月刊ライダースクラブ
1996年10月号掲載

雪溶け水に流されて 96年ロシアンラリーから

長い旅、異国の地、
目の色のちがう人。
土の色も少しちがう。
外国を走るのは、いつもとちがった緊張があって、
いつもと違う発見がある。
川と泥、人々と遊ぶ大陸ツーリング。

雪溶け水の川 ロシア沿海州。1996年

 ロシアへ行くというと、十人が十人、遠いところへ行くのねぇという顔をする。ロシアンラリーは日本海をはさんで北海道の目と鼻の先の、沿海州でおこなわれる。なのにみなさん"それでもねぇ"という顔をなさる。やっぱりロシアは遠い国らしい。

 ロシアが遠いからか、ロシアンラリーも知られざるイベントだ。もう5回めなのに、どういうイベントかを正しく知っている人はあんまりいない。みんなレースだと思っている。

 名前がいけないのかもしれない。辞書を索くと"ラリー"には自動車競争の意味もあるが、それよりテニスのラリー(殴りあう)が上位で、さらに上位に"集う"がある。モータースポーツ系の人のほとんどが、集うほうのラリーを知らないから、ラリーといえばレースだと信じている。参加者にも勘ちがいしている人はいっぱいいて、混乱もままある。そういう混乱も含めてロシア的だ。

 ロシアへ渡るのは船旅だ。新潟からざっと40時間。自分のバイクといっしょに渡航できるのがメリットで、延々と船に揺られるのがデメリットだ。

 9回の全日本チャンピオン東福寺保雄さんは、この船旅がどうにもいやでしょうがない。酔っぱらってしまうんだそうだ。

 モトクロスする人なのに不思議だが、イベント顧問の吉村太一さん(RSタイチの社長さんにして'71年の250ccチャンピオン)によると、速いライダーは総じて乗りものに弱いらしい。ロシアンラリー史上もっとも酔っぱらいだったのは、'82年125ccチャンピオン大関昌典さんだった。大関さんはよっぽどつらかったらしくて2度とロシアへ行こうとしないが、東福寺さんはブツブツ言いながら2度めのロシア行きである。船酔いよりもおもしろいなにかがあるにちがいない。もちろん吉村さんも船には弱い。でも石の上にも3年、毎年のロシア行きで鍛えるうちに、今年はとうとう船の上で焼肉を焼けるまでになった。その分オートバイが遅くなったかどうかは、こわくて聞けなかった。

 さて、ツーリングラリーというんだそうである。日本ではこれが唯一だけど、イタリアやフランスでは、けっこう人気。日本人にも、パリダカに憧れる人がいっぱいいるが、あれに出るには、少々の腕と根性と財力ではどうにもならない。

 で、パリダカ(今度のパリダカは、正確にはダカール―ダカールらしい)は無理だけど、外国のオフロードは走ってみたい。欲をいえば、ちょっとパリダカ気分も味わいたいという初心者を脱したライダーたちが、少々の覚悟をもって、気軽に参加できるのがツーリングラリーだ。

 受付と同時にコマ地図が渡され、船旅の間に地図を熟読するところなんか、まんまパリダカ気分である。スタートとゴールではタイムをチェックされるし、毎日の日程には目標タイムもある。でも速く走ってもほめてもらえないし、遅くたって失格もリタイヤもない。全員、なにがなんでもゴールする。

 このイベントに、ぼくは東福寺さんと池町佳生('94年オーストラリアンサファリ総合4位。今度のダカール―ダカールに出場する)との3人で、バイクで走り回るオフィシャル役を担当した。背中のカメラザックには、無線のアンテナもしばりつけられた。

 "無線の中継になってくれればいいから"とはあんまり期待されていないということだけど、イヤホンで聞くオフィシャルの無線交信は、なかなか事件豊富でおもしろい。事件は、だれそれが転んだとか行方不明だとか、という物騒なものばかりじゃない。この先で雨が降っているとか、時間が押しているのに、参加者が地元の人たちに誘われてダンスしちゃっぜんぜん動かない。オフィシャルの池町もいっしょに踊っているとか、そういう類のものが多い。

 そういう無線を聞いたニシマキ隊員は、これではスケジュールが遅れちゃうから、急いで現場に到着してみんなの尻を叩かなくちゃと思う一方、ちょっとくらいダンスをさせてもらっても罰はあたらないかなと思ってみるのだった。

 無線もおもしろいが、ロシアで特筆すべきは、女性たちだ。最近、雑誌のグラビアに登場するような歳ごろの娘じゃなくて、もっと若年齢、3歳とか5歳でもよろしい。みんな美しいのだ。

 美しい娘たちと写真を撮っているうち、そのうち、彼女たちを日本に連れて帰りたくなる。笑顔は明るく(でもどこか陰があるところがイタリア娘とはちがう)しかもしとやかである(でも大和撫子みたいに、内に秘めた執念は感じられない)。広大な大地に育っているから健康そうでもある。満点だ。

 百歩ゆずって美人でなくても、ロシアの人々は表情が豊かだ。ものが豊かな日本の人は、あんなふうに豊かな表情と引きかえに、大切ななにかが欠落しているんじゃないだろうか。

 それでも、ロシア娘とことばの通じない会話でじゃれあっているうち、無表情の自分にもだんだん表情が舞い戻る。たぶん、最初は世間体とか分別とか日本に残してきた妻子や借金のこととか、いろいろ思うものがあるのだろう。日本のしがらみをようやく忘れられたころ、日本人のぼくにだって泣いたり笑ったりができるのだ。

 そうやって、彼らのおかげで自分の表情をとり戻したことに気がつくと、次には、ぼくらが彼らにほとんどなにひとつしてあげられることがないのに気づいて悲しくなる。人を豊かにするなにかを、ぼくらはほとんどなにも持ちあわせていない。沿道の少年たちはしきりにウィリーをしろとゼスチャーをするが、ウィリーをしていて道路警察からおとがめを食らった例もあるし、第一やろうと思ってもじょうずにできないのだからなさけない。

 そんなこっちの弱みを知ってか知らずか、道端にはかわゆい娘たちと同じくらいの数の"チェンジ小僧"が出現する。へんなメダルやバッチを手に"チェンジチェンジ"と、こちらのなにかをおねだりする少年を、ロシアンラリー語で"チェンジ小僧"という。初めてロシアンラリーに出会った"チェンジ小僧"は飴だまのひとつもあげれば喜んでいたのに、敵もだんだんすれてきて、少々のものじゃ商談は正立しなくなった。日本の気のきいたおみやげをもってきてあげればよかったなぁと思っても後の祭、他人に喜んでもらうのは、とってもとってもむずかしい。他人の土地を走らせてもらうのだから、せめてその土地の持ち主には、ぼくらと接していい気持ちになってもらおうと思うのだけど、これは旅の永遠のテーマかもしれない。

幹線道路を走るロシアのサイドカー ロシア沿海州。1996

 さて、お話は女の子のことばかりではない。ロシアンラリーには、日本人だけじゃなくてロシア人もいっぱい参加する。彼らはロシアの人々の中にあってはきっととってもお金持ちなのだろうけれど、日本人と比べるとずいぶんポンコツに乗っている。しかしそのポンコツで「ゆっくり走ってください」というご注意も聞かず(大半のご注意は日本語だから、彼らに聞こえるわけもない)思いきりぶっ飛ばすのがロシア風だ。ゆえに、マシンはよくこわれる。

 サーシャという、ロシアライダーの中で唯一名前が判明しているやつがいる。去年のロシアンラリーで、いっしょに走っていいやつだったからと、東福寺さんが分れ際にゴーグルをプレゼントした。サーシャはとっても喜んで、はたして今年もそのゴーグルとともにさっそうとやってきたのだが、歩いているうちにぼろっとその大事なゴーグルを落としたりして、プレゼントしてくれた東福寺さん本人に拾わせるという大胆な性格を持っている。

 そのサーシャは、今回のラリー中にXRのドライブスプロケットをなめてしまった。のろのろと走っていたのだけど、とうとうだめになって、ある晩必死で修復を試みていた。その方法とは、農耕機のだかなんだかの歯車を調達してきて(バイク用のスプロケットは、その街では手に入らなかったのだろう。もちろんバイク屋なんか1軒もない)それを加工して組みつけようという魂胆だ。ぜんぜん形のちがうものだから、うまくいくような気はぜんぜんしない。でも彼らは、できると信じて疑わない。部品も工具もなんにもないのに、とにかく作業にかかる。それで、トラブルの大半は解決してしまうのだから、たいしたものだ。

 サーシャが作業している頃、日本人参加者がぼくらのところに泣きついてきた。パンク修理をしていてリヤアクスルのカラーをなくしたという。これがなければリヤホイールがつかないから、パンクをなおしても走れない。でも、こんなところでパーツを入手したいといわれても、どうにもならない。ぼくらにはお手あげだった。可能性は、ロシアのみんなに助けてもらうことだけだ。

 翌日、残念ながらサーシャのXRにはスプロケットはつかなかった。しかしカラーをなくした日本の彼は、ちゃんとバイクをスタートラインに並べていた。サーシャを初めとするロシアのみんなは、どこからか外径も内径もぴったりのパイプを探してきて、それをのこぎりで切り、純正部品さながらの完璧なカラーを作りあげてしまったのだ。なにもないところから部品がでてくるのだから、一種の魔法である。

 ここでもまた、ぼくたちは大切ななにかを失ったのではないかと気がつかされる。パーツセンターはどこにでもあり、工具も豊かにそろっている。しかし反面、道具や部品がきちんと揃っていなければなにもできない。自分の手そのものから、いったいどれだけのものが生みだせるのだろう。できるなら、ロシア人の魔法を少しわけてほしいと思いながら、スタートできないサーシャと握手をした。

 ロシアの人を見ていると、進歩とはなんだろうと常に思う。それで思うのが、ぼくらのバイクの足まわりとシートの敵対関係だ。

 われらが東福寺先生は、バイクのシートはもっと高くてもいいとおっしゃる。そのほうが、もっと速く走れる可能性があるそうだ。シートが高くなるということは、それだけサスペンションがよくなるということで、サスペンションがよくなるのだったら、足は届かなくなっても、充分にメリットがあるという。たいへんにわかりやすく納得しやすい。

 しかしだ、現実に目を向けると(あるいは股の下に目を向けると)、自分の足はとっても短い。足が届かないバイクではどんどんフラストレーションがたまっていく。バイクにまで"おまえの足は短い"といわれたくない。

 ひとりで悲しくなっている分にはまだいい。今回のぼくは腐っててもオフィシャルだから、苦しくなった参加者に助けを求められることがままある(ぼくが助けを求めることも何回かあった)。これは一大事である。

 みんな、そろいもそろって背が高いバイクに乗っている。ぼくはセローにのっている。ちびで足が短い上に、足をつかずに走れる自信がないからだ。セローは、エンジンにもサスにも不満は多いけれど、あらゆるコンディションで速く走れるバイクを探したら、問答無用でセローになるのだった。

 ちゃんと乗れれば、足がつかなくてもバイクは走ると、よくいわれる。理屈はそうだけれど、バランスを崩したらどうしようとちらりと考えるだけで、バランスを崩して転んでしまうのが世の常である。地に足がつかないのはこわいのだ。

 というわけで、ぼくは助けを求める女性ライダーから足の届かないバイクを渡されて、しかたなく泥沼めがけて突進して、お約束通りひっくり返って、マップホルダーをふっ飛ばした。助けてあげたのに、へこへこ頭を下げて謝まんなきゃいけないのは、ぶざまである。

 どうしてこんなにバイクの背が高いのだと、帰りの船の中で東福寺に挑んでみる。短足代表は考える。サスペンションの性能は飛躍的にアップした。技術の革新はめざましい。それは認める。でも速く走る必要のない人のために、ちょっとだけ性能が落ちてもいいから、昔のバイクと同じくらいの背の高さのバイクは作れないのか。いや、最新技術をもってすれば、性能を落とさず、背の低いバイクはできるはずだ。それができないんだったら、技術なんてその程度さ――。

 日本から持ってったとっておきのカップラーメンを食べながら問いつめたら、東福寺さんもなんとなく納得したような顔になったけれど、そこでお話は時間切れになった。波が強くなって、先生は話なんかしていられる状況じゃなくなったのだった。

 とはいえ、ロシアの道は、だいたいだだっ広いダート道路だから、足が届かないことは忘れられるのも事実だ。地元民はすげー勢いで走り去る。確かに、全開にしなきゃうそだと思うほど、道はどこまでもフラットで広くてまっすぐだ。

 でもフラットでまっすぐが安全かというと、そんなことはない。突然穴があったり(舗装路の穴は、ラフロードの穴よりも鋭利ではるかにあぶない)突然崩れていたり、突然急カーブの先が崖だったり、すべて突然あぶない。日本の感覚でこの道を走ろうものなら、何度も何度も死ぬことができる。

 こういう道の危険さに比べると、短足が悲しいマッドステージや川渡りは、せいぜいエンジンに泥や水が入って動かなくなるくらいだから、てんで致命的ではない。

 ある日あるとき、コースは川の中に没している。しかたないから、アクスルの上までこようかという深さの中を、ずぶずぶと進む。

「あっ」

 川底に大きな石があった。けつまづく。転ぶ。パンツまで濡れてしまって、おもいきりなさけない。仲間が助けにきてくれて、川に沈んでいたバイクが引きあげられる。エアクリーナーエレメントの水を絞って、キャブの中の水を抜く。場合によっては、エキパイの中の水も抜かなければいけない。いまいましい作業だが、ついでに洗車をしたと思えば気も安らぐ。

 しかしそこからほんの5km。水の地獄の次には泥の地獄が登場して、タンクまで埋まって身動きとれない。さっき川で洗車したのはなんだったのだと思うくらい泥だらけ。でもオフロードバイクは、ワックスをかけるよりも(ワックスもかけたほうがいいとは思う)泥の中に埋まっている姿こそが美しく、正しい。

 泥に埋まると、チェーンに泥がかんで、エンジンがばらばらになったみたいな音がする。壊れちゃうかもしれないと思いつつ、ひるんでいたら先へ進めない。スプロケット、ごめんなさい。チェーンさん、切れないでとお祈りしながら、ガチャンコグチャグチャと泥沼ポイントを駆け抜ける。

 こういう場所を抜けられるかどうかは、もちろん運転手のテクニックも大事だけれど、思うには、抜ける気があるかどうかが運命のわかれ道なんじゃないかと思う。

 なんだか転びそうだなぁ、川の中で転んだら冷たいなぁ、いやだなぁと思っていると、必ず転ぶ。転びたくないと思いながら、だれも転ばない水たまりで転んでエアクリーナーエレメントを洗ってしまったのは、だれあろう私です。

 ことほどさように、バイクを走らせるのはメンタルなものなのだ。旅は、人を感傷的な気分にさせる。バイクを走らせるのは哲学である。ぼくらはもっともっと感傷的になってもいいのかもしれない。

 空が暗くなって、雨が降り始めた。イヤホンから、オフィシャル無線の会話が聞こえてくる。100km先の橋の下で、吉村太一さんが焚き火を作って待っていてくれるらしい。雨で冷えたライダーにとっては、なによりのプレゼントだ。さすが吉村さんは、ライダーのメンタルコントロールがおじょうずのようだ。

 さて、峠のむこうには、どんな道が待っているのだろう。

ラリーを見る娘たち ロシア沿海州。1996年

ロシアンラリーについてのお問い合わせは
ロシアンラリー実行委員会
03-5430-1274までどうぞ  

 

 

 

 


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