月刊トライアルジャーナル
1996年2月号掲載

風呂もなしキャバレーもないなれど ジャングルに泥だらけの哲学住むとひとは言う ――――キャメルトロフィーから

転倒救出劇
110が転倒。みんなで救出作業中である。1992年


日の丸という旗は、なんともそっけなくて愛着のわかない旗である。けれど、なにかの拍子に日本の看板を背負わされてしまうと、そのそっけなさもシンプルに見え、愛着のわかないデザインは孤高に見えてきたりする。日の丸の旗がかっこ悪いと思っていた当時のぼくは、島国の田舎っぺぇなのであった。デナシオンに参加した人たちはどうお思いだろうか。

 キャメルトロフィーには、1000マイルアドベンチャーなるサブタイトルがついている。未開の地を1000マイル旅しましょうということだ。未開の地というと、最近は自然破壊にうるさい人がいる。だから、道じゃないところは走りません、道か廃道を使いますなんてアピールをしているが、道じゃないところは、ブルドーザーじゃあるまいし、いくら自然破壊が許されてもそうそう走れるものではない。わかっていない人がうるさいことをいうのは、世界各国共通みたいである。

 さて、キャメルトロフィーはタスクと呼ばれる競技部分があるが、前半のタスクを終了すると、みんなで仲よくコンボイにスタートする。コンボイでは敵味方はない。参加チームが16〜20ヵ国(それぞれの事情で、参加したりしなかったりする国がある)、サポートドライバーが運転するオフィシャルカーが15台前後、30数台、100人ちょっとの民族大移動である。

 仲よくというのは、肩を組んでフォークダンスを踊りましょうという仲よくではない。もちろん、ときにはそういう仲よくもあるのだけど、本来は、フォークダンスなんか踊っている暇はないはずなので、もっと男くさい仲よし状態が基本だ。ファイト一発リボビタンDみたいなもんで、くさくて恥ずかしくなってしまう人もいるかもしれないけど、しらけている暇がなければ、そんなことも気にならないのだった。

 カルロ・リナルディはイタリア人である。イタリア人には、色男とパッパラパーの2種類がいる。いや、いるんじゃないかと思う。カルロは、少なくとも色男ではなかった。'91年の選手で、それが認められたのか、'92年にはオフィシャルドライバーとしてやってきた。しかし運転が激しい。躊躇がないのは気持ちがいいが、穴があっても壁があってもなにがあっても躊躇がない。おかげさまでカルロの車は、どんどんパーツが少なくなっていった。フェンダーの端っこについているゴムラバー、バックミラー、最後には、フロントフェンダーを丸ごと落っことした。

 車を壊すなと、乗りものを使うイベントではうるさいほどいわれる。乗りものが壊れてしまったら、その先のスケジュールを続けることができないのだから、少々成績が悪かろうがなんだろうが、車を壊す以上の罪はない。もちろん、日本の諸先輩方にも、壊すな壊すなと口をすっぱくして言われる。

 でもカルロはぜんぜん気にしていないみたいである。まわりも、それを見て笑いころげているばかりだ。車を壊したなんて罪悪感はこれっぽっちもないみたいである。教えに忠実な日本人は、それを見て自分だけは車を壊すまいと再認識するのだった。

 カルロはしばらくフロントフェンダーを屋根にしばりつけていたが、そのうち暇を見つけて板金修理を始めた。修復なったカルロスペシャルは、細部を見るといろいろあらもあるけれども、なんとか形になってその後の行程を走り続けた。

 一方、車を壊さないと誓ったはずの日本チームは、壊してしまうのですね、これが。ぼくが知る限り、毎年のように日本チームの車は壊れている。ステアリングロッドが曲がったりブレーキパイプがちぎれたり、日本チームの壊し方は致命的なやつが多い。どうしてこうなってしまうのかよくわからないけれど、ボディをこすらないように気をつけて走っていると足まわりを壊し、足まわりを壊さないように気をつけて走っているとエンジンを壊し、だめおしに牽引されている最中に転倒してしまったりする。車なんか壊れてもへっちゃらのパッパラパーカルロは、結局たいしたトラブルもなくゴールまで車を運ぶのであった。

カルロ・リナルディ カルロは、要するにこういうことが好きなのだ。1992年

 でも、日本車がトラブルを起こしたという情報が伝わると、みんなが心配してやってくる。トラブって申しわけない、手伝ってくれてありがとうと、最初はへこへこ頭を下げてばっかりいるのだけれど、そのうち、ひょっとしておれたちは、貴重なハプニングを提供しているのではないかという気になってくる。それで、少々明るくなれる。どうせ手伝ってもらっちゃっているのだから、この際、気持ちだけでも明るいほうがみんなのためだ。

 シャモニーでアルペンガイド、フランス人のエリックは'92年の選手で、それ以来ほとんど毎年オフィシャルドライバーをやっている。

 フランス人だから、かっこがいい。みんなから、よくカメラを向けられる。キャメルトロフィーというのは、もともとは宣伝イベントで、今はキャメルトロフィーブランド(アパレル産業ですね)の宣伝イベンだ。イベント中の写真は、そのままコマーシャル写真になる。選手たちは、コマーシャルモデルをも務めるわけだ。

 かっこいいだけじゃなくて、エリックは撮られ慣れてもいる。カメラを向けたその場に応じて、にっこり笑うときもあれば、いきなり顔をまっ赤にして、近くにあった丸太を持ちあげようとすることもある。カメラマンがなにを撮りたがっているのか、きっちりわかっているのだ。日本の選手(だけじゃないけど)だと、カメラを向けると一律ににっこりしてしまって、写真がぶち壊しになったりする。写真屋さんとしては、これは大きな問題である。

 パスポートには、その人の写真が貼ってある。ぼくのパスポートにも5年前のぼくがいて、それは直立不動でこっちをにらんでいる。帽子はだめ、笑っちゃだめ、背景があっちゃだめと、この手の写真のレギュレーションはうるさい。その結果が、犯人探してくださいの手配写真だ。

 外国の連中のパスポートを見ると、もちろん手配写真もあるのだけれど、そういうのは手抜きであって、少々自分をかっこよく見せるこつを知っている人は、いろいろ工夫をして写真に写っている。斜めにかまえているのもあるし(カメラに対して斜めにかまえると、堅さがとれる。記念写真を撮るときには試してみてください。ピースだけが記念写真というのは、いかにも情けないではないですか。以上、突然の記念写真講座でした)もちろん笑っていたりもする。

 文化のちがいなのかもしれない。日本の証明写真は直立不動気をつけの軍隊モードで、戦後50年、それはちっとも変わっていない。なのに日本には軍隊はなくて、パスポートに笑った写真を貼る連中の国には軍隊が存在していたりする。軍隊の存在そのものと、軍国主義はぜんぜんちがうんじゃないか、マッカーサーが日本の軍隊を廃止したのは、日本の直立不動文化が無気味だったからじゃないのか……。

 エリックが野生のバナナを食べている写真を撮りながら、ぼくはこんなことを考えた。ひょっとしたら、日本のワークスチームから世界選手権を走れるライダーが登場しなかったのも、こういう直立不動文化のせいなのかもしれない。それともやっぱり、納豆と漢字のせいかなぁ……。ジャングルの中で、妄想はぐんぐんふくらんでいく。こういうのを、哲学という。

 キャナリーアイランドという参加国がある。実は南大西洋に浮かぶスペイン領の島なのだけど、なんとなく一人前に参加を続けている。同じことばをしゃべるから、スペインとはツーカーである。ツーカーのはずなんだけど、コンボイではあんまりスペイン語を聞かない。コンボイは英語を使うべしというお達しがあって、それはけっこう守られているのだ。一番英語を話さないのは、やっぱりぼくら日本人だ。

 選考会で英語の能力もテストされているのだけど、それでも得手不得手はある。一生懸命やっているときには英語を話せるけれども、疲れてくると日本語になってしまうのはよくあるパターンだ。過去、英語能力が高い選手が何回も候補にあがったけれど、通訳としてならいいけれども、疲れてきてしゃべれないようになってしまうと、英語が得意もへったくれもない。英語ばっかりじょうずでも、やっぱり体力や技術がないと、だれも相手にしてくれないっていうことだ。

 ひがみ根性たっぷりの日本人としては、まわりのみんなが流暢に英語を話していると、ますます英語がしゃべれなくなる。おれたち、あんなにじょうずに話せないもんなぁ、あったり前だぜ、おれたちはふだん英語なんかしゃべってないもんな、おおそうよ、日本語でいこうぜ、日本語で……。開きなおってしまったりするわけだ。

 でも実は、みんなそんなに英語が達者なわけではないということに、ぼくはとあるお茶の席(もちろんジャングルの中での小休止)で気がついた。みんなが、それぞれに自分のことを話す。ぼくはよくわかんないから、隣に座っているギリシャ人に通訳をお願いしたりする。英語から英語への通訳だ。そのうち、当の発言者がぼくにわかるように話してくれるようになった。ぼくがわからなければ、話は進まない。時間がたっぷりあって、話し相手が少ないから、英語が不自由なぼくでも充分仲間に入れてもらえるっていうわけだ。

 なんとなく話の流れが見えてきて、通訳が不要になってきた。そしたら、向こうのほうに座っていたスイス人が、ちょっと待って、よくわかんない、と言いだした。ぼくがちゃんとわかってるのに、わかんないやつもいる。その時ぼくは思ったのだ。ぼくらはぶっちぎりの劣等生じゃなくて、どんぐりの背っ比べの劣等生なのだ。

 そう思ったら、いきなり楽になって、みんなとぺらぺらしゃべれるようになった。もちろん、文法や単語能力は変わらないから、でたらめな英語のまんまだ。でもしゃべっていたら、おまえは英語がじょうずになったってみんな言うのだ。英語とは、英語のテストで何点をとったかではなくて、どれだけ英語で話したかによって評価が決まるみたいである。

 英語を話せるようになるには、英語を話すことである。哲学の次は禅問答になっちゃったけど、テレビも電話もなければ、人間はいろんなことを考えるのである。砂漠やインドの奥地に生まれていたら、ぼくもキリストやお釈迦さまになれたかもしれない。

川渡り
川が深いから、人間が誘導しながら、そろりそろり。1992年

 チームスピリッツという賞がある。参加者(とオフィシャルの一部)の投票で、どこの国が一番“よかったか”を決める賞だ。よかったという中身は、運転技術だったりユーモアだったりリーダーシップだったりコミュニケーションだったりする。

 こういう賞があるもんだから、コンボイに入ると選挙運動を始めるやつらも現われる。

「車の調子はいかがですか? デフの水抜きはしましたか?」

 おせっかいのガソリンスタンドみたいな親切にでたのはイギリスチームだった。調子は悪くないが、リヤのドアがうまく開閉できなくなったといったら、じゃなおしてあげましょうとやっぱり親切。ところがヒンジを調節したりのふつうの作業ではどうしてもなおらない。スペアタイヤが重いもんで、ドアがさがってしまったのだからどうしようもない。横からイタリア人がでてきて、ドアと干渉する部分のボディを斧(の反対側)で思いきりぶったたいてへこませて、それでドアはスムーズに開閉できるようになった。マニュアルを手にしたイギリス人は、面目が丸つぶれた。

 コンボイがスタックしたときにも、率先してリーダーシップをとりにいくやつはいる。

 ウインチを引こう、アンカーはここにしよう、長いストラップを持ってこい、だれかそこを掘りたまえ、アクセルはあんまり開けるなよ、よし、みんながんばろう――。

 最初は、みんなこいつにしたがって作業している。でもぼろがでるのにはほんの2日くらいしかかからない。なんでぇ、こいつは口だけでてんでテクがないぜと思われたらもうだめだ。もうだれも相手にしてくれないのだけど、といって本人はそれなりに一生懸命だから、いつまでもリーダーを自覚し続ける。みじめな姿はなるべく見たくないから、みんなますます離れていく。

 '91年にチームスピリッツとキャメルトロフィー賞をとったトルコチームは、ひたすら黙々と働いていた。派手なキャラクターでもなかったし、英語もそんなに達者じゃなかったから、黙々と働く以外に方法がなかったのかもしれない。だから最初はその他大勢のひとつだったけど、だんだん行程がたいへんになって、みんな疲れてしまって声もでなくなってしまうと、黙々がいつの間にかリーダーになっていた。キャメルトロフィーは20日近くあるから、最初だけがんばってパフォーマンスしても、なかなか最後には笑えない。選挙期間中だけがんばる政治家たちも、一度キャメルトロフィーに出場してみるといいと思う。

 '95年にチームスピリッツを獲得したのは、チェコレパブリックだった。背の高いズドニックは冗談ばかりのおもしろいやつだった。まぁ、20ヵ国の人間に通じる冗談というのはそんなに多くなくて、冗談の程度よりも、いかにタイミングよく冗談を投入するかが技術になる。

 コンボイで移動中、本日の寝床をどこにするか、無線で交信しながらみんなでわいわい探していたとき、ズドニックが無線に現われた。

「みんな、がんばっていい寝床を探して、エロチックドリームを見てくれたまえ」

 活字にすると、つまらない冗談だと思うだろうな。ズドニックの冗談は生きた冗談で、活字になってしまうとそれは死んじゃうということだ。

 ぼくは、明るいアメリカチームがお気に入りだった。もちろんイタリアやスペインも明るいのだけど、明るさにもそれぞれあって、ぼくの好きなのはアメリカ的明るさだった。でもズドニックに言わせると、ちょっとちがう。

「アメリカ人は1日中しゃべってるだろ、でさ、オーーマイガァーーッド、アンビッリーバブォーーーって、そればっかりだ。ふぅ」

 てな具合である。でも確かに、アメリカの連中の表現はおおげさだから、ズドニックの言うことは一理ある。地球の反対側で生まれて育ったくせに、同じものを見て同じように感じるのは、不思議なものだ。うちの夫婦なんか、たかだか東京と名古屋だっていうだけで、ぜんぜん意見があわずにけんかばっかりしているのにね。

 風呂に入る代わりに川に入って遊ぶのもキャメルトロフィー、炎天下で、ひたすらスコップを相手に格闘するのもキャメルトロフィー。'96年は泥と水でぐしょぐしょのキャメルトロフィーが、インドネシアの東カリマンタンでおこなわれる。

ランドローバー110 ランドローバー110が泥から抜けだそうと、もがいている。1992年


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