愚痴の捨て所
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31 Dec. 2005 (Sat)
年末も押し迫って、いよいよプレイオフも間近。わがデンバーは地区優勝とプレイオフ第2シードを確保した。地区優勝は久しぶりだなあ。なんでも前回地区優勝したのは1998年シーズン、この年はスーパーボウルを連覇している。さて今年はどうなることやら。AFCはプレイオフ出場6チーム中の1チームがまだ決まっていない。残り5チームの間でもまだシード順位が確定していない。シード順位が決まらないと試合の相手が決まらないので困る。三十一が困る筋合いではないのだが。もっともAFCはまだましで、NFCは6チーム中3チームしか決まっていない。残り3チームに滑り込む可能性があるのは5チームほどあるらしい。まあNFCのチームとはスーパーボウルでしか当たらないのであまり困らない。そうね、なんとなくシカゴあたりが出てくるような気がする。
30 Dec. 2005 (Fri)
いくらなんでも大晦日にあちこち出掛ける気にはならない、というか天気予報では明日から寒くなるらしいので、今日のうちにちょっと秋葉原に出撃。書店ではかねて探していた雑誌の古本を発見したので早速保護する。いやあ、今日来てよかったなあ。しかしうろついているうちに調子が悪くなってきたので適当に切り上げて帰還する。途中適当に食糧を入手して帰宅。夕食を摂るのは風邪薬を飲む前提の作業として行なっているのだが、夕食を摂り終えてさっそく薬を飲もうと箱を開くと、げげ、あと少ししかないや。こんなんだったらさっき買ってくればよかった。今から買いに行く気にもならないし、休みの間はなんとかやり過ごして年明けに買いに行くことにしよう。
29 Dec. 2005 (Thu)
夕方に適当に挨拶して脱出。どうも三十一はあの「今年はお世話になりました。来年もよろしく」という挨拶を言うのも言われるのも苦手なので、自分からはもちろん言わないし言われそうになる前に逃げ出すことにする。こういうとき「当番だ」というのは良い言い訳だ。結局夜中の12時まで呼び出しはなし。これで少なくとも三が日の間は完全に解放されることになるだろう。この間に風邪が落ち着けばいいなあ。
29 Dec. 2005 (Thu)
今年最後の出勤日にちょうどポケベル当番が当たってしまうのは運がいいのか悪いのか。相変わらず調子はよくないし、最後に変な呼び出しでも食らおうものなら年末年始休みがなくなりかねない。別に年末年始だから何をするというわけではないのだが、人が休んでるときに仕事をするのがイヤなだけである。幸いなことに午前0時から朝までの間は特に何もなかったらしく、昼前に出勤して今年中の仕事をやっつける。午後からはまたミーティングで部長の後任が発表される。ちょっと意外ではあったがまったく予想していなかったわけでもないという微妙な人選。来年はどうなることやら。
28 Dec. 2005 (Wed)
今年の出勤もあと二日という午後、部長が急遽ミーティングを開くからと言って部下を集める。といっても今日出勤しているのは半分くらいかな。予測された内容ではあったが、来年1月1日付で部長が替わるそうな。替わること自体は別に惜しくはないが、今以上にもののわからない人に来られると困るので後任が心配。しかし今日の時点ではまだ後任者の名前は明らかにできないとのことなので、ミーティング後は当然のように憶測が飛び交う。
27 Dec. 2005 (Tue)
朝の電車は空いていたのに、帰りの電車はかえって混んでいるような気がする。ちょうど乗り換える駅の周辺で「ミレナリオ」とかいうイベントが催されているかららしいが。
27 Dec. 2005 (Tue)
そういや、今週から学校の冬休みと企業の年末休暇が重なってるらしく朝の通勤電車がかなり空いていた。同僚と話をしていて初めて気づいたんだが、三連休と重なるために公立小学校の今年の冬休みはずいぶん長いらしい。改めてカレンダーを見てみると、年末は23日から休みになって、年始は10日からか。えーと、合計18日? なんて贅沢な。
26 Dec. 2005 (Mon)
一応出勤はしたもののあまり調子はよくなっていない。始終ゴホゴホやってて周囲も迷惑だろう。薬にたよってどうにか最低限の仕事だけはこなす。上のほうの要求には及ばないかもしれないけど、今はこれがせいいっぱい。
26 Dec. 2005 (Mon)
朝起きてニュースを見ると、昨日羽越本線で特急が強風のため脱線転覆して死者も出ているらしい。しまった、昨夜はニュースを見てなかった。羽越本線の特急といえば「いなほ」かな。485系だね。映像を見ると3000番台である。橋梁通過中に突風をくらって土手から転げ落ちたようだ。強風のための脱線転覆というとJR発足直前の餘部鉄橋の回送客車転落事故がまず思い浮かぶけれど、JR化後にも北海道の狩勝峠付近で強風のため特急が脱線転覆するという事故が起きている。おかげで狩勝峠付近に防風柵が設けられて視界を遮られるようになってしまった。餘部鉄橋にも防風柵が付けられている。新幹線も防風というよりも防音柵のために景色が見づらくなっている。仕方ないことではあるがちょっと残念。
25 Dec. 2005 (Sun)
調子がよくなったとはいえ無理は禁物。今日も家の中で静養につとめる。というよりは、今週から年末モードに入ってアメフトが土曜日曜に開催されるようになったため、今週分の試合が日曜から放送されているために見ていたら一日終わってしまったというほうが正解に近い。ああ、今年ももう終わるなあ。あと一週間か。もちろんこの「あと一週間」というのは「アメフトのレギュラーシーズンがあと一週間で終了」という意味である。
24 Dec. 2005 (Sat)
だいぶ調子がよくなってきたので、調子にのって秋葉原出撃。必要最低限の雑誌類はすでに入手済みだが、その他不定期に入手する種類の雑誌を確認し必要に応じて入手するためである。はじめはそれほどたくさん買い物する予定ではなかったのだが、アメフト用のDVD補充も含めて結果としてかなり大荷物になってしまった。その中で多くを占めたのが計4冊の時刻表。「なんでまた」と思わなくもないが、もちろん全部違う種類の時刻表なのである。
24 Dec. 2005 (Sat)
昨日は天皇誕生日。明日は大正天皇祭。今日はその間にはさまれた普通の日である。他になにかあったっけ?
23 Dec. 2005 (Fri)
今日は天長節だが、別に関係なくアメフトを観戦したり昨日勝った雑誌類を読んだりと安静に過ごす。少しずつ体調もよくなってきたようだ。程度問題だけど。昨日帰宅途中に買って帰った風邪薬が効いてきたのかな。
22 Dec. 2005 (Thu)
まだ本調子ではないので早めに帰宅。明日から三連休だが、この間に外出する元気があるかどうかわからない。なので、どうせ会社まで出てきているのだからと帰りに秋葉原に寄っていく。目的は月末の雑誌類あれやこれや。先週はまだ出ていなかったのである。少し重くなった鞄を抱えて帰宅する。
22 Dec. 2005 (Thu)
ようやく出てきたから、というわけだろうが部長と今年の反省会のようなことをする。三十一はこの部長とは長いつきあいだが、こちらの都合(体調不良)などおかまいなしに自分の都合(今週中に終わらせたい)を押しつけるところはどうしても好きになれない。まあ出勤している以上体調不良が言い訳にならないのはわかっているが、今回だけのことではないのだよ。会話の中で、「アンケートで『仕事の配分が不公平だ』っていうのが高かったんだけど、具体的にどういうことかな。みんなに聞いてるんだけど『思いつかない』って言うんだよ」と言われた。あー、それはですね、部長がその場の思いつきで急ぎの仕事を特定の人間に押しつけてるからでしょうと思ったんだけど、本人を前にしてはさすがに言いにくい。みんなもそうなんじゃないかな。
22 Dec. 2005 (Thu)
まだ本調子ではないが、かなり無理をして出勤する。今日も休むと一週間全休になってしまう。まあそれでもいいのだが、そうすると来週からも出てきたくなくなってしまいそうな気がするので、自堕落な三十一としてはどこかで早めに歯止めをかけておかないと行けないと思ったのだ。調子も昨日までに比べると少しよくなっている。と言っても程度問題だが。出勤して少し話をしたかぎりにおいては「いかにも調子悪そう」であるらしい。話す声などもひどいものである。これでも昨日までよりはマシなはずだが。
21 Dec. 2005 (Wed)
ついに欠勤3日目。相変わらず咳がとまらない。鼻水もとまらず、ティッシュを一箱カラにする。ニュースによるとここ何日かは日本を寒波が襲っているそうだが、三十一には寒波のせいで寒いのか風邪のせいで寒気がするのか区別がつかない。
20 Dec. 2005 (Tue)
そうそう、デンヴァーはバッファローに勝ってプレイオフ進出を決めたらしい。よかったよかった。
20 Dec. 2005 (Tue)
まだ調子が悪い。悪いどころではない、喉が痛く咳が止まらない。激しく咳をすると嘔吐中枢を刺激されて吐き気がする。食欲がなく吐くようなものなどなかったが。体調を崩して家にこもっていると、いつもなら食糧難に陥るものだが今回にかぎっては少し違う。水分がなくなってしまったのだ。ナマ水道水は飲む気にならない。お茶を沸かせばいいのかもしれないが、そんな気力もない。かろうじて残っていた麦茶パックを使って水出し麦茶を即製する。
19 Dec. 2005 (Mon)
昨夜は大風邪ひきだったのでおとなしく自宅に逼塞していた。おかげで消化が遅れていたアメフト観戦もどうにかこなすことができたが、頭が働かないのでサイト更新は休んでしまった。一日休んで、さらに一晩寝ても状況は改善されずむしろ悪化しているようにすら思えたので、会社を休むことにする。馬鹿から何か言ってくるかもしれないが、峠は越しているのでどうにかなるだろう。
18 Dec. 2005 (Sun)
本日はポケベル当番なので自宅待機。しかしそれ以前に調子が悪く外出する気にならない。昨日のうちに主な用事を済ませておいたのが幸いだった。ただ三十一としては、これまでの調子がよくないながらも表面的な症状に表われない状態はかえって問題だと思っており、今日のように症状が表面に現われてきたことは治る前兆ではないかと密かに期待している。
17 Dec. 2005 (Sat)
土曜日、アキバ出撃短いバージョン。昨日一昨日の飲み会ではそれほど大飲みしていないので酒が残っているわけではない。しかしそれ以前から調子が悪いので早めに帰宅することにする。というか、回っているうちに調子が悪くなってきたので早く帰宅したのだ。収穫は書籍少々。
16 Dec. 2005 (Fri)
昨日に引き続き今日も忘年会。昨日は部の忘年会だけど、今日はグループの忘年会でメンバーが少し違う。契約社員の人も入るので昨日は来なかったメンバーも多い。これくらいのこぢんまりしたサイズがいいなあ。昨日のは少し多すぎる。今日も昨日と同じく、ペースは押さえ気味で話に花が咲く。人数が少ないだけあって話の中身はさらにどぎつくなる。その中でも相変わらず馬鹿どもの話は大受けであった。話のネタになったことは少し嬉しいが、現に相手をしているのが三十一であることを考えるとちょっぴり哀しい。
16 Dec. 2005 (Fri)
例の件、少し進展する。というか別件で新しい状況が発生したので、この状況をうまく利用してもう一方の件を進展できないかというのが三十一の提案であった。そのむね関係者にメールすると、しばらくして相手から電話がかかってくる。少し話をしてみたが、どうも混乱しているらしい。「この件とあの件は別ですよね。混同してませんか」 いや別に混同してませんよ。別だというのはわかってます。わかってる上でその状況を利用できないか、と言ってるだけである。むしろ混同しているのはそちらでしょう。話しているうちに思ったのだが、どうも彼は複数の案件を連動させるという芸当ができないらしい。これはこれ、あれはあれ、といった割り切りが必要なケースもあるだろうが、仮にも顧客担当なんだったらそれくらいのテクニックは駆使してほしいなあ。テクニックというほどのこともない、誰でも思いつきそうなアイデアである。悪いけどきみ、顧客担当むいてないよ。じゃあ他に何ならできそうかというと、それも思いつかないけど。
16 Dec. 2005 (Fri)
今朝方になにやらメールが来ていた。例の馬鹿どもから、これまでの対応状況をまとめた資料と称するものである。見ているうちに気づいたのは、先週金曜日に「予定が決まったらお知らせします」と言っていた件が「昨夜実施済み」になっていたことだ。初耳である。予定も聞いていないうちにすでに実施されていたとは。宛先を見てみると、あーあ、肝心なところが宛先に入ってないや。席を立って、本来宛先筆頭になって然るべき人のところまで歩いていき、「これこれだそうですが聞いてます?」 案の定「聞いてない」との返事。じゃあまわしておきます、とメールを転送する。しばらくして馬鹿どもむけに苦情メールを送っていた写しが入ってきた。「予定を知らせてくれるようお願いしていたのですが、それきり梨の礫で、あげくすでに実施済みだったということを別ルートから知らされるというのはどういうことですか」 ごもっともである。だけど、ここ数週間ほど連中とつきあってきた(つきあわされた)三十一からしてみると「やつらのやりそうなこと」だ。
15 Dec. 2005 (Thu)
今日は部の忘年会。しかし相変わらず調子がよくないので酒はそれほど飲まずにペースを押さえる。年とったせいなのかどうなのか、酒もたくさん飲みたいというわけでもなく、いわば「間がもてばいい」くらいの意味しかない。酔っぱらうことよりも酒を肴に馬鹿話をすることが大事なのである。ちょうど馬鹿の相手でストレスが溜まっていたこともあり、話題にはことかかなかったのは良いことなのか悪いことなのか。
15 Dec. 2005 (Thu)
昨日の夜中に馬鹿がまた何か言い出したらしい。真夜中に騒いだって何ができるというのやら。しかし「前と同じ」と言いながら話を聞いていくと全然起きている現象が違うんだけど。三十一は長年の経験からして、こういう場合はまず「別のもの」と考えて対応し、調べていくうちに同じだと判断できればまとめればいいと思っている。ところがこの馬鹿は「まず同じものと思ってくれ」という。ダメだってそれじゃ。
14 Dec. 2005 (Wed)
と、いうわけで今週はなかなか忙しく、おかげでアメフトをあまりちゃんと観戦できていない。明日明後日は飲み会だしなあ。
14 Dec. 2005 (Wed)
最近、馬鹿の相手を強いられているせいか調子があまりよくない。特に喉が痛い。風邪っぽいなあとは思いつつも変に休んだら馬鹿が何を言い出すかわからないし、あやつの相手を他の人にやらせるのも可哀想だ。低空飛行ながらどうにか出社している。別に、今日休んでしまったら明日明後日の忘年会には出られなくなってしまうのでそれを恐れたというわけではない。と思う。
13 Dec. 2005 (Tue)
先週からやってる件、今日がいちおうの区切りだということは聞いていた。けど、これまで状況は報告してきたし、その中で今日中にはケリはつかないということも伝えていたはず。目標日だからといって特に状況が変わったわけでもないので改めて報告するようなこともしなかった。ところが「今日、正式な回答がもらえると思ってたんですけど」 いや、そうは聞いてないけどな。ねんのために周囲の関係者に聞いてみても誰もそんな認識はしてなかったと言う。どうしても回答がほしいというなら、これまでの報告の切り貼りでよければ作りますよ、というとそれでいいとのことだったので、過去のメールを寄せ集めて文章を整えそれらしい文書をでっちあげる。新しい内容は何もないんだけど、形式が大事なのかな。臨機応変って言葉を知らないのかい。
13 Dec. 2005 (Tue)
今週のわがデンヴァーはボルティモアを地元に迎えての一戦。今季のボルティモアは調子がいまひとつだし、地元だしできっと勝てるだろうと安心していた。結果はといえば、勝ったことは勝ったのだが12対10という辛勝。去年はこういうところでよく取りこぼしていたので、負けなかっただけ改善されたと言えなくはないのだが心臓に良くない勝ち方だな。同地区で二位につけているサンディエゴとカンサスシティが揃って負けたのが救い。
12 Dec. 2005 (Mon)
今日の夕食は焼き肉。新橋の焼き肉屋で牛肉をつつく。今週は木金と続けて忘年会なので飲みは控えめに。
12 Dec. 2005 (Mon)
もう忘れかけていたボキャブラリーの件。「電話が入ってるんですけど」というセリフを聞いたときにはギャグかと思いましたよ。それにしても相変わらずですね。同じ内容の質問をいいまわしを変えているだけで完全にループしている。いつになったら飽きるんだろう。
12 Dec. 2005 (Mon)
先週金曜日の会議で「予定が決まったらお知らせする」ことになっていたはずだが、週明けの今日にいたるも音沙汰なし。念のため関係者に聞いてまわるが、やはり誰も聞いていないという。手助けはいらないってことだな。
12 Dec. 2005 (Mon)
最近入手した本を眺めていて気づいたこと。日本史学者で岩波文庫版「日本書紀」の校注をしている故井上光貞博士は明治の元勲井上馨の系譜上の曾孫、血統上の孫(娘の子)にあたり世が世なら侯爵を嗣いでいたはずだったそうな。同じく学者の大久保利謙博士が大久保利通の孫であることは知っていたけれど。だからどうしたというわけでもないのだが。
11 Dec. 2005 (Sun)
金曜の夜は1時前に就寝。そして昨夜は12時前に就寝してしまう。さすがに明け方に一度目が覚めたような気がするけれど、結局床を出たのは11時近かった。昨日はわりと日が差していたようだが、今日は曇りがち。なんとなく底冷えがする。午後から駅前に出撃して久しぶりに某古書店へ。ここではマンガにカバーがかかっておらず立ち読みができるのがいい。なんとなく気になっていたシリーズを少し読んでみてどうするか判断するためにはちょうどいい。もちろん古書で揃うんならそれでもいいけど。
10 Dec. 2005 (Sat)
金曜日に帰宅したのは11時前くらい。ちょっとアメフトを見始めたけど、疲れていたので12時ごろに切り上げて1時前に寝てしまう。平日だってこんな時間に寝ることはそんなにない。早く寝たにもかかわらず11時ごろまで寝てしまう。こんなに寝たのは久しぶりだ。今週は馬鹿の相手とかいろいろあって、疲れていたに違いない。昨日の続きのアメフトを見て、4時くらいから外出。秋葉原を真面目に巡回するといろいろと買うものが出てきてしまう。帰宅したのは8時過ぎ。
9 Dec. 2005 (Fri)
馬鹿な電話会議が終わったあと、隣のチームのメンバーとひとしきり「困った人だね」と言い合う。三十一が「彼とは先週からずっと付き合ってます」と言うと「偉いね」と言われてしまった。まあそういう人である。
9 Dec. 2005 (Fri)
馬鹿の案件その二。夕方から電話会議になったが、三十一側では調べるものが何もない。隣のチームでは少し調べるものがあるらしく、念のため時間まで見直して見るという。さて電話会議が始まって、その場で「特定のタイミングで起きてるみたいです」「パラメーターの設定で起こりにくくしたり、逆に起こりやすくしたりできると思います」と言ってみると「それはもう知ってます」 おいおい、「英知を結集する」んじゃなかったんですかい。その情報はみんな初耳みたいですが。情報も与えないでどうやって「英知を結集」するんでしょう。黙ってぼうっと待っていれば誰かが正しい答えを恵んでくれると思ってるのか? だいたい「もう知ってる」んだったらなぜ試してみない。当然のことながら結論は「じゃあやってみろよ」ということになる。とにかくパラメーターの設定を変えて起こりやすくし、その状態でデータを集めるということに。「いつ出来ますか?」というと「それはスケジュールを調整してみないと」と言うので「じゃあ決まったら教えてください」「でも設定は変えても起きるかどうかわからないですよ?」 そんなことはわかってるよ。だけどいつから設定変えるかがわかればこちらでも準備できるだろうに。「それはわかってるけど今週末に変更できるか、それとも来週になるかくらいかは教えてください」「でも、設定変えても起きるかどうかわからないですよ?」 馬鹿だこいつ。電話のこっちではみんな苦笑いしてる。同じようなやりとりが何度か繰り返されたあげく、電話のむこうで「いいからいつから変更できるのかわかったらお知らせして」「はあ、じゃあそうします」 最後までわかっていなかった様子。9時くらいまで待ってたけど結局その「お知らせ」は来なかったので今週末は必要ないものと判断。
9 Dec. 2005 (Fri)
馬鹿再来。そんな案件があることは知ってましたし、ちょっと首を突っ込んでいたことは確か。しかし、先週からの案件が落ち着いた途端に「実はこっちも」と言い出すとはね。これまでの案件は隣のチームと相談しながら続けていたんだが、こちらの案件はまた違ったチームと相談しながら進めていかなくちゃいけない。それにしても何だこの文面は。調査には資料が必要だし、それがないと進まないということはとうに(もう一週間以上前に)伝えているのに、「それは百万も承知ですがなんとか英知を結集して進めたく・・・」 えーと、ネタですか?
8 Dec. 2005 (Thu)
そういや今日は64年目の大詔奉戴日。今週は忙しくてそんなこと忘れてました。
8 Dec. 2005 (Thu)
ようやく馬鹿の相手が済んだと思ったらまた別件。なんでも去年三十一が同じ相手と似たような案件をやってたそうなんだけど・・・全然記憶にありません。いや、名前には何となく聞き覚えはあるんだが、でもその程度。しかし向こうは執念深く覚えているらしい。そんなこと言ったかなあ、オレ?
7 Dec. 2005 (Wed)
例の馬鹿と当面最後になりそうな電話会議。とにかくヤツは何でもいいから結論を人に出してほしいらしい。「チューニングが必要だ」という結論ならそれはそれでいいらしい。三十一ははじめからその可能性は高いと思っていたんだが、何しろ判断材料がなかったもので何とも言えなかった。今後は地道にチューニングをやっていって、特に状況が変わらないかぎりは電話会議はなし。やれやれ。
6 Dec. 2005 (Tue)
デンヴァー破れる。同地区のKC相手で、しかも敵地での試合だからヤバいかなと思ってはいたけれど、ヤな予感が的中してしまった。しかしまあ、負けるにしてもかなり競った試合だったようなのでまだマシかな。昨年までは負けるときは大負けするケースが多かったので。ただ考えようによっては「接戦を落とした」とも言えなくもない。ま、済んだことだ。来週来週。
6 Dec. 2005 (Tue)
会社に出てから今日の当番の席を見ると空いている。どうしたのかと思いながらもメールを確認すると、昨夜は0時5分に呼び出しを食らったらしい。可哀想に。しかし「ラッキー」と思う気持ちを禁じ得ない三十一は正直者。あと10分早かったら呼び出されたのは三十一であった。代わりに呼ばれたK君は朝方まで付き合わされ、その結果は「チューニングが甘いんじゃないの」というところ。昨日依頼したチューニングの結果、多少状況は改善されたがさらに負荷をかけると再発したらしい。そりゃ、誰もがそう思うよな。ちゃんとチューニングできる人に入ってもらえと言うと例の馬鹿は「わかりましたー」 やけにものわかりがいいのがまた不気味だ。
5 Dec. 2005 (Mon)
この週末、土曜日にちょっとメールを見て一悶着あったらしいことを知ってからというもの、怖くてメールを見ることができなかった。しかし週が明けてしまえばメールを見ないわけにはいかない。幸いなことに、土曜の夕方以降はそれほど展開があったわけではなさそうだ。そして今日もまた電話会議。相変わらず電話の向こうでは意味の通らないことを喋りまくっている。本人はすごく素晴らしいことを喋っているつもりらしいのだが。乏しいデータを調べていったところ、パラメーターがちゃんと調整されていないことがわかる。これ、デフォルトのままだな。例の馬鹿に電話して「調整してみて」と言ったら「そんなところじゃないかと思ってました」 だったらそう言え。言われてから「そうじゃないかと思ってた」ってのは誰でも言えるんだよ。いずれにしろ、今のままでは進まないので今夜にでもテストをしてもらうことになる。今日中に結果が出れば三十一が、夜中を回ってからなら明日の当番が呼び出されることで話はまとまった。会社で待っていてどうなるものでもないのでわりと早く帰宅し、あとはポケベルが鳴らないことを祈るばかり。12時を回ってベルが鳴っていないことを確認し、安心して寝る。
4 Dec. 2005 (Sun)
今日も昼近くまで寝てしまった。別に惰眠を貪っているわけではないのだよ。どう言い訳してもやってることに変わりはないけれど。さすがに今日は外出しないわけにはいかないと思っていたのだが、アメフト観戦が一段落してさあ出掛けようと立ち上がりふと窓の外を見るとベランダの床に水滴が。ありゃ、雨? 用事がなければ家にいるんだが、そうもいかないので降り始めた雨の中を外出。駅前まで外出したらもう秋葉原まで行くのも同じ。なので少し秋葉原に出て買い物をして帰宅。
3 Dec. 2005 (Sat)
起きたら昼すぎでした。調子がよくないところに加えて昨夜は帰宅が遅くなったので、無理もあるまい。それでもまだちゃんと休んだ気にならないのは精神的なものが大きかろう。アメフトを見て気分を直すことにする。デンバーが勝っているので、その点では安心だ。夕方になっていちおうメールを確認してみると、今朝から午後あたりにかけてまたもや一悶着あったらしい。桑原桑原。見なかったことにしよう。
2 Dec. 2005 (Fri)
そんなことをしていたら終電に乗り遅れる。明日、というかもう今日に入っての対応は当番の人にまかせてしまう。申し訳ない。会社の最寄り駅の終電には間に合わないが、上野の終電にはまだ少し時間がある。ので、会社の前から上野駅までタクシーを使う。運ちゃんに「何時何分の電車」と指定したので少し焦らせてしまったようだが、無事間に合って帰宅。自宅からメールなど確認してみたが特に動きはないらしい。ヤツの言うとおりに運んでいたらとっくに動いていてもよいはずなのだが。しかし別に心配してやる義理もないし、その気もない。3時ごろに床についたがどうもさっきの電話の余韻が残っていて気分が悪く、しばらく寝付けなかった。
2 Dec. 2005 (Fri)
助けてあげようと言う気をまったく起こさせない例の件だが、宮仕えの身であるからにはやらないわけにはいかない。最悪のケースは今夜から明日にかけて海のむこうに依頼しなければならなくなるため、その段取りを用意したりするために時間を食ってしまい、何だかんだと残っていた夜の11時ごろ、なぜか鳴り出した自席の電話をうっかりとってしまったのが間違いだった。げげ、例のヤツから直電だ。オトナな三十一は平静を装って用件を聞くと、似ているけど少し違う問題が起きてるらしい。しかし話を聞いているうちに何気なく尋ねたひとことがヤツの逆鱗に触れたらしい。「××でうまくいくか試せませんか?」 はじめヤツは意味がわからなかったらしく頓珍漢な返事をしてきたので、もう少し具体的に説明したところ憤慨の口調で「やるわけないじゃないですか!」とのたまう。えーと、ちょっと待って。困ってるんじゃないの? それでうまくいくんだったら儲けものじゃないかと思って言っただけなんだが、何を怒っているのかわからない。「どうしてそういう発想になるのか理解できないですね」とまで言われましたよ。こっちからすると、どうして思いつかないのか理解できないんだが。向こうは怒り、こちらは呆れる。三十一はこの会話で「こいつとはまともに会話もできない」と悟った。
2 Dec. 2005 (Fri)
例のむかつくヤツからマネージャーに文句メールが言ったらしい。望むところである。水曜に来ていた笑えるメールもいつのまにかうちのマネージャーに伝わっており、要注意人物というフラグが立てられたようだ。
2 Dec. 2005 (Fri)
病み上がりだというのにまた例のむかつくヤツを含めて電話会議。吼える吼える。ヒトラーとかスターリンの演説を思い出した。実際に見たことはないけれど。勢いだけはあるけれど内容がない、責任転嫁の嵐である。恐ろしいのは当人は多分本気で言ってるんだということ。ビリーバーに対するもっとも有効な対処は相手にしないことだけれど、相手をしないわけにいかないのが辛いところ。これまでいろんな困ったちゃんを見てきたけれど、最終的には仕事をうまく終わらせるという共通の目的があってどうにか折り合いをつけられたものである。しかしこいつにはどうしていいのかわからない。
1 Dec. 2005 (Thu)
はじめは今日も電話会議がある予定だったが、昨日のうちにテストができなかったので中止になった。ということで予定がなくなったので休むことにする。ずっと調子が悪かったのだが、このところの騒動で休むこともできなかった。病体に鞭打って出社しているのである。変なヤツの相手で精神的にも気分が悪いので、ここは休養をとるにしかず、と判断したのである。夕方まで寝ることにする。
30 Nov. 2005 (Wed)
むかつくヤツから来ていたメールを発見する。幸いなことに三十一あてではなかったが、中身を見て一瞬何を言っているのかわからず、次に呆れかえり、最後に笑った。これがにちゃんねるだったらネタとしか思えないような空疎な精神論の羅列。思わず回りの人間に転送してしまいましたよ。これがウケるウケる。真面目に相手しなきゃいけないほうは大変だが。
30 Nov. 2005 (Wed)
月曜に登場したむかつくヤツが再度登場。実際に顔を見たわけではなく電話会議でのやりとりだけだったのは不幸中の幸い。しかし言うことは月曜以上におかしくなっている。ものごとには順番というものがあるということをご存じないらしい。いくつもあるステップの最初の一歩を踏み出したばかりだというのに、「なぜ結論が出せないのか。結論が出せないのはそちらのミスだ」と言うのである。一緒に電話会議に出ていた人が「そういうものではない」と言うと「そういう考え方がよくないのだ」と戦時中の陸軍軍人とかどこかのプロ市民みたいなことを言い出す。馬鹿は相手にしないのが一番だが、仕事上相手にしないわけにもいかない。困ったもんだ。
29 Nov. 2005 (Tue)
聞いた話だが、今日は(も)非常に不思議な電話がきたらしい。ある一連の処理では関数コールを2回行なう。その処理を5分間に3万回実行しているんだという。おかげでCPUがぶん回っているらしいのだが、「5分間で関数コールが6万回出てますね」と言うと、「本当に6万回出てるんですか?」との質問。あの、3万回実行してると言ったのはあなたですよね。2×3万=6万。これは数学でもないただの算数です。「専門家に確認してもらえませんか?」 専門家って? 近くの小学校の先生にでも聞けと?
29 Nov. 2005 (Tue)
小惑星イトカワからサンプルを回収した(と思われる)探査機はやぶさだが、その後姿勢制御のためのスラスターに不具合が発生しているらしい。速やかに回復して無事帰還の途につけることを祈るばかりだが、しかし今回のサンプル回収に関して、JAXAではblogを開設してみたり、管制室からWebカムで実況中継してみたりとかなり広報に力を入れた気配が見える。ところが肝心の着陸が試みられているあたりでblogの更新がぱたっと止まってしまった。Webカムも音声がなく画像だけなので状況がよくわからない。もともとこのblogは現場担当者が更新していたもので、運用が佳境にはいった段階で手が離せなくなってしまったという事情はわかる。事情はわかるがしかし見ているほうは焦燥する。これは広報の場は作ったが体制までできていないからである。ただでさえ人手の足りない現場にタイムリーな広報まで背負わせるのは無理だ。状況を充分把握・説明できるだけの知識を持った、しかし直接の運用には携わらない広報専門の人間が必要に応じて情報を集めて整理・発信するべきだ。それはどちらかと言えば各運用チーム単位で考えるのではなく、JAXA全体として考えるべきだろう。
28 Nov. 2005 (Mon)
現場の人間がデータを保存したCDを持ってくる。それはいい。それはいいんだがそのついでにと言わんばかりにウチの部門に対する文句をまくし立てていく。わからないこともないことも含まれてはいるんだが、大半はここで言っても仕方のないこと。当人も「ここで言っても仕方ないんですけど」と言いながらもしばらく演説を聞かされるはめになる。これがまとめると「オレは悪くない、オマエらが悪い」と言う具合で不愉快きわまりない。ようやく話が途切れて当人が去ったあとで「むかつくヤツだったね」と言い合いながらもらったデータを調べにかかる。ところがあとから聞いた話によると、当人はそのあと隣の部とそれからひとつ下の階の部に現われて同じような文句を言って帰ったらしい。
27 Nov. 2005 (Sun)
夕方から秋葉原出撃。もともとは駅前まで洗濯物をとりにいくだけのつもりだったのが、気づいたら電車に乗っていて秋葉原でまたもやクラシックDVDを漁っていた。しかし今日は調子悪いなあ。喉が痛い。鼻がぐずぐずする。早めに帰ろう。
26 Nov. 2005 (Sat)
その後「はやぶさ」は離脱途中にスラスターに異常が生じてセーフモードに移行し、テレメトリーデータのダウンリンクが中断しているという。ありゃりゃ。対応がとれたことで致命的な問題ではないものの、一部では着陸自体が本当に成功したかどうか危惧する論調が見られるけれど、現在までの発表が正しければ着陸およびサンプル採取が完全に完了してからの問題なのでそれほどの問題ではないだろう。もっとも、リアクションホイールの故障で姿勢制御用の燃料はすでに逼迫しており、その逼迫度合いがさらに厳しくなったのは事実。
26 Nov. 2005 (Sat)
10時過ぎくらいまで「はやぶさ」の監視を続けていたが(正確には「はやぶさ」を監視していた「人」を監視していただけだが)、この後はデータをダウンリンクして解析することになり、その結果(ごく初期の結果)は午後にならないと出ないということだったのでいったん打ち切り、昼前くらいから秋葉原出撃。何だかずいぶん久しぶりにクラシックCDを買ったような気がする。そしてふと見ると輸入版クラシックDVDが安売りされていた。前述のような理由で輸入版DVDを買いあさっていたのだがこれは三十一にとっては千載一遇のチャンス、または店の策略に踊らされたともいうが、数枚手にしたところでふと不安に襲われる。これ、オレもう持ってるかもしれないなあ。いったん帰宅して確認することにして、どう考えても以前買ったことがない2組ほど買って帰ることにする。帰宅して棚を見ると、うーん、やっぱり。とりあえず手持ちのリストを作っておこう。ひょっとしたら明日また行くかもしれないし。
26 Nov. 2005 (Sat)
結局、気になってしまったのかどうだかわからないが7時ごろ目が覚める。ノートPCを枕元に引き寄せて布団の中からあちらこちらの情報サイトをハシゴしつつ状況を監視。JAXAのサイトでは管制室をWebカメラで中継している。音声も解説もないのでよくわからない。ちょうど最終降下に入ったらしいがそれ以降情報の更新がなくて状況がわからない。掲示板でも情報が届かずいらいらしている様子がうかがわれる。やきもきしながら待つこと30分、8時前ごろに「はやぶさ」が上昇に転じたことが伝えられる。やがて伝わってきた内容としては、シーケンスは全て正常に作動したということらしい。つまり「はやぶさ」は正しい姿勢でイトカワ表面に降下し、接地と同時にサンプル回収のための弾丸を発射したということだ。この弾丸によって飛散した表面物質は地上での実験によればほぼ100%の確率で採取できたとのことなので、プログラムは作動したが弾丸は発射されなかったなどということさえなければ(そして姿勢がきちんと地表を向いていれば)、サンプル採取はほぼ確実ということになる。これは世界で最初のことだ。この作業の成否は日本のみならず世界中の関係者の関心をひいている。アメリカの某宇宙関係ニュースサイト(こういうのが商業ベースでいくつも開設されてるのがアメリカという国だ)のトップ記事に日本のことが載ることは滅多にないが、ヘッドラインでかなり迅速な報道がなされていた。細かい挙動はこの後テレメトリデータが順次ダウンリンクされて解析されれば判明するだろう。もっとも、実際にサンプル採取できているかどうかは確認するすべがなく地上に回収されて実際に蓋をあけてみるまではわからないそうだが、着陸時の姿勢や機体に加わる力(下向きに弾丸を発射すれば当然上向きに加速度が生じる)を記録したテレメトリデータを確認すればきちんと作業が行なわれたかどうかが判明するだろう。はやぶさの着陸についてはリハーサルと第一回の試行はいずれもうまくいかなかったが、それぞれの結果をきちんと分析して次の機会に生かし、順次習熟して最終的には所期の目的を達成することができたのは実にすばらしいことだと思う。三十一はしばしば「失敗は成功のもと」と言い続けてきたが、それを目の前でしかもこれだけの短期間の間に見事に実践したことに何より敬意を表したい。
25 Nov. 2005 (Fri)
先週末に小惑星「イトカワ」に着陸とサンプル採取を試みてうまくいかなかった探査機「はやぶさ」だが当初の推測とは違って着陸していたことが判明。しかし異常回避モードに入っていたためにサンプル採取プログラムは起動せず、30分ほどイトカワ表面にとどまってから地球からの離脱コマンドをうけて離陸していたらしい。その後データの分析と対策を施し、着陸準備のための軌道修正もうまくいって今日の深夜から着陸を再試行、実際に行なわれるのは明日の朝7時ごろ、データがダウンリンクされて結果が判明するのは11時ごろになるという。一部ネットでは徹夜体制で監視する人もいるようだが、見ていて何ができるわけでもなし、また見ていると失敗しそうな気がするのでとりあえず寝ることにする。
25 Nov. 2005 (Fri)
今週のアメリカは感謝祭。つまり何が言いたいかというと、感謝祭の週にはアメフトの試合のうち2試合が木曜日に組まれるということである。伝統的にこの Thanksgiving game にはダラスとデトロイトがそれぞれ登場することになっているが、今年はこの感謝祭ゲームでダラスの相手をわがデンヴァーが勤めることになった。現地時間の木曜の夜は日本では金曜の昼間になる。夕方になってそんなことを思い出し、結果を見てみる。おお、勝った。敵地だからどうかなと思ったけれど、延長にまでもつれ込んで勝ったらしい。この後のスケジュールもけっこう厳しいけど、これで9勝2敗となってプレーオフはかなり濃厚。来週に同地区の@カンサスシティー、そして最終週にやはり同地区の@サンディエゴを残しているのでこれが鍵になるだろう。せめてこのどちらかをとりたい。そしてその他の残り試合を全部とれば13勝3敗となってシード権が確実。もっとも、AFC1位にはちょっと手が届かないかもしれない。何しろAFCではインディアナポリスが10戦全勝という成績なのだ。このままだとプレーオフで対戦するときにまた敵地で戦うことになってしまう。昨年、そして一昨年とプレーオフではいずれもこのインディアナポリスに敵地で大敗しているのだ。インディアナポリスが終盤戦コケて負けがこんでくれれば逆転できなくもないゲーム差だが、しかしレギュラーシーズン中には直接対決はないので完全に他力本願にならざるを得ない。
24 Nov. 2005 (Thu)
先週の末くらいからバタバタとしていた案件、本来は背後霊某氏が担当しているはずなんだがなぜか妙にこじれてしまっていろんなひとが首を突っ込むようになる。もともと某氏は自分で技術的な作業ができるわけでもなく、そういった部分については誰か適当な人間をひきずりこむことでどうにかこなしてきた。しかし今回の案件は少々複雑で、複数のコンポーネントの境界あたりで問題が起きている。こういった場合に某氏はどうするか。関係しそうなコンポーネントに詳しい人間を片っ端から引きずりこむのである。また引きずり込むときに関係性が薄いと真面目になってくれないので、少し大袈裟な説明をするらしい。結果としては個々の情報の整合性がとれなくなってますます事態は紛糾する。しかし肝心の某氏は平気な顔をしている。実際に動くのは自分じゃないからだろうか。
24 Nov. 2005 (Thu)
部長の補佐みたいなことをしている人が、背後霊某氏のところに何やら相談に来ている。この人は理屈っぽいというわけでもないがかなり合理的なものの考え方をする人で、要するに某氏とは正反対ということだ。以前この二人が話しているのを聞いていてとても面白かったことを思い出す。そのときには補佐氏が某氏に文句をつけており、理詰めで「そんなことではいけないだろう」と責めているのに某氏がのらりくらりと言い訳をしており、ついに補佐氏は「またそんな屁理屈を言って」とまで口にしていた。「また」と言ってるからには前々からそう思っていたのだろう。さて今回はどんなに楽しい会話が繰り広げられるのかと期待しながら聞き耳を立てていたのだが、さすが補佐氏は合理的な考え方をするだけあって異論のつけようもない明確な指示だけを示して話を終わりにしてしまった。「背景」とか「考え方」については説明するだけ無駄だと思ったらしい。
23 Nov. 2005 (Wed)
今日の出撃の目的は月末であるだけに各種雑誌の最新刊を確保すること。ほぼ計画通りのラインナップをそろえて帰途につく。今月の「世界の艦船」誌で「軍艦の儀礼」と称する連載が開始されていてちょっと「ヤバい」と思った。実は「海軍礼式令」と「軍艦外務令」の打ち込みが途中になったままなのである。少し危機感を刺激されたが、刺激されただけで行動に移るかどうかは別。
23 Nov. 2005 (Wed)
寝たのが遅かったので起きたのは昼過ぎ。先週末は結局秋葉原に行かなかったのでちょっくら出撃。昼間に電車に乗っているとけっこう貨物列車とすれ違う。土日運休というパターンが多いはずだが、祝日は運転してるのかな。20分弱の間に二本の貨物列車とすれ違ったが、いずれも専貨だった。ひとつはタンク車を連ねた石油専貨だ。いや、よく考えたら石油とは限らないんだな。もうひとつは今どき珍しい有蓋貨車を連ねていた。これは珍品と思ったが、列車の後半は高速貨物のようなコンテナ車である。しかし前半の有蓋貨車からして専用貨物であることは間違いない。有蓋貨車を使用した専用貨物の多くは紙専用で、しかしその紙専用列車もコンテナ化が進んでいるそうだからこれもそうかもしれないな。
22 Nov. 2005 (Tue)
明日は勤労感謝の日で休み。三十一もいちおうは勤労者のはしくれであるからして少なくともこの日は感謝される資格があるのだろう。まあ別に感謝されなくてもかまわないが単純に休日はありがたい。最近調子があまりよくないので今日は早めに床に就いて明日は心ゆくまで惰眠をむさぼろうと考えていた11時過ぎ、自宅の電話が鳴り響く。もの凄く嫌な予感がしたんだがやむなく電話をとると予感的中。「もしもしー。部長の××ですけど」 うきゃー。仲間うちでおそれられている部長の「もしもし攻撃」だ。なんでも前にちょっとだけ話を聞いた案件が急に急ぎになったらしい。「見たら名前があったから」 困ったことにこの部長は「ちょっと話を聞いたことがある」がいつの間にか「すべて承知している」に変換される癖があるらしい。まあ「伝わってることになってる」人だからなあ。「メール来てるからちょっと見てみて」 はあ。そんなこんなで結局1時過ぎまでかかってしまう。それから風呂に入ったりなんだかんだしていたら寝たのは2時過ぎ。しくしく。
21 Nov. 2005 (Mon)
「はやぶさ」について国内のマスコミがあまり大きく取り上げていないのはまあいいだろう。もっとも三十一もこのところまともにニュースなんて見てないんだが。「はやぶさ」の取り上げられ方を見てみようとネットでニュースサイトに行ってみて「ちかごろこんなニュースがあるのか」とようやく気づく有様だ。最近某建築士が強度計算を改竄していたらしい。へー。それはさて置き(さて置くな)、「はやぶさ」の運用に制約をあたえているのはリアクションホイールの故障にともなう姿勢制御用の燃料の想定以上の消費である。三軸制御のために3基装備されていたリアクションホイールのうち2基が故障してしまった。問題はこのリアクションホイールが米国製でしかもその構造についてはブラックボックスになっているらしい。購入の際にはリバースエンジニアリングを禁じるという契約を結んでいると言う(11月12日の記者会見における質疑応答による)。この blog で松浦氏も論じているが、国産国産と唱えていても基礎的な部品を外国に押さえられていては技術力も何もあったものではない。技術立国を目指すといいながら地に足のついた研究開発がなおざりにされているようにすら思う。
20 Nov. 2005 (Sun)
「はやぶさ」は降下途中で連絡がとれなくなったとか。その後、関係者の努力で連絡は回復したが目標の小惑星イトカワからかなり離れてしまったらしい。サンプルの回収はできなかったと考えられている。何らかの原因でセーフモードに入ってしまったらしく、スピン安定しながらビーコンを送ってきている。今後はまず三軸制御を回復し、テレメトリデータを落として何が起こり何が起こらなかったのかを分析して、25日に予定されている次の機会に備えることになる。個人的な意見を言えば25日にこだわる必要はないだろう。しかしイトカワを脱出して地球に向かうウィンドウの都合があるのでそうそう延ばすことはできない。詳しくはこのへんを参照。
20 Nov. 2005 (Sun)
昨日はたっぷり寝たせいか、今日は比較的早く目が覚める。しかし今日は今日で、新しく観戦しなくてはいけないアメフトが2本ある。これだけで6時間くらいつぶれてしまう。夕方から駅前に出撃して買い物。時刻表の時刻改正号が出ていたので入手してくる。
19 Nov. 2005 (Sat)
今日は寝る日。午前中いっぱい寝て、一日ごろごろする。本当はそんなつもりではなかったのに、結果としてそうなった。まあそれもいいか。急いで秋葉原に行く用事もないし。よく考えたら、何も毎週秋葉原に出掛ける必要もないんだ。よく考えなくてもわかりそうなものだけど。
18 Nov. 2005 (Fri)
研修最終日。講師の外人はこの週末に鎌倉に行きたいとかで「どうやって行ったらいいか」と隣の席の人間と侃々諤々している。だがちょっと待て。隣に座っているのは中国人だ。外人講師がわざわざカナダから日本に来るとかで受講するために中国から来ている中国人だ。カナダ人以上に東京の交通事情に詳しいとは思えない。あんのじょう、中国人はさらに隣の席の人間に尋ねている。惜しい。彼は確かに日本人だが、大阪勤務である。少し話したかぎりでは、東京の地理にはそれほど詳しくないようだ。カナダ人と中国人と大阪人が顔をつきあわせて東京から鎌倉までの道のりをああだこうだ言っているのはなかなか不思議な光景である。しょうがないんでJR東日本のサイトから列車系統図を印刷し、赤ペンで印をつけて教えてやる。さて、来週の研修にこの講師はちゃんと現われるだろうか。ある意味楽しみである。
17 Nov. 2005 (Thu)
何か調子がよくないなあ。喉が渇いて頭がぼうっとするのは熱があるのだろうか。講師がしゃべっている内容があまり頭に入ってこないのは、熱のせいであって英語だからというわけではない(わけでもない)。しかし自席に戻ってみるとすぐ近くで「暑い暑い」とつぶやく人がいる。ちょっと理解できん。
16 Nov. 2005 (Wed)
よーし、勝った。相手は地区最下位とは言え同地区で負けられないオークランド。敵地に乗り込んでの試合なので、しかもオークランドなので絶対勝てるとはいいきれないなあと思っていたのだが、結果をみると31対17でみごと勝利。2TD差で危なげない勝ち方だと安心していたのだが、いざ細かいスコアの経緯を見てみるとこれがどうも手放しで喜んでいられないようだ。相手のオークランドの得点、17点がすべて4Qに入れられているのだ。おいおい。4Q逆転勝ちと言えばかつてはエルウェイ率いるデンヴァーの専売特許だったのに、どうも最近は4Qに逆転されるケースが多い。この試合にしても、勝ちはしたものの4Qに17点(2TD+1FG)もとられているなんて気が抜けているとしか思えない。前半に大差をつけていたからいいようなものの、もう少し競った試合だったらわからないぞ。困ったもんだ。
15 Nov. 2005 (Tue)
帰宅途中で貨物列車とすれ違う。なんかこのシチュエーションは見覚えがある。同じ電車に乗った経験があれば当然同じ場所で同じ列車とすれ違うはずだからそれは当たり前だ。しかし、その列車がどこからどこに行く列車だろうと気になったりするのは最近である。困ったことに調べる気になれば調べられるようになっているのだよ。
15 Nov. 2005 (Tue)
昨日言ったように今週は研修。研修中にテストで使うためにUNIXマシンにアクセスする。自分がテスト用にもらってるマシンなので好き勝手できるマシンなんだが、こいつがしょっちゅう落ちるのだよ。UNIXにあるまじきことだ。まあ設定が悪いんだろうけど。ところが、締め切りのマシン室におかれているので再起動がけっこう面倒くさい。同じ建物の中ではあるけれど、少し歩いていって暗証番号で鍵をあけて入らなければいけないのだ。何度かそんなことをやってる間に落ちる原因がわかった。こないだ、別件でテストしたときに設定を戻してなかったのでした。自業自得なり。
14 Nov. 2005 (Mon)
げげ、週末ダウンしていたせいで全然気づいてなかった。この週末に「はやぶさ」が着陸のリハーサルをしたらしい。「はやぶさ」と言っても熊本行きの寝台特急ではなく、小惑星に軟着陸して表面物質を地球に持ち帰るという任務をもつ探査機である。リアクションホイール(昔の用語で言うならジャイロだな)が3基中2基故障してしまったおかげでなにかと関係者は苦労しているようだ。結局、搭載していた超小型探査機「ミネルバ」は放出されたもののタイミングを誤って対象の小惑星イトカワの重力圏を脱出してしまったらしい。本番はこの週末あたりになるようだ。
14 Nov. 2005 (Mon)
今週一週間は全部研修。講師は外国人。と言っても別に英会話教室ではない。カナダから開発者が技術的な内容を伝授しに来るとか。もっとも伝授の対象は本来われわれではなく、三十一はそこに便乗させてもらうだけなのだが。今週と来週と二回やることになっていて、とりあえず一度目には三十一を含む数人、比較的「技術寄り」と見られている人間が傍聴し、来週の二度目はもうちょっとなんというか「リーダー」中心のラインナップになっている。初日聞いてみての感想だが、これかなり濃いぞ。対象が完全に技術者寄り、それも三十一なんか目じゃないくらいディープな連中が対象なのでかなり濃度が高い。大丈夫かな、来週の分には背後霊某氏が出ることになってるんだが。絶対に内容は理解できないと思われる。馬鹿な質問したりしなければいいけど。
13 Nov. 2005 (Sun)
週末の二日目、いつものように秋葉原に出撃。やはり週末のうちに一度はでかけないとね。天気もいいからきっとホコテンだろうし、巡回するには好都合である。というわけで午後から秋葉原をしばらくうろつく。そういえば手持ちが少ないんだったとおもいつき、秋葉原でもっとも便利な場所にある某銀行へ。あれ、休み? なんで? 今日は祝日じゃないよね。おお、そう言えばこの銀行はシステム統合テストのために週末に取引きを止めることがあると言っていたなあ。今日だったのか。しかし、他の場所ならともかくこの支店は日曜日に止めると大打撃ではなかろうか。どうせおろすやつばかりだから関係ないかな。さて、しばらく歩いているうちに調子が悪くなってきたので適当に切り上げて帰宅する。やっぱり無理しちゃいけません。
12 Nov. 2005 (Sat)
久しぶりに天気のよい週末。しかしそれに反比例するかのように調子が悪い。去年はそれほど体調を崩さなかったと思うんだけど、一年でそれほど歳をとったとは思えない。だがまあ調子が悪いのには勝てないので自宅で静養に努めることにする。アメフトも見なきゃいけないしね。今週はできるだけ夜更かしをしないようにしていたので平日にはあまり消化できなかったのだ。
11 Nov. 2005 (Fri)
今日は三種類の当番で一番ヤなPB当番。朝は9時まで自宅待機なので8時半に目覚ましをしかける。朝が遅いので夜更かししてもいいもんだが、しかしここしばらく調子がよくないので早めに床について少したっぷり寝ることにする。起きてベルを見る。うん、鳴ってない。前回は久々にアタリを引いてしまったが、今回はやり過ごせるといいなあ。夕方になってそろそろ帰宅しようかというころに少し怪しい雰囲気が漂っていたのであわてて帰宅。どちらにしろ、燃え上がったときにはポケベルが追いかけてくるので逃げても無駄なのだが。しかし結局は何もなかった模様で、日付が変わったのを確認して態勢を解く。やっぱり前回が特殊だったんだな。
10 Nov. 2005 (Thu)
西から若者がやってくる。いやまあ、大阪勤務の若手が来月から東京に来るのでその挨拶に来たというだけなんだが。名前は知っていたが実物を見るのは初めてだ。なんでも団塊世代の引退に備えて後継育成含みで小父さん連中に弟子入りするという感じらしい。えーと、後輩の彼と同期らしいので、3年目とか4年目とかだなあ。三十一にもそんな時代があったのが信じられないくらいである。小父さんは手下ができて嬉しそうだ。
9 Nov. 2005 (Wed)
朝、出社して海の向こうへの質問からの返事をつらつらと眺める。朝まずメールを確認するという人は多かろうが、もちろん三十一もそれはするのだが、メールなどというものがこんなに普及する以前から三十一の部署では海のむこうと頻繁にやりとりが行なわれるためにそのための特殊なシステムが存在する。かつてはそれが我が社のひとつの「売り」になっていたものだ。さて、今朝は三十一あてのものにはそれほど大した内容はない。眺めているうちに気づいたのが、背後霊某氏あてのもの。なんだこれ。書き出しがこれかい「その質問にはすでに答えたのになぜ同じことを聞いてくるのか」。ひえー。さかのぼって履歴を読んでみる。ああこれだな、以前の回答というのは。しかしどうもよく理解できなかったらしく先週あたりにまた漠然とした質問が某氏から出されているが、それにはしばらく返事がされていない。手にとるようにわかるよ、むこうの心理が。すでに答えたはずだと思ってるからしばらく放置モードになっていたに違いない。しかし某氏にはそんな心理戦は通用しない。彼はマネージャーを動かして相手側のマネージャーに昨夜メールを送らせている。やめてくれー。某氏だけが嫌がられるのはともかく(その筋からかなり嫌われているという情報は伝わってきた)、こっちまで同類だと思われるのはかなわない。
8 Nov. 2005 (Tue)
今日は当番。だいたい、当番が各種とりまぜて三種類もあるというのはどうにかならないものか。今日の当番は他の当番に比べれば軽いものではあるが面倒なことには変わりがない。
7 Nov. 2005 (Mon)
帰宅途中、上野駅から電車に乗ると寝台特急がすれ違った。この時間に上野に向かう夜行列車があるわけないので、これは車両基地から上野に回送される列車であろう。先頭の列車名は見逃したが、客車側面の行き先表示板には「青森」とある。青森? 青森行きの寝台特急は廃止になったはずだけどなあ、と一瞬首をひねる。東北本線を走る寝台特急は札幌行きの北斗星やカシオペアだけになってしまった。ということは、これは東北本線の寝台特急ではないのではないか。となるとあと考えられるのは上越羽越線経由秋田方面行きの「あけぼの」だ。あけぼのって青森行きだったっけ。秋田止まりじゃなかったのか。上野駅に回送される寝台特急は機関車が後ろから押す形になるから、最後尾にEF81がついてるはずだ。すれ違いざまにヘッドマークを確認すると、やはり「あけぼの」でした。
7 Nov. 2005 (Mon)
今週はわがデンヴァーは休み。当然のことながら中継もない。であるから、早々に公式サイトで試合結果を確認する。普段、ゲームがあって中継があるときには、実際に試合を見るまでできるだけ試合結果は見ないようにしているのだ。デンヴァーだけ見ないようにできればいいのだがサイトの構造上そうもいかない。とは言え、中継が週の後半にかかるようだと待ちきれずに結果を見てしまうこともあるのだが。
6 Nov. 2005 (Sun)
最低限の用件だけすませて帰途につく。上野から電車にのって座席に座ると、ちょうど同時刻に発車した東北線(宇都宮線などという名称はあまり好かない)の列車が並行する。あー、二階建てグリーン車だ。東北高崎線のグリーン車連結は需要がないのではないかと言われていたが、休日の昼間という時間帯であってもそれなりの乗車率のようである。隣に座っていた年輩の夫婦が同じ列車を見て「急行だね」と言っていたが、残念ながらもう上野口に「急行」は存在しないのだよ。その「急行」は三十一が乗っている列車を置いて先行してしまった。ああ、行っちゃったなあと見送っているとその間、東北線の上り線を短い編成がすれ違っていった。あれ? あれは確かJR東日本が客車に代わって製作したという軌道試験車では? JR東日本の電化区間のほぼすべてを走行できる電気方式と保安設備を持ち、線路などの軌道と架線の試験を同時に行なえるというスグレモノであるらしい。見えたのはほんの一瞬だが、実車を見たのは初めてだ。
6 Nov. 2005 (Sun)
秋葉原に到着、まず軽く何軒か回ったけれど、たまたま持ち合わせが少なかったので銀行におろしに行く。休み? なんで? 日曜なのは確かだけれど、だからって休みとは、と不審だったが思い出す。そういやこの銀行は合併準備のためとかで何度か週末のATM営業を休むんだったっけ。今日だったのか。それにしても、秋葉原の中心にあるほとんど唯一のこの銀行が休みだと影響を受けるヤツが沢山いるんだろうなあ。しょうがないので、カードが使える店ではカードを使い、ニコニコ現金払いの店のために残り少ない現金をとっておく。
6 Nov. 2005 (Sun)
少しは調子がよくなったのかなあ。まだまだ頭はぼうっとしてるけれど、延び延びになっていた散髪にいい加減に行きたい。それから、かつかつ自転車操業をしているDVD−RW(CPRM)を早急に調達する必要がある。ので、昼前くらいから床屋に行き、それから秋葉原へ。ちょうどE531系の特別快速がやってきたので乗り込む。通算3度目になるが、特別快速のE531系に遭遇するのは初めてだ。亀有綾瀬近辺では確かにかなり飛ばしているように見える。130km運転かどうかはわからないが、これまでの他の車両よりも明らかに速いのは確かだ。
5 Nov. 2005 (Sat)
この週末は土曜日はいい天気だが、日曜日は雨になるという予報だ。本来ならば外出は今日のうちにしておくべきだが、体調がそれを許さない。今日こそは昼まで寝て、午後からはアメフトなど見て過ごす。今週はデンヴァーが勝ったので安心していられる。同地区の他チームは星のつぶし合いをしているようで、展開としては望ましい。ニューイングランドもモタモタしてるし、プレイオフはかなり確実。あとはシードをとれるかどうか、というところか。
4 Nov. 2005 (Fri)
結局昨日は当初の予定だった完全休養日にはほど遠く、体調は戻ったような戻らないような。完調でないことに疑問の余地はないのだが、少しでも改善したのやら。ためしに昼食をいつものメンバーで食べに行く。行き先は中華料理屋。三十一の胃袋はラーメンに耐性がないので、ランチメニューの空心菜炒め定食を注文。しかし一緒に出掛けた3人が誰ひとりとして空心菜を知らないというのはちょっとびっくり。結局ご飯を少し残してしまったが、戻ってくる途中で「やめとけばよかった」と思った。まだ無茶はできないということだな。空心菜炒めを食べるというのが「無茶」だというのも情けないが。
3 Nov. 2005 (Thu)
会社に電話してみると、なんでも「昨日の質問についてだそうですけど」 昨日の? 昨日相手していたのは三十一ではないのだが? だいたい昨日の質問をなんでいまごろ。と言ってもしかたないので電話すると、「昨日、こういわれたんですけど」 知らんがな。想像力を駆使して何とか丸め込む。「じゃあ何か進展があったらまた呼び出してくださーい。じゃあ」と切ってしまう。「相談してみないと・・・」とか言ってたから、きっと今日はもう来ないだろう。
3 Nov. 2005 (Thu)
目が覚めたときには12時を回っており、すでに1時に近い頃。普段なら「よく寝た」と言えるかもしれないが、なんだかあまりちゃんと寝た気がしない。まあさすがにもう呼ばれることもないだろう、さっき途中にしてしまったアメフトでも見るかと、観戦し始めて少し経った1時半ごろ、再度ポケベルが鳴る。勘弁してくれー。
3 Nov. 2005 (Thu)
明け方の4時にポケベルが鳴るなんてことは久しぶりだなあ。もちろん機嫌がよかろうはずもないが、呼び出すほうも仕事だからそれをぶつけてもしょうがない、と普段の三十一なら思うところだ。しかし今回はちょっと違う。電話したところ、相手はこうのたまった。「××の件で開発から連絡があったんですけど」 ・・・で? 言っておくが三十一はその××の件については何も知らない。連絡があったからどうしろというのだ。「いや、連絡があったら呼び出せと言われたんで、その通りしただけなんですけど」 わかってる、わかってるよ、多分そう言われたのは本当なんだろう。しかしなあ、明け方に起こされたあげくその理由がわからないというのでは思わず口調も厳しくなるというもの。話をしているうちに、こいつ相手に何を聞いても無駄だと思い始めたので、必要最低限の情報だけ聞き出して(逆に言えばそれしか知らないのだが)電話を切る。きっとメールでも来ているんだろう。おお、来てる来てる。少し前、夜中の1時過ぎに来たメールなんか見てるわけもない。「連絡があったらよろしく」ね。よろしくされるのはいいが、もともとの案件の内容がよくわからないなあ。明け方の4時とか4時半とかいう時間にログを読み返す。ふと、何でオレこんなことをしているんだろうと思ったりもする。どうにか内容を理解し、メールを書き、済まないがと思いつつ電話をし、ひととおりの対応を済ませたのは6時を回ったところ。ちょうどアメフトの中継(録画だけど)が始まっていたので少し見たりしたけれど、さすがに早々に切り上げてまたも布団に潜り込む。
3 Nov. 2005 (Thu)
今日は明治節で祝日。世間で何と呼ぼうと知ったことではない。ポケベル当番ではあるものの、そうそう呼び出しがあるとも思えないので、昨夜は早めに寝てしっかり睡眠をとり少しでも体調の改善につとめようと思っていた。なのにどうして明け方の4時に起こされるんだ。
2 Nov. 2005 (Wed)
先週はニューヨーク・ジャイアンツに馬鹿な負け方をした。今週はホームとは言え昨シーズン、スーパーボウルにまで出たフィラデルフィアが相手である。厳しい相手ではあるがどうしても負けられない。見ていると前半の早い段階で次々に得点してあっと言う間に引き離してしまった。ところがこれで安心できないのが我がデンヴァーである。心配事は万人共通らしく、テレビの解説者も現地TVのコメントも、この後の反撃を止められるかどうかというところを問題にしていた。その心配は杞憂ではなかったらしく、前半終了間近まで28対0だったのが、3Qが終わるときには28対21と1TD差にまで追いつかれていた。おいおいと思いながら見ていたが、ここでルーキーDBがこれ以上ないというタイミングでインターセプトを奪い、以後勢いにのって加点して結果的にはダブルスコア以上で勝利。それにしても、冷や冷やさせてくれる。
2 Nov. 2005 (Wed)
今日もひとりで食事。
2 Nov. 2005 (Wed)
今日は深田恭子の誕生日だが、正直それどころではない。
1 Nov. 2005 (Tue)
病み上がり、と言うより「病み上がらず」。あまりいつまでも休んでいると三十一がいなくても大丈夫であることがバレてしまうので、まだ足元が覚束ない状態で出社。いつもの面子に昼食に誘われたが、重たいどころか普通の食事であってもまともに胃袋が受け付けそうもない。「軽いものが食いたい」などというと不満を抱く人間がいそうなのでここは別々に行ったほうがお互いのためだろうと判断して断わる。同じビルに入っているコンビニでサンドイッチなどつまむ。脂がないのがいいよね。ところが、夕方から勉強会があったらしい。正直忘れていました。これが終わったのが7時半ごろ、ちょうどそのタイミングで社内の知り合いから電話がかかってきた。それの受け答えなどしていたら8時を回ってしまう。早く帰ろうと思ってたんだけどなあ。
31 Oct. 2005 (Mon)
昨日からどうも調子が悪いと思っていたのだが、目覚まし時計に起こされた瞬間「だめだなこりゃ」と思った。どうにか布団から這いずり出、メールで「休みます」という事実だけを知らせておいてまた布団に逆戻り。夕方になってテレビをつけたらちょうど小泉改造内閣の閣僚が発表されていたので、つい見入ってしまう。普段なら閣僚リストを手元に保存するところだが、さすがにそこまでする元気はなかった。
30 Oct. 2005 (Sun)
日曜だがポケベル当番なので外出できない。アメフトもだいたい(全部ではないが)見てしまったので、今日はわりと時間がある。そこで今日は溜まってしまった未見のDVDを少し片づけることにする。なんでそんなものが溜まってしまうのやら。まあこの時期はしょうがない。
29 Oct. 2005 (Sat)
昼過ぎくらいまでアメフトを見て、その後秋葉原へ。今週はけっこう緊急な用件がある。HDDに録画したアメフトの試合をDVDに移す、そのためのCPRM対応DVD−RWが足りなくなってしまったのだ。あんまり溜めておくと容量が足りなくなるのでとっととダビングしてHDDを空けなくてはいけない。先日試し買いした安物DVD−RWが使えなかったのが痛い。やっぱり安物はダメである。夕方から雨に降られたが、そんなにひどくならなかったのでまあいいだろう。
28 Oct. 2005 (Fri)
夜から食事会。飲み会かな? でもそれほど飲んでいない。あー、まあ予想はしていなくはなかったけれど、独演会になっちゃったなあ。昨日あれだけ喋ってまだ足りないのか。その話、昨日も聞いたような気がするし。
28 Oct. 2005 (Fri)
日本シリーズがロッテの勝利に終わったのは昨日だったかそれとも一昨日だったか。そして今朝のニュースでアメリカのワールドシリーズが終わったことを知る。いやー、よかったよかった。これで野球のシーズンは完全に終わりを告げた。ワールドシリーズとNFLの中継がダブったりしようもんなら、どう考えてもワールドシリーズのほうが優先されてしまうだろう。そういう事態がもう今年は生じないということで、放送予定の突然に変更に怯える必要はほとんどなくなった。
27 Oct. 2005 (Thu)
夕方、後輩の席の近くで少し世間話をしていたら、そこに近づいてくる人ありけり。そしてそのまま井戸端会議モードに突入。うーむ、確かに最初に世間話をしていたのは三十一だが、それっきり壁際に押し込まれて井戸端会議に一時間も付き合わされるという状態はちょっと勘弁して欲しかった。仕事の合間の息抜きのはずだったのが、ずーっと立ち話をする羽目になって足がだるくなってしまった。6時半から7時半まで、抜け出すタイミングをはかりながらも結局成功せず、ようやく話を切り上げて自席に戻ったかと思えば三十一たちを拘束していた当の相手はさっさと帰り支度をして帰ってしまった。あのなー。
26 Oct. 2005 (Wed)
電車の中でみかけた違和感を感じた表現。「安心で暮らせる街」 流す人は流してしまうだろうけど、どうも三十一は違和感を禁じ得ない。ひっかかったのは「安心で」という「で」の部分。「安心で」は「安心だ」という形容動詞の形容詞的もしくは副詞的変化と考えられる。あとに来るのが「暮らせる」という動詞だから副詞的変化かな。だけど形容動詞はどちらかといえば本来形容詞である語を動詞化したという意味合いが強い。つまり形容詞→形容動詞→形容詞または副詞という変化を経ているわけで、不必要にまわりくどく結果としておさまりが悪い。三十一的には「安心して暮らせる街」ならそれこそ「安心して読める文」なのだが。ちなみにこの広告の主は天下の警視庁である。
25 Oct. 2005 (Tue)
会社の自席でまったりとPCに向かっていたら後ろから先輩に声をかけられる。「なあなあ、三十一(仮名)さあ・・・」「は?」「お前、昔××の件をやってたよなあ」 何年前の話ですか、そりゃ。そんな聞かれたって「やってた」ということしか覚えてない。細かい内容なんてとうに記憶の地平線の彼方である。古いメールを掘り起こしてみる。 4年前? あれもうそんな昔かー。どちらにしろ、三十一がやっていたころは前のバージョンの時代で、今のバージョンではかなり変わっているはずだ。参考にはなりません。
24 Oct. 2005 (Mon)
ほぼ一年前の歯痛騒動以来、日常使用になっているノートPCをアップグレードする。と言ってもメモリーを256MBから512MBに増強しただけだが。いまどき256で使うのもどうかと思わなくもないが、それほど重たいソフトを使っているわけでもないのでこのままでもいいかと思っていた。だがしかし、ノートPCだから使わないときはサスペンドして使うときにリジュームする。そのリジュームが意外に時間をくうのだ。HDDのアクセスランプがしばらくつきっぱなしになって固まる。リジューム中だから仕方がないかなと思っていたのだが、ある日ふと気づく。メモリ足りないんじゃないの? そこでシステムのプロパティを調べてみて「256しか積んでないのか」とその時に知った次第。まあ急ぐ話でもないけれど、いつでも追加できるように相場くらいは調べておいたんだが、今日はたまたま早めに帰ることができたので少し探してみたら適当なものが見つかったので買ってしまった。帰宅してノートPCをいったんリジュームしてシャットダウンし、電源を抜き、バッテリーを抜き、少し待って完全に放電させた上でメモリーを追加。そして起動。んー、なんとなく速くなったような気がする。
24 Oct. 2005 (Mon)
うわー、負けたー。けして調子がいいとは言えないニューヨークジャイアンツに負けるとは。しかも負け方がよくない。試合時間残り5秒でタッチダウンをとられて1点差で逆転負けをくらった。実際の試合はまだ見ていないのでどんな展開だったのかはよくわからないけれど、去年もさんざん煮え湯を飲まされた詰めの甘さが、今年はなりを潜めていたかと思っていたのにここに来てまた出てきた。ついこないだ「今年は強い」と思ったところだったのになあ。実際のところ、戦力レベルは間違いなく上がっているのにこんな負け方するのは、選手よりもむしろコーチに問題があるのではないかと思い始めている。
23 Oct. 2005 (Sun)
早起きして免許の書き換え。それから昨日行けなかった神保町。日曜なので古本屋めぐりはできないけれど専門書店をまわって専門書を(あたりまえだ)入手。それから秋葉原へ。昨日も行ったところだけど、帰宅してから回り忘れを思い出したのだ。かなり時間が遅かったからなあ。歩行者天国を横切って駅へ向かい、少し早めに帰宅。
22 Oct. 2005 (Sat)
当初の予定では神保町と秋葉原をハシゴするつもりだった。しかし昼前くらいに起きて外を見ると雨。しょうがないのでアメフトを見始める。たぶん晴れていてもつい見てしまったような気もするが。2本ほど観戦し終わって3時ごろ、雨が降っていても駅前くらいまで買い物に出てみようと外を見るとどうもやんでいるらしい。駅前出撃の予定が急遽秋葉原になる。CDと書籍を少々確保。月末なので雑誌系が多く出ている。あとはパーツを少し見てまわったんだが目的のものはあまり見あたらず、やっと見つけたものもそれほど安くない。これなら通販のほうが安いかもなあ。出たのが遅かったので帰宅は9時前。
21 Oct. 2005 (Fri)
三十一の今年のお盆をまるまる潰してくれたプロジェクトの打ち上げに呼ばれた。打ち上げって言うからには、終わったんだろうな、きっと。とは言え、結果として三十一は大したことはせずにただ待機させられただけなのでプロジェクトメンバーとはほとんど面識もなく、名前もわからない。居心地が悪くなることは予想されていた。場所は銀座の和食屋。連れだって出掛けて魚をつつきながらビールなどを流し込む。途中でなぜか外人が登場する。別のテーブルについたので会話をせずに済んだのは幸いだった。もっとも仕事の接点が全然ないので話も合わないに違いない。しかし「各チームから代表で」ということでひとりずつ挨拶をする羽目になり、どこまで本気だったのかわからないが「外人がいるので英語で」。マジですか。怖いことに「英語で挨拶しろ」と突然言われて、できてしまう人間がいるのがウチの会社だ。次々に立って挨拶しているのだが、みんな英語。これは三十一も英語でやらざるを得まい。順番が回ってくるまでに必死で内容を考えて反芻する。おかげでどうにか格好がついたようだ。当然のごとく連中は二次会に向かったが三十一はもう付き合う気力が残っていないので、フェードアウトして帰宅する。
20 Oct. 2005 (Thu)
先日、思わずさぼってしまった会議の続きの会議が開催される。頼まれたときからすでに趣旨がよくわからなかったんだが、出てみてもやっぱり趣旨がわからない。とは言え、前回さぼってしまった負い目があるので変な質問もできないし途中で抜け出すわけにもいかない。負い目を作るもんじゃないなあ。しかしそういう時にかぎって三十一あてに電話がかかってきたりする。普段そんなに電話を受けるわけではないのに、ほんの30分くらいの間に全然別のところから2件かかってくるってどういうこと? チャットで「あとでかけ直すって伝えて」とお願いしておいて会議に参加し続けるが、これが眠い眠い。三十一にはよくわからない話をしてるなあ、とぼーっと聞いているうちにどうやら時間は過ぎ去り解放される。やれやれ、急いで電話しなきゃ。
19 Oct. 2005 (Wed)
強いぞデンヴァー。ニューイングランドにも勝った。いやー、今年は強いわ。これは本当に地区優勝どころかプレーオフのシードも夢じゃないなあ。他地区にシンシナティとかインディアナポリスとかやっぱり負けないチームがいるのでホームフィールドアドバンテージ(カンファレンス優勝)は難しいかもしれないけど。期待は高まる。なにしろ今年は守備がいい。DEトレヴァー・プライス以外をほとんど全とっかえしたDLは破壊力が増した。LBではMLBのアル・ウィルソンは相変わらずNFL屈指のパフォーマンスを見せ、昨年新人で活躍したDJウィリアムズも計算できる。そこにイアン・ゴールドが戻ってきた。昨シーズン、イアン・ゴールドがタンパベイに移ったのが三十一的にはもっとも痛い転出だっただけに、今年の出戻りは非常に嬉しかった。DB陣もベテランのリンチとベイリーが怪我勝ちであるのが不安材料ではあるが、ドラフトで上から3人すべてDBを指名しただけあってかなり若返った。オフェンスは相変わらずタレントに不足していないので、QBプラマーのインターセプト癖が出なければかなりいいところにいけるだろう。あとデンヴァーに必要なのは勝負強さか。こればっかりはHCシャナハン、OCキュービアックなどのコーチ陣に頑張ってもらうしかない。
18 Oct. 2005 (Tue)
帰宅して落ち着かない時間を過ごしたが結局何事もなく12時をまわってお役御免。最近どうもひきが強くなってきたようだと思っていたけれども、今日はアタリなし。いいことである。
18 Oct. 2005 (Tue)
今日はポケベル当番なので遅く出勤して早めに帰宅する。調子はまだよくないので呼び出しがないといいなあ、と思いながらも誰かに代わってもらったりしてもどうせ別の日にまたやらされるのだから同じことだ。6時半ごろに会社を出るとちょうど帰宅ラッシュの真っ最中。普段はもっと遅いのであまり混雑には慣れていない。上野から常磐快速に乗り込んだが発車しない。アナウンスによると三河島で貨物列車の故障があったために発車が遅れているらしい。非常ブレーキが動作したといっているので、貨車間に連結されているブレーキホースから空気が漏れたのかもしれない。ブレーキの空気漏れがあっては列車は運転できない。つなぎ直して制動試験をやりなおさなければいけない。この制動試験が正常でなければ列車を運行してはならないことになっているからだ。結局30分ほど待たされて線路があいたらしく発車。
18 Oct. 2005 (Tue)
隣の席の後輩から質問をうける。パラメーター設定について、ある事例では減らせとあり、また別に事例では増やせとあるのでどっちにしたらいいんでしょうという質問だ。「矛盾してますー」 それは別に矛盾しているわけではないのだよ。ある面から見ると減らす必要があり、また別の面から見ると増やす必要がある。それはまったく別個の事象で、その対策として同じパラメーターを減らしたり増やしたりしているだけなのだ。つまりこの後輩はそれぞれ「なぜ」減らし「なぜ」増やすのかがわかっていないから矛盾しているように思うのだろう。理由さえわかれば疑問でもなんでもない。さてではこの場合は増やすべきなのか減らすべきなのか。結論は単純で現在の構成ではその業務量は処理しきれないからグレードアップを考慮しなくてはいけない。パラメーターでどうにかなる範囲を超えているのだよ。
18 Oct. 2005 (Tue)
朝起きる。昨日よりは調子がいいらしく、普段目を覚ましている時間に目が覚めた。しかし目覚ましは鳴らない。なんだこれ。電池が切れているわけではない。時間は合っている。しかし目覚ましだけが鳴らないのだ。時間をセットし直してみてもやはり鳴らない。さては昨日も鳴らなかったのか。鳴ったのに起きなかったというわけではなかったようだ。気休めでしかないと思いながらも、電池を一旦はずして入れ直してみる。鳴るじゃん。この次にまた同じことが起きたら電池を交換しよう。
17 Oct. 2005 (Mon)
ウィルス対策ソフトをノートPCに導入する。少し前に入手済みであり、先日組み上げた新PCにはすでに導入してあるがノートPCにはまだ導入していなかったのだ(ちゃんと2ライセンス版を入手してあるので念のため)。何故かというと、それはひとえにノートPCにCDがついていないので面倒くさかったからにつきる。デスクトップPCでCDから外付けHDDにコピーしてノートPCにつなぎ直す、という手をこれまでは使っていたのだがせっかくLANがつながってるんだからCDを共有してそちらから導入することにする。しかしどうも共有がうまくできない。CDが見えないぞ。だんだん面倒になってきたのでIPアドレスを使って直接アクセスしてCDを共有する。ちょっと、いやかなり力技ではあるがやはり快適だ。
17 Oct. 2005 (Mon)
今日の昼間、小泉総理が靖国に参拝したらしい。そしてちょうどその日に中国の神舟が無事帰還する。小泉総理がわざわざこの日に参拝をぶつけたわけではないだろう。しかし深読みする輩はいるに違いない。
17 Oct. 2005 (Mon)
病欠にしておきながら、ちょうど動作していたビデオデッキの様子が気になり、つい見始めてしまう。この時期予約録画されているものと言えばアメフトに決まっている。アメリカは日曜の夕方から夜くらい、つまりほとんどリアルタイムになるのだ。どうして見ないでいられよう、いやできまい(反語表現)。昼前まで一本見てから布団に潜り込み、夕方にまた起き出してきてからもう一本観戦。
17 Oct. 2005 (Mon)
朝、目が覚めた瞬間に違和感を感じた。時計を見ると8時半。しかし枕元の時計にはちゃんと目覚ましがセットされているようだ。鳴ったのに起きなかったのか? ここしばらく調子が悪いのは事実で、現に寝起きというだけでは説明がつかないくらい頭に靄がかかったような気分だ。これは身体が休息をとれと言ってるんだなと理解して会社あてに「休みます」とメールする。
16 Oct. 2005 (Sun)
朝からはっきりしない天気。今日の日曜、行けるものなら行きたいと思っていたところが数カ所あったんだが昼前くらいに起き出してきて、夜中に録画されていた試合を見始めたらそれっきり腰が上がらなくなってしまった。夕方になって駅前に小規模な買い物をした程度。
15 Oct. 2005 (Sat)
今日は神保町と秋葉原をハシゴするパターン。神保町でかなりの重量を獲得してしまい、秋葉原に向かう道筋ではまるで足腰の鍛錬をしているような気分になった。そのおかげで秋葉原ではあまり大したものは入手できず、せいぜいDVD−RWを30枚ほど買ったくらい。秋葉原を出るころにちょうど雨が落ち始め、傘を持っていなかったので本降りになったら困ると思ったが自宅への最寄り駅に着いたときには小降りになっていた。その後また本降りになっていたようだが。
14 Oct. 2005 (Fri)
少し前にほぼ完成していた新形PCだが、いくらなんでもそろそろフタをしてやったほうがいいだろうと思い始めたのでフタをすることにする。それよりももっと切実な理由は、結線むき出しでHDD床置きという有様の新形PCは机の下からその前あたりでかなり広い面積を占めており、おかげで椅子を机の下にしまうことができず、ほかに置き場がないので椅子は布団の枕元に置かれていた。寝るときにうっとうしくて仕方がない。しかし単純にHDDをケースにしまってフタをするというわけにもいかない。今はHDDとDVDが同じIDEケーブルにつながっているが、ケース内の配列からしてそういうわけにはいかない。別々のケーブルを用意してそれぞれケースに固定し結線する。ついでなので160GのHDDを作業用にとりつける。フタをして、これまでの主力機を机の下から引きずり出し、空いた場所に新形PCを押し込んでケーブル類をつなぐ。うーむ、このこれまでの主力機をどうしよう。
13 Oct. 2005 (Thu)
つくばエクスプレスが8月に開業し、そのためにこの線路をあっちに移してあの線路をこっちに持ってくるといった手の込んだ工事は一段落したように思っていたのだが、さにあらず。南千住付近で何やら線路の路盤らしいものを作っているのに気づく。南千住駅に側線でも追加するのかと思ったがそういうわけでもなさそうだ。その路盤は本線から離れていき、どうもその少し先で日比谷線の高架をくぐるようだ。あの先には隅田川貨物駅があるはずなんだけど、そっちに線路をつなぐのかな。確かにここに線路があれば常磐線の上り列車を直接隅田川駅に入れられるなあ、だけど金のないJR貨物がそんな工事をするとは思えない、などと思っていた。ところが調べてみるともともとここには連絡線があったのだがつくばエクスプレスの工事のために撤去されていたらしい。それを復活させるための工事なのだろう。この路線がない場合は、三河島から貨物線に入っていったん田端に向かい、そこで折り返して隅田川に到着することになるだろう。この区間は単線だから、直接隅田川の着発線に入ることができればそれに越したことはあるまい。だからこそ、こういう路線があったんだろうが。それにしても、むかしこんな路線があったという記憶はないんだけどなあ。明治時代からあった路線らしいけど。
12 Oct. 2005 (Wed)
どうもシーズン立ち上がり調子の悪かったわがデンヴァーだが今週はマンデーナイトをワシントンと戦って接戦をものにした。これで地区首位ということになる。とにかく今年は地区優勝がほしい。ここしばらく、プレーオフにワイルドカードで出場しては初戦で負けるというパターンが続いている。地区優勝すればとにかく初戦はホームで戦えるのだ。97年シーズンはワイルドカードから出てスーパーボウルを獲ったがあんな幸運はそうそう望めまい。今年はようやくディフェンスが機能し始めたようなのでひそかに期待している。
12 Oct. 2005 (Wed)
神舟またも打ち上げられる。およそ2年前に有人で初打ち上げが行なわれてから、近いうちに2名以上で数日にわたっての飛行を行なうだろうというのは予測されていた。その予測が現実になっただけでニュースとしては目新しさはない。しかし着々と予定を現実のものにして行っている中国を見るにつけ、ひるがえって我が身(日本)を見てみると前途多難である。
11 Oct. 2005 (Tue)
三十一はポケベル当番でもあまり呼ばれることがなく自分では「ひきが弱いほうだ」と思っていたんだがどうもその運気が下がってきたんだか上がってきたんだかわらないが最近は「ひきが強い」。夜の10時半ごろにポケベルが鳴り出す。会社の電話番から話を聞くけどどうも要領を得ない。しょうがないので直接現場に電話して話を聞いてみるけどやはり要領を得ない。電話番のせいではなかったらしい。結局30分くらい辛抱強く話をしてようやく何がしたくて何が起こり、何をすればいいかがわかってきた。「それ、ディスクが足りてないんで拡張してください。やり方はこうこう」と言うと、「自分の一存では拡張できないんで、明日相談します」 じゃあ最初っから明日にしてくれよ。
11 Oct. 2005 (Tue)
連休明けからポケベル当番。なので9時過ぎに自宅を出て出社する。会社に出てしばらくしてから同僚が寄ってきて「今日は火曜日ですよね」 ああ! 忘れていたよ。確かにアタマではわかっていたんだが何となく月曜のような気分でいた。今日の夕方のミーティングの案内を出さなくては。思わずすっぽかすところでした。
10 Oct. 2005 (Mon)
ニューイングランドのQBブレイディはここ4年間で3度優勝しているという文句のつけようのないスーパーQBだというのはもちろんわかっていることだが、今日の試合を見てやっぱりさすがだと思った。パスラッシュが迫っている中で放り投げたパス、三十一は最初投げ捨てもしくはインターフェア狙いの「とってくれパス」だと思った。しかし実際にパスが落ちてみるとそこにドンピシャリでレシーバーが走り込んでいた。なんであれが見えるんだ・・・久々にぞくぞくするプレイだった。
10 Oct. 2005 (Mon)
三連休最終日、できることならでかけたいと思ったけど目が覚めたら雨。しょうがないのでアメフト鑑賞に勤しもう。
9 Oct. 2005 (Sun)
そして中日の日曜。午前中は天気が悪かったこともあってアメフトを鑑賞。どうにか雨が止んだ午後もかなり遅くなってから神保町出撃。ちょっと久しぶり。財布の中身がかなり心細くなっていたので銀行によってからになったので神保町到着は4時を回った。それなりに収穫はあったけれど、購入はそれほど多くない。むしろ「こんなの出てたんだ、急がないからあとでアマゾンで」という偵察行動が多くなってきた。6時過ぎに秋葉原に回ってこちらも結局チェックだけとなり、閉店に追い立てられるように帰宅。
8 Oct. 2005 (Sat)
三連休の初日、雨。今週は意外に時間をとられることが多く、外出しづらい状況でアメフトを見始めたら結局一日をつぶしてしまった。そりゃそうだわな、一日に4ゲームとか見てたら。それだけで10時間くらいはつぶれる。
7 Oct. 2005 (Fri)
昨日の続きのマンガを読む。どうにか読み終える。処理時間は6時間くらいかな。
7 Oct. 2005 (Fri)
忘れていた。少し前に頼まれた件で午前中に会議があったんだ。昨日までは覚えていたんだけど、今週中にやらなきゃいけないことがいくつかあって、そっちに気をとられていたらすっかり忘れていた。まあ三十一の中でその程度の意味しかないということだが。昼過ぎにメールで議事録が届いて気づいた。やべー。しかし、その気になればチャットで呼ぶこともできただろうにそれもしなかったってことはその程度かな。
6 Oct. 2005 (Thu)
少し前に頼んだマンガがアマゾンでまとめて届く。げげ、何だこの大きな箱は。これまでで最大かもしれない。しょうがないか、愛蔵版9巻だからなあ。帰宅してから読み始めたが、半分くらい読み終えたところで時間切れ。普通のコミックスだと30冊くらいある分量だからしょうがないか。
5 Oct. 2005 (Wed)
今週の頭からやっているPCの続き。OSとビデオ、LANの環境は昨日までに設定が完了。今日はツール類を導入する。メールソフトやらファイラーやらエディターと言った、三十一愛用のツール類を入れて環境設定。メールボックスも移行できたし、あとやらなきゃ行けないのはブラウザの導入かな。IEは入っているけどとても普段使う気にはなれない。
5 Oct. 2005 (Wed)
先週の頭くらいからやってる、というかやらされている件で進展が。確かずいぶん昔に「原因はこれじゃないか」という主張がされていたはずで、そのとき三十一は「違うんじゃないかな」とコメントしていた。いずれにせよ、当時は原因はこれこれと判断できるような段階ではなく、もうちょっと順番を追って調べなければなんとも言えないということになったはず。その後、その件はだいぶ進展して三十一が(一時的にとはいえ)やらされることとなり、かつて主張されていた原因がかなり疑わしくなってきた。そこでかつて「これじゃないか」と主張していた連中がにわかに元気付き「それみろ間違いない」と言わんばかりの態度を示す。そんなに自信満々ならもう修正はできてるからそれをあててみればいいじゃん、と言ってみる。三十一が言うまで気づかないのかね、この連中は。「テスト環境があるのであててみます」とのことで待っていた結果が今日届いた。「直りませんでした」 違うじゃん。違うということがわかったのもひとつの進展だ。
4 Oct. 2005 (Tue)
今日のアメフト観戦はサンフランシスコvsアリゾナ。NFL史上初めて正規の試合を国外で行なうことになった。場所はメキシコシティ。本来はアリゾナのホームゲームなんだが、アリゾナはホームでも満員にならないらしいので国外でもいいだろうとリーグに言われたらしい。リーグはリーグで、アメフトの国外普及に力を入れており格好のカードだと思われたのだろう。三十一個人としてはどちらのチームもあまり好きでないし、今年は上位にからみそうもないのであまり結果そのものには関心はない。ただこの試合をさばいた(相撲じゃないって)レフェリーはエド・ホチューリ氏で三十一的には信頼感のある審判だ。しかし彼がスペイン語もできたとは知らなかった。パーソナル・ファウルを「ファウル・ペルソナーレ」とか言ってたぞ。今回だけかな。
4 Oct. 2005 (Tue)
帰宅してからPC導入の続き。現在OSが導入されているHDDは昨日買ってきた160GBのもの。まあそのまま使ってもいいんだけど、ほかに60GBという手頃なサイズのものがあるのでこちらに入れ直すことにする。一旦OSを導入した区画を全部解放しておいて、HDDをさし直して昨日と同じく導入。VGAとLANを設定して、今日のところはこのくらいで勘弁しておいてやろう。
3 Oct. 2005 (Mon)
昨日待っていた国勢調査の用紙は郵便受けに入っていた。「持ってくる」ってそういう意味かい。
3 Oct. 2005 (Mon)
帰宅後、HDDを入れ替えてみて昨日と同じ作業を再開。結果は同じ。やはりHDDじゃないのか。またぐぐってみるとSCSIドライバが古いとこんなエラーが出ることがあるという記述を発見。本当かな。でも、これを入れるためには新しい導入イメージCDを作らなきゃいけない。面倒くさい作業が必要になるなあ。もう少し調べてみよう。BIOSを少しいじってみるかな。BIOSをあれこれ見ているうちに変なことに気づく。HDD認識してないぞ。おかしいな、起動画面ではちゃんと見つけてるようなんだけど。だいたい、同じケーブルにつないだCDはちゃんと認識して読み込みできてるのに。思いあまって、マザボについてきた説明書を引っ張り出して何か注意書きがないかまじまじと眺める。あれ、こんなところにIDEの口が。うーん、どうやらこっちがBIOSだけで認識する口らしいな。今つながってる方はドライバーが必要なのかな。こっちにつないで見るか。なんか、CDの読み込みが早いように見えるなあ。おお、導入始まったぞ。これが原因か。ちゃんとマニュアル見ろってことだな。導入は完了、VGAやLANのドライバも導入できて、どうにかメドは立った。
3 Oct. 2005 (Mon)
月曜日なのでいつも通り出勤。それにしても気になるのはうまく起動できないPCである。仕事の合間にぐぐってみるとHDDを交換しろだの接続を確認しろだのといった対策ばかり。あまり役に立ちそうもないなあ。ひとつ気になったのは、最新に近い945チップセットのPCにW2Kを導入した事例というものがほとんどないこと。まさかXPを入れる必要があるとか? 会社は少し早めに(と言っても当然勤務時間終了後)切り上げて秋葉原へ。マザボでサポートしていることが確実なHDDを買ってくることにする。もしHDDが原因でなくても、作業用に使えるし。
2 Oct. 2005 (Sun)
PCを組み立てる。現在3台あるうち、ビデオキャプチャ用のマシンはHDDレコーダーの普及(何しろ一家に3台も備わってる)のおかげで極端に稼働率が下がった。おまけにこないだ久々に電源を入れてみたらうんともすんとも言わなかったり。3台のうちでは一番スペックが高いのにもったいない話だ。なのでこのマシンのケースと電源を流用し、現在ネットワーク接続用に使っているマシンの代替機を製作して設定などを移し終えたら置き換えようという目論見である。キャプチャ機を解体のために引きずり出し、ケースを開いてHDDを全部外す。HDDも流用してもよさそうなものだが、なにしろ元々の素性がキャプチャ機だけあってSCSIがささっていたりRAIDが組まれていたりする。そんな構成はネットワーク機には不要なので、現在搭載されているHDDは全部外して余っている60GBのHDDをシステム用に搭載する。いずれデータ用のHDDは増設することになるだろうが、まともに動くようになるまでは当面これでいい。スロットにささっているカード類を全部外し、さらにマザーボードをCPUやメモリごと取り外す。これはそのうち何かに使おう。なにしろこれまでの最高スペック機だからなあ。ケースのリヤパネルを交換し、マザーボードを固定し、ソケットカバーを外してCPUを取り付ける。CPUクーラーの取り付けに少し苦労した。あまり力を込めると積層基盤がイってしまいそうで怖い。電源もとりつけ、とりあえず完成。完成したとは言えケースは全開、HDDは結線されたまま床の上に転がされているという状態でお世辞にも見栄えがいいとは言えないが個人的には美しい光景だと思う。さっそくOSを導入すべくCDを突っ込んで起動。BIOSは無事起動し、CDの読み込みに入る。何か読み込みが遅いような気がするけど、最後にこのCDを使って導入したのは1年以上前になるだろうからそれと比較してどうこういうことはできない。やがて読み込みが終わった様子でさあ導入画面の開始というタイミングで画面が切り替わる。おいおい、ブルースクリーンだよ。ブートデバイスにアクセスできない? おかしいな、BIOSのIDEスキャンでちゃんと認識してたはずだけどな。HDDをさし直してみるが結果は同じ。背後のジャンパピンをさし替えてみたり、あげく他のHDDに替えてみたりしたが何度やっても同じ結果となる。これは何か重大な見落としがあるな。煮詰まってきたのでいったん頭を冷やそうと放置することにする。更新もあることだし(あまりしなかったけど)。
2 Oct. 2005 (Sun)
昨日集めてきたパーツを使ってPCの組立てをしていたら玄関のチャイムが鳴った。新聞の勧誘か何かだったら断ってやろうとインタホンに応答すると「国勢調査です」。これはさすがに「間に合ってます」と言うわけにはいかない。そんなことを言う輩はいるのだろうか。いずれにせよ三十一は善良な市民なので玄関で話を聞く。ところが何しろ三十一は宮仕えの身、平日に回収にこられてもつかまらない可能性が高い。結局、郵送用の封筒をもらって郵送することにする。「じゃあ夕方にもう一度来ますのでその時に持ってきます」 いや、夕方にまた来るんだったら調査用紙を置いていってそのとき回収すればいいのでは、と思ったがまあそっちがそれでいいんなら。その後PCの組立てに没頭してそんなことはすっかり忘れていたんだが、まさに夕方の6時前にまた玄関のチャイムが鳴って思い出す。おお、来た来たと思ってインタホンに出てみると「××新聞なんですが」 もちろん断る。また来ると言っていた国勢調査はこの日は来なかった。
1 Oct. 2005 (Sat)
秋葉原に向かうべく駅に向かったら、さして広くもない駅前広場で(広くない「広場」とは何だ)町興しのための「××まつり」が催されており出店は軒を並べるは、人出は多いはで歩きにくいことこの上ない。近くの公園ではフリーマーケットも開かれているらしい。去年もこんなのやってたような気がするなあ。三十一にとっては単なる障害物でしかないが。
1 Oct. 2005 (Sat)
先週末に思いついたPCの製作のためのパーツ集めを開始する。とにかく最初にマザーボードを決めてしまって、それからCPUやメモリといった要素を集めにかかる。本来ならCPUが最初に決まるものなんだろうが、しかし実際のところ一番交換しづらいのはマザーボードである。マザーボードに変なものを選ぶとあとあとの拡張がやりにくくなる。これは「作る」論理であって「使う」論理じゃないなあ。完全に趣味の世界である。マザボの条件としてはそれほど厳しいものがあるわけではないが、今回は「お手軽にグレードアップする」がテーマなのでVGAとLANをオンボードで持っているものが狙う。サウンドもあればあったほうがいいけど、まあ必須ではないな。比較的新しいマザボでそこそこ安くそこそこ高性能でしかも「パワーマネジメント」を売りにしているものがあったので、それを選択。あとは対応するCPUとメモリでお手頃なものを見繕い(と言っても現用機種よりはるかに高性能だが)購入。しめて3万円というところか。
30 Sept. 2005 (Fri)
午前中に一度電話会議をやり、その結果決まった対策を実施して夕方再度の電話会議をすることになった。一日に二度もやるのは正気の沙汰とは思えないが、まあ当事者たちは正気を失なっているのかもしれない。三十一は当事者じゃないのかと言えば、広い意味では当事者かもね。夕方までの数時間ではもちろんさしたる進展があるわけではなく、それでも立場上出ないわけにもいかないので嫌々ながら電話会議に入る。司会者が「えーと、××さんはいらしてないようですが・・・」 う、さてはすっぽかしたな。うまいことやったな、と思ったのは内緒。
30 Sept. 2005 (Fri)
昨夜は比較的早めに寝て(と言っても1時くらいだったかなあ)、6時間くらいは眠ったし、特に眠りが浅かったという感じもしない。それなのにどうしてこんなに相変わらず眠いんだろう。一度無茶すると一日じゃ回復しなくなったのかなあ。あるいは睡眠不足とは違うレベルの体調不良に陥ったのかもしれない。季節の変わり目でもあることだし。
29 Sept. 2005 (Thu)
眠いので早めに帰宅したかったのだが、そういう時にかぎって夕方あたりから細々とした用事が襲ってくるのはマーフィーのお約束。おかげで特に遅いというわけでもないが、早いわけでもないという微妙な時間帯の帰宅とあいなった。
29 Sept. 2005 (Thu)
何せ昨夜は帰宅2時半、就寝は3時過ぎなので眠くて仕方がない。できたら遅出にしたかったところだが、電話会議の件で連絡がある可能性があるので普段と比べてそれほど変わらない時間に出社したのだ。会社にたどり着いてメールの類にざっと目を通り、取り急ぎ必要な対応をとって一段落したら途端に睡魔が襲って来た。お茶を飲んだりして睡魔と闘っていたがかなり押され気味だ。ところが11時少し前くらいに電話がかかってくる。電話の相手は例のボキャブラリーの件で半年以上も断続的に相手をしている(させられている)人物であった。いやあ、この会話の楽しかったこと。小学生向けに「パソコンとは」と解説している気分。しかしあからさまにそうは思わせないところが腕の見せ所だ。この相手はいろいろと面白い発言をしてくれるが、今日のヒットはこれ。「全く同じ処理をしていたらCPU使用時間は絶対同じなんですか。場合によって変わったりしないんですか」 あのね、前提としてまったく同一の組み合わせの命令を実行しているとしたら、CPU使用時間はまったく同じです。だってCPUの命令は命令ごとにサイクル数が決まっており、1サイクル時間はクロック周波数で決まる。こんなことはコンピューターの管理を仕事にしてるんなら当然知っておいてほしい。思わず電話口で「だってクロックで動いてますから」って言っちゃったよ。理解したかどうかわからんけど。30分ほど説明して、ようやくこちらの言いたいことはわかったようだ。納得したふうではなかったけどね。この電話のおかげですっかり目が覚めたよ、ありがとう。
28 Sept. 2005 (Wed)
結果「やってみます」ということで連絡待ち。1時半ごろに話したところではうまくいったらしく、今日のところはお開きになる。まとめのメールを書いたりなんだかんだで会社を出たのは2時近く、前の道でタクシーを捕まえる。前回タクシーで帰宅したときには高速を使ったが、今日は一般道を使ってみることにする。高速はかなり遠回りになるので、値段はともかくとして時間的に一般道より速いかどうかは微妙なところだ。ここはひとつ試してみるしかなかろう。結果はと言えば自宅前まで30分ちょっと、値段は2000円ほど安くなった。高速より少し時間がかかったかな。どちらをとっても飛び抜けたメリットはない。その時点その時点で値段と時間のどちらに重点を置くかで選ぶことになるかな。
28 Sept. 2005 (Wed)
緊急の案件はトラブルというより、やりたいことがうまくいかないというもの。まあ広い意味ではトラブルだが。しばらくの間、コマンドのパラメーターを変えてみたり実行の順序を変えてみたりいろいろ試してみたけれどどうもうまくいかない。そうこうするうちに終電には間に合わなくなってしまった。それでも朝までにはどうにかしなければいけないのでやめるわけにもいかず、当初の方針を諦めて、違う方法で目的が達成できないか考え始める。「うーん、この方法だとこんなデメリットがありますけどねー」とか話してると「こっちのやり方だとどうですか?」 ああ! そういやそんな方法あったっけ。それまでの経緯を忘れて素直に「目的」に立ち返ったらそれが一番簡単で確実だ。なにしろその目的のためにあるコマンドだからねえ。これまで時間をかけて悩んでいたのは何なんだ。終電まで逃して。しかし言い訳をするわけではないが、進んでしまった話を一度全部引き戻してまっさらな状態から考え直すのは意外に難しいものなのだよ。
28 Sept. 2005 (Wed)
7時からの電話会議はそれほどもめることもなく30分ほどで終わり、ただ三十一に割り当てられた宿題をちょこちょことやってさあ帰ろうかと思い始めた8時ごろに三十一の席の脇に立つ人ありけり。「当番ですよね」 ああそうですよ。というわけで恐れていたことが恐れていた通りに起きてしまう。まるで絵に描いたようだ。やれやれ、今夜は電車があるうちに帰れるかなあ。
28 Sept. 2005 (Wed)
今日の夕方から電話会議をやりたいという。7時でどうかと言われたが、出席できないことはないけれどできたらやめてほしい。なぜなら、当番の人は「緊急案件でつかまってしまって帰れなくなる」という状況に陥らないよう、早めに帰宅することになっているのだ。できたら6時くらいには会社を出たかったのだが、7時じゃ微妙だなあ。ダメもとで「もっと早くならないですか」と言ってみたけどやっぱりダメだった。
28 Sept. 2005 (Wed)
夕方ごろ、同僚からチャットがやってくる。ちょっと待て、あんた産休で休んでるはずやろ。いったい何用かと思えば「すみません、××の件の資料どこかにありませんか」 いや、知ってるよ。知ってるけどさあ。休めよ、産休の間くらいは。もし三十一が産休をとったら(あり得ない想定だ)仕事のことなんて考えたくもないけどなあ。
28 Sept. 2005 (Wed)
今日は当番なので11時に出社すればいい。いつもなら寝坊できるからと前夜は夜更かしするところだが、なんだか妙に眠いので早めに寝てしまう。旅行の疲れが今頃出たのかな。そんなに疲れるようなことしてないんだけど。
27 Sept. 2005 (Tue)
今日もまた昨日に引き続きボキャブラリーの件でメールがやってくる。前から思ってたんだけど、このメールの相手はコンピューターというものがハードウェアとOSとミドルウェアとアプリケーションという階層で成り立っていてそれぞれが分担して仕事をしているというのがわかっていないんじゃないかと思う。というか既に確信。CPU使用時間が同じなのに実行時間が長くなっているのはアプリの処理に違いがあるからだ、っていうのはどういう理屈なんだろう。処理に違いがないからCPU使用量が同じなんだけどね。どう説明すればわかってくれるのかな。初心者向けの「パソコンのしくみ」あたりから勉強してほしい。
26 Sept. 2005 (Mon)
前リーダーから依頼されたように夜の7時から電話会議。しかしこの件、三十一はもともとあまり詳しく知らないのだが、その上休暇中の先週分の進展はまるまる未知なのである。まあ電話会議の相手が状況をわかっているだろうと期待してほとんどぶっつけ本番で出席する。まあそちらのほうはどうにかなったけど、引き継ぐべきことはちゃんと引き継いでほしかったなあ。そりゃまあ、断片的に話は聞いていたけどあくまで断片的なので体系的に理解していたわけではないのだよ。話すほうはわかってて話してるから伝わってるつもりでいたのかもしれないけどね。
26 Sept. 2005 (Mon)
なんと2月からひっぱっているボキャブラリーの件、8月の初めにメールが来てからしばらく音沙汰がなかったが三十一が休みから復活するのを待っていたかのようにメールが届く。読んで脱力。これまでの積み重ねをすべて無視するような質問。それはデータが無くって答えようがないから6月にテストしてもらったはずではなかったのですかねえ。
26 Sept. 2005 (Mon)
今月初めのグループ再編まで三十一の所属するグループのリーダーだった人が今週から二週間ほど休暇でいないらしい。優雅に南ヨーロッパ周遊とか。それはいいんだが「××の件よろしく。今日の夜、電話会議があるから」 今日は初日だから無理せず早めに帰ろうと思ってたんだけどなあ。
26 Sept. 2005 (Mon)
昨夜10時過ぎにかかってきたポケベルは20分ほど会話して終了。ただの質問だったし、自分でわかってることを確認したいというだけだったので「そうですよー」と言っておけばことは足りたようだ。だがそんなことで「愚痴」の書き込みの腰を折られてしまった。書けるだけは書いてみたものの半分も終わっていないし、このまま朝まで書き続けたりしていたら仕事に差し支える。というわけで夕べは途中で諦めて寝てしまった。しかしそれでも床につくのはかなり遅くなってしまったので今日は非常に眠い。一週間分のメールを見直すという刺激に欠ける仕事がそれに拍車をかける。
25 Sept. 2005 (Sun)
夜も10時を回って、あとポケベル当番は2時間も残っていない。この調子だと今日は呼ばれないで済むかな、と思い始めたころに人の願望を嘲笑うようにポケベルが鳴り出す。どうして素直に終わってくれないんだろう。
25 Sept. 2005 (Sun)
今週は北陸旅行のせいで愚痴の量がやたらに多い。今日中に終わるとはとても思えない。
25 Sept. 2005 (Sun)
日露戦役週報完結。講和条約も成立したし、もうそれほどニュース性もなさそうなので復員のところまで先行して書き込んでひとまず完了とする。来週あたりにはトップページからのリンクも外そう。
25 Sept. 2005 (Sun)
雨はやんだらしい。けど今日はポケベル当番なので遠出はできない。うまくできてるなあ。三十一から見ると酷い巡り合わせだ。
24 Sept. 2005 (Sat)
今日は完全フリーになったが一日雨。出掛けようと思ったんだがまあいいや。結局、北陸旅行中に録画されていたアメフトを鑑賞して一日終わってしまった。有意義といえば有意義な一日だったかもしれない。
23 Sept. 2005 (Fri)
発作的にPCを作りたくなる。PCを作るというより、いろいろとゴミが溜まってきたので普段使いのPCをOSから入れ替えたいんだがちょうど良い機会だからペンティアム3・800MHzという素敵なスペックをアップグレードしてみようかと思ったのだ。別に不便はないんだけど、このまま行くとすっかり時代遅れになりそうなので。と思いながらも、考えてみるといまあるPCで使っているあれを流用するつもりでいたがそもそも流用できるかどうかもよくわからなくなっていることに気づいてしまった。もう少しリハビリしないとダメだな。
23 Sept. 2005 (Fri)
というわけで秋葉原出撃。中央改札を出てまず書泉を巡回し、戻ってガード下を越えラジオ会館裏から旧万世橋警察署前の交差点を越えて石丸電気方面を経てPCパーツ屋という経路ができあがりつつある。
22 Sept. 2005 (Thu)
指定券は東京まで確保してあるんだが面倒になってしまって上野で降りた。ほんの数分の違いにすぎないけど、これで乗り換えが一回少なくなるのだ。もともとは東京のほうが乗り換えが楽だろうという思惑で東京まで指定をとったんだけど、大変な乗り換え一回と楽な乗り換え二回を比べるとどちらが楽かというのはけっこう微妙かもしれない。上野地下ホームから延々歩いて高架のホームにたどりつき、在来線で帰宅。帰宅時間はわりと早かったので一瞬本屋に寄って行こうとか思ったけど荷物が多かったのでやめておく。
22 Sept. 2005 (Thu)
この「とき」では席がなくて二階席ながら通路側に座ることになる。おまけに長岡を出るとすぐトンネルに入り、高崎近くまで出たときにはすでに周りも暗くなってきていた。しかたないのでPCを広げて愚痴の続き。しかし意外に電池を消耗する。それなりに容量の大きなバッテリーを積んでいるんだけどなあ。
22 Sept. 2005 (Thu)
長岡の新幹線ホームのベンチでPCを開いて「北越」の旅についてメモ。そうこうしているうちに東京行きのMaxときが入ってくる。このMaxときは8両編成で、高崎で長野方面からのあさまと併結するらしい。そんな運用あったのか。時刻表見てもそんな列車ないんだけどなあ。
22 Sept. 2005 (Thu)
長岡で特急「北越」を乗り捨てて新幹線に乗り換える。まだ5時だというのに暗いなあ。長岡と言って三十一がまず思い出すのは山本五十六だ。しかし今回のきっぷは往復の途中での途中下車は認められていないので街に出てみるわけにもいかない。残念。
22 Sept. 2005 (Thu)
信濃川を渡ったかと思うとまもなく上越線と合流。長岡のひとつ手前の宮内駅が合流点になっているので、上越線方面から長岡経由で柏崎方面に向かう特急や急行はみな宮内・長岡間を往復していた。いまでも寝台特急「北陸」は同じ経路をたどっており、長岡で下車しないかぎりこの間の運賃料金は徴収しないことになっている。ここでの合流も原則通りで明治31年に開通した信越本線が地上を走り、それから22年後の大正9年に開通した上越線は高架線で合流している。もっともこの区間の上越線が複線化されたのはずっと後の昭和42年なのでこの高架線はそのときのものかもしれない。
22 Sept. 2005 (Thu)
柏崎を過ぎると海岸沿いを離れて長岡にむけて一山を越える。峠をトンネルで越えて信濃川渓谷に下りていく。この辺りからかつては魚沼線というローカル線が分岐していたはず。起点になる駅は来迎寺とか言ったと記憶している。さきほど通過した駅は築堤の上に置かれていてとても線路が分岐していたとは思えない。駅名も来迎寺とは似ても似つかない。お、今通過した駅は来迎寺だ。ほんとうにこんな駅があったんだ。てことはこっちに分岐した跡が残ってるかもしれない。あれかな? あれかもな。それほどはっきりは残っていないけどまあそれらしく見えないこともない。
22 Sept. 2005 (Thu)
信越本線は直江津から柏崎まで日本海沿いを走る。その中でも鯨波近辺は福浦八景と呼ばれて風光明媚で知られている。しかし残念ながら座っている席は反対側の窓際。よく見えない。こんなんだったら自由席で海側に座ったほうがよかったかもしれないなあ。
22 Sept. 2005 (Thu)
直江津を過ぎて犀潟。ここから北越急行が分かれていく。来るときにはよくわからなかったけれど、改めて見てみると北越急行線はJRの信越本線の上下線の間に割り込む形で立体交差していた。平面交差じゃなかったんだな。まあそりゃそうか。
22 Sept. 2005 (Thu)
親不知を過ぎて新潟県に入ったあたりで通過した小駅、構内に入れ替え線とおぼしき線路が何本も敷かれていた。近くの工場への専用線が繋がってるんだろうな。とはいえ、すでに廃止された専用線の遺跡にすぎないんだろうけど。そういやこの辺にそんな線路があったはずだけど。周囲の地名を見ると青海らしい。そういやそんな駅だったっけ。
22 Sept. 2005 (Thu)
富山を出てまもなく、EF510機関車が複数留置されているのを目撃。そういや、JR貨物最新の機関車であるEF510は現在のところ富山機関区にのみ配置されているんだった。三十一はこのEF510って最近のJR機関車の中ではわりと好きなほうなんだよね。EF210の色違いだって言われればそうなんだけど、でも何となく力強い感じがするんである。まあ好みなので。
22 Sept. 2005 (Thu)
14時5分金沢発の特急「北越」に乗車。懐かしい485系だ。多分7年前に「はつかり」に乗って以来だなあ。進行方向右側の窓際に席を占めるとまもなく発車。進行方向右側ってことは山側だなあ。海側がよかったんだけどなあ。6度目になる金沢運転所を見て金沢をあとにする。兼六園の印象を今のうちに控えておこうとPCを広げてメモを残し、さらに週末更新に向けて本格的に愚痴を書き始める。やがて富山、左隣の通路側に若い男が座った。いかん、この角度だと書いてる内容が丸見えだ。ネットで公開している内容とは言え、こんなに個人的な内容をまさに書いてる最中に読まれるのは気がひける。というわけで書きかけの内容をセーブしてPCの電源を落とす。
22 Sept. 2005 (Thu)
いかん、お土産を忘れていた。駅の名品街で適当にみつくろうか。選択基準はふたつ。われらが部長は思いっきり甘党なので甘いモノ。そしてけっこうな大人数になるのでそれなりの数がそろっているもの。ところがこの基準に合うものが意外に少ない。ひとつひとつがわりと大きいお菓子が少数入ってるものが多いのだ。ようやく見つけたのは結局キナコ餅みたいなものを30個入り。別に金沢でなくても食えるような気もする。
22 Sept. 2005 (Thu)
駅についてまずみどりの窓口に行き指定券を確保。頼んだきっぷは特急「北越」新潟行きで長岡に出て新幹線で東京に帰る、というもの。窓口のお兄ちゃんは親切にも「越後湯沢経由のほうが早いですよ」と言ってくれた。親切だけど大きなお世話である、そんなことはわかっていて頼んでいるのである。「行きと違うルートで帰ろうと思ってるから」と言うと意外とあっさり納得して発券してくれた。越後湯沢経由に比べて一時間ほど遠回りになるけれど、それよりも何より長岡経由のほうが本数がはるかに少ないので適当な時間の列車をみつけるのが大変なのだ。
22 Sept. 2005 (Thu)
結局一時間あまりかけて園内をほぼ一周する。もう少し時間をかけてまわってもよかったような気がするけど、ほぼ重複コースなしでまんべんなくまわってこの程度ならまあ上出来かな。ちょうど昼時にかかろうとするころで、園内が空き始めるという考えもあったけど、逆にこちらも今から駅に向かえばちょうど第一希望の列車にちょうどいいくらいなので良いタイミングだろう。面倒になってしまったので門を出たところに待っていたタクシーを捕まえて駅まで戻る。1000円とちょっと。考えてみれば行きはこの道のりを歩いて来たんだなあ。三十一のやることも極端だ。
22 Sept. 2005 (Thu)
兼六園の一番奥まったところにひとつの築山が築いてあり、その麓から水がわき出ていて園内に流れを形作っている。そのわき出し口は巧妙に隠されていて直接見ることがないように出来ているのはさすがだと思った。しかし疑問なのはいったいどこからどうやってここまで水を上げているのやら。この築山は園内で最高部。そして兼六園と金沢城は市街より一回り高い高台に築かれている。つまり周囲にこのわき出し口より高いところはない。今ならもちろんポンプを使って10メートルくらいは吸い上げられるけれど、できたときにはどうしていたのだろう。考えられるのは、郊外のこの地点より高い山からサイフォン式に水を通してくるくらいしか思いつかない。
22 Sept. 2005 (Thu)
入場料を払って兼六園に入る。金沢最大の観光スポットとあって天邪鬼な三十一はあまり期待していなかったのだが、実際に見てみると思っていたほど悪くない。日本式庭園の粋を集めたというような陳腐な表現はしたくないけれど、地面を美しく覆う苔の緑や築山、池にかかる橋や噴水、泳ぐ鯉など、それぞれの箇所にそれぞれの持ち味がある。六つの興を兼ね備えたということで「兼六園」と称されたそうだがまさにそれを実感した感じがある。純粋にこの庭園だけを評価するならば、入場料で充分モトをとったと言えるだろう。ただ惜しむらくはもう少し人が少なければよかったなあ。シーズンを外した平日でもこれですか。ツアーとおぼしき団体がいくつも行き交い避けるのに忙しい。兼六園といえばまず紹介される池の前にさしかかったところちょうど団体のひとつが記念撮影をしておりしばらく待たされた。まあ時間はあるのでいいんだけど。
22 Sept. 2005 (Thu)
石川門を出て兼六園に向かう橋を渡る。広く深い堀を渡る橋だ。堀の下は自動車道路になっている。普通の人が疑問に思わないところにひっかかるのが三十一である。この橋って兼六園ができたときから橋だったのかなあ。現在ではコンクリート橋になってるけど、木造でこれだけの橋ができるとは思えないし、当時石造でこれだけの長さと高さを持つ橋を造る技術があっただろうか。疑問に思いながら橋を渡りきるとそこに案内板があって、それを読むとやはりかつては橋ではなく土手であったらしい。明治以後に堀に道路を開いたとき土手を切り開いて橋をかけたそうだ。渡ったところが兼六園の入り口。そのまま入ってもよかったんだけど、堀の反対側から城の本丸方面を眺めようと堀沿いに歩き始める。さすが本丸だけあって石垣が高い。一番高いところは100メートル近くあるんじゃないかな、目測だけど。これだけの高さの石垣のすぐ真下を何てことない自転車が走っていくのは考えようによっては凄い光景である。
22 Sept. 2005 (Thu)
登り切ったところは二の丸あとの広場。空堀にかけられた橋を渡ると本丸方面らしいが先ほどまでの遠回りに懲りて少し計画的に回ろうと手近な案内図を見てルートを検討する。現在地がここ、こちらが本丸、こう橋と通路があって、兼六園方面はこちら、と。ふむふむ。おや、なんだこりゃ。「第六旅団司令部跡」ね。正確に言うと「歩兵第六旅団」なんだろうけど、まあこういった軍の施設がかつての城跡に置かれたというのは珍しいことではない。例えば大阪城に置かれた第四師団とか岡山城に置かれた第十師団とか。金沢といえば第九師団だけど、師団司令部もどこかこの辺にあったかもしれない。ただ建物が残っているのがこの歩兵第六旅団司令部なんだろう。もちろんこんなところに一般の観光客はほとんどおとずれない。三十一は好き勝手に写真を撮りまくった。ただデジカメを忘れて写メだったことが悔やまれる。今回の旅行でデジカメを忘れたことを悔やんだのはここだけだ。このあとは二の丸に戻り、堀にかかった橋を渡って本丸方面へ。しかし本丸近辺の現在の「売り」は「貴重な自然」らしい。本当に自然が見たけりゃ城なんかこないよ。山かどっか行ってるって。というわけで狭い意味での本丸はパスして兼六園方面に向かうことにする。途中休憩所らしきところに池が作ってあって、雨でもないのに波紋が広がっているのが不思議だったのでのぞいてみるとアメンボが水面を行き交っていた。おー、昔はよく見かけたもんだけど最近は見なくなったなあ。
22 Sept. 2005 (Thu)
金沢城は昨日夕食を食べにいった市場のさらに向こう側。昨日は夜だったので涼しかったが昼間に歩くとけっこう暑い。市場を通り過ぎると本格的な繁華街でデパートやら銀行やらが建ち並び、平日らしくスーツ姿のビジネスマンが行き交う。さて城の近辺まで来たのはいいけれど入り口はどこなんだろう。石垣沿いの道を適当に歩く。あとから考えるとと正門と反対方向に歩いていたらしい。尾山神社という石碑と鳥居が見える。そういやこの神社もガイドブックに載っていたなあと石段を登って入ってみる。入り口あたりは侘びた雰囲気でなかなかいいなあ、などと思っていたらこれは裏口だったようだ。正面のほうはけっこう大袈裟な造りで商売気たっぷり。外国人観光客が巫女さんの写真など撮っていたりして。早々に入ってきた裏口から退散、またも石垣巡りを始めるとまもなく案内地図を発見。ははあ、今この辺か。あからさまに反対方向だな。ここから入れなくもなさそうなので入ってみるか。おそらく普段こんなところを登るやつはいないんだろうと思うような急な坂を登って裏口入城。
22 Sept. 2005 (Thu)
今日は東京に戻る。本当なら今のうちに帰りの指定券を確保しておいたほうがいいんだろうなあ。だけどこのあとの金沢城兼六園ツアーがどれくらい時間がかかるかわからない。思ったよりつまらなくて早めに切り上げるかもしれないし、面白ければ長居をしてしまうかもしれない。とりあえず着替えとか本とか当面不要そうなものを駅のコインロッカーに放り込み、歩いて城の方向に歩き出す。
22 Sept. 2005 (Thu)
昨夜はあまりよく寝られなかった。やはりホテルの枕は三十一には合わない。よほど睡眠不足でないと熟睡できないなあ。8時半頃に起き出してきて、テレビをつけたらそこにはお馴染みの風景が。神保町だ、これ。なかにし礼がゲストで神保町の特集をやっていた。あ、これは○○堂だ、××書房だ、というのが次々に顔を出してきて楽しい楽しい。「こんなパンフレットも出てますので」と紹介されたジャンル別古書店案内もずいぶん昔にお世話になったなあ。近ごろではそんなものの世話になることもなく、巡回する店はだいぶ決まってきてしまった。思わず見入ってしまったが、はっと気づいたらチェックアウトまでそれほど余裕がない。あわてて荷造りしてテレビを消しチェックアウト。
21 Sept. 2005 (Wed)
総選挙後の臨時国会が招集され、全閣僚留任で第三次小泉内閣発足。これはただこの日に内閣が発足したという事実を残しておくことだけが目的の記事でした。
21 Sept. 2005 (Wed)
発見した書店で「禁煙に反対する」という趣旨の新書が出ていたので読んでみる。もちろん立ち読みで買いはしない。それなりに理論武装して論旨を展開しているようではあるが、当然ながら三十一はまったく共感できない。共感できないのは感情の問題であるから議論に馴染まないので、理論武装をどこかで打破できないかと思いながらパラパラとめくっていたら見つけましたですよ、理論の破綻をね。それは航空会社が全便を禁煙にしたことについて「たかが臭いくらいのことで喫煙の権利を奪うのか」という反論をしているところ。ダメだこいつ。他人の嗜好や感覚を自分の基準で「たかが」と切り捨てた途端、自分の嗜好や感覚を主張する資格を失なうということがわかってないな。三十一に言わせれば「たかが喫煙」である。「たかが喫煙のために不快な匂いを許容しろというのか」てなもんである。本質的には「たかが」同士で優劣の差はない。どちらを重要としどちらを軽微とするかは人それぞれだ。しかしここで問題なのは、「喫煙しない側」にとって「臭いを我慢すること」はまったくメリットがないということである。メリットは一方的に「喫煙する側」にしかない。それを許容しろというのは単なる我が儘である。
21 Sept. 2005 (Wed)
さてホテルを出て夕食を摂りにいこうと思う。ガイドブックなどを見てみると金沢の繁華街というのはもともと駅のあるあたりから少し離れているらしい。歩いて10分くらいのところに市場があるらしいのでそこを目指そう。市場だから夜遅くなると半分くらい閉まってしまうらしいがガイドブックによるとやってる店もけっこうあるらしい。地図でもってだいたいの方角を確認して歩き出す。駅前から正面方向に伸びている道をまっすぐいって三叉路につきあたった向かい側の一角らしい。6時前後の金沢の町はもう薄暗い。思ったよりも人通りが少ないなあ。車はそれなりに走っているので道が違っているとも思えないけど。お、本屋だ。なんて言うんだろう、上のほうはオフィスとかホテルになっているビルの一階と二階の2フロアを占めている。もちろん立ち寄る。規模としては東京有楽町の三省堂と同じくらいかな。ローカルですまん。まだあと一日あるし、それほど購買意欲をそそられる本がなかったので特に何も買わず、ただ少し立ち読みしたくらいで店をあとにする。次の機会にはここをひいきにすることにしよう。次の機会があるとは思えないけど。目標の三叉路付近に到着、なるほどね、確かにこのあたりが中心街なんだろうと思えるような人通り。駅とこのあたりの中間の寂しさとはだいぶ趣が違う。バス通りを横切って路地を入ると築地の魚市場を少ししょぼくしたような市場。時間が時間だから大半の店は閉まっているが食事のできそうな店が何軒か開いていた。適当にその中の一軒に入って海鮮丼セットを頼む。まあまあ美味いかな。しかし三十一が料理を待っているあいだに学生とおぼしき団体が入ってきて騒々しくなったのと、それからNASA関係のニュースをホテルに戻ってじっくり見たいという両方の理由で早々に食事を済ませてホテルに帰る。
21 Sept. 2005 (Wed)
NASAがシャトル後継の有人宇宙船構想を発表した。CEV(Crew Exploration Vehicle)という名称だけは知られていたが、結果としてはアポロ宇宙船と同じような設計思想のカプセルになった。やれやれ、ようやく本道に戻ってきたか。以前にCEVの検討を始めるというニュースが伝わってきたとき、NASAが発表した候補のイラスト4種類のうち3種類がシャトル・タイプでひとつだけカプセル型が交じっていた。こういうところにカプセル型を忍び込ませているということは、カプセルに回帰する先触れなんではないかという観測が一部でなされていたことを思い出す。結果としてその観測が的を射ていたようだ。発表されたイラストを見るとアポロに類似しているが、中身を読むとやや大型化していてLEOまでは6人運べるとか書いてある。発表していたNASAのグリフィン長官は「Apollo on steroids」つまり「ステロイドを注射したアポロ」と形容していた。なんつー表現だ。このカプセルの後部に消耗品などを搭載した支援モジュールがドッキングされているところまでアポロと同じだ。発射時のトラブルでは先端につけられた緊急脱出用ロケットでカプセルを分離するという手法もアポロを踏襲している。変わったところと言えば支援モジュールに太陽電池パネルが搭載されるようになったこと(ソユーズの真似だ)、それからアポロのように海面への着水もできるが基本は地上への着陸となり、耐熱シールドは交換可能にしてカプセル本体はある程度再利用するようにしていることくらいか。CEVは月飛行への使用も考慮されているが、これだけ大きくなるとサターンVでも月軌道に投入できない。そこでNASAはアポロで不採用にした地球軌道ランデブーを採用することにしたらしい。このために打ち上げロケットを二種類製造する。ひとつはシャトルの固体ブースターを第一段に、シャトルのメインエンジンを第二段にしたCEV打ち上げ用のロケット。これでCEVをLEOに運ぶ。そしてもうひとつは巨大重量を打ち上げるためのもので第一段にはシャトルのメインエンジンを5本たばね、同じくシャトルの固体ブースターを使って持ち上げる。月軌道に向かうためのブースターや月着陸船、その他の資材をLEOに打ち上げてCEVとドッキングさせ、その上で月に向かうというのだ。カプセルと支援モジュール、月着陸船は新規開発、あとは「ありもの」を組み合わせて作り上げるというお手軽さ。しかも新規開発の部分もそのコンセプトはアポロと同じで拡大型とでも言うべきもの。アメリカはこれを2012年には打ち上げて、2018年には月に再度着陸することを目指すという。日本の某評論家が「できるもんならもう一度やってみろ」と言ったから同じやり方を踏襲している、というわけではないだろうがあまり新味はない。もっとも、新味がないことは喜ぶことかもしれない。それは有人宇宙飛行が初期の試行錯誤の時代を抜け出して、充分なノウハウが蓄積された時代に一歩踏み出そうとしている証かもしれないからだ。時あたかも中国が再度の有人飛行をまもなく実施するというニュースも伝えられている。今度はふたり搭乗して少なくとも数日間は軌道上に滞在するという。早ければ来週にでも打ち上げられるそうだ。だいたい一年に一度というのはなかなかいいペースだなあ。
21 Sept. 2005 (Wed)
金沢着。何はともあれ今夜の宿を確保しよう。駅から近くしかも安くて安心のビジネスホテル。まあ贅沢は言わない。ガイドブックから適当にアタリをつけて電話。最初の電話であっさり予約できてしまって拍子抜け。まあ平日だしな。駅から徒歩3分で、昨日のホテルよりは遠いが充分近いと言えよう。腰を落ち着けてガイドブックを検討するために入ったコーヒーショップでお茶など飲みながらしばし「京ぽん」でニュースなど巡回。おお、NASAのCEVが発表になってるぞ。これについてはまた別途。頃合いを見てチェックイン。典型的なビジネスホテルだなあ。荷物をどこに置こうかと思ったくらいだ。値段相応ではあるけれど。
21 Sept. 2005 (Wed)
七尾で乗客が少しまとまって乗ってくる。何しろ初めてくる土地だけあっていろいろと気づくことがあるが早めにメモしておかないと忘れてしまう。そこで鞄からPCを取り出し記憶ができるだけ新鮮なうちに書き留めておくことにする。七尾を出発してまもなく、左手に分かれていく線路が見えた。こんなところに線路があったっけ? しかも電化されてるように見えるなあ。貨物線とも考えにくいし、私鉄はこのあたりないはずだ。車庫か工場かなあ。うーん、わからん。「しらさぎ」は行きに乗った「サンダーバード」より少しだけ停車駅が少ないらしく快調に飛ばす。PCで書きものをしていたらあっという間に時間が過ぎてしまい、気づいたら津幡で北陸本線に合流しようとしていた。あと何駅かで目的の金沢だ。慌ててPCを畳み、ふと外を見ると津幡駅の側線にレールを積んだチキ車(長物貨車)からなる列車が停まっていた。いわゆる「工臨」である。すれ違いながら注目するでもなく眺めていたら、目の前を先頭のディーゼル機関車が横切っていった。 え? 一瞬しか見えなかったけど、いまのはDD51に見えたぞ。どうせDE10あたりの牽引だろうと思っていたので完全に虚を突かれた。慌てて振り返ったがすでに視界外に去ってしまっており確認できない。このへんにDD51っていたっけなあ。JR貨物の東新潟? でも工臨だから路線の保有者であるJR西日本だよな。JR西日本のDD51だと大阪の竜華が一番近いんじゃないかなあ。近いと言っても随分遠いぞ。うーん、わからん。
21 Sept. 2005 (Wed)
七尾を出てまもなく左側(富山湾側)にわかれていく線路を見かける。架線も張られた電化路線だ。こんなところにそんな線路があったっけ? JR線も私鉄路線もないはずだし、工場か何かの専用線かな。だけど七尾線は貨物営業してないと思うんだけど。謎だ。
21 Sept. 2005 (Wed)
行きでは七尾で乗り換えたが、帰りは和倉温泉で下車して乗り継ぐ。乗り継ぐ先の金沢行き特急がこの駅始発だからである。のと鉄道の旅は行きも帰りもおよそ一時間弱の道行きだが、帰りは妙に早く着いたような気がする。ずっと景色を眺めながらだったからかもしれない。和倉温泉駅の改札を出てみるが、うーん、何もないなあ。「温泉」とは言うものの温泉街は駅から少し離れていて、客待ちのタクシーが数台停まっているくらい。これから乗ろうとしている上りの「しらさぎ」まではほんの15分くらいだが、それだけの時間すらもてあましてしまう。時刻表を見ると、その「しらさぎ」の発時間と同じ時刻に下りの「サンダーバード」が到着することになる。まさか1分以内の折り返しじゃないよな、と思っていたら目的の「しらさぎ」が入線してきた。この設備の乏しい駅に留置しておくわけにはいかないだろうから、しばらく七尾駅にでも留置しておいて回送してくるんだろうな、きっと。名古屋と北陸を結ぶ特急「しらさぎ」に乗るのはもちろん初めて。でも乗車区間は名古屋とは全く関係がない。やがて向かいのホームにサンダーバードが入ってくるとそれとすれ違うように発車。
21 Sept. 2005 (Wed)
駅ごとに列車は旅客を拾っていき、やがてそれなりの乗車率になった。しかし乗客の大半は年配の女性だ。さきほどの下り列車が高校生主体だったのとは対照的だ。なにしろ始発駅では三十一ひとりだったので席は選び放題。もちろん海側の窓際に席を占めもっぱら窓外を眺める。列車は高台を走っているがすぐ下は海。つまり海と波打ち際を走る道路とその周囲の人家を見下ろして走ることになる。半円形に海にはみ出した地形があり、その中央部分にだけ木が茂っている。いかにも元は島でその周囲を埋め立てて本土とつなげましたという地形だ。埋め立て地は田んぼになっているがその元島だけは森になっている。さてはと観察してみるとやはり鳥居を発見。神社の杜だ。そもそもはこの島全体が神社だったのだろう。それが周囲の埋め立てが進んで陸続きになったときに、もとの神社だけが温存されたのだろう。なるほどなるほど、と一人納得していた時に前方に見えたのが同じような地形に一回り大きな森。まさかあそこにも、と見るとやはり鳥居が見えた。このへんの神社はみんなこんなかい。
21 Sept. 2005 (Wed)
穴水駅の改札にレールを切断した文鎮で押さえてパンフレットが置かれていた。「ご自由にお持ちください」とのことだったので一枚とってみる。本当はその文鎮の方を「ご自由にお持ち」したいくらいだったがさすがにそうもいくまい。パンフレットを広げてみると国土交通省北陸信越運輸局などが主催する「鉄道の日」記念イベントのパンフレットだとか。北陸信越運輸局管内の鉄道会社と共催しているようだが、一見しておどろくのがこの地域にこんなに鉄道会社があるのか、ということ。JR東日本が新潟支社と長野支社の両方で名を連ねていたりするが、掲載されている鉄道会社の数は両手でも足りるまい。宣伝されているイベント自体は大半ありきたりで三十一の興味をそそるようなものはほとんどない。せいぜいが車両基地の開放くらいかなあ。その中に今乗っている「のと鉄道」のイベントもあった。すでに終了しているようだが「能登中島駅で鉄道郵便車(オユ10)の一般公開及び郵便仕分け作業の実演と作業体験」だとか。はは、あれはオユ10でしたか。とてもほんの数日前にイベントで使われたとは思えない荒れ具合でしたけどねえ。
21 Sept. 2005 (Wed)
一時間弱で終着の穴水着。かつてはここから輪島方面と珠洲方面蛸島まで線路が伸びていたのだが、いまはどちらも廃止されている。とりあえず改札を出てみると典型的な地方の駅前広場で