Taruhoの耽美主義
足穂の耽美主義は、夢を否定しているわけではないのです。ただ夢の表出方法が、スクリーンの青い月や夕刻の街角に漂うガソリンの匂い、黄いろい火花を飛ばした飛行機の宙返りのような、一瞬の夢心地を感じさせてくれるようなものが発火点になるのです。ロマン主義的な人生の真理と同様にそれは一時的な感覚であり、けれどもより虚無的な印象を与えるところが、彼の考えている耽美主義なのです。
彼の感受性が輝きだすのは黄昏をすぎることからで、日の光の当たらない映画フィルムやシネオラマ、夜のイルミネーションやサーチライトの光が、日の光に輝く緑のかわりになるわけです。足穂が活躍しはじめたころは、電気による灯りが夜を照らしてくれるようになった時代であり、都会夜の喧噪が今までになかった新しい美しさを見いだしてきたために、彼の趣味が真珠ではなくてガラス玉にそそられるのはしごく当然のことなのです。
何か心を動かすような瞬間に美を感じている彼にとって、そんな美しさを引き上げてくれるものを良しとします。そうしたものとして、マッチ、タバコ、発条、インキ壺、歯車、ビール瓶、鉄砲の玉、懐中時計、月や星などがあるわけです。それらのものは人間の存在とは無関係にそこに存在し、時間や空間の感覚をこえて存在するものを感じさせてくれるきっかけを与えてくれるのです。
それだけですとフェテェシズムのものマニアのような感じがしますが、彼の場合はAよりA'なので、それがじっさいにそこにあるのではなく、模造品でもそれが描かれたものであってもかまわないということなのです。つまり一瞬の永遠を感じさせてくれるようなきっかけになるものは、現実的ではない童話的なものを介在させることが必須となってきます。
ですからたとえばゲーテのような、自然と人間の賛歌、美しい少女と愛というような方向には行かないのです。自然は人工に、人間の解放のための人間の妖精化、または人間人形。少女への愛は、少年愛へとより硬質なイメージのあるものへと志向していきます。詩は少女、童話は少年と、足穂はいいましたがなかなか至言です。人間的な情熱は、新奇の時代がもたらした瞬間の美には気づかないものなのです。
旧時代と足穂の考える新時代の美的センスのちがいは、以下のとおりです。
昼より夜
芝居よりキネマ
述懐より対話
短刀よりピストル
阿片よりコカイン
汽車より電車
馬車より自動車
競馬よりモーターサイクルの競争
ペンより鉛筆
コーヒーよりココア
シガーよりシガレット
太陽より月
その月よりも星
薔薇の鉢よりサボテン
柳よりプラタナス
松よりもポプラ
蝶より蛾
金より真鍮
プラチナよりブリキ
水晶よりガラス
ダイナマイトより有煙火薬、マグネシヤ式光弾
雪より雹
雲より霧、瓦斯体
ピカソよりピカビア
モーパッサンよりクラフトエビング
夢よりうつつ
過去より未来
完全より半端
立派よりくだらないもの
目的があるものよりないもの
ロシアの小説より航空術の専門書
社会学よりシネオラマ
曲線より折線
四角より三角
丸いものより尖ったもの
踊子の絹沓下より少年のパンツの凸起
このように足穂の美学を彩るものは、人間らしさからの脱却なのですが、大正・昭和のモダニズム以降の文学の流れは、おっつけ政治的なものが中心になっていき、足穂の文学は一番省みられることのないものとなっていくのです。