あるファンタジーの結末 〜 倉多江美 〜


「本町通り」

不眠症の特効薬は ねむることなんでしょうけど
これも わかったような わからないようなこたえで
なんに対しても ききめのあるクスリ
万能薬ってないもんでしょうか

売れない少女マンガ家が、アイディアを求めて街を歩き回るという、ただそれだけの話なのですが、この作品を読んでわたしは衝撃を受けました。倉多江美は不思議なマンガ家です。普通のマンガであれば、出来事と出来事の間にある人間的な感情のつながりでプロットが組み立てていくものですが、彼女の作品は観念的な主題が中心にあって、その周囲に出来事が散らばっているような物語を描かれています。
決まった話形を元に変奏をかなでるわけでもなく、大河小説のような大きな物語の流れを構築するわけでもなく、日常的で断片的な事実を描いているだけなのに、その奥に何かを垣間見させてくれるのです。

主人公の紙衣が書店で手にしたマルクス兄弟の本は、晶文社から発行された「マルクス兄弟(ブラザーズ)のおかしな世界」で、現在は絶版になっています。マルクス兄弟というのは、チャップリンやバスター・キートンと同じころに活躍したコメディアンで、シュールでロジカルなナンセンスギャグを得意としています。
また部屋の中の描写では、稲垣足穂の似顔絵が壁に貼ってあったりと、若書きの勢いで自分の趣味を披露するあたりは時代を感じさせます。

そーいえば、なにかの本に、人間が水におぼれるのは、重さの観念のとりこになっているからにすぎない・・・と書いてあったっけ。

このようなモノローグによってもたらされる異化効果。事件の積みかさねだけを描く叙事的な方法で、現実と観念の落差を劇的に描くマンガ家というのは他に例がないのです。

なにげない日常生活ってものは
意外ととっぴであったりまんが的であったり
だからあたしなんかの
見せかけの想像力なんかじゃ
現実以上の話作りもできず
結局『風とともに去りぬ』の
スカーレット・オハラの言葉じゃないけど
こうなるのです
「明日考えるわ」

(「本町通り」 『ドーバー越えて』 朝日ソノラマ 1977年)

マンガや小説を読んで面白いと思うことはありますが、なかなか自分と同じような感性を持った作家というのはいないものです。観念的であるが軽く、厭世家というより楽天家といった感じなのです。

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Last Modified on Monday November 26, 2007