。またザグレブ在住で日本とクロアチアの貿易や文化交流に尽力する山本寧雄さん、ザグレブ在住実に31年というシティグリッチ・万寿美さん、そして日本におけるクロアチア研究の第一人者である藤村博之教授という豪華メンバーにご執筆を頂きました。この中の特集記事のみ、このHP内の旅行記で紹介させて頂きます。「クロアチア通信」は会員の皆様に郵送にて送らせて頂きます。読みたい方は会員になってくださいね。またクロアチアとの交流を進める他団体の方の寄稿も募集しておりますので、どしどし事務局までお申し出下さい。
日本クロアチア協会実験ツアーの実施
2001年7月24日〜8月1日の8泊9日、日本クロアチア協会がクロアチア実験ツアーを実施いたしました。これは当協会の会員の皆様や一般の日本人が将来より快適なクロアチア旅行を楽しんで頂くために、当協会が独自に実験的に実施したツアーです。このツアーを通じて得た経験と生の情報をもとにして、さらに内容を充実させ、クロアチア側の旅行代理店とも相談しながら、将来的には一般会員向けのクロアチア・ツアーを企画・実施していく予定です。
今回は日本から12名、オランダから3名の日本人が参加。まる一週間アドリア海沿岸を旅し、思う存分美しい海を満喫いたしましたが、やはり行って見なければ分からないさまざまな情報が入手できました。例えばホテル。島のホテルはまだ社会主義時代の名残を色濃く残しており、食事のレベルやスタイルは必ずしも日本人に満足行くものではありませんでした。そんなわけで島に滞在するときには、食事はホテルではなく、街のレストランがいいな、とか、道もここの国道はかなり舗装状態が良くなくバス旅行にはしんどいので、別の道を通った方が良いな、といった細かなことですが、体験してみなければ分からない情報がたくさん集まりました。次回からは一般会員向けのツアーを企画する予定ですが、今度はさらにベターな旅行になること間違いなしです。どうぞお楽しみに。ちなみにこの実験ツアーに参加した方の感想の一部は、旅行記にもアップしてあります。
2001年6月
●琉球新報社訪問
29日(金)に沖縄県那覇市を訪問しクロアチアのPR活動を行いました。まずは同県の大手新聞「琉球新報」社文化部を訪問し、クロアチアや当協会の活動を説明いたしました。この結果、2001年7月5日付同紙の「あしゃぎ」というコラムの中で、「アドリア海の秘宝」というタイトルで、観光に期待を寄せるクロアチアの国情や、ささやかながら日本とクロアチアの友好のために活動を行う当協会のことが紹介されました。同紙文化部の米倉記者は、「クロアチアのことは沖縄でも知っている人は少ないですから、これからも紹介させて頂きたい」とこれからもクロアチアのことを取り上げたいと仰ってくださいました。今後ともよき協力関係が継続できればと思います。少しでも多くのメディアを通じて、クロアチアのことを日本人に伝える活動を広めていければと思っています。
●文化経済フォーラムにてレクチャー
続いて沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科教授の緒方修先生が主催する「文化経済フォーラム」において、クロアチアの話をさせて頂きました。クロアチア大使館からお借りしたPRビデオを使い、クロアチアの紹介を1時間ほどさせて頂き、その後20名ほどの同フォーラム会員との親睦会にも参加させて頂きました。参加者の方のほとんどが「クロアチア」という国のことをほとんど知らなかったこともあり、ビデオを通じて見たクロアチアの美しさに一様に驚いておりました。「こんなに綺麗なところとは知らなかった」「一度行ってみたいなあ、親しみが湧いてきました」との感想を頂き、わざわざ沖縄まで足を運んだかいがあったと嬉しく思いました。
●サッカー交流に向けて
日本の子供達がクロアチアに行き、クロアチア人の子供達とサッカーの試合をしたり、クロアチア人のコーチの下で練習を出来たらなんとすばらしいことだろう。そんな夢のような企画を持って当協会にコンタクトを取ってきた会社があります。日本とクロアチアのスポーツ交流は、当協会が目指す柱の一つであります。何とかその実現に向けて全力でお手伝いをしようと現在務めております。会員の皆様も是非お知恵、お力をお貸し下さい。宜しくお願い致します。
2001年2月〜5月までの活動報告
この3〜4ヶ月間は表立った活動は出来ませんでしたが、以下のような活動に地道に取り組んできましたのでご報告申し上げます。会員の皆様にご参加頂く企画はありませんでしたが、地味でも長期的な視野で以下のような活動を行っておりますので、お支え下さい。
●毎日新聞・クロアチア特集記事のスポンサー活動
5月30日のクロアチア・ナショナルデーに際して、毎日新聞の英語版「Mainichi Daily」のインターネット版に、ドラゴ・ブヴァチュ大使がコメントを発表いたしました。当協会はクロアチア大使館の依頼を快く受け、このクロアチア特集記事のスポンサーとなりました。クロアチアの独立を記念するこの大切な日に、協会からささやかながらお手伝いを出来たことを嬉しく思っております。
●メディアへのクロアチアの売り込み活動
クロアチアのことを雑誌やテレビで取り上げてもらうため、電通をはじめテレビや雑誌に呼びかけています。TBSの「世界不思議発見」あたりに取り上げて頂きたいなあ、と思い何度か資料を送りトライしていますが、いまだ実現せず。
●定例会スタートに向けた準備
当協会では毎月定例会を開き、会員間の親睦や交流をはかるだけでなく、広くクロアチアに関心を持つ方々の情報交換の場を作りたいと考え現在その実現に向けて歩んでおります。場所は東京広尾のクロアチア大使館を借りられるよう交渉中です。我々の協会のほかにもさまざまな、クロアチアと日本の交流をすすめている団体があります。また観光やビジネスでクロアチアに興味を持っている方々も多数いらっしゃるはずです。こうした方々が、「あそこに行けば何かクロアチアに関しての情報が入る」という場所を提供したいと思っております。スタートには今しばらく準備が必要ですが、その実現に向けてがんばっておりますので、もうしばらくお待ちください。
●クロアチア留学の支援
今年の10月からクロアチアの大学に留学したいと希望している会員の方がいらっしゃいます。大使館とも協力して出来る範囲のサポートをしようと考えています。
●実験ツアーの実施
協会では将来会員向けにクロアチアツアーを企画・実施していこうと考えております。そこでこの7月末から実験的に事務局長はじめ数名でクロアチアを訪問いたします。もちろんこれは自費で、ボランティアで行って参りますが、クロアチアの大手観光会社アトラス社に実験ツアーのコーディネートをお願いし、こちらからも意見を出し合いながら日本人にとってより良いツアーを企画できるよう交渉して参ります。
●クロアチア=日本・ビジネスのお手伝い
現在、クロアチア・日本間でいくつかのビジネスの計画が進んでいます。詳細は機密事項ですから明らかにすることは出来ませんが、協会のネットワーク、人脈をフルに生かして、一つでも多くのビジネスが成功できますようにサポートしております。
2001年2月27日(火)18:30〜21:00
<第一回 親睦パーティー in Tokyo>
東京広尾にあるクロアチア大使館において、第一回目の協会親睦パーティーが開催されました。クロアチア大使館側の全面的な支援の下、協会の発足を祝い今後の発展を願って行われたものです。当日は会員や各界からのゲスト合わせて40名ほどが集まり大盛況でした。
第一部では、クロアチア大使館のリュバノビッチ代理大使より40分ほど、かなり詳細なクロアチアに関するプレゼンテーションが行われました。クロアチアの歴史や観光資源等の魅力に関して、スライドを観ながらじっくりと学ぶことが出来、参加者一同は非常に満足しておりました。これにより会員間のクロアチアに対する興味や関心がさらに高まったことは間違いないものと、事務局は喜んでおります。
また、第2部はクロアチアのワインや家庭料理を味わいつつ、会員間の親睦をはかる立食パーティーとなりました。ワインの味もさることながらリュバノビッチ夫人の手作り家庭料理は大好評で、料理は瞬く間になくなっていきました。同夫人に対して「クロアチア料理セミナー」を開催する声も高まっており、現在事務局はその対応に追われています。またゲストとしてザグレブ・フィル・ハーモニーのコントラバス奏者ミミ・マリヤノビッチ・ゴンスキー氏が参加し、会の最後には2曲ほど生演奏を披露するなど、パーティーは終始なごやかでリラックスした雰囲気に包まれていました。
「すっごく楽しかった。またやって欲しい」といううれしいご意見を多数頂戴し、事務局は今後定期的にこうした親睦パーティーを開催することを決定致しました。こうした会合を通じて会員間の親睦をはかり、ネットワークを広げ、日クロ交流の発展につなげたいと考えております。とりあえずどういった形で定例会を開くことにするか現在検討中ですので、何かご意見等ございましたら遠慮なく事務局までお申し付けください。
最後にあらためて、クロアチア大使館の皆様、今回は本当にありがとうございました。それから今後ともよろしくお願いいたします。
2000年11月23日(木)から27日(月)
<第四回 親善・取材ツアー>
参加者: 本協会理事2名、在蘭邦人1名。
ザグレブ市、ドゥブロブニク市、コルチュラ島訪問。
11月24日にはザグレブにて、「EUバルカンサミット」が開催されました。EU15ヶ国の首脳とバルカン地域のトップが初めて一同に会するこの画期的なサミットの意義を調査するため、メシッチ・クロアチア大統領の経済顧問も務めるネーブン・ツィルクベニ氏や同国大手経済誌「バンカ」のブレズニック編集長等にインタビューをしました。
また日本国大使館も訪問し大羽大使と会見、最近のクロアチア情勢についての見解をお伺いすると同時に、本協会のこれまでの活動報告や今後の予定について報告させて頂きました。 またクロアチアの大手観光会社とも会談し、日本人観光客にとってより魅力的なプランを作るために日本人の立場からアドバイスを行いました。
さらに日本人にも御馴染みのマルコポーロの生誕地とされるコルチュラ島も訪問いたしました。「東方見聞録」で日本の事を「黄金の国」として西洋に伝えたマルコポーロは本当にクロアチアで生れたのかを探るため、はるばる当地まで行ってきました。クロアチア大使館のサポートの下で、現地では完璧なガイドがつき、まさに至れり尽くせりの訪問でした。コルチュラ島は、現代社会の煩雑さとは無縁と思われるような実にのどかでノンビリした美しい島でした。
マルコポーロの家も訪問しましたが、何よりも印象的だったのは、家族と共に午後の休息の時を静かに楽しむコルチュラ島住民の素朴な姿でした。「マルコポーロ伝説が真実だろうとなかろうと、そんな事とは関係なく、この島は訪れるに値するすばらしいところだ」というのが、われわれの感想でした。
2000年9月20日(水)〜24日(日)
<第三回 親善・視察ツアー及び日本クロアチア協会発足パーティー>
参加者: 本協会理事2名、関係スタッフ3名、在蘭日本企業代表者1名。時事通信竹葉記者。
ザグレブ市を訪問。
竹葉記者の為に、クロアチアのスポーツライター、ゴラン・チョップ記者、同国の日刊紙「ユタリニスト」のボリス・ブラシッチ記者、同国経済誌「バンカ」のビクトル・ブレスニック編集長とのインタビューをアレンジしました。さらにクロアチア及びユーゴスラビア情勢の情報収集のため、クロアチアの大手月刊誌「アレーナ」誌のペロ・ズラタール編集長や、クロアチア内務省移民・外国人局のボジェナ・カタネツ局長にもインタビューを行いました。
また在蘭日本企業代表者のビジネス・ミーティングもアレンジ。そして23日(土)には、ザグレブで最も格式の高いホテル・エスプラナーダにて「日本クロアチア協会」の発足記念パーティーを行いました。同ホテルの全面的なサポートを受け、すばらしいパーティー会場を用意して頂きました。料理はオランダ・アムステルダムの日本レストラン「博多せん八」のスタッフが準備しました。当日は在ザグレブ日本国大使館のスタッフの方々を始め、クロアチアのマスメディア、これまで本協会と関わりを持った企業、政府関係者、民間人等40名ほどが集まり、盛大な会となりました。
中には初めて日本食を口にするクロアチア人もおり、「せん八」の焼き鳥に舌鼓を打っておりました。日本の食材をアムステルダムから送る際には、通関でトラブルが発生するなど、パーティー直前までハラハラさせられましたが、万事成功に終わった時にはスタッフ一同ほっと胸をなで下ろしました。輸送や通関だけでなく、コヤナギ・ワールドワイド社様にはこのパーティーのスポンサーとしても大変お世話になりました事をここで改めて記させて頂きたいと思います。
※この訪問の結果は"「普通の国」目指すクロアチア
対日関係も強まる兆し
" 2000年11月28日世界週報、として結実いたしました。
2000年6月28日(水)〜7月3日(月)
<第二回 親善・視察ツアー>
参加者:同協会理事2名、在蘭日本企業代表者1名、産経新聞池田証志記者。
ザグレブ市、ドゥブロブニク市を訪問。
ザグレブ市では池田記者の取材の為にサモボール町の柔道場を訪問。柔道をクロアチアの子供達に教えるニコラさんやクロアチア柔道連盟のサンドラさんに話しを伺いました。訪問した日は練習日ではなかったにも関わらず、20名ほどの子供達が道場に駆けつけ、練習を披露してくれました。
またクロアチア最強のサッカーチーム「ディナモ」を訪問し、建設中の新しいスタジアムを見学し、日本とクロアチアのサッカー交流の可能性について話し合いました。
池田記者はまたクロアチア最大のネクタイ会社や青空市場、博物館等を取材しました。さらには在蘭邦人企業代表者の為のビジネス・ミーティングもいくつかアレンジいたしました。 ドゥブロブニクでは、地元観光会社の協力を得て、世界遺産にも登録されている旧市街やアドリア海に浮かぶ島も視察し、同時に池田記者の取材をサポートしました。
※この訪問により2000年7月11日〜7月18日には産経新聞夕刊一面にて
"アドリア海の秘宝 復興するクロアチア"の連載が実現し、
2000年8月12日には同紙夕刊第4面全面にて
"観光開発進むクロアチア 中世の面影 古都に色濃く"という特集記事が掲載されました。
2000年4月11日(火)〜16日(日)
<第一回 親善・視察ツアー>
参加者:日本クロアチア協会理事及び会員4名と在欧州日本企業の代表者3名。
ザグレブ市とスプリット市を訪問。
ザグレブ市では協会の活動基盤を作るために、クロアチアの有識者多数と会談し、本協会の主旨を説明して協力を要請し、ネットワークを広げることに務めました。クロアチアの大銀行、マーケティング会社、法律事務所、クロアチア日本友好協会、在ザグレブ日本人等と会い情報交換をすると同時に、どのような協力が出来るかを話し合いました。
また本協会の主旨を報告し今後の活動に対する支援を要請するため、スティペ・メシッチ・クロアチア大統領と約30分にわたって会見しました。この模様は現地の新聞でも報じられ注目を集めました。 さらに大羽奎介・駐クロアチア日本国大使館特命全権大使にも表敬訪問を行い、友好を深めました。またスプリット市では同市の観光名所を視察し、観光情報の収集に努めました。
※この訪問の結果は、"日本にエールを送る旧ユーゴの小国クロアチア"、月刊日本、2000年7月号としても発表されています。
2000年5月22日(月)
<第一回 クロアチア情勢レクチャー>
報告者:菅原 出
アジア食貨研究所において、クロアチア情勢に関しての報告を行い、また本協会の活動に関して貴重なアドバイスを頂きました。
<日本人ジャーナリストのクロアチア取材をサポートします!!>
日本クロアチア協会は、クロアチアという国を日本人に紹介するために、新聞や雑誌等のメディアに働きかけて同国の事を取り上げてもらったり、企画を練って取材をサポートしたりといった活動を行っています。クロアチアの事を一人でも多くの日本人に知ってもらうために、これからもこうしたメディアへの働きかけを継続していくつもりです。
これまで以下の記事が、本協会のサポートにより日本のメディアに登場しました。
"日本にエールを送る旧ユーゴの小国クロアチア"、月刊日本、2000年7月号
"アドリア海の秘宝 復興するクロアチア"、産経新聞夕刊一面連載、2000年7月11日〜7月18日
"観光開発進むクロアチア 中世の面影 古都に色濃く" 産経新聞夕刊第4面全面にて特集2000年8月12日
"「普通の国」目指すクロアチア"、対日関係も強まる兆し、世界週報、2000年11月28日
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