1996年6月神奈川県道志村にて
最近、サボタージュが激しいけれども、ニシマキはそもそも2輪雑誌の業界人であった。砂漠やジャングルへ行き始めてからめっきり人生が狂ったのだけれど、決定的だったのはやっぱりトライアルの人々と関わったからだと思うのだが、それは不問にしておこう。最初にぼくがでかけたモータースポーツは、ロードレースだった。第1回の鈴鹿8時間耐久レースだ。その年の秋、今度は鈴鹿のモトクロスにも行った。大雨で、とんでもない目にあったけど、おもしろかった。シーズンオフイベントのモトクロスでは、トライアルのデモ走行(たぶん丸さんだったと思う)もあったような気がするけど、まったく記憶にない。
トライアルに初めてでかけたのは、それから4年もたってからだった。ライディングスポーツなるモータースポーツ雑誌を創刊してしまったので、しかたなくトライアルにもでかけなければいけなくなったのだ。
しかたなくでかけたトライアル競技では、お客さんたちがみんなマニアだったのに驚いた。シロートはぼくだけのような気がした。おろおろしてセクションのど真ん中で写真を撮ったりして、ライダーから悲鳴をあげられたことも何度もあった。トライアルの取材は、むずかしい。
ロードレースやモトクロスのライダーとは、競技中に話ができない。ヘルメットごしにライダー同士がどなりあうのはマンガの世界で、ましてぼくら取材陣とはまったく会話がない。でもトライアルでは、ライダーだけじゃない、関係者や観客にいたるまでが、みんな同一平面にいる。選手とは、孤高の場にいるのがふつうだから、トライアルは異常な世界なのだ。
ぼくがトライアルを知ったのは、近藤博志さんがトロフィーを投げつけて出場停止処分になった頃、モーターサイクリストかヤングマシンの記事でだった。
当時、雑誌の編集部員といったら、みんなトライアルをかじっていて、何人かは、とってもじょうずな人がいた。『おはようぼくの好奇心』 (さりげなく宣伝したりしている)に序文を書いてもらった元ライディングスポーツ編集長の古谷重治は新宿の山(新宿にも山があったのだそうだ)を走っていたトライアルライダーだった。それが大学を卒業してモーターサイクリストに就職するや、職権を乱用して服部聖輝や丸山胤保に個人教授を受けまくった。
古谷の先輩に、服部久志もいる。今は山(こちらは八ヶ岳)にこもってしまったが、第1回イーハトーブに参加している数少ないひとりである。今もときめく小林由利子(宮田光幸は、先日MCFAJの試合で惨敗した)は久志さんのお兄さんの正志さんがトライアルに連れこんだのだった。
しかし雑誌界のヒーローといえば、青池武をおいてほかにない。今でこそ、宮田光幸も藤秀も参加してしまったが、もう20年も前にSSDTに出場した男が、しこしこと雑誌を作っていたのだ。しかもトライアルジャーナルではなく、モーターサイクリストとヤングマシンを渡り歩いてである。当時、名倉直著すところのスズキRL改造は伝説の講座となったけれど、編集担当青池氏の功績だって大きい。
青池氏みたいにトライアルの有名人でなくても、雑誌屋というだけで、いざトライアルをやらせると、けっこういっぱしのことをやるやつは少なからずいた。
野澤隆彦というライダースクラブの編集部員だった男は(その後、ライディングスポーツでいっしょに仕事をした。今は堅気になってボロもうけをしている)堀ひろことイーハトーブに出場した。万澤安央のレポートを読むと、階段も満足に登れないやつということになっているが、本人の話では、堀ひろこをおぶって走るはめになってたいへんだったそうだ。ファラオラリーに三好礼子(現在の山村礼子)と出場したぼくは、金銭的に彼女におんぶこそすれ、けっしておんぶしてはあげなかった。悔しいけれど、野澤隆彦のほうが男が上だ。
トライアルなんか興味がないふりして、走らせてみればけっこうトライアルをこなす、こういう雑誌屋像が崩れたのは、ふたつの雑誌の登場以降だと、ぼくは思う。
最初の責任は、ぼくらが始めたライディングスポーツだ。レース専門誌でトライアルも当然扱ったから、今まで記事の扱いが小さくていらいらしていたトライアルショップ各位は、モーターサイクリストやヤングマシンに出していた広告を、みんなライディングスポーツに切り換えた。ぼくらはしてやったりだったけど、それにともなってふつうのバイク雑誌からトライアル記事が消えていったのには気がつかなかった。
ライディングスポーツが創刊して1年半ほどして、今度はトライアルジャーナルが創刊した。半年くらいでつぶれるのではないかと思ったけど、その後10年たって、まだ続いている。ライディングスポーツ編集部が事実上解体してしまったのに比べると、なんともしぶとい。
という話はさておき、トライアルジャーナルができて、トライアル屋さんはライディングスポーツへの広告出稿をトライアルジャーナルに切り換えた。いつの時代でも広告主は、自分の関係している記事が大きく出ている誌面を好むのである。その陰で、ライディングスポーツからトライアルの記事は確実に減った。今、ライディングスポーツに、トライアルの取材をしたことがある編集部員は、ぼくの知る限りではひとりもいない。
トライアルジャーナル以外の、ほとんどあらゆるバイク雑誌編集部で、トライアルというものが特殊な世界のものと決めつけられてしまったのだ。そういえば、ライディングスポーツが創刊された当時、スノーモビルの扱いをどうしようかという話題になって、結局2回ばかりページを作ったのだけれど、なんともピンとこないまま、それきりスノーモビルはライディングスポーツの扱う2輪モータースポーツではないということに決めてしまった。スノーモビルの方々には申しわけないことをしたけれど、今、トライアルはおんなじ仕打ちを受けている。
そんなおり、今年のイーハトーブトライアルに平忠彦が出場する。トライアルと他ジャンルとの融合という意味では、トライアル史上初めての快挙ではないかと思う。ルマンに近藤真彦が出場するより、もっと画期的かもしれない(ちなみに平忠彦は、ぼくが書いた『平忠彦ライディングテクニック:実業之日本社』の中の“平忠彦ストーリー”によると(今日は宣伝が多い)「平忠彦は彼のバイク人生のごく初期にDT175とTL125でトライアルをやっていた」と5行にも渡って書かれている)。トライアルがはじまった頃、ロードといわずモトクロスといわず、メーカーの契約ライダーがみんなトライアルマシンに乗せられたという時代とは、ざっと20年以上の歳月が流れているのである。
前置きがうんと長くなった。今月は、尊敬すべき鈴木雅雄主催のジャーナリストモーターサイクルミーティング(JMM)についてのお話である。
鈴木雅雄といってピンとこなくても、JOPPAといえば思いだす人は多いんじゃなかろうか。声の大きな、イーハトーブでとうもろこしを焼いている姿が印象的なカメラマンである。この人、トライアルにはなかなかうるさい。
JOPPAがJMMを始めたのは19年前の大昔である。当時は、雑誌屋連中はみんな血が濃かったから、CR80あたりの過激なバイクで熱戦を繰り広げていた。スタート直後の第1コーナーなんか、ぴったり横1列になったままなだれこんでいくんだから、こいつらほんとにふだん原稿用紙に向かって仕事しるかと心配になってしまった。それにしても、レースをこんなに至近距離で見るなんて、取材ではありえない。隣のライダーとハンドルをカチャカチャいわせながら、うーむかっこいいと感心しているあいだに、あれよあれよみんな先へ逃げていく。
これじゃいけない。モトクロスみたいに怒鳴ってみることにした。コーナー手前で「やっほー」と怒鳴ったら、前をいく某メーカー広報部の亀○さんが一瞬ひるんだ。インがあいたので飛びこんだら、むこうもだまされたと気がついたんだろう。次のジャンプで、ふたたび横に並んできた。で、離陸と同時にハンドルがからまった。
矢島金次郎と鈴木秀明じゃあるまいし、ふたりともそんな状況でジャンプしたことはなかったから、空中で一生懸命ハンドルをほどこうと努力した。それがあだとなって、ハンドルはほどけたものの、ふたりとも一気に地面に叩きつけられた。ぼくはブレーキを粉ごなにして、ついでに親指を強打した。亀○さんは、かわいそうに肋骨を折ってしまった。
あぶねーレースだったけれど、みんな真剣に遊んでいた。だからたまにはこんな事件があっても、それもそれで笑い話だ。
ちなみに一番速いクラスでは、杉谷真と村岡力が優勝している。だいたいにおいてトライアルをかじった人間は、モトクロスも速い。彼らだけじゃなくて、当時トライアルジャーナル編集部でへたくそだのなんだのいわれていた連中だって、それぞれのクラスでそれなりに好成績をおさめるのだから、トライアルをやるっていうことはオートバイがうまくなることだと思うのだが、みんななかなかそうは思わないらしい。いっそぼくは、成田匠がスーパークロスに出場して、ばっちり走ってくれるといいと思うのだけど、だめかなぁ。優勝しろとはいわない。日本人最上位か2、3番手にでも入ったらすごいことだ。そしたらだめおしに、トライアル仲間みんなで、どこかのエンデューロ荒らしにでかけましょう。
![]()
話が大幅にそれた。で、JMMではそのようなあぶねーことをやっておったのだが、そのうちそれではすまない話になってきた。やりすぎて転ぶのは本人の勝手だが、そもそもバイクに乗れない雑誌屋さんが増えてしまった。走らせるたびに、あらぬところへ飛んでいってケガをする。勝手にケガをしていればいいものを、どうしてくれるなんて言う人もいるもんだから、今ではのんびりEZ9でリレーエンデューロになっている。
一方、モトクロスやエンデューロではなく、トライアルのJMMは今年で12回目になった。このへんの歴史の厚みが、JOPPAのすごいところだ。スポンサーやメーカーの人も税金だと思って協力し、兵役だと思って参加してくれる。
本来敵味方であるライバルメーカーのみなさんも、泥だらけになってしまえば人類はみな兄弟である。某メーカーの某氏がライバル某社の某氏に「転べー」と応援しているさまは、実に美しいものであることよ。
JMMトライアル(スーパートレッカーズなる美しいタイトルがついている)は、トライアルだと思うとちょっとへんてこなルールになっている。まず、自分のバイクがない。バイクは、各セクションに置いてある。ライダーは4〜5人でチームを作って(チームは主催者側で勝手に構成する)セクション間を歩いて移動するのだ。
歩いて移動する間に知らない者同士うちとけていただければ素晴らしいし、トライアルについて教えをこうのもよろしい。そのために、チームにはひとり、トライアルのうまい人が配置されているのだ。
用意されているバイクは、ベータテクノとかもあるのだけれど、どっちかというとバリバリのトライアルマシンはアクセルを開けたが最後、どこへふっ飛んでいくかわからない危険なバイクなので、トライアルマシンだったら小排気量とかTLM、スコティッシュあたりがよろしい。全員がおんなじバイクでトライするのだから、条件はいっしょである。
だいたい、この競技にはハンディがあって、うまい人には50点ハンディが与えられる。だからオールクリーンしたって、好成績があげられるわけもなく、そもそも成績発表なんかしないのだから、いわゆるトライアル的にかりかり点数を気にしたってしょうがないのだ。
ときに、セクションにはへんなバイクが置かれていることがある。ホンダXR80あたりはまだまともだ。それでもトライアルばかりやっている人には、こういうふつうのバイクでセクションを走らされると、なんとなく違和感がある。逆に、トライアルが初めての人は、ほっと安心したりする。問題なのは、こういうバイクがトライアルマシンのセクションの間にぽつんと置かれていることで、そうすると人間の感覚もおかしくなる。トライアルバイクのステップ位置を体が覚えてしまうと、XRのステップがどこについているのかわからなくなり、足が宙を泳いだりする。XRのほうがふつうのステップ位置なのに、不思議である。
ホンダEZ9になると、遠心クラッチをじょうずに使わなければいけないから、これまたけっこうむずかしい。一般人は、足をばたばたしながら、思ったよりもじょうずに走ってしまう。足をつかずに走ろうと思って転んでいるのは、圧倒的にトライアル畑の人である。
ヤマハセローやスズキのジェベルあたりは、ごくごくふつうのオフロードバイクだから、だれにとっても違和感がない。ただしトライアルマシンだと思ってかかると、ハンドルが切れないのでけつまづいて転んだりする。
究極は、カワサキのKSIIだ。こいつはとんと低速がない。それが売りなのかもしれない。グリップで登ろうとすると、たった1mの斜面も登らない。その前のセクションで、ガスガスやTYスコティッシュのもりもりした低速に体が慣れてしまったみなさんは、トライアルマシンだったら片手でもあがれるような坂道を相手に、大汗をかいてしまう始末である。
トライアルマシンでばかり走るのがトライアルではないというのは、JMMの素晴らしい見識である。過去には、4サイクル4気筒のロードスポーツマシンを丹沢トライアルパークに持ちこんだこともあった。さすがにそれは不評だったらしいけれど、個人的には、スクーターでだってハーレーでだってトライアルできると思っているから、このイベントのコンセプトは素晴らしいものなのである。
トライアルライダーという人種、1台のバイクにかなりご執心である。なんでそんなに神経質になるのかなと思っていたのだけど、先日、自分のTLM(お金がないので、いまだに人からもらった初期型TLMに乗っている)のキャブレターが錆いて使えなくなり、別のキャブレター(新品ではなくて、丸山さんにお世話してもらった中古である)をつけたところ、なんか様子がおかしい。もしかしたら、ぼくが歳をとってへたくそになっただけかもしれないのだけど、今までと同じようには乗れなくて、ひどく苦労した。
同じバイクでもこうなのだから、1セクションごとにちがうバイクに乗っていたら、頭の中はごちゃごちゃになる。この日は15セクションあって、10種類のバイクが用意された。もちろん練習なんかなしだから、上級者が初心者に教えながら……
「いいですか。よく見ててくださいね。ここはこういうふうに走ります。それでここでこんなふうにフロントを持ちあげて、あっ」
失敗してしまうのである。上級者ほど、環境の変化にはもろい。それを見ていた初心者、ますますわけがわからなくなってしまうのである。
こういう不思議なトライアルは、もっともっと増えていいと思うのだけど、トライアルの圧倒的マイナーもあって、いまだ、JMM以外に見たことがない。そういうわけで、まだまだJOPPAには元気でいていただかないと、困ってしまう雑誌業界なのであった。