図書館は無限であり周期的である 〜 宮沢賢治〜


銀河鉄道のさびしさと幸い

宮沢賢治が『春と修羅』にのせた口語自由詩を起稿したのは、1922年(大正11)の1月でした。そしてふたつ年下の妹とし子が亡くなるのが、奇しくもその10ヶ月後のことでした。
とし子が亡くなる以前に賢治が持っていた寂しさをうかがえる言葉が「小岩井農場」にあります。

いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けようか
パート四ではこういっているものの、最後のパート九ではこのように変わっています。
   (あんまりひどい幻想だ)
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
   (中略)
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ

このように賢治はおそらくだれかと恋愛問題を引きずっているふうに思えるのですが、そうした取りかかりもたしかに見受けられるのです。

  春光呪咀

いつたいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかつてゐるか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれつきりのことだ
  春は草穂に呆け
  うつくしさは消えるぞ
    (ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
頬がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれつきりのことだ
       (おおこのにがさ青さつめたさ)

とし子の死がきっかけとなり、彼の持っていたさみしさは表面化します。ひとりで死に向かおうとするとし子に対する賢治の感情は、「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」などからうかがわれます。

翌年の夏に樺太旅行に出かけた賢治は、「オホーツク挽歌」などの死者の魂を追い求める詩を書きます。。樺太旅行の際、北に向かう電車の中で、彼はひたすらにとし子のことを考えます。

やがてはそこに小さなプロペラのやうに
音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
無心のとりのうたをうたひながら
たよりなくさまよつて行つたらうか
   わたくしはどうしてもさう思はない
なぜ通信が許されないのか
許されてゐる そして私のうけとつた通信は
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう

賢治が死というものを、それまで実感的に受けとめたことがなかったのでしょう。彼岸の世界を思うには、彼の身も心も健康体だったわけです。現実にとし子の死があり、戸惑ってしまう。それは彼の知っている宗教でも、彼の幻想が作り上げた世界、それはのちにイーハトブを形成する鍵になるのですが、でも説明できないために、ひたすらとし子の姿を追い続けます。

そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
  (そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

ようやくここで彼は、自分にさびしさをもたらしたものは、とし子の死だということを認めるのです。そしてこうした心情の変化には賢治の信仰の形が大きく関係しているようなのですが、今のところわたしには判りません。
こうして賢治は宗教風の恋をしてはいけないと、とし子の死から立ち直っていきます。そしてベーリング市やイーハトブ、銀河ステーションなどの言葉が出てきているように、『春と修羅』の最後のほうでは、後のイーハトブ構想の片鱗が表れるようになります。

〔手紙 四〕

 わたくしはあるひとから云いつけられて、この手紙を印刷してあなたがたにおわたしします。どなたか、ポーセがほんとうにどうなったか、知っているかたはありませんか。チュンセがさっぱりごはんもたべないで毎日考えてばかりいるのです。
 ポーセはチュンセの小さな妹ですが、チュンセはいつもいじ悪ばかりしました。ポーセがせっかく植えて、水をかけた小さな桃の木になめくじをたけて置いたり、ポーセの靴に甲虫を飼って、二月もそれをかくして置いたりしました。ある日などはチュンセがくるみの木にのぼって青い実を落していましたら、ポーセが小さな卵形のあたまをぬれたハンカチで包んで、「兄さん、くるみちょうだい。」なんて云いながら大へんよろこんで出て来ましたのに、チュンセは、「そら、とってごらん。」とまるで怒ったような声で云ってわざと頭に実を投げつけるようにして泣かせて帰しました。
 ところがポーセは、十一月ころ、俄かに病気になったのです。おっかさんもひどく心配そうでした。チュンセが行って見ますと、ポーセの小さな唇はなんだか青くなって、眼ばかり大きくあいて、いっぱいに涙をためていました。チュンセは声が出ないのを無理にこらえて云いました。「おいら、何でも呉れてやるぜ。あの銅の歯車だって欲しけややるよ。」けれどもポーセはだまって頭をふりました。息ばかりすうすうきこえました。
 チュンセは困ってしばらくもじもじしていましたが思い切ってもう一ぺん云いました。「雨雪とってきてやろか。」「うん。」ポーセがやっと答へました。チュンセはまるで鉄砲丸のようにおもてに飛び出しました。おもてはうすくらくてみぞれがびちよびちよ降っていました。チュンセは松の木の枝から雨雪を両手にいっぱいとって来ました。それからポーセの枕もとに行って皿にそれを置き、さじでポーセにたべさせました。ポーセはおいしさうに三さじばかり 喰べましたら急にぐたっとなっていきをつかなくなりました。おっかさんがおどろいて泣いてポーセの名を呼びながら一生けん命ゆすぶりましたけれども、ポーセの汗でしめった髪の頭はただゆすぶられた通りうごくだけでした。チュンセはげんこを眼にあてて、虎の子供のような声で泣きました。
 それから春になってチュンセは学校も六年でさがってしまいました。チュンセはもう働いているのです。春に、くるみの木がみんな青い房のようなものを下げているでしょう。その下にしやがんで、チュンセはキャベジの床をつくっていました。そしたら土の中から一ぴきのうすい緑いろの小さな蛙がよろよろと這って出て来ました。
「かえるなんざ、潰れちまえ。」チュンセは大きな稜石でいきなりそれを叩きました。
 それからひるすぎ、枯れ草の中でチュンセがとろとろやすんでいましたら、いつかチュンセはぼおっと黄いろな野原のようなところを歩いて行くようにおもいました。すると向ふにポーセがしもやけのある小さな手で眼をこすりながら立っていてぼんやりチュンセに云いました。
「兄さんなぜあたいの青いおべべ裂いたの。」チュンセはびっくりしてはね起きて一生けん命そこらをさがしたり考えたりしてみましたがなんにもわからないのです。どなたかポーセを知っているかたはないでしょうか。けれども私にこの手紙を云いつけたひとが云っていました「チュンセはポーセをたづねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいていいるひとでも、汽車の中で苹果をたべているひとでも、また歌ふ鳥や歌はない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがいのきょうだいなのだから。チュンセがもしもポーセをほんとうにかあいさうにおもふなら大きな勇気を出してすべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければいけない。それはナムサダルマプフンダリカサスートラといふものである。チュンセがもし勇気のあるほんとうの男の子ならなぜまっしぐらにそれに向って進まないか。」それからこのひとはまた云いました。「チュンセはいいこどもだ、さアおまへはチュンセやポーセやみんなのために、ポーセをたづねる手紙を出すがいい。そこで私はいまこれをあなたに送るのです。

少し長いのですが、全文引用しました。これが樺太旅行から帰ってきた賢治が、九月に印刷して配布したいわれる文章です。これには現在残されている賢治作品と共通する内容が、数多く盛り込まれています。

ポーセとチュンセ → 「双子の星」のポーセ童子とチュンセ童子

「雨雪とってきてやろか。」 → これらの流れは「永訣の朝」

むかしからのおたがいのきょうだいなのだから → 「青森挽歌」

ほんとうの幸福をさがさなければいけない → この主題が「銀河鉄道の夜」

ここから賢治の気持ちは、とし子から離れて「すべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければいけない」という考えにいたるわけです。ここで気になることは、賢治の考える幸福というものは、ひとりの人間の幸福ということではないということなのです。ひとりの人間の幸福であれば、人生という枠組みにおいて結婚して子供ができるということが、一番の幸福かも知れません。しかし彼の考えていた幸福は、もっと観念的なものであったようです。

「銀河鉄道の夜」では、主人公のジョバンニの父親は遠洋漁業の漁師なのですが、どうやら監獄に入っているらしいのです。そして母が病気で寝こんでいるため、ジョバンニは活版所と新聞配達のふたつの仕事をしながら学校に通っています。そうした生活のためジョバンニは学校でも眠くて、学校の先生の質問にもうまく答えられません。
ケンタウルス祭の夜、烏瓜を川に流しにいく同級生たちのなかに入れずに、ひとり牧場の後ろのゆるい丘に登り寝そべっているうちに、ジョバンニは銀河鉄道の軽便列車に乗ってしまいます。
向かいの席にいたのは同じクラスのカンパネルラで、そこでジョバンニは彼といっしょにさそって出かけたことを思いだします。

「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。

急にこういったカンパネルラに、ジョバンニはびっくりしてしまいます。
はじめに相席したのは、鳥捕りでしたが、どういうわけかそのときジョバンニはさみしい気持ちを感じます。

ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。

次にあらわれたのは、黒い外套を着た家庭教師に連れられた男の子と女の子でした。そこで青年は氷山にぶつかって沈んだ船の話をするのですが、それをきいているうちにジョバンニはこんなことを考えるのです。

(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまいました。

そうして今度は、女の子と話すカンパネルラに嫉妬して、窓の外に顔を出したままこう考えます。

(どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱って痛いあたまを両手で押えるようにしてそっちの方を見ました。(ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに談(はな)しているし僕はほんとうにつらいなあ。)ジョバンニの眼はまた泪でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした。

ここでジョバンニのさみしさが、ひとりでいるさみしさというのではなく、「ほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひと」がいなくてさみしがっていることが判ります。しかし空の工兵演習を見てジョバンニの機嫌はとたんによくなってしまいます。
そしてサザンクロスで三人は降りていきます。

「さあ、下りるんですよ。」青年は男の子の手をひきだんだん向うの出口の方へ歩き出しました。
「じゃさよなら。」女の子がふりかえって二人に云いました。
「さよなら。」ジョバンニはまるで泣き出したいのをこらえて怒ったようにぶっきり棒に云いました。女の子はいかにもつらそうに眼を大きくしても一度こっちをふりかえってそれからあとはもうだまって出て行ってしまいました。汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹き込みました。

そうしてまたふたりきりになったジョバンニとカンパネルラは、サソリのように体を灼かれてもかまわない、ほんとうの幸いがなんであるのか判らないまま、みんなのほんとうの幸いを探しに出かける決心をしました。

「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。

そうして急にカンパネルラはいなくなって、ジョバンニは泣きふしてしまうのです。
どこでも思い通りに行くことができる通行券を持っていたジョバンニは、だからこそ銀河鉄道に乗れたわけですが、カンパネルラははじめにあるように、

「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」

そう思っていたために、みんなが集まっている天上に母親の姿を見つけます。しかしジョバンニには、そこは「ぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように」きれいな野原に見えなくて、さびしい思いをするのです。
ジョバンニのもっていた孤独感というのは、どこでも勝手に歩くことができる通行券を持っていたために、カンパネルラの見えるものが見えなかったのかもしれませんし、それはカンパネルラの個人的なことだったので、ジョバンニには見えなかったのかもしれません。

はじめてこの作品を読んだときは、そのイメージの硬質さに大変気に入ってしまったのですが、どうしても作中にひんぱんに出てくる「幸い」という言葉がなじめなくて駄目でした。これがなければもっとよい作品になるのにと思ったりもしましたが、それを書いてしまうところが宮沢賢治の資質なので、しかたがないかなと思ったものです。
カンパネルラは母親の幸いのためならなんでもすると決心して母親のいるところで降りるのですが、ジョバンニはみんなの幸いを求めていたために、かえって個人的な幸いが見えなかったのかもしれません。

先にあげた「手紙 四」のなかにもあるように、彼はほんとうのさいわいは、「ナムサダルマプフンダリカサスートラ(南無妙法蓮華経)」であるといっているのです。これはすべての空間と時間に遍在する仏性と同質な生命の存在が、そのまま自分の実存の中に表出されるということでしょうか。賢治が言おうとしているほんとうのさいわいというのは、わたしたちが普通に考えているさいわいとはまったく違ったものであることはたしかなのです。
だからこそ賢治のさびしさというのは、他の人が理解できるようなものではなく、それの唯一の理解者であったとし子が死んでしまったとき、大変なショックを受けたといえるのだと思います。

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First Written on Friday Aplil 15, 2005