十九歳の知里幸恵
現在知里幸恵について手に入れやすい資料は新潮社から出ている藤本英夫の「銀のしずく降る降る」で、現在では聞くことのできない貴重な証言がのっていてたいへんおもしろいところがあるものの、彼女を悲劇のヒロインにするために少しばかり筆は走りすぎているきらいがあります。たとえば印象に残る逸話がいくつがあって親戚の子である松井マテアルが覚えていた幸恵の台詞があります。
「ーー教育なんて何さ。教育ってそんなに大切なものか。差別されてまで学校に行きたいのかい? 肩身の狭い思いをしても、親がさせてくれるからって上の学校にいきたいの。ーーそれよりも、勉強がいやになったら、自由にはばたいたらいい。強くなりなさいよ。ーー」
これに呼応して藤本英夫は「アイヌ神謡集」の序と岩波板のあとがきにある金田一京助の言葉に大きな乖離を感じたとあるのですが、彼女の死の数ヶ月前に書かれた日記と、金田一京助の角川書店版の「北の人」に書かれている彼女の姿にはそれほどちがいを感じられないのです。
彼女の日記ははじめて上京したころの六月一日からはじまって七月二十八日の日付で終わっていて、二ヶ月後の九月十八日に心臓麻痺でなくなるのですが、体調不良で筆を休めたわけでも自らの死を予感して書くことを放棄したわけでもなくて、個人的な記録を書きのこすテンションが落ちたために休止したと考えるのが妥当と思われます。日記を書きつづけている人なら判るかと思いますが、自分の率直な感情や感覚を書きのこすという行為は毎日が新鮮な感動や感覚を揺さぶるような強烈な体験をしているというならともかく、書くという行為を直視すればするほどはじめの勢いは落ちてしまうものなのです。それが自分のなかの人に大きな声でいうようなものでない何かを書くのならなおのことです。そう思える理由はそのあとも両親宛の書簡では心臓病で婚約者にいるにも関わらず結婚不可と診断され、それでも前向きな内容を書いていることからもうかがわれるのです。
たしかに婚約者がいるにもかかわらず、そのもとをはなれてひとり東京に行くということは常識的な判断では不可解なことでありますが、日記をみても判るように彼女の心は、東京で出版される本の原稿を書くついでに勉強したい、半年くらいたったら帰って結婚して家庭に入る、二三年は東京に残って見聞を広げたい、体調がよくないので両親のもとに帰りたい。そういった多くの気持ちが入れかわり立ちかわりあらわれていたことが判ります。じっさい人間の感情や感覚は小説の主人公のように始めから終わりまでまったく同じということはないのです。
日記を見ている限りでは彼女はアイヌの同化政策や差別に対して頑固とした思想を持っているわけではなかったようです。理不尽な知人の死に対してはそのような方向に行こうとしている自分をあえてくい止めているのです。金田一京助に対する学問的なまた人間的な敬意をもちそれに感謝して、東京ではじめてふれるモダニズムを敏感に感じとっている。それでも自分の自己同一性を和人ではなくアイヌと感じてる。そういった聡明さとしたたかさを持っているのです。
新奇の思想を吸収したり勉学にはげむといったそういったところもあるのですが、それ以上に自分の鋭敏な感受性がどこに向かおうとしているのか確かめようとしている、十九歳という年齢だったら当たり前かもしれませんが、そんなある意味かわいらしいところがあるのです。
勉学以外に彼女を支えているものはキリスト教に対する信仰があります。上京するさい聖書を持ってくることを忘れた自分を責めたり教会に通ったりするところは、人としてのあり方の側面としての信仰生活があるのですが、それと同じくらいに東京での新しい生活や自分にとって未知である学問に対する憧憬と同じような新しい自分に出会うためのひとつの扉であるといったとらえ方をしてるような気がします。キリスト教をもとにしたインターナショナルな視点が媒介となって彼女の詩神をつかさどっていて、時代や国をこえて普遍的に多くの人に受け入れられるものを指針としていた側面は金田一京助や兄の真志保にはなかったものです。
これはあくまで憶測なのですが、彼女の訳した神謡<カムイユカル>はキリスト教の伝道師であった叔母マツの影響で人道的な側面が出てきた、それがマツの無意識的に作りあげた創作といったら過言かもしれませんが、それを聞いているうちにああいった言葉が出てきた可能性はたぶんにあるだろうと思えるのです。本来アイヌが持っている信仰生活は神<カムイ>が人間の従になる世界観をもとに構成されていて、神を一人称として語るカムイユカルはそのためひどく説教くさいところがあり、彼女の書いた<訳した>アイヌユカルも同じような話形をもとにした単調なものではあるのですが、彼女のなかで物語が語るところの世界を純化させようとする意識はあったにちがいありません。