あるファンタジーの結末 〜 倉多江美 〜


「上を見れば雲下を見れば霧」

悪魔の鳥が住むという島がある
日に焼けた男は小舟で島に向かった
悪魔の鳥とはカモメだった。
簡単なことさ・・
ただ君が知ってさえいれば

(『倉多江美自薦傑作集1 ミトの窓』「上を見れば雲下を見れば霧」倉多江美 双葉文庫 一九九八年)

もしかしたらこの「上を見れば雲下を見れば霧」が彼女の作品のなかで一番好きなもののひとつであるかもしれません。目の見えない雲雀はたましいの暗喩で、中学生の耕一は持ち前の好奇心と楽天家の気質で、失恋で心を痛めた智子のたましいを慰めているのです。
「ライ麦畑でつかまえて」のホールデン少年やポールサイモンの詞に出てくるようなナイーブな少年が、ある意味理想の少年像と言えるのかもしれませんが、倉多江美の描く少年は感受性が鋭いのだけれどもどこか諦めに似た爽やかさを感じさせるのです。

どうして倉多江美はこのような物語を描くことが出来たのが、わたしはとても不思議に思えます。ここで語られている辛い体験から心を救う方法は、心理学的にみても全く正しいあり方だと思えるのです。もちろん恋愛感情が人間の心に光と影を作り出すことは自明です。またそうした自分の心は自分では制御できない。憎悪はこれから起こるであろう幸福の期待への裏切りから生まれるものであり、同じように不安というものはまた起こりえていない未来への負の評価なのです。どちらも現実はまだ起こりえていない事項に対する感情なので、全く意味のないことなのです。
そうしたことを耕一は智子に伝えようとしていたのです。

・・ぼくたちはなにも知っちゃいないから・・
こういう時の見やすい定式や解答を持ってないから
きみの心の中におしこめちゃうより
外光に照らし出したほうがいいとおもうな

そうしたらぼくはヒバリの話を
きみに聞かせたいから

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Last Modified on Tuesday November 27, 2007