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     日中友好新聞福島支部版 (電子版)


2007年3月15日 通算2091号

2007年3月5日            通算2090号


上 海 株 安 地 球 を 一 周

 中国・上海の株安は、二月二八日をかけて地球を一回りして世界同時株安に発展した。中国がいかに世界経済の重要な一角を占めているかを示すとともに、世界的なカネ余りが演出してきた日米欧市場、アジアや中南米などの、新興国市場の株高の危うさも見せつけた。その構図に主要な役割を果たしてきた日本の超低金利が生み出す投資資金の流れにも変調の兆しが見える。


       長尾光之理事長の退職をお祝いする夕べ
                                          福島支部支部長 北村 寧

 3月末で福島大学を定年退職される長尾光之理事長の「退職祝賀会」が、去る2月28日18時30分より、飯坂温泉・摺上亭大鳥にて、出席者22人で行われました。
 当日の司会・進行は、シックな装いの岡部恵久子さん(和服)と比佐千鶴子さん(チャイナドレス)が担当。まず、長尾理事長から「ミニ講演」があり、生い立ちから始まって、中国・中国語との関わり、とくに中国と対等・平等な関係に立つ友好運動をどのように築いてきたかを話されました。次に、記念品として長尾理事長にはネクタイが、奥様の文枝事務局長には花束が贈呈されました。
 続いて、発起人を代表して私(北村)が福島支部への長年にわたる献身的な活動に感謝したい旨挨拶しました。福島大学前学長・臼井嘉一さんの乾杯の音頭により開宴。漢詩朗読や日本舞踊が披露され、楽しく懇談。最後に、出席者全員からそれぞれ「思うところ」を語っていただき、なごやかな雰囲気のうちに終了しました。某室の「二次会」は、老若男女が快気炎、大いに盛り上がり、深更に及びました。お疲れ様でした。末筆になりましたが、ご芳志を賜った皆様に心より御礼申し上げます。


2007年2月25日           通算2089号


福島が生んだ憲法学者・鈴木安蔵の半生
映画「日本の青空」を鑑賞しましょう
 「押し付け」憲法論が叫ばれていますが、日本を占領していたGHQが参考にしたのは実は日本人が作成した憲法草案でした。それを作成したのが福島県旧小高町出身の鈴木安
蔵だったことは意外に知られていません。
ストーリー 
 雑誌編集部に勤める沙也可(二二)は、特集企画の「日本国憲法誕生の原点問う」で、名も知らぬ鈴木安蔵の取材を進めることになる。 戦後まもなく、安蔵(四一)を中心とした民間人による「憲法研究会」が作成した憲法草案が、実はGHQ案のお手本になっていたのいう事実。
 安蔵の娘たちの取材に成功した沙也可は、託された安蔵の当時の日記を手がかりに、日本国憲法誕生をめぐる真実のドラマを明らかにしていく・・・
    製作協力券一枚千円。この券があれば全国どこの上映会でも鑑賞できます。
    福島支部にあります。


長 尾 理 事 長 最 終 講 義  

 2月22日の福島市は高気圧におおわれた暖かい日でした。この日協会理事長である長尾光之教授の最終講義が福島大学M21教室で行われました。地方紙2紙が報道しました。
 

        第60回中国語検定試験3級に合格して

                   中国語教室・会話コース 浦住 法明
中国語学習を始めてからもう3年になります。
はじめるに当たって、楽しく、無理せずマイペース、知らないことを恥と思わない、1日10分の学習を目標に始めました。
中国語の聞く練習は、通勤(車の運転中)の往復時間90分間、音楽を聞くように練習しています。ただ、車の運転をしているため、本を見ることもできません。聞くだけではどうしてもピンイン、漢字がイメージできないため、効率的な学習とはいえませんが、学習時間を取れない者にとっては、貴重な時間であり毎日、口をパクパクあけながら発音の練習をしています。
残業などで中国語の読み書きの学習時間がなかなか取れなく単語練習については、本屋さんで「20日間で1000語を覚えられる」という触れ込みの本を購入しましたが、1年以上かけてようやく終わりました。文法の練習については、「中国語検定試験対策3級」の対策本で学びましたが、半年以上かけてようやく終わりました。ゆっくりゆっくり学習しています。
 このような中で、中国語の授業は、自己学習ではチェックできない発音・呼吸(間合い)・考え方の違いなどを学ぶことができる数少ない機会であり、中国人と話せる唯一の場でもあります。先生の声は大変大きく、私の発音の誤りを適切に指導してくれます。 中国語検定試験3級のヒアリング試験は、20問中13問以上の正解で合格点となりますが、授業での発音練習が生かされました。試験結果(項目毎に点数表示)が郵送されてくると、自分の不足している知識がどこなのか分かり学習を進めていく上で役立ちます。今回の中国語検定試験3級には、全国で6000人を超える人が受験し、年々中国語学習者が増えてきているのを感じます。
 3年間約1000日間毎日10分の学習は、差し詰め “千日行”ではなく千日楽で、楽しく学んでいます。1日10分の中国語学習をもう少し続けていきたいと思います。
  

2007年2月15日           通算2088号


春 節   中 国 の お 正 月

 日本では最近は太陽の運行にもとずく太陽暦を使っています。江戸時代以前は中国の影響により、月の運行にもとずく太陰暦を使っていました。旧暦にもとずいて、「旧正月」を祝う習慣は昭和にまで続いていました。中国では通常の公的な行事の際にはは太陽暦を使っていますが、太陰暦も依然として広く用いられています。毎日のTVニュースでも本日は○月○日、農歴○月○日と必ず言います。農歴というのが、太陰暦です。いちばん華々しく旧暦が使われるのは、お正月です。新暦の元旦は職場でも学校でもあっさりしており、元旦は休みですが、元旦前後はふつうに働き、通学します。旧正月は「春節」として大々的に祝います。前後一〇日が休みとなり、離れていた家族は会い、学生は故郷に帰ります。家々では文字を書いた紅い紙(対〓)を貼りだし、集まってごちそうを食べ、お酒を飲みます。新暦は月日のずれがあまり大きくないので、四年に一度うるう年を設けて調整するだけですが、旧暦はうるう月を作るほどずれが生じます。春節の日も新暦の一月であったり、二月であったりします。今年は二月一八日です。


中 国 語 講 師 を 卒 業 す る に あ た っ て
                                   韓 蔚敏

 2004年の4月から日中友好協会が主催する中国語教室の講師を担当させて頂きました。それから2年があっというまに過ぎました。この2年間は大変勉強になり、自分も大きな成長を遂げたという実感があります。
 中国人だからといっても、中国語を上手に教えられるとは限りません。中国語の文法を詳しく分からないと、文章の構造分析はできません。受講者の作文力も向上させられません。こういう面では、中国の高校と大学で受けた「現代漢語」の授業で学んだ中国語の文法に関する知識は大変役立ちました。一方で、基本的な文法知識が分かっても、その文法システムはすべての例に対応しきれない部分もあります(それこそ語学の魅力的なところかもしれませんが)。こういう時は、自分がネイティブ・スピーカーとあぐらをかいたり、ごまかしたりしないで、謙虚に、受講者の各々の理解、考えを聞く姿勢が大切と思います。言葉による表現というのは音楽や絵みたいな芸術品ですから、正解などありません。言葉に対する理解も人の感受性、個性によって異なっています。一方的に押し付けがましく教えるのではなく、その人の個性に一番合う表現を導き出すことは語学教師の仕事ではないかと私は考えています。
 自分が使っている言葉を深く考えずに24年間を過ごしてきた私はこの教室の講師を務めてから、語学や言葉の勉強について考えるようになりました。これは私にとって一つの大きな成長です。
 また、この教室のおかげで、私は沢山の方と出会いました。様々な協会の行事や日中友好協会が主催するイベントに参加させて頂き、大変楽しい時間を過ごしていました。
 「一つの国に対するイメージはその国で初めて出会った人によって変わる」とある雑誌に載っていた一言を読んだ時、自分のことにリンクさせずにいられませんでした。初めての来日先は人間関係が濃密で、人と人のつながりが強い福島でしたから、私はこんなに日本のことを好きになったのではないかと思います。だからこそ、もっと日本にいたいと思うようになったのでしょう。
 外国にいても、人間は一人では生きていけません。皆さんとのつながりの中で、皆さんに支えて頂きながら、私はここまでこられたとつくづく思います。これも日中友好協会の中国語教室に入ってから学んだものです。
 今年の4月に大学院を卒業し、就職のため福島から離れますが、福島を第2の故郷として懐かしく思いますし、皆さんとは家族のように親しくさせて頂きたいと思います。
 長い間お世話になりました。有難うございました。


2007年2月5日            通算2087号

二 五 期 中 国 語 教 室 開 催

 中国語教室二四期は三月をもって修了し、四月一三日(金)からは、第二五期を開催します。二四期と同じ昼の初級・中級、夜の初級・中級・会話・ステップアップを募集します。韓蔚敏先生は大学院修了のため、交替しますが、金敬雄先生・黄菲菲先生・李 鵬運先生は継続されます.今、もう一人の先生に交渉中です。 また、チラシのデザインを一新するため、福島大学大学院美術教育専攻の佐垣慶多さんに製作を依頼しいます。


中国語教室受講料アンケート
値 上 げ や む な し が 八 〇 %

 福島県、福島市の補助金打ち切り等により、福島支部中国語教室の財政運営はたいへんきびしくなりました。
 福島支部理事会は一月一九日、中国語教室受講生に対しアンケートを実施し、受講料値上げの是非などについて記入してもらいました。
 値上げについては二五人中二〇人が「値上げはやむを得ない」と回答しています。
 諸費高騰のおりから、たいへん心苦しいのですが、四月にはじまる第二五期から年一万円増の年五万円とさせていただくことになります。


中国残留孤児東京訴訟
不 当 判 決 、 請 求 を 棄 却

 一月三〇日、中国「残留孤児」国家賠償関東訴訟について東京地方裁判所民事第二八部は原告らの請求を全面的に棄却する判決を言い渡しました。
 敗戦後に中国東北部に取り残された日本人孤児が、国に一人三千三百万円の賠償を求めたこの訴訟で、加藤謙一裁判長は、「国は早期帰国を実現する法的義務や、法的な自立支援義務を負うとは認められない」「原告の損害は戦争から生じた損害とみるべきだ」と述べ、原告側の請求をすべて棄却したものです。
 この判決は、原告ら中国「残留孤児」の思いを一顧だにしない非常で冷酷な判決です。この不当な判決に断固抗議するとともに、私たちの運動をさらに強めていかなければなりません。


2007年1月25日           通算2085号

福島支部
第 三 回 理 事 会 ひ ら く

 一月一三日、午後二時から福島支部第三回理事会が開かれ、理事五人が出席しました。
 はじめに安倍首相が就任後、ただちに訪中し、「政冷」状態には終止符が打たれたこと、しかし安倍部内閣は教育基本法を成立させ、憲法改正をも目指しているため、警戒すべきこと、など情勢について討議しました。
 つぎに、中国語教室の現状について、出席状況、学習進度、その他の報告があり、討議しました。第二五期の試算が示され、補助金が打ち切られたという状況のもとで、受講料値上げをすべきかどうか、受講生にアンケートを書いてもらうことにし、その原案を決定しました。中国語教室案内チラシはデザインを一新するため、専門家に依頼することにしました。昨年からはじめた「一日中国語」は今年も三月二一日に実施します。
 昨年実施し、好評だった雲南旅行を受け、今年以降も中国旅行をおこなうこととし、「どこへ行きたいか」「どのような旅がしたいか」等のアンケート原案について討議し、決定しました。会員、準会員(中国語教室受講生を含む)、中国旅行参加者等を対象にアンケート記入を依頼します。
 一二月一〇日の「りんご狩り」には二三人が参加し好評だったことが報告されました。
 〇七年北京風雷京劇団福島チャリティー公演の概要が報告されました。(別項)
 カレンダー「中国悠久の旅」はみなさまのご協力のおかげで、昨年より三〇本多い二二〇本が普及されたことが報告されました。
 第四回理事会は、三月三日(土)に開きます。


 北京風雷京劇団福島チャリティー公演

 日本中国友好協会では08年に10箇所程度で北京風雷京劇団の全国公演を計画しています。
 福島支部ではこのプレ公演として、今年07にプレ公演を計画しました。すでに、第5回公益信託うつくしま基金の申請を行っています。
 公演成功へ向けて各方面のご協力をお願い致します。
 期日:2007年10月27日(土)午後6:30から   有料公演(1人5000円)
          10月28日(日)午後13:30から  小中高大生、障害者、中国人、帰国者等を招きチャ                                              リティー公演(入場無料)場所:福島県文化センター大ホール
演目:美猴王(『西遊記』より)その他


   「長尾教授・慰労祝賀会」  発起人代表・北村 寧支部長からのお願い

 日中友好協会理事長であり、わが福島支部理事長でもある長尾光之教授がこの3月で福島大学を定年退職されます。
 以下のように慰労祝賀会を開きますので希望者はお申し込みください。
日 時:2月28日(水)18:30〜21:30
場 所:摺上亭大鳥(飯坂温泉)024-542-4184
会 費(プレゼント代含む):宿泊 14,000円、日帰り10,000円
幹 事:岡部さん、比佐さん  Tel. 024-525-0025, Fax. 024-525-0026


2007年1月15日           通算2084号

年賀状ありがとうございました

 今年も、福島支部・長尾光之理事長・長尾文枝事務局長に、多数の年賀状をお送りいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。

北京で第一回文化博覧会開く

 十二月一〇日から一四日まで第一回中国北京国際文化創意産業博覧会(文化博覧会)が開かれ、協会からは長尾光之理事長、岩田十士岐阜県連副理事長が招待されました。これは中国国務院の承認のもと、国の文化部・放送映画テレビ総局・新聞出版総署、北京市の連合主催によるものです。一〇日夜、人民大会堂で開幕式が開かれました。開幕式に先立ってフランス国会議員、韓国文化推会長、トルコ芸術総司長、日中友好協会理事長など五〇人あまりの外国からの招待者は人民大会堂「湖南の間」で北京市書記・劉淇氏に接見し、北京オリンピック総責任者・王岐山北京市長等と記念撮影をしました。
 つづいて人民大会堂大ホールいっぱいの招待者たちの前で開幕式が行われました。アトラクション
に移り、吉林市歌舞団の「鼓舞河山」をはじめ、舞踏、歌、少林武術表演などが二時間にわたってくり広げられました。
 一一日から一四日までは、展示会、民族舞踏・バレー・現代舞踏公演などの行事が北京市内各所で行われました。


 

2007年1月5日           通算2083号

あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す

                                日本中国友好協会福島支部長  北村 寧

 今年の正月は気持ちの良い青空が続いています。よい新年をお迎えになりましたでしょうか。
 昨年は、日本の対外関係とくに中国との関係を最悪にした小泉内閣に代わって、安部内閣になりました。就任直後の中国等訪問で、中国は多年にわたる「政冷」に区切りがついた、と評価しています。たしかに両国トップの会談は当然のことでこれまでが異常だったと言えるでしょう。しかし安部政権は教育基本法を国会通過させ、憲法改悪をも提案しており、経済的にはこれまで以上の格差社会を目指しており、警戒をゆるめることはできません。
 昨年、わが支部は日中友好交流会、りんご狩りなどの親睦行事を行い、会員や中国人との友好交流を図ってきました。今年もさらにいっそう直接交流を進めて行きます。
 昨年8月には懸案の雲南旅行を実施し27名が参加するという規模になりました。参加者からは「風景が美しかった」「少数民族の芸能や独特の習慣は興味深かった」などの感想が寄せられました。理事会では中国旅行について会内外の人々からアンケートを集め、希望に沿った企画を立てたいと考えています。
 帰国者支援にも取り組みました。福島市近郊に在住の帰国者と連絡を取ることができ、交流会に参加して頂いたり、会員になって頂いたりしました。利益の一部を帰国者支援に充てるカレンダー「中国悠久の旅」は昨年より30本多い220本を普及しました。
 08年には全国で京劇の公演に取り組みます。それに先だって今年10月には福島市でプレ公演を計画しています。会員のみなさんのご協力をお願い致します。
 末筆になりましたが、会員・新聞読者のみなさんが07年を健康で実りある年とされますように。


本年も福島支部にご協力をよろしくお願いします
福島支部役員一同

支部長  北村 寧
理事長  長尾光之
理 事  大崎やま子
 同   深谷岩光
 同   比佐千鶴子
 同   大泉和久
事務局長 長尾文枝
会計監査 安藤勝夫
 同   手代木有児


2006年12月15日         通算2082号

福島支部
楽 し い り ん ご 狩 り

 一二月一〇日(日)、飯坂町の後藤農園で恒例のりんご狩りが行われ、二三名が参加しました。うち、中国人は六名、子ども三名でした。 当日は前日とはうって変わった明るい初冬の日差しのもとで、みなはまっ赤に熟れたりんごを袋いっぱいに狩り取り、すぐに剥いて味わいました。無農薬、有機栽培の完熟蜜入りふじりんごは最高の味です。 交流昼食会は広い庭先にしつらえた長テーブルをはさみ、北村寧支部長のあいさつからスタートしました。
 後藤さんの奥さんたちに作っていただいたあつあつの豚汁に各自持ち寄りの品々を加え、後藤さんからは日本酒の熱燗とおいしい白菜や大根漬けの差し入れがあり、昼食交流会は盛り上がりました。 ひとりひとりが自己紹介を行い、永年にわたって大学で教鞭を取っていた、山田さんや篠笥さんの話には一同感銘を受けていました。
 毎年この行事に参加している小学1年生と中国人留学生の感想文をご紹介します。

金英蓮

先生あのね。今日飯坂町の後藤りんごえんにお父さんと一しょにりんごがりをしに行きました。
 おともだちや、しってるおばあさんたちもたくさん、いました。おともだちの名まえは、「さづきちゃん」と「みずきちゃん」です。去年りんごがりに、きたから、もう一どあえてとっーてもうれしかったです。またらいねんもいっしょにりんごがりをしたいです。
しばらくして、きねんさつえいがおわったとき、「どーん」というおとがして、どうろのほうをふりむくと…なんと車二だいと、オオトバイ一だいがしょうとつして、パトカーがきました。わたしは、とってもびっくりしました。でも、わたしは、こうおもいました。「あ〜あ。もうほんとうにびっくりした。でもほんとうに、りんごが、おちなくて、セーフだったかもね。」というふうにおもいました。わたしは、オオトバイにのっていた人、くるまにのっていた人は、けがは、していないのかとてもしんぱいでした。
りんごはみつがとってもいっぱいはいっていて、とっても、あまくて、おいしかったです。お父さんもおかあさんもうれしそうでした。わたしたちが、たべたりんごは、わたしが、えらんだりんごで、わたしがえらんだりんごは、小さかったです。先生にもいつかみつがたっぷり入っているりんごをたべさせてあげたいです。みつがいっぱい入っているりんごは、とっーてもあまくておいしいですよ!


国際交流は小さなリンゴから始まる     留学生

今日は日中友好交流協会で行われたリンゴ狩りに参加しました。中国からの留学生として、異国の文化と社会をもっと深く理解するために今までいろいろな行事や活動を参加してきた私にとっては、今度のような活動は前より特別な意味を持っていると感じされました。
 全員をそろった後、リンゴ園の主人からリンゴ園を案内してもらいました。この小さな庭園の中で、リンゴの木が20本くらいしか植えていないのですが、遠くからみると、大きくて赤いリンゴが青々とした葉っぱの海にびっしりとちりばめていてとりわけ引き立っていました。リンゴを採ったり、互いに興味を持った話題について話をしたりして、国籍を問わず、みんなの顔に笑顔を浮かんでいる風景が実に美しい。
 なぜかというと、別にリンゴをたくさんいただけるのではなくて、みんなもその時、自然に笑顔を浮かび、家族のような雰囲気に感動されました。そして、その時に人々の手に持っているリンゴがもう単純な果物の一種という限界を越えて、いろいろと交流していた人々の間に心のつながりだと私は思いました。


お礼のことば           福島支部理事長 長尾光之

 今年も残すところあとわずかになりました。本年も皆様のご協力のおかげで、福島の地に根ざした日中友好運動をさまざまな形で展開することができました。心からお礼を申し上げます。
 四月に二四期を迎えた中国語教室は福島支部再建のきっかけとなり、いまだに支部の大きな支えとなっております。教室を通じて支部の活動は広がりを持ち、多くの人々との接点ともなっております。今後ともこの教室を大事にして行きたいと思っています。
 そのほか今年は、四回目の「平和のための戦争展」平和講演会、フィールドワークを成功させ、TVなどマスコミにも取り上げられ、関心も高まってきました。念願の雲南旅行も実施しました。また、残留孤児人間性恢復運動に貢献しているカレンダー「中国悠久の旅」普及も本部要請数を突破することができました。
 役員、会員、読者のみなさまが健康でよりよい新年をお迎えになりますように。


2006年12月5日         通算2081号


神戸地裁判決
中 国 「 残 留 孤 児 」 国 に 責 任

帰 国 や 自 立 支 援 怠 る

敗戦の混乱の中で、中国東北部(旧満州) に置き去りにされた兵庫県内の中国「残留日本人孤児」六五人が「国は早期帰国や帰国後の自立支援の義務を怠った」として、一人あたり三千三百万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が一二月一日、神戸地裁でありました。
 裁判長は国の責任を認め、六一人に対し、計四億六千八百六〇万円を支払うよう命じました。
 判決は「戦前の政府の政策は、自国民の生命・身体を著しく軽視する無慈悲な政策であった」と、日本の侵略戦争の中で中国に置き去りにした「棄民政策」を断罪。孤児の帰国に際し身元保証を要求するなどした措置が「帰国を制限する違法な行政行為」に当たると認定しました。
 また、北朝鮮拉致被害者が永住帰国から五年間、給付金支給により所得が保障されている点に言及。生活保護の受給期間を原則一年とした孤児への支援が「極めて貧弱」と強調。原告への慰謝料の支払いを認めました。


 カレンダー普及
新 谷 さ ん 大 活 躍

 現在協会ではオリジナルカレンダー「中国悠久の旅」の普及活動をしています。このカレンダーの収入の一部は毎年「帰国孤児」支援募金として贈っています。この活動に対しては「主旨に賛同できる」「いながらにして中国旅行気分にひたれる」など各方面から歓迎されています。なかでも元中国語教室受講生で、会員の新谷義隆さんは十二月二日現在すでに三〇本を普及してくださいました。数はさらに増えそうです。
新谷さんの話「太極拳の仲間や、仙台の二胡を一緒に習っている人たちに購入を奨めています。多くの人が、一本だけでなく、二本、三本と求めてくれます。協会の活動にすこしでもご協力できればと思っています」


2006年11月25日        通算2080号


第 二 回 理 事 会 ひ ら く

 十一月十八日(土)午後二時から支部事務所で第二回理事会が開かれ、理事五人が出席しました。
 はじめに十月二十八日、二十九日に開かれた全国理事会の情勢報告により、安部首相の中韓訪問と安部政権の性格、政冷は解決するのか、北朝鮮問題はどうなるか、などの情勢について討論しました。
 ついで、中国語教室の現状について報告を受けた上、来二十五期にはうつくしま助成金は申請しても通過の見込みはないのでしなかったこと、それにともない、二十五期の試算をした上、受講料クラス編成等を次回理事会で検討すること、受講生にアンケートを書いてもらうことなどを決めました。
 りんご狩りは別項のように行うことを決めました。
 〇九年に全国公演が予定されている北京・風雷京劇団日本公演のプレ公演を福島でおこなう旨のうつくしま助成金を申請したことが、報告され、この公演を成功させることが認められました。
 カレンダー・中国悠久の旅についての普及状況が報告され、予定部数を達成するよう、みなで努力することとしました。
 第三回理事会は一月十三日に開きます。

  福 島 支 部 り ん ご 狩 り

と き:12月10日(日)11時より
ところ:後藤農園(飯坂町平野・ケーヨーD2の北側)

参加費:おとな  1000 円(入園料と交流会費用)
   :留学生   500円 (入園料無料、交流会費用)
   :子ども   無料

 ・ 昼食を持参してください。りんご狩り後、交流
   芋煮会を楽しみます。
 ・ 準備の都合上、支部事務所に必ず参加申込みを
   お願いします。申込み順で定員30名。


2006年11月15日        通算2080号


杉 原 千 畝 フ ォ ー ラ ム ひ ら く

 十一月四日(土)午後十二時から郡山市ホテルハマツで「杉原千畝フォーラム」開かれました。
 はじめに、杉原氏がユダヤ人がソ連経由でナチスから逃れるため、六千人のビザにサインをし、ユダヤ人たちを救った経緯を描いたTVドラマ「日本のシンドラー杉原千畝」を鑑賞。
 つづいて「杉原ビザ」によって命を救われ、現在はアメリカの医科大学教授をされているシルビア・スモーラさんが、「わたしを救ったビザ」と題して講演しました。スモーラさんは、ユダヤ人としてポーランドに生まれ、子どものころナチスの迫害を逃れて、ソビエト経由で神戸に滞在。その後、アメリカに永住しました。その当時の、ヨーロッパの情勢、家族や親族の構成、日本に滞在していたときにたいへんに良い印象を持ったことなどを詳しく話しました。そして、「杉原さんは、あの大きな仕事をする以前から、日常の中で、重要な決断を常にしたのに違いない。それが、積み重なって、一つの人格となっており、ごく当然のこととしてビザにサインをし続けたのではないか」と述べました。


2 人 の 日 本 人 「 シ ン ド ラ ー 」
                                                  長尾光之

1994年にスピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」が公開され、全世界の評判になりました。これは、ナチスのユダヤ人虐殺から1600人の命を救った工場経営者、おすかー・シンドラーの話でした。
 この映画が上映されたとき、日本にもシンドラーがいたことを「日中友好新聞」1994年9月5日号で紹介しました。ここにその記事を節録してご紹介します。

犬塚惟重氏 
 犬塚氏はきっすいの軍人(陸軍大佐)で、駐仏武官としてパリの日本大使館に勤務したことがあり、このときユダヤ人問題の重要性を体感しました。日中戦争時、日本はユダヤ問題に直面しました。「満州」には2万人のロシア系ユダヤ人が、上海租界には3万人の英米・ロシア系ユダヤ人がおりました。犬塚大佐たちは「人種平等の原則により、ユダヤ民族を日本の庇護のもとに安居させる」という方針を日本に決めさせました。
 1937年日独防共協定が結ばれると日本でもナチスが反ユダヤ宣伝をはじめました。1938年から犬塚大佐はたびたび上海に出張し、ユダヤ人問題解決に取り組みました。39年、犬塚氏はユダヤ人問題をあつかう「犬塚機関」の責任者となりました。ドイツは上海のユダヤ人を絶滅させるために、ガス室設置プランを提供すると申し出ましたが、犬塚氏は猛反発して中止させました。
 1940年7月、上海ユダヤ人の有力者が犬塚氏を訪ね、リトアニアに逃げ込んでいるポーランドのミール神学校生徒5百人を神戸経由でアメリカに脱出させて欲しいとたのみにきました。犬塚氏は熱心に外務当局に働きかけ、外務当局は公式には認めないが、リトアニア・カウナス領事館のビザを黙認することにしました。

杉原千畝氏 
 このとき、カウナス領事館で寝食を忘れてビザにサインし続けていたのが杉原千畝氏です。杉原氏は犬塚氏の上海での活躍をまったく知りませんでした。


今 年 も 楽 し い 「 り ん ご 狩 り 」
1 2 月 1 0 日 ( 土 ) 午 前 1 1 時 か ら

 日一日と冬が近づいてきました。冬といえばなんといっても、甘くおいしい「りんご」です。ご好評に 応え、今年も後藤農園のご好意で「りんご狩り」をおこなうことにしました。詳細は追って報道します。


2006年11月5日           通算2079号


上海ビエンナーレ
元 気 な 中 国 作 家

 現在、世界中から百名あまりの作家が参加する国際美術展、上海ビエンナーレが上海美術館を中心に開催されています。
 コンセプトは「超設計」です。現在経済発展の最中にあるこの街では、都市のいたるところで新しいマンションや博物館などが建設されています。かと思うと高層マンションに隣接する貧民街では魚や果物を路上で売る人のすがたがあります。建材のほこりやガソリ
ンによる空気や水の汚染は予想以上ですが、この街のスピード感は魅力的です。
 元気のいいのは、やはり中国の作家でした。邱暗雄(キューアンション) は水墨画のタッチで、現代風刺を利かせたアニメーションを発表し、鳥獣戯画を思いおこさせます。


来 年 は イ ノ シ シ で す

 郡山市の三春張り子人形の里「デコ屋敷」で来年のえと、イノシシの張り子づくりが始まっています。
 まっすぐ突き進む姿から、ひたむきな願いをかなえるお守り。約三百年の伝統がある張り子です。
 絵付けの作業に追われるのは「本家恵比寿屋」20代目の橋本恵一さん(53)。「始めたころは腕に力が入りましたが、いまは力まない線が描けるようになりました」
 ふっくらとした素朴な造形はすべて手づくりで、絵付けまで1週間ほどかかります。               


2006年10月25日          通算2078号


平 和 の た め の 戦 争 展 の 反 響 ひ ろ が る

 七・八月に開かれたふくしま平和のための戦争展と平和講演会・フィールドワークの反響が広がっています。
 開催時、NHKテレビ、FCT、朝日新聞、福島民友などに報道されたほか、FCTではニュース特集としてフィールドワークを詳細に報じました。
 その後、清水小学校「親子教室」での、八〇名の児童・父母への講話(支部版前号に報道)、福島大学総合演習(今号に報道)のほか、十一月二四日(金)には福島県医療生協・平和学校でも「フィールドワーク・福島の戦跡」が行われることが決まりました。


総 合 学 習 で 福 島 戦 跡 フ ィ ー ル ド ・ ワ ー ク

 福島大学行政社会学部では教員免許状取得希望者の必修科目・総合学習のテーマを「平和」と定めました。7名の教員がそれぞれ「福島市の戦争と平和」「愛国心と教育」「憲法と平和」「もしアフリカのある国で内戦が起こったら・・・」と題して交替で、学生を指導します。その第1回「福島市の戦争と平和」のフィールド・ワークが10月22日(日)午後行われました。指導教員は長尾光之教授と村上雄一助教授です。
 事前に数回の打ち合わせ会を開きました。三人の担当学生がそれぞれ、福島大学信陵公園、信夫山、日本軍司令部跡地、ノートルダム修道院、模擬原爆投下地と分担を決め、解説をしたうえ、指導教員が補足をするという計画です。
 当日午後、福島大学生協前に同学部の3年生12人が集合。学内の信陵公園に登り、福島大学卒業生で、戦死した人260名あまり
の名が刻まれている墓碑を見学し、その背景について学びました。ついで、福島市内・信夫山の護国神社境内にある、満蒙開拓青少年義勇軍慰霊碑、従軍救護員慰霊碑、尼港事件記念碑等の解説を聞きました。日清戦争のときに多くの兵士が戦死し、その人々を葬るために作られた信夫山墓地にも行き、西洋人抑留者の墓碑のある修道院墓地を参観。金竜坑入口で、戦時中に掘られた中島飛行機地下秘密工場について知見を深めました。
 現FTVがある日本軍司令部を車窓に見て、戦中140人あまりの西洋人が三年半にわたり抑留されていた、花園町のノートルダム修道院に行きました。
 最後に、渡利沼の町の模擬原爆投下地で、広島・長崎への原爆投下以前、国内49カ所に投下された模擬原爆について学習し、投下地の一つであった現地を見学しました。
 参加した学生たちは終始熱心に話を聞きながらメモを取っていました。そして終了後、「このような身近なところに戦争に関する史跡があることをはじめて知った」「日本やアジアの近現代史について勉強しなければならないと思った」、などの感想を述べていました。


2006年10月15日           通算 2077号


福 島 支 部 第 1 回 理 事 会 ひ ら く

  
 9月30日午後2時から支部事務所で第1回理事会が開かれました。
 はじめに長尾光之理事長が協会をめぐる情勢について話し、討論しました。
 中国語教室は一部で欠席者が増えている以外はおおむね順調に進んでいることが報告されました。平和のための戦争展と平和講演会は7月から8月にかけて、展示会講演会、フィールドワーク、朗読劇すべてが成功したことが確認されました。
 支部協賛で8月20日から7日間行われた雲南旅行には会員も十数名参加、終了後にはあらたな会員も増えました。長尾理事長が参加した、第五回平和の旅・東北旅行についても報告がありました。
 2007年カレンダー「中国・悠久の旅」は支部として百部を普及することとしました。10月5日号に紹介しました通り会員・読者のみなさんにカレンダーの普及へのご協力をおねがいします。
 第二回理事会は11月18日に開きます。


清 水 小 学 校 で 戦 時 下 の 福 島 の は な し

 9月28日(金)市内の清水小学校で6年の「親子集会」が開かれ80人が参加しました。この集会は「第二次世界大戦・その時福島市は・・・」をテーマとしていましたので「ふくしま平和のための戦争展」の実行委員会事務局である福島支部に問い合わせがあり、相談への助言と講師派遣をしました。会場となった小学校の体育館には7月の「06ふくしま平和のための戦争展」用に製作した長さ4・5メートルの模擬原爆模型と瑞龍寺所蔵の原爆破片が展示され、平和のための戦争展実行委員の斉藤勝弥さんが、当時の国民生活や模擬爆弾・信夫山地下工場などについて講話しました。
 小学生たちは「福島にこんなことがあったということははじめて聞いた」「爆弾がこんなに大きいものだということが模型を見て実感できた」「ぼくたちが戦争のないように世界を変えていきたいと思いました」などと感想を述べていました。
 参観の先生や母親達も実物大の爆弾の大きさ、重さに驚き、戦時下の市民生活の悲惨さを改めて知り、平和の願いを強く感じた様子でした。今回のような「親子集会」が各地で開催されて行けば、平和教育の効果が大いに期待できそうです。
 なお、六年一組では全生徒が感想文を書き、文集を作りましたので一文を紹介します。

感  想
                                                      竹内健太

 ぼくは戦争はただこわいものだとしか思っていませんでした。講師の先生に教えていただいた話では、日本で310万人が戦争でなくなっていて、けれど、アジアではその何倍もの人が日本人に殺されていると聞きました。
 「日本人は加害者でありぎせい者である」と言っていました。京都のほうの小学生は、学童そかいで三万人の人が福島にきました。そのときの戦争で死んでしまった人の7割が餓死だとのことです。
 常ばん炭こうでは7000人の朝鮮人労働者が働いていて、その時の日本人は朝鮮人労働者のことを同じ人間ではないと考えていたと言っていました。ぼくは、それを聞いたとき、日本人は少しひどいと思いました。みんな地球上に生きている人間なんだから、殺しあいなんてしないでほしいと思いました。


2006年10月5日           通算2076号


い ま 中 国 の 農 村 は
                                   長尾光之

 中国経済が急速に発展しています。そのなかで、「発展は都市部と沿海の農村だけであって内陸部の農村との格差はひろがるばかりだ。農村の暴動も相次ぎこのままでは農村問題が中国発展の命とりになりかねない」「全体的に底上げされているのだから、農村にも発展の恩恵がある。短期的に結論をだすべきではない」などの対立する意見があり、もう一つふに落ちませんでした。
 今回、「第5回平和の旅」に参加して8日間中国の東北地方をめぐりました。その際、このテーマについて記者やガイドから取材しました。
 大まかに言って中国の農村は品種改良と化学肥料の普及によって増産が進み、生活も向上しています。しかし何と言っても最大の収入増は大都市周辺への出稼ぎによる現金収入の増加です。働き盛りの男性は出稼ぎに行き、農業は爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんによる農作業に支えられています。しかも機械がほとんどないので、手作業によっています。
 出稼ぎの増加は新たな問題を派生させています。出稼ぎ者の子女の教育問題です。中国では都会戸籍と農村戸籍がはっきり分かれており、農村戸籍の家族は都市戸籍を簡単には取れません。例えば、北京では農村戸籍の子が学校に通おうとすると、相当額の学費を上乗せしなければなりません。そこで最近は各方面が協力して、農民の子どものために、学校を作っています。そのような学校を作り、運営する総費用を合わせても北京の学校に入れるより安いからです。医療、福祉はまだ立ち遅れており、一部の人々が恩恵を受けているだけです。もちろん、農村の人々はほとんど恩恵はありません。
 黒竜江省ハルピン郊外の高速道路を走っているとき、周囲は一面のトウモロコシ畑でした。ここでも農業は年寄りや女性の手作業によっており、男性が出稼ぎに行くのも他の地方と変わりはありません。違ってきたのは、以前はトウモロコシや雑穀を主食にしていたのですが、トウモロコシの生産量も増えており、それを売ってコメを買い主食としているそうです。トウモロコシの皮や軸は細かく切ってほかのものも加え、家畜の餌にします。しかし、毎日食べているのはコメと野菜で、いまだに肉などはめったに食べられないそうです。
 なお、農村戸籍の男性がが都市戸籍を取得するには、都市の女性と結婚しなければなりません。都市の男性が農村戸籍を取得するためにも同様に農村女性と結婚しなければならないのです。蘇州や杭州の豊かな農村では農村女性は都市男性と結婚することは望まないそうです。
 中国では2006年の第11次5カ年計画で、農村改革も課題の一つとしており「都市戸籍」と「農村戸籍」の区別を解消する方針です。この方針を実現するのは、農村の現状をみると、なかなか、困難の多い目標です。中国各方面の今後の動きを見守りたいと思います。


2006年9月25日           通算2075号


 前回報道しました「雲南省・世界遺産と少数民族にふれあう旅七日間」に参加されました真木實彦さんに紀行文をお寄せいただきましたので掲載します。
 真木さんは福島大学経済学部教授・同学部長を経て東日本国際大学教授を担当されていました。現在は福島県九条の会事務局長、山の会ビスターリ会長など毎日多忙な日々を送っておられます。

少 数 民 族 に つ い て 考 え た 「 雲 南 」 の 旅 紀 行
                                                     真木實彦
 出発の前日は福島で、帰国の翌日は会津若松でと用事を抱え、7日だけ無理に空白を切り取った上での慌ただしい旅行でした。その上、黄斑変性という知る人もない眼病持ちで日に何種類かの目薬を差さねばならぬ体のため、わざわざ旅行会社の岡部さんを煩わせ目薬の機内持ち込みが可能かどうかを事前に確認して頂くなどのご迷惑をかけたうえでの出発でした。行き帰りの機内だけが気持ちの転換という余裕のない日程だったにも拘わらずお蔭様でごく自然に皆様のかもし出す雰囲気にとけ込んで、楽しい一週間を過ごさせていただきました。 とは申せ、やはり日本での慌ただしい毎日と飛び込んだ麗江のたたずまいとの間の落差にはさすがに大きな違和感を持たないわけにはいきませんでした。歴史に封じ込められたままの街の佇まいと垣間見るナシ族のの人々の生活などには、ふと自分達の生き様を振り返ることを強要する何物かがありました。街角でマージャンに打ち興じ、軒下で談笑しながらタバコを吹かす男どもと籠一杯の砂を背負って街を行く女どもの生活ぶりを実見して、「女が働き、男は何もしない」という社会とはとんな営みの結果だったのだろうかと、好奇心をかきたてられずにはおられませんでした。今もって納得のいく結論は出てきません。
 昨年の九寨溝と黄竜の旅がもっぱら自然に圧倒された旅だった記憶からすると、今回の雲南の旅はかの地の人々の生き様に触れた旅であったような感じがします。もちろん、昨年もチベット族の家々の佇まいや踊りにも接したし、なんといっても黄竜でのあこぎな駕籠かき諸君(雲助諸君)の逞しいばかりの迫力にも接したのですが、なんといっても旅の強烈な印象は工まざる自然の神秘さでした。しかし、今回の旅は、雲に閉ざされて玉竜雪山の勇姿の全貌が見られなかった所為もあったのか、私にはかの地での自然景観よりは、人々の生活や文化、悠久に、かつ、ゆったりと流れる時間のことなどがとりわけ印象的でした。麗江から大理への行きずりに見た棚田と桑畑、タバコ畑とトウモロコシ畑にさえも昔の日本の村の原風景がダブって見え、そこでの人々の暮らし様などが想像されるのでした。
 大理では、案内人だった漢族の陶さんがふと漏らした「それでも私はペー族の女性とは結婚したくない」という呟きにははっとするものを感じました。おそらく明の時代に雲南に来た支配者としての漢族の末裔の言葉としては、しかも少数民族の存在自体を売りにしている観光業者の端くれとしても、それは私の意表をつく発言でした。
何百年も前から漢族と同居し続けてきたのに比較的純粋に少数民族の血を守って来ている秘密がこんなところにあったのか、それとも別の事情があるのか、尽きせぬ謎を残したまま私の雲南の旅は終わりました。先祖の流れも不確かな日本から来て、はっきりとした血筋の違いと共同の生活をどう統一して捉えたものか、多くの疑問投げかけてくれた旅ではありました。
 最後に、我らがパーティについて一言。二七名という大所帯だったせいか、はたまた、個人情報秘匿の厳格さによるものか、ついに全員の方々の顔と名前、さらには人となりが十分に分かるまでに至らなかったのが残念でした。それにしても、大変な購買意欲のあつまりだったと感心したことでした。おそらく土産物だけでも2百万を上回る円でかの地の経済に貢献したのではないかと想像したりしました。オオ・ワンダフル。
 最後の最後に、帰国後数日もたたないうちに早速「良からぬ有志」どもによるささやな「反省会」が催されたことを皆様に告白して筆を擱くことにいたします。


2006年9月15日           通算2074号


福島支部協賛
中 国 ・ 雲 南 旅 行 に 二 七 人

 8月20日(日)午後、「世界遺産と少数民族にふれあう」7日間の旅一行27人が福島空港を飛び立ちました。会員の岡部恵久子さんが経営する日華里優人旅行社が企画し、福島支部が協賛しました。一行には12人の会員と準会員が加わりました。
 福島到着の東方航空便が遅れ、それが上海への出発便となるので約一時間遅れて福島をあとにしました。
 上海に一泊して、雲南省の省都昆明に到着。8月なのにたいへん涼しく、前日までの福島、上海のうだるような暑さから解放されました。
 野菜の多い雲南料理の昼食をとったあと、郊外の山寺・西山竜門に行きました。ここでは、人力で作られた細い道を通って、ゆいしょある仏像や碑文などを見学しました。同じ山にある華亭寺では、大学の書道教授が各人が希望する、「一期一会」とか「生涯青春」などの字をその場で筆で書いてくれます。
 同日夜、世界遺産である麗江に着きました。夕食は珍しいナシ族の料理です。 麗江は標高2440メートルにあり、涼しいところです。いろいろな民族がそれぞれの衣装で生活している旧市街の四方街では、タイムスリップしたようで、懐かしいような不思議な気持ちになります。また、郊外には壮大な古い時代の建築が多く、象形文字の一種であるトンパ(東巴)文字もあります。雪を抱いた5596メートルの玉竜雪山には、さすがに頂上までは行けませんが、中腹までリフトで行きました。麗江には二泊しましたが、これではとても見尽くすことはできません。一週間ぐらい滞在してじっくり見学したいところです。
 23日午後、三時間半かけて大理に移動しました。途中は農村地帯で米、タバコ、トウモロコシ畑が延々と続きます。美しい棚田の風景で有名ですが、農業に詳しい人の話では畦は細く、機械が入れないつくりになっているから、農作業はすべて人手によっているのだろうとのことでした。
 大理は10から13世紀に王国の都として栄えたところです。1960年代に大理・白族の若い男女が登場するミュージカル映画「五人の娘」(「五朶金花」)で中国全土にも一部の日本人にも知られたところです。その舞台になった胡蝶泉を見物しました。白族の衣装を着て写真をとることに興じている人もおりました。
 そのほか高い塔が三本あり、それが水に映じる美しい崇聖寺三塔、大理古城に行きました。
 二四日は一日かけて大理、昆明、上海、成田と飛行機を乗り継ぎ、成田からはバスで夜遅く福島に帰着しました。


日 中 友 好 交 流 会 の 感 想

                                         福島大学一年  阮 南

 今日は初めて交流会に参加して本当にうれしかったです。
 今、日中両国政府の関係がよくないため、普通の日本人が心配しています。政治的なことよりも、皆さんのような民間交流が重要であると私も思っています。 
 私は日本に来る前、おもに新聞やニュースを通して日本のことを理解していました。しかし、日本に来ると、現実とイメージは違います。
 私は中国に関心を持っている日本人に「チャンスがあれば、中国に一度行ってみて下さい。中国を理解するにはいちばんいい方法です」、と言いたいです。


2006年9月5日            通算2073号


フ ィ ー ル ド ワ ー ク ・ 福 島 の 戦 跡 め ぐ り

 八月十三日(日)朝一〇時から午後四時まで、一連の「平和のための戦争展」行事の一つとして、「フィールドワーク・福島の戦跡めぐり」が行われ約三〇人が参加しました。 はじめに福島大学信陵公園に行き、戦争でなくなった旧福島大学卒業生や学徒動員されて日立市で艦砲射撃によってなくなった経済専門学校の生徒など二六〇名の名前が刻まれている石碑を見学しました。つづいて、戦争中一四〇名の西洋人らが抑留されていたノートルダム修道院、信夫山の一連の慰霊碑、信夫山墓地、信夫山地下軍事工場跡地、模擬原爆下地などを解説を聞きながら参観しました。 なお、このフィールドワークには二人の中国人留学生も加わり、取材していたFCTは後日「中国人留学生の見た福島の戦跡」という視点で編集し、放映しました。


平 和 の た め の 戦 争 展 終 わ る

 七月一日の小森陽一さんの講演からはじまった一連の「平和のための戦争展」行事は七月三十一日から八月二日までの展示会、四回の講演会、朗読劇「子どもたちの夏」フィールドワークなどを実施して終わりました。
 企画実行された実行委員会の皆さん、参加者の皆さんをはじめとするご協力いただいた皆さんにあつくお礼を申し上げます。



仲間が増えてま〜す
熱 烈 歓 迎 ! 新 会 員

 七月二日に開かれた支部総会以降、続々と会員が増えています。その方々をご紹介します。

安藤明友さん(会社員)
 以前から中国に関心があり、何回も訪中されています。近年日本と中国の関係が悪化しているので、協会に入って関係改善のため努力したいと考えています。

蓬田裕美さん(会社員) 
 小さいときから中国が好きで、何回も中国に行き、とうとう中国人の楊泓滄さんと結婚されました。

浅野ナヲさん(主婦)
 いわゆる「残留孤児」です。現在全国的に行われている「残留孤児訴訟」の福島県の世話人を担当されています。梁川町在住。別項記事参照。

黒森道夫さん(建築業)
 小学校六年のときに中国で敗戦を迎え、翌一九四六年末に日本に引き揚げてきました。今回、「雲南の旅」加わりました。

真木実彦さん(元大学教授)
 九四年の福島支部再建総会のときにユーラシア協会代表としてあいさつをされました。長い間、準会員(新聞読者)でしたが、今回雲南旅行を契機に会員になられました。「福島県九条の会」の事務局長を担当されています。

大学 一さん(弁護士)
 さまざまなことに興味を持っておられます。なかでも民族学に詳しく、その方面からも中国に関心を寄せています。中国の天文学を研究したこともあります。七〇歳を越えておりながら、最近中国語をはじめ、中国単独旅行を計画しています。


協会入会の動機(原文中国語)         浅野ナヲ

 わたしは日本の福島県で生まれ、中国・内モンゴルで暮らしていました。50数年中国に残留していた孤児です。ものごころがつきはじめてから日本と中国の友好を望んでいました。また、日本と中国の友好のためになにかをしたいと思っていました。なぜならわたしには2つの祖国があるからです。日本で生まれ中国で育ったからです。けれども、日中友好はまだ実現していません。これはわたしの悩みです。今回機会があり、日本中国友好協会に参加することができました。残された少しの力を、年老いた限りある命を日本と中国の友好の事業に捧げたいと思います。



2006年8月15日           通算2072号


夏 の 日 中 友 好 交 流 会 お お に ぎ わ い

 七月二八日(金)午後六時半から、恒例の「夏の日中友好交流会」が開かれました。今回は、会員・中国語教室講師・受講生・留学生など四一名が参加するという盛況となりました。子どもも二人、中国人も八人が加わりました。
 司会の岡部恵久子さんにより、会は進行しました。北村寧支部長が「中国語を学んでいる、学んだことのある人が多くおられるが、語学は反復・継続が力となる。さらに研鑽していただきたい」とあいさつしました。
 ユーモア溢れる安田昭さんの乾杯のあと、参加者ひとりひとりが自己紹介しました。蓬田裕美・楊泓滄ご夫妻「妻は中国が好きで何回も訪中し、とうとう中国人の夫と結婚しました」。浅野ナヲさん「わたしは中国残留日本人の一人です。いまわたしたちは人間性を回復する運動を行っています。東京地裁の裁判が結審し、秋には判決が出ます。裁判支援の署名運動にご協力下さい」と訴え、みな快く署名に応じていました。小学生の手代木さづき、はずきちゃんは、可愛いチャイナ服姿で、流ちょうな中国語での自己紹介をしました。司会者は中国人と勘違いし思わず「日本語では話せないの?」と質問していました。
 つぎに、中国茶の店「茶迷」を開いている伊藤由美さんが「おいしい中国茶の淹れ方」と題してお話と実演をされました。みなは、各種の中国茶の微妙な味の違いを確かめていました。午後八時半大崎やま子さんが閉会あいさつをしてなごやかだった交流会はおわりました。



兵器作りの女学生
満蒙開拓青少年義勇軍
戦 争 は 二 度 と お こ さ な い で

 第四回平和講演会が八月五日(土)コラッセふくしま会議室で開催されました。五〇人あまりの聴衆が集まり、追加の椅子を出してもらうほどでした。
 はじめに、「兵器作りに駆り出された女学生」と題して、福島女学校(現橘高校)の十四歳の生徒であった佐藤淑子さんたち四人ががその体験を話しました。
 まだ、子どもで親と別れるのはたいへんつらかったです。横須賀の海軍工廠で先生も生徒も共同生活をしなければならず、食事は少なく空腹で、ノミ・シラミ・ウジ虫が多く不潔でした。朝から晩まで兵器作りをやらされ、それは人間魚雷の部品でした。戦後、あの人間魚雷で何人の人が死んだかと考えると絶えられなくなります。
 今、海軍工廠跡は米軍基地となり、相変わらず他国侵略を行っています。米軍は早く日本から出て行ってほしい。悲惨な経験をしたわたくしたちはつくづくそう思います。

 以下は、勤労動員に行った女学生たちとつきそいの先生が戦後詠んだ和歌の一部です。

 慟哭の突きあぐ胸に壕の冷え                       粕谷先生

 わけもなくひとりし泣けばつぎつぎに泣きしかの寮残りていしや  小池(太田)和子

 歩調とり国旗仰ぎし鎮守府に今星条旗のひらめきており       大宮千代子

 つぎに、「満蒙開拓青少年義勇軍」にやはり一四歳のとき、応募させられ、ソ連国境付近集団生活をしながら、農業生産にあたっていた橋本義一さんが話をしました。
 「義勇軍はその名のとおりまったく軍隊組織で、わたしは年が若いせいもあって、なかなかつらい経験でした。イジメも集団的反抗もありました。日本軍は中国戦線にも広がっていましたが、昭和一九年以降は南方にも拡大され、東北部には武器も持たないような兵が送られて来ました。数年たって作物が採れたときはたいへんな喜びを感じました。そして、昭和二〇年八月九日のソ連侵攻。守ってくれるはずだった関東軍や役人は日本人を捨てて東北部の一ヶ所に集まってしまいました。ソ連軍は質が悪く、略奪、レイプなどしたい放題でした。鉄道の貨車をすべてソ連に持って行き、代わりにボロボロの貨車をソ連から持って来ました。
 残った日本人は女、子ども、年寄りで次々に死んでいきました。残留孤児もこの時生じたのです。戦争でいちばん被害を受けるのは弱い者達です。そのような戦争は決しておこしてはなりません。」



2006年8月5日            通算2071号


平 和 の た め の 戦 争 展 盛 況
                 
実 物 大 の 模 擬 原 爆 に お ど ろ き の 声

 7月31日(月)から8月2日(水)までの3日間福島駅西口そばのコラッセふくしまで、第4回ふくしま平和のための戦争展が開かれました。今年は、見学者が若い人から年配者までたいへん層が厚く、3日間で合計2千人が来場されました。
 第 1コーナー「日本の中国侵略」では日清戦争、南京大虐殺と時代を追って、日本軍の行った残虐行為の写真を配置しました。今年は特に郡山市の故渡辺留蔵さんから、上海戦・南京大虐殺で中国人捕虜がしばられ、連行されて行く写真を提供されました。このうち南京大虐殺のほうの写真は裏面に「12年12月揚子江岸で銃殺のため連行される支那兵」と
いう肉筆の記載があり、もし由来がわかれば貴重な当時の記録となるでしょう。今後とも背景調査を続けて行きます。
 第 2コーナー「国民生活と戦争」では市民からお借りした戦時の貴重な軍服、弔辞、のぼり等を展示しました。今年は戦前の学校と戦後の学校の比較を特集しました。
 第 3コーナー「福島と戦争」では福島大学美術科の佐垣君と小川君が製作した「渡利に落とされた模擬原爆」の実物大模型がメインでした。木材、グラスファイバー等で立体模型を作り、表面には長崎に落とされたときとおなじカボチャのオレンジ色を塗りました。
このため、この爆弾のニックネームはパンプキン(カボチャ)と呼ばれているのです。
 そのほかこのコーナーには昨年製作した信夫山と地下工場の一部、青い目の人形、福島市内の戦跡地図などが展示されました。
 第 4コーナー「現代における戦争と平和」では、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争の悲惨な写真が飾られるとともに、軍隊を放棄したコスタリカ大統領の演説、憲法9条・教育基本法の条文が示され、これらを擁護することの必要性が強調されました。
 会場で寄せられたアンケートには「是非毎年開いて欲しい」「戦争は絶対にすべきでない。すべてのことは話し合いで解決すべきだ」などの貴重なご意見が寄せられました。





2006年7月25日号         通算2070号


第2回平和講演会

中国残留山西軍の真実

元日本陸軍少尉・日中友好協会熱海支部長    山下正男氏


 7月15日(土)午後6時半から、第二回平和講演会がコラッセふくしまで開かれ、20人が参加しました。
 演題は「中国残留山西軍の真実」で、講師は当時日本陸軍少尉で現西陵友の会会長の山下正男さんです。以下は講演の概要です。
 1945年9月9日、日本軍は降伏文書に調印しました。その数128万人以上でしたが、武器を中国側に引き渡して帰国しました。
 ところが、山西省では司令官澄田?四郎と中国側の閻錫山が結託して、多数の日本軍を作戦命令で残留させ、戦後3年8ヶ月にわたり中国人民解放事業を妨害しました。
 この事件の真相は、残留元将兵たちの証言と防衛庁戦史資料室から発見された命令書や山西省の公文書館の日本軍内部文書等により明白になっています。
 当時、日本政府はこの事件の存在を知ってました。しかし、ポツダム宣言違反と中国内政への軍事介入という戦争犯罪を認めることになるため、この事実を肯定しませんでした。
 日本敗戦後、中国では中国共産党軍(八路軍)と中国国民党軍の対立がしだいに明らかになってきました。
 1945年9月はじめ、閻錫山は日本軍と極秘の会談を行わせ、「残留させる日本軍人を現地除隊させ、個人とし、閻錫山軍はこの個人を採用するという方式で、閻錫山軍の指
揮系統に入れる」ことを取り決めました。これは、留用という名の「肉弾売買」取引です。
 1946年2月2日、参謀長は残留部隊編成の命令を下しました。まず将校のうち誰が残るかを決めねばなりません。私も悩みましたが、幼いころから叩き込まれた皇室崇拝と
反共思想のがついに残留を決意させました。
 つぎに、残留させる兵の人選をどうするかの問題がありました。結局自分の預かっていた初年兵教育中の若い兵たちを道ずれにする他はありません。命令で22人残すことにし
ました。
 夜になると、初年兵がつぎつぎと私の部屋にきて、家庭の事情を訴え「教官、帰国させてください」と泣きつくのです。「俺だってつらいんだ」と叫びたくなりました。
 1947年3月以降、人民解放軍と山西軍の交戦が激しくなり、山西軍は壊滅的打撃を受けました。省都・太原陥落が迫った1949年3月29日、閻錫山は飛行機で南京に逃げました。
 そしてついに最後の日がきました。太原城は30万余の中国人民解放軍の大軍に完全に包囲されました。軍司令部の建物内で今村方策司令以下全員は人民解放軍に投降、今村司令は服毒自決しました。
 罪深い残留日本軍のあえなき終焉です。



2006年7月15日号         通算2069号


第1回平和講演会 改憲はアメリカの要求

 「ふくしま平和のための戦争展」関連行事の平和講演会が七月一日からはじまりました。
 第一回は七月一日、福島市民会館で開かれました。講師は東京大学教授・九条の会事務局長の小森陽一さん、演題は「ことばの力で平和を求める」です。雨の降る中百人近い人々が講演に聞き入っていました。
 小森氏は、自民党の新憲法草案のねらいが九条二項に自衛軍の保持を明記することにあり、改憲はアメリカの押し付けであることなど、現憲法と自民党草案の違いや改憲派のねらいを明確にし、分かりやすくユーモアを交えながら説明しました。
 また、教育基本法と憲法とのかかわりでは、「教育勅語は、心の支配と戦争への動員が二つの柱だった」と説明。九条を変えることはハード面の整備、教基法の改悪はソフト(国民の頭の中)を整備することだと指摘し、「ちょっとした勇気、小さい声でもいいから九条の大切さを語れば良い。思ったことを自分の言葉で語ることが大切」と話しました。



中国語教室受講生の感想文A

〈我的一天〉                      Y.S.

  十一月二日,早上 起床 一看,是 晴天。我 想 去 《会津磐梯山》 爬出。 
  上午 八点 从 家 出?。九点二十分 到了 登山口。両 个 小時 后 我 到了山頂・・・累 極了。海拔 是 一千八百八十九米 的 山。群山 満 是 紅叶。眼下 的 風景 美 極了。 


〈私の一日〉
                              Y.S.

 11月2日、朝起きてみると晴れでした。私は会津磐梯山に登山に行きたいと思いました。午前8時に家から出ました。9時20分登山口に着きました。2時間後私は頂上に着きました・・・大変疲れました。海抜1889bの山です。周囲の山はすべて紅葉しています。眼下の風景は大変きれいでした。


〈我的梦想〉                       T.H.

  我 1943 年 在 中国 的 哈爾浜 出生。我 父親 非常 后悔 在 中国 的 戦争。因此 父親 不 希望 我 再 次 去 中国。可是 中国 是 我 的 第 二个 故郷。一次 偶然 的 机会 去 中国内蒙古 的 沙漠 植樹造林 了。以后 進行 植樹造林 成為 了 我 的 梦想。在 環境 悪劣化下 的 最近 時期。我 愿意 把 我 的 第 二 个 故郷 緑化 来 防治 荒漠化。我 也 希望 保護 日本 的 環境。水滴石穿。雖然 我 的 力量 微少,要 堅持 下去。這个 是 我 的 梦想。 

〈私の夢〉                         T.H.

 私は1943年に中国のハルピンで生まれました。父親は中国での戦争を大変後悔しています。それで父は私がたびたび中国へ行くことは望ましいとは思っていません。しかし中国は私の第2のふるさとです。ある時偶然の機会に中国の内モンゴルに行って砂漠に植林をしました。その後、植林を進めることが私の夢になりました。環境が悪化している近年、私は第2の故郷を緑化して砂漠化を防ぎたいと望みます。私はまた日本の環境も守りたいと希望しています。水滴も石に穴を開けます。私の力は小さいですが、がんばりたいと思います。これが私の夢です。


2006年7月5日号          通算2068号


福 島 支 部 総 会 ひ ら く

 七月二日(日)午後二時から福島支部総会が開かれました。全国大会が開かれる五月以降に支部総会を開くほうが良いと、昨年十一月の総会で支部規約が改正され、時期を変えておこなわれました。
 議長には大泉和久さんが選ばれ、規約に照らして総会が成立していることが確認されました。北村支部長が、「日本と中国は関係がたいへん深い。近年、両国の間にはさまざまな問題が生じているとはいえ、両国間には友好的につきあって行くという選択肢しかないのだ」とあいさつしました。
 つぎに、本部、東京、盛岡、一関、宮城、宇都宮、福岡からの祝賀メッセージが披露されました。
 続いて、長尾光之理事長の協会をめぐる情勢、活動報告、方針提案、長尾文枝事務局長の決算、予算提案がありました。
 これにたいしては、決算についての確認の質問。安田昭さんからの、
 一.中国残留孤児に話しをして もらうと良い。
 二.中国大使館員に講話をお願 いすると良い。
という提言があり、実施について、理事会で検討することになりました。
 それ以外の議事はすべて了承されました。
 終了後茶話会があり、八月に予定されている雲南旅行の案内がありました。会員も多く参加し、旅行団は二〇名以上になります。
 また、今回は須賀川から安藤明知さんが来られて入会されました。安藤さんは中国が好きで国旅行に何回か行っております。現在の日中関係が思わしくないことを見て、何とか状況を変えるため、入会して活躍したいと考えているそうです。偶然なことに支部か会計監査の安藤勝夫さんのいとこで、お二人は奇遇を喜んでいました。


日 中 友 好 交 流 会

 恒例の夏の日中友好交流会をつぎのように開きます。今年は中国残留日本人や多くの中国人留学生が参加します。
と き:七月二八日(金)六時半
ところ:市民会館四〇一号室
会 費:四〇〇〇円(酒飲む人)
    三〇〇〇円(酒飲まぬ人)
学生会費
    :二〇〇〇円(酒飲む人)
    :一五〇〇円(酒飲まぬ人)
当日、中国茶芸師・伊藤由美さんによる「中国茶の楽しみ方」のお話と実演があります。


2006年6月25日号         通算2068号


日本中国友好協会福島支部総会のお知らせ

1.協会をめぐる情勢(「日中友好新聞」6月25日号、第55回大会決定をご覧ください)

2.2005年後期活動報告(2005年11月〜2006年4月)

 協会は自主的・民主的な立場に立って日本と中国の正常な関係を打ち立てることを目標にするとともに、日本の中国に対する侵略戦争への反省と適切な戦後処理を行うことを主張してきました。また、お互いの立場を尊重した日本人と中国人の交流やさまざまな文化活動を行ってきました。
 福島支部でも前記の全国的な活動を行うとともに、支部独自の活動を行ってきました。

1.06年3月、中国語教室第23期を終了しました。中国語検定2・3級合格と通訳力養 成をめざすステップアップコースを新設し、受講生総数は52名となり,修了者は50名  でした。以前から受けていた福島市補助金が継続されるとともに、今期からうつくし ま基金が助成されました。4月からは24期がはじまりました。受講生数はやや減り44  名となりました。うつくしま基金は今期も継続助成されています。
2.中国に関する情報を提供しました。協会事務所に寄せられた質問に答えたり、翻訳の  支援などを行いました。

3.理事会を定期的に開きました。日中友好新聞福島支部版を全国版と同一回数発行しま  した。5月20,21日に、東京で開催された全国大会には代議員1名を派遣しました。



3.2006年度活動方針(案)

1.06年4月から始まった中国語教室第24期を継続するとともに、07年4月から第25  期をより質の高い内容で開催します。昼初級コース、昼中級コース、 夜初級コース、  夜中級コース、夜会話コース、夜ステップアップコースの6コースを 開設します。  また、07年3月に一日中国語教室を開催します。
2.福島市とその周辺に到来、居住している中国人との交流を行います。
3.中国との交流を希望する団体や個人に適切な助言をします。
4.太極拳、きりえ、中国語、中国文学、中国映画、囲碁などの中国文化についての情報  を集め、希望者に提供します。
5.06年の平和のための戦争展と平和講演会、朗読劇、戦跡巡りフィールドワークを行  います。07年も同様の企画を実行します。平和をめぐる各種運動に協賛します。
6.8月20日に出発する「雲南の旅」に協賛し、成功するよう努力します。
6.りんご狩りやピクニックなどの会員や留学生と親睦をはかる行事を実施します。7月28  日に日中友好交流会を開き、会員・留学生・残留日本人などの参加を呼びかけるとと もに、中国茶講座、二胡の演奏を行います。
7.07年に計画されている風雷京劇団の公演を成功させるための準備をします。
8.理事会を定期的に開き、方針を実行します。第56回大会に代議員を派遣します。
9.その他、会員や会外の人々の要望にもとづく本会の趣旨に沿った活動を行います。

決算・予算・人事は総会当日資料を配布し、説明します。



2006年6月15日号         通算2067号



第 五 五 回 大 会 に 参 加 し て  

                           福島支部  長尾文枝

 前回大会からわずか半年という短期間での開催にもかかわらず今大会も会員増勢で迎えました。会場は三百人あまりの代議員・評議員であふれていましまた。おりしも、会場の区民会館周辺は浅草三社まつりの真っ最中で、各町内の御輿がねり歩き、威勢のいいかけ声や見物客の歓声が聞こえてきます。
 二〇分ほどの休憩時間には通りに出て見物。にわか江戸っ子の気分を体験できました。このような祭も平和でなければ心から楽しむことはできません。
 その熱気を味方にして、一段と力の入った討議が続きました。 右傾化が進む中で、日中友好やアジアと世界の平和を求める協会の役割の大きさ、重要さをひしひしと感じました。懇親会では、中国「残留孤児」原告団の婦人たちが来日の中国舞踏団と見まごうば
かりの、あでやかな衣装の中国舞踊を披露してくれました。この人たちの明るい表情を忘れず、署名活動などで支援の輪を大きくしなければならないとの思いを強くしました。
 日中友好こそがアジアと世界の平和の基礎となると思います。代表派遣募金のご協力ありがとうございました。みなさまのご支援をいただきながら、草の根の運動を続けて行きたいと念じています。


大 会 派 遣 募 金

あ り が と う ご ざ い ま し た

 つぎの方々から派遣募金をいただきました。心からお礼申し上げます。大会旅費・宿泊費として支出いたしました。

 栗原浅子、比佐千鶴子、渡辺愛二、金敬雄、鈴木裕美子、渡辺フチヱ、長尾文枝、大崎やま子、小塙公子、渡辺正、西元幸子、岡部恵久子、初澤敏生、臼井嘉一、中田スウラ、池澤実芳、手代木有児、北村寧、長尾光之、村上健


2006年5月25日号         通算2064号


福島支部協賛
雲 南 省 世 界 遺 産 と 少 数 民 族 に ふ れ あ う 旅 七 日
 福島支部は八月二〇から七日間行われる「雲南省世界遺産と少数民族にふれあう旅」に協賛します。
 雲南省は多彩な魅力に溢れています。北には雪を抱く高山が、南部には東南アジアを思わせる風景が広がっています。省都・昆明は「四時如春」(年中春のようにうららか)と呼ばれ、街は花々に彩られています。省内には二五の少数民族が住み、自然と共存し、独
自の言葉、文化、風習を守り続けています。日本文化のルーツとも言われ、昔の日本に帰ったようななつかしさも感じさせます。

8月 20日(日)14:10 福島空港発 上海逸和飯店泊
   21日(月) 8:00 上海虹橋空港発、麗江着。麗江古城、四方街等 麗江観光酒店泊
   22日(火) 8:00 玉龍雪山、玉泉公園、白沙壁画等 麗江観光酒店泊
   23日(水) 8:00 午前中麗江自由散策、専用バスで大理へ 大理亞星大飯店泊
   24日(木) 8:00 胡蝶泉、三道茶、周城染、自由散策     大理亞星大飯店泊
   25日(金) 8:20 空路昆明へ、昆明市内観光、空路上海へ 上海逸和飯店泊(案)
   26日(土) 9:10 上海浦東空港発、成田着(12:55)
・旅行代金 218,800円(全食事・ホテル・中国国内移動バス・入場料付)
・往路、福島空港まで、復路、成田から福島市まではマイクロバス乗車予定(料金別)
・問い合わせは、福島支部または、(有)日華里優人旅行社(〒960-8001福島市天神町16-7 1F-B                                       tel.024-525-0025fax.024-525-0026)


上谷 直 くん 福 島 市 で 結 婚 式
趙 紫恒 さん

 5月5日(祝日)上谷直君と趙紫恒さんは、福島市で結婚式と披露宴を行いました。上谷君は福島大学行政社会学部卒業、在学中一年間、中国河北大学に留学していました。趙さんは中国河北大学日本語科卒業後、福島大学大学院・地域政策科学研究科修士課程を修了しました。福島時代には日中友好協会福島支部で中国語教室講師を担当していました。現在はお二人とも東京の会社に勤めています。
 当日は十一時から吾妻高原聖アンナ教会で結婚式を挙げ、教会周辺に観光に来ていた多くの人々からの祝福もあり、新郎新婦は大感激の様子でした。午後からは市内の中華レス
トラン石林で披露宴がありました。
 結婚式、披露宴には鹿児島から来られた上谷君のご両親やご兄弟、中国河北省から来られた趙さんのお父さんはじめ、お二人の師友たちが結婚を祝いました。日中友好協会福島
支部の会員六人も出席し、祝福しました。


福島支部
第 3 回 理 事 会 開 く

 五月一三日(土)福島支部第三回理事会が支部事務所で開かれ、理事五人が出席しました。
 はじめに長尾光之理事長が、日中両国民の感情悪化、靖国問題、米軍基地再編問題、憲法問題、などの情勢について報告しました。
 中国語教室は四月の開講以来すこしづつ受講希望者が増え、現在合計四五名になっていることが確認され、今後の改善点が討議されました。
 平和のための戦争展と平和講演会は実行委員会が開かれ、実施の準備が進んでいます。
 八月二〇日から二六日まで、雲南省への旅は支部として協賛することとしました。(別項)
 五月二〇・二一日に開かれる全国大会へ向けて、七名の方が会員になってくださったことが報告されました。
 昨年十一月の支部総会で決定され、期日を変えて実施する支部総会は、七月二日(日)午後二時から開くこととし、役員は全員留任をお願いします。
 夏の日中友好交流貝は七月二八日(金)夜に開くことを決めました。出し物は二胡、マジック、落語などを計画します。
 第四回理事会は総会が開かれる七月二日(日)午後一時に開きます。


熱 烈 歓 迎 ! 新 会 員

 上谷直君と趙紫恒さんの披露宴の席上、長尾文枝事務局長は趙紫恒さんの指導教員伊藤先生とロータリクラブ会員として趙さんを支援していた造園業野尻緑産社長・野尻榮一さんに呼びかけ、会員になっていただきました。
 これで、福島支部は会員2名増となりました。
伊藤喜良さん(大学教授)
「戦争中、父が徴兵され、武漢で戦病死しました。父の顔は知りませんが、中国には以前から関心を持っていました。今後学術の面で中国と交流したいと思っています」

野尻榮一さん(会社社長)
「中国東北地方で生まれました。福島市内に日中友好の記念植樹をしたこともあります」


2006年5月5日号         通算2063号


桜 づ つ み に 泳 ぐ 鯉 の ぼ り

 風かおる五月、久しぶりに青空がつづいています。
 福島市内西部、荒川沿いの桜づつみ公園には楽しそうな家族や職場の人々のピクニック姿が見えます。
 北側の荒川にかかる水道橋には鯉のぼりが風にひるがえっていました。
 端午の節句は中国、朝鮮、日本などで五月五日に行われる年中行事です。 端は初めという意味で、端午は月の初めの午(うま)の日です。五月は馬の月、五日も馬の日なので、五の重なるこの日を節句の日としました。古くから中国ではこの日には薬草をとり、よもぎの人形を門にかけて毒気をはらい、しょうぶ酒を飲んで、災厄を除き、病魔を避けました。


福島市
第 二 八 回 憲 法 を 考 え る 集 い 開 く

 五月三日(水)午後一時半から、福島市民会館で第二八回憲法を考える集いが開かれ、福島市民百八名が参加しました。この集会は、県労連、県立高教祖、新婦人、福島大学教職組など一七団体から作られた実行委員会の主催によるものです。
 はじめに、福島県九条の会・事務局長の真木実彦さんが「県九条のかいは作られてから一年になる。人々は戦争については眠り込んでいるように見えたが、会の運動を通して、人々の意識は大変高く深いということが分かってきた。しかし、運動はまだまだ不足している。三ケタの会が必要である」と開会あいさつをしました。
 つづいて、弁護士で元参議院議員の内藤功さんが「日米軍事同盟と憲法改悪の動き」と題して講演されました。
 内藤さんは、現行憲法は平和を願う日本と世界の人々の希求にもとづいて作られたもので、たいへん優れている。変更する必要はなく、むしろさらに活用して行くべきだと述べ、自民党の憲法草案の問題点を指摘しました。そして、改憲論が日米同盟の再編のわくぐみの中で推し進められていることを詳細に説明しました。さらに日米同盟の変革再編は憲法に違反するとして、過去に自衛隊は憲法違反であると主張し、勝訴を勝ち取った恵庭事件を紹介しながら説得的に話を展開されました。
 講演後の現在のマスコミについての質問には、「政府がNHKへ圧力をかけたことに見られるように、マスコミが権力者に迎合して、正しい報道をしないという問題があるのは確かだ。しかし、共同通信社の記者が優れた本、(久江雅彦『米軍再編・日米秘密交渉で何があったか』講談社現代新書)を書くということもある。視聴者・読者が誤った報道には直ちに抗議し、優れた報道は評価するなどして、マスコミに影響を与えて行くことが必要である」と答えました。
 最後に、岩淵友さんが「県民の皆さんへのアピール」を提案、参加者の拍手によって採択されました。


2006年4月25日号        通算2062号


第 二 四 期 中 国 語 教 室 開 講 式  

 四月一四日(金)夜七時から第二四期中国語教室の開講式が開かれ、受講生三〇数名が出席しました。
 はじめに北村寧支部長が「昨年十一月に支部長になりました。わが支部の中国語教室は歴史が長く評判が高いと思います。これは事務局体制がしっかりしており、講師が優れているためです。学習の目的はビジネスが旅行、老化防止など、それぞれ異なることでしょう。私もドイツ語をラジオ講座で学んでいます。語学上達のコツは「継続と反復」です。最近はようやく聞き取れるようになってきました。二年前に福島支部で中国旅行をしたとき、ホテルや商店で「爾好」とか「謝謝」「再見」など挨拶すると、必ず親しみある笑顔で応えてくれました。みなさんもこの一年、自分の目的に向かってがんばってください」とあいさつしました。
 つぎに。事務局長が講師の金敬雄先生、韓蔚敏先生、李鵬運先生、黄菲菲先生の紹介をしたのち、各コースに分かれて授業がはじまりました。


日 本 中 国 友 好 協 会 第 5 5 回 大 会

      5月20日(土)21日(日)     東京都で開催。代議員派遣のカンパにご協力を。


2006年4月15日号        通算2062号



ま ぼ ろ し の テ レ ビ ド ラ マ

渥 美 清 が 劉 連 仁 役 を
                             長尾光之

 戦争中の一九四四年八月、中国・山東省から北海道に強制連行され、一三年間北海道内で逃亡生活をしていた劉連仁さんのことはアニメーション「ライヤンツーリーの歌」や茨城のり子の詩「りゅうりぇんれんの物語」などに描かれています。このほどシリーズ『男はつらいよ』で著名な渥美清が劉連仁役を演じたテレビドラマがあったことが分かりました。一九六二年に北海道放送(HBC)で製作・上映され、芸術祭参加作品として同年十一月三〇日にTBSから再放送された、「不知道(ぷうちいたお)」です。HBCに問い合わせたところ、編成局コンテンツ事業部の渡辺良介氏から「演出が清水洋三と分かり、彼は弊社社員であったため、弊社製作と自覚しました」「ライブラリーセンターに行って調べたのですが残念ながら番組はありません。VTR素材でないことは確かなのでフィルムロールを探してみましたが見つかりません。報道局長に確認したところ、彼も見たくて一五年前に熱心に探したそうですが、無かったそうです。もしかしたら生放送だったかも知れません。芸術祭への提出はTVモニターをフィルムで再撮した可能性もあるそうです」「制作した事実は確認できましたが台本もなにも残っていないのが現状です」とのメールが来ました。 さらに調べたところ、台本作者は山川方夫であることが分かりました。山川方夫全集(第四巻・一九六九年冬樹社、同第七巻・二〇〇〇年筑摩書房)に「不知道ぷう・ちいたお」(テレビドラマ)として収録されています。 これを読むと、はじめに「昭和一九年から昭和二〇年五月にかけ、約三万人におよぶ中国人の強制連行者が、日本の北海道をはじめ、各地の主として炭鉱に送りこまれた。彼らはきびしいノルマと制裁、そして空腹に耐えかね、つぎつぎと数名のグループをつくって逃亡した。逃亡は、終戦の前夜までつづけられた。」とのナレーションがあります。この台本の立場が強制連行や劉連仁事件の本質をほぼ正しくとらえていることを示しています。劉連仁は出身地である山東省高密県にちなんで楊高密と言う名で登場しています。楊高密がともに逃げた中国人をも失い、たった一人で北海道を放浪しているとき、開拓部落の少年と知り合い、友情が生まれることを描いています。この楊高密を渥美清が演じています。そのほか、末吉敏雄、平山清、今福将雄などが出演しています。山川方夫はまた、『ネットワーク』誌 にこの作品について寄稿し、「もし、ご覧になった方に、平和というもののおそろしさを、−−−「平和」という表面の下にも、戦争へとつながるいっさいのものがひそみ、生き、動いている人間の生活というものの恐ろしさを−−−感じとっていただければ、僕には望外のよろこびです」というメッセージを発しています。(「正常という名の一つの狂気」初出『ネットワーク』 一九六二年一〇月、『全集』第五巻冬樹社一九七〇年・第六巻筑摩書房二〇〇〇年一〇月) 中国人強制連行は一九四二年十一月、東条内閣の「華人労務者内地移入ニ関スル件」閣議決定により、日本の国策として行われました。いま、北朝鮮の拉致問題が大きなニュースとなっていますが、日本もそれに類することを、さらに大規模に公然と行って来たのです。
 日中友好協会は北海道をはじめとする全国各地で中国人強制連行の事跡を発掘し、慰霊碑の建設や慰霊祭などを行ってきました。一九九五年にはビデオテープ『中国人強制連行』を製作して、映像でその事実を訴えました。強制連行の事実は決して忘れ去ってはならないことです。
 福島県にも猪苗代町の沼の倉発電所に中国人や朝鮮人が強制連行され、その記念碑が建てられています。これについての調査を近く行い、全容を明らかにする計画があります。


「 り ゅ う り ぇ ん れ ん の 物 語 」 作 者

  茨 木 の り 子 さ ん 死 去

長編詩「りゅうりぇんれんの物語」の作者茨木のり子さんが、二月一七日くも膜下出血のため東京の自宅で亡くなりました。七九歳でした。
 「りゅうりぇんれんの物語」は劉連仁が強制連行され、苦役に耐えかねて逃走・放浪後発見された事跡を踏まえて書かれています。
 はじめ『ユリイカ』に朗読用の詩として発表され、一九六五年に詩集『鎮魂歌』(思潮社)に収められました。
 ニッポン放送の『ラジオ劇場』では宇野重吉、山本安英出演で放送されたこともあります。また、劉連仁の命日に合わせ、二〇〇五年九月二日に、詩劇『劉連仁りゅうりぇんれん』としてスタジオVARIOが公演したほか、平和教育の教材として各地で用いられて
います。
 全国学校図書館協議会から、劉連仁さんの逃走経路地図、写真、茨木のり子年譜を付し『りゅうりえんれんの物語』(二〇〇円)として刊行されています。



2006年4月5日号         通算2061号


一 日 中 国 語 教 室 ひ ら く

 三月二六日(日)午前一〇時からと午後一時からの二回、福島市民会館で福島市としてははじめての企画である「一日中国語教室」が開かれ、合計約四〇名が参加しました。
 午前中は支部中国語教室・ステップアップコース講師である福島大学の金敬雄先生が中国語の基礎的な特徴、自分が中国で日本語を学んだときの経験から、外国語を学ぶときの心得、中国にはさまざまな方言があるが、共通語を学べばどこでも通用することなどを話しました。その後、李白の詩「夜思」を取り上げて意味を説明したあと、受講生にも朗読してもらいました。アシスタントの黄菲菲さんにも朗読してもらうと、その美しい発音に拍手が湧きました。
 午後は、福島支部理事長である福島大学の長尾光之先生が、世界には六千あまりの言語があるが、語族、語派に整理するとその系統が良くわかること、中国語は中国・チベット語族に属しており、日本とは全く異なる系統であること、中国の歴史と中国語の方言分布、共通語の歴史と特徴などについてパワーポイントを使って説明しました。つづいて、「私は日本人です」「これはいくらですか」などの簡単な会話を黄菲菲さんの指導で練習しました。
 当日は「福島民友」「福島民報」両社が取材に訪れ、後日記事が掲載されました。


東 北 ブ ロ ッ ク 会 議 開 催

 四月一日(土)二日(日)の両日、岩手県一関市の一関文化センターで協会東北ブロック会議が開かれ、東北五県と全国本部から合計二二名が参加しました。
 一日目は残留孤児の支援と裁判についての話題が中心となりました。東北では三五名が仙台地裁に提訴しており、全国では二一九〇名と孤児の約八〇%が提訴しています。一関では「支援する会」が、県・市会議員、JA会長、住職などの五〇人の賛同者を集めて発足しています。五月に結審する東京訴訟勝訴のため署名運動などを強化しようということで一致しました。
 二日目は五月に開かれる全国大会を成功させるため、各出席者がかかわっている太極拳や中国語講座の人々と結びつきを強めながら代議員、評議員派遣を要請するとともに全国で五百人の会員・準会員拡大の目標を達成するために各分野の活動を盛り上げようという
ことになりました。


2006年3月25日号        通算2060号


福 島 支 部 第 2 回 理 事 会 開 く

 三月十一日(土)午後二時から福島支部第二回理事会が開かれ、理事五人が参加しました。
 はじめに長尾理事長が現在の日中間の情勢について報告し討論しました。
 三月三日に終了した、第二三期中国語教室は始まったときは五二名で終了時には五〇名という大きな継続率であったことが確認されました。
 二四期については「うつくしま基金」が決定したことが報告されました。またチラシを「福島リビング」に入れること、学習センターに置くこと、一日中国語教室に取り組むことなどの準備状況について話し合いました。
 平和のための戦争展と平和講演会への「うつくしま基金」が決定したことも報告されました(既報)。


福島支部
会 員 拡 大 目 標 達 成

 現在協会は全国大会に向けて,会員と準会員あわせて五百名増へ向けて取り組んでいます。
 三月十一日の第二回支部理事会では拡大要請数を会員四名、準会員八名、季刊中国読者二名と確認しました。
 その後、名簿整理をしたところ入会・退会を差し引いて、二名が増えておりました。さらに、吉田吉光さん、渡辺 享さん・キノヱさんがご夫婦で入会されましたので、計五名増となり、会員拡大目標を達成しました。

熱 烈 歓 迎 ! 新 会 員

吉田吉光さん(団体役員)
 吉田さんは中国情勢、日中問題に関心が深く、会員になりました。
渡辺 享さん(中国語教室)
渡辺キノヱさん( 同 )
 渡辺さんご夫婦は、ともに中国語教室中級(夜)の受講生です。お二人とも水泳、スキー、スキューバ・ダイビングなどスポーツが得意です。この冬にはパラオにスキューバ・ダイビングに行きました。中国人留学生をスキーに誘って喜ばれています。


中 国 語 教 室 受 講 生 の 感 想 文 @

支部中国語教室では、ステップアップコースと中級コース(夜)の方々に感想文を書いていただきました。中級コースは「私の夢」または「私の一日」どちらかのテーマです。中国語の原文に日本語訳をつけて連載します。

    感想                      渡辺愛二

   我対学習外国語感興趣,如果使用外国語跟外国朋友一起会自然地交談一定非常高興罷。
   因為這“提高班”气氛太好,所以我能毎次愉快地学習漢語。為什摩可以那様尼? 我覚得有三个原因(理由),即
 (1)教科書是対我門的学力正合適的。
   内容不但課文有意思,而且練習問題也有意思。
 (2)同学門都是又聡明又認真
   我的記性日益減退了。怎摩也記不住。很遺憾年軽同学的記憶力,我装逑セ不得了。
 (3)老師的教学方法也无論好。
   老師,作為本国人,教我門漢語的“微妙的語感,漢語特有的措詞”等等。
   通一个年的学習,我覚得,听力一点儿進歩了,但是口語還不行。要根据口語能力就得不怕做錯不得不努力多説。前途還遠。加油!
   這一年,我能愉快地学習,全靠老師和同学門的幇助。謝謝。

 私は外国語の学習に興味がある。
 外国語で外国人と自然に会話・交流ができたら、とても楽しいことだろう。この「step up class」は雰囲気がよく、いつも楽しく勉強できた。どうしてそうなのか? それには3っつの理由がある。
 (1)教科書がぴったり。
    教科書は本文も良いし、練習問題が役に立った。
 (2)仲間のみなさんは、みな頭がよく、まじめ。
    私は記憶力が日に日に衰えてゆくので、若い人たちがとても羨ましい。
 (3)先生の教え方が良いのは勿論。先生はnativeとして中国語の“微妙な語
    感や言い回し”を教えてくださる。
 この一年を通して「聞く力」は少し上達したが「話す力」はまだまだ。上達を望むなら、間違いをおそれず、多く話すことだ。道は遠いががんばろう!
 この一年間、楽しく学習できたのは、すべて先生や仲間のお陰です。


我的梦想                      

  我的梦想是能長期住在海外,想去加拿達,瑞士,澳大利亜,新西蘭和亞洲的島嶼等些地方做戸外外活動。好好地享受大自然,有時間听音楽,看書,做好吃的菜,和愛人一起珍惜毎一天,度過愉快的一生。為了実現梦想,首先我応当学習英語。可是就算不学英語,我也要追求梦想。

私の夢                       

 私の夢は長期間海外で暮らすことです。カナダ、スイス、オーストラリアやアジアの島などで野外で過ごしたいと思います。大自然をよく享受し、音楽を聞いたり、本を読んだり、美味しい料理を作って夫とともに毎日を大事にしながら楽しい一生を送りたいと思います。この夢を実現するために第1に英語を学ばなければなりません。けれども英語を学べなくともこの夢を追い求めたいと思います。


我的一天(我的生活習慣)           

  我早上五点三十分起床。首先刷牙和洗lian。然后六点半左右吃早飯。吃完了以后七点半開車去公司。八点半開始営業、営業到下午五点半。工作比較忙,所以六点半左右才下班。回到家休息一会儿,吃飯了以后洗澡。然后一辺看電視,一辺喝葡萄酒。有時間的話,我在家唱ka拉OK。大概十点半睡覚。

私の一日(私の生活習慣)

 私は朝5時半に起きます。まず歯を磨き顔を洗います。その後6時半ごろ朝食をとります。食べ終えると7時半に車で会社に行きます。8時半から営業をはじめ5時半まで続けます。仕事は忙しいので6時半ごろようやく退勤します。家に帰って少し休み、食後は風呂に入ります。それからテレビを見ながらワインを飲みます。時間があればカラオケを歌います。だいたい10時ごろ寝ます。


2006年3月15日号        通算 2059号



中国語教室第二四期
う つ く し ま 基 金 獲 得

 この四月からはじまる福島支部中国語教室は二三期につづいて、福島県の助成金・公益信託うつくしま基金を獲得する準備をすすめていました。一〇月に申請書類を提出しました。今回は百十一件の申請があり、そのうち四九件が書類審査をパスして三月四日のプレゼンテーションに臨みました。本教室も通過しました。
 三月四日(土)午前、長尾光之理事長がパワーポイントを使って、日本と中国の人的交流が公務、経済、観光、留学などで増えていること、それに対応して中国語の必要性が高まっていること、福島支部中国語教室の実績などを訴えました。
 選考委員たちからは「この資金は毎年審査を行って決定するもので必ずもらえるとは限らない。貴会はこの資金を組み込んだ資金計画を立てているが、もらえなかったらどうするのか」「日中友好協会福島支部には相当数の会員がいるのではないか、支部本体の会計から教室に対して援助はできないのか」「受講生は自分がスキルを身につけるために、この教室に来ているのではないか。それならばそれに相応する受講料をもらえばいいのではないか。受講料を値上げしてはどうか」などのなかなかきびしい質問がありました。これに対しては、「うつくしま基金全体の財産額からしてあと七・八年は頂けると期待している」「福島支部の財政は経常活動の方でほとんど使い道が決まっているので、中国語教室は独立採算で行っている」と答えました。
 昨年に比べ、委員の質問も雰囲気もなかなかきびしかったので今年は採用はされないかもしれない、と覚悟していたのですが、午後六時の発表に行くと、合格しており昨年度同様百万円の助成が決定しました。 しかし、その後発表された順位表を見ると、書類審査は百十一件中二七位だったのに対し、プレゼンテーションを加味した総合点では四九件中四八位となっており、審査委員の発言とあわせると来年度以降は助成は難しそうです。


ふくしま平和のための戦争展も
う つ く し ま 基 金 獲 得

 中国語教室のうつくしま基金プレゼンテーションに引き続き、福島支部が事務局を担当している、「第四回ふくしま平和のための戦争展と平和講演会」も同様に助成金を申請していました。プレゼンテーションは福島支部準会員の菅野家弘さんが行いました。菅野さんは戦争体験者が少なくなってきている作今、体験者に話を聞いたり、貴重な物品を提供してもらうことの重要性、昨年の戦争展に寄せられたアンケートに感動的なものがあったこと、などを話しました。
 委員からは「毎年同じ企画ではなく、その年の特色をだすべきだ」「学校関係者への宣伝はどう行うのか」「百万というのは大変な金額だ。もしもらえなかったらどうするのか」との質問がありました。
 これにたいしては「蓬莱団地では小中学校を訪ねて参観を依頼したり、授業に呼ばれて話をしたりした。助成金がもらえたので昨年は書籍など実行委員会用の物品を購入した。講演会・講師も助成があれば東京などから適切な人を呼ぶことができる」と答えました。
 戦争展に対しては委員の質問は中国語ほどきびしくはありませんでした。夕刻の発表では、やはり昨年に続いて百万円の助成が決定しました。順位も書類審査を通過した四九件中二八位でしたので、来年度以降の助成も期待できます。


二三期中国語教室
修 了 式 開 く

 三月三日(金)午後八時から中国語教室最終授業後、二三期の修了式が開かれました。
 長尾光之理事長が「みなさんはこの一年しっかり中国語を学んでこられました。語学は独習もたいせつですが仲間とともに学ぶことも楽し良く身につくものです。政治的に日中関係はきびしくなっていますが、それを打開するためにもこの教室のような草の根の交流が大事です」とあいさつしました。
 そのあと、先生にはCDケースが、受講生には中国語テキストやビデオテープがプレゼントされました。最後に、コース別に記念写真を写しました。


2006年3月5日号         通算2058号


留 学 生 の カ ル チ ャ ー シ ョ ッ ク  

                            アンケート結果紹介 

 福島県留学生交流推進会議では県内の〇五年度留学生の生活実調査を実施しました。以下は福島大学留学生の調査結果です。留学性一四〇人中、回答者九九人、回収率は七一%です。
 留学の目的は「学位取得のため」一七人、「専門技術を学ぶため」四〇人、「日本語や日本文化を学ぶため」三一人、「将来の仕事のため」三六人です。福島大学を選んだ理由は「希望する専攻分野があったから」が他の理由を大きく引き離して五九人。次いで「人に勧められたから」が一五人、「生活・学習環境が良さそうだから」が三一人となっています。留学終了後の進路では「日本で就職したい」と「自国で就職したい」がほぼ拮抗して、それぞれ三九人と三四人、「進学したい」が二六人となっています。アルバイトをしている者は九九人中六七人で、アルバイト先で困っていることは、「アルバイト先が少ない」一六人、「日本語が良くできない」一五人「時給が安い」一三人です。学びたい日本文化では「日本料理」が最も多く五四人、次いで「お茶」二六人、「漫画・アニメ」二一人「お花」一七人などです。
 どんなときにカルチャーショックを感じたか、との問いに対しては「日本はあいさつの国だと思う。初めはその習慣に慣れず、周りから変な目で見られてショックだった」「日本人の多くはハッキリと意見を述べないこと」「仕事を一生懸命しているのにバカにされた」「税金が多く物価が高い」などの否定的な見方がある反面「親切に道案内してくれることに感心した」「日本人の友達ができて良かった」「祭が楽しかった」との肯定的な
意見もありました。 これからも留学生をはじめとする外国人との付き合いはますます
増えてくるでしょう。外国人に、「日本に来て良かった」と感じてもらえるようなグラスルーツの交流は今後これまで以上に必要となってくるでしょう。



中 国 語 検 定 試 験 を 受 け て
                        中国語教室・中級  千葉 孝

私は中国語を習い始めて既に三年になります。習い始めた頃、次女が台湾で仕事をしていた関係もあり、妻と台湾旅行をしました。その折、次女が台湾の友達と話す中国語が全然理解できませんでした。それでも台湾に友達ができ、再会を約束しました。再会できた
時には少しでも中国語で話がしたいと思い、習い始めたのです。
 昨年、娘に中国語検定試験を受けることを勧められました。検定試験を目的に学習していたのではなかったので、自信はありませんでした。しかし、成果を確認しようと思い、11月に4級を受験しました。
 試験はヒヤリングと筆記試験があり、両方で1時間40分の試験時間です。合格ラインは両方とも60点以上でした。
 中国語を聞く機会が少なかったのでヒヤリングは難しいと思いました。車に乗ることが多いので、車中で検定対策用のカセット・CDを聞いて学習しました。筆記は現在中級で習っている程度の問題が多く出題されておりました。筆記で難しかったのは語句とその4声、ピンインでした。10題出題されて配点も20点ですから、初級のあいだにしっかり身につけなければと痛感させられました。当教室の3年間とも先生が変わりましたがそれぞれの先生方には熱心に指導して頂きました。お陰様で合格できましたことを感謝しております。皆さんも学習の成果を確認するのに最適な試験だと思いますので、この教室でしっかりと学習し挑戦してみては如何でしょうか。
 私は年内に中国旅行をしたいと思っています。その時のために、また、生涯学習の一環として、そして認知症予防のために中国語の学習を続けたいと思います。


3・4月の予定

3月3日(金)中国語教室修了式
   11日(土)福島支部理事会
   26日(日)一日中国語教室
4月1日(土) 東北ブロック
   2日(日) 会議(一関) 
4月14日(金)中国語教室開講式                            


2006年2月25日号        通算2057号


 福島大学行政政策学類
 中 国 人 留 学 生 と 語 る 会


 二月一四日午後三時から、福島大学行政政策学類大会議室で、オーストラリア・クインズランド大学からのプーキーラオさん、中国・河北大学からの郭芳さん・田冰さんの三人を囲んで話し合う会が開かれました。三人の留学生はこの三月に帰国します。
 はじめに各人がそれぞれ「福島大学での一年」について感想を述べました。
 プーキーラオさん(香港出身・中国名・劉沛g)は、福島大学に来たばかりの時は、日本語力が弱く、授業は一〇%、テレビは五〇%ぐらいしか分かりませんでした。サークルは山岳部には入り安達太良山、霊山、富士山などに登りました。友人もサークルを通じてできました。そのほかにも山形に行ってこけしを買ったり、仙台の七夕祭や田沢湖にも行きました。日本とオーストラリアとでは違う点が多くあります。中でも冬の寒さははじめて経験しました。また、日本の女子大生は化粧をしますが、オーストラリアの学生はほとんどしません。日本のレストランは料金が高いですが、大学生協の食堂は安くておいしいです。
 郭芳さんは、中国で川端康成などの日本の小説を読みおだやかな所と思っていました。仙台空港から福島に来たときの第一印象は、人の姿が少ないこと、ゴミがないこと、消費税があることでした。また、中国人と外見の同じ人々がみな日本語を話していることが不
思議に思えました。中国では一部屋八人の寮生活でしたが、日本では一人暮らしでかえって楽しかったです。けれども、気分の悪いときなどは助けてくれる人がいなくてさびしい思いもしました。中国ではこんなときは必ず周りの人が心配してくれて、めんどうを見て
くれます。日本のレストランでアルバイトをしはじめのうちは全身が痛くなりましたが、五日で慣れました。はじめて給料をもらったときはうれしかったです。大学の授業を通して、さまざまなことを知りました。日本に環境問題、貧困などの社会問題があることなどです。日本では人と人の関係が冷たいと感じます。例えば、授業が終わると学生はみなバラバラになってしまいます。アパートでは隣の人の顔さえ知りません。これは高度成長の背後にある遅れた部分だと思います。
 田冰さんは、中国では、日本の「東京ラブストーリー」が人気があり、私もこの番組を見てから日本語を学びはじめました。日本に来たときには、頭の中には日本で確かめたいことが沢山ありました。第一印象は人間が少ないということです。また、何もかもが新しいと感じました。電車に乗っていても退屈しません。居眠りしている人や、パソコンを打っている人がいます。若者は大声で話し、男子でも髪を染め、ピアスをしている人がいます。春に福島に来たときは花見山やスカイラインに行き、花が満開でたいへんきれいでした。夏の花火もきれいです。日本人は祭が好きだと思いました。また、日本の学生は先輩・後輩の関係がきびしいです。中国ではそれほどではありません。日本語が良くできなかったころ、小銭がなかったとき、先輩に、「両替してくれ」と言って、たいへん驚かれたこともあります。
 三人の話が終わったあと、会に参加した先生や学生たちは、日本、中国、オーストラリア、カナダなどの大学や国情の違いなどについて二時間あまり熱心に話し合いました。


2006年2月15日号          通算2056号    付録

中国語教室・中級
新 年 会 ・ 楊 先 生 送 別 会 ひ ら く

                                遠藤武彦
 一月二八日夜、市内香港楼で中国語教室・中級(夜)の新年会が開かれました。講師の楊暁玲老師をお招きし、八名の参加者は今年も仲良く学習に励むべく「談笑風生且喫且喝了」。
 この会は、講師の楊老師がお父上の看病のため一時帰国されることになり、その送別会も兼ねました。お花とお餞別を差し上げ感謝の気持ちをあらわしました。楊老師の、「五年も日本に生活しながら、同胞中心の人間関係が中心だったのですが、この講座を引き受
けたことで皆さんのような日本の友人がたくさんできたことが嬉しい」との言葉が印象的でした。
 今年度、曲老師に励まされて初級から中級にステップアップしたメンバーは、経験も実力も心もとなく、当初先輩たちに混じって緊張の日々でしたが、曲・楊両老師の好バトンタッチのおかげでなんとかこの一年かじりついて来ました。 それだけにお別れはたいへ
ん残念です。楊老師はこの日のためにお手製の餃子を持参し、ご馳走してくれました。厨房で蒸したての餃子は香辛料がほのかに効いて美味しく、瞬く間にみんなの胃袋に。「また食べたい」と思いました。今後は育児に一息ついた曲老師が再び後を継いでご指導くだ
さるとのこと一安心です。飲み過ぎて他人の靴を履いて帰る者がいたほどの盛会でした。


中 国 の 花 を 訪 ね て

洛 陽 牡 丹 祭 り と 西 安 い け 花 交 流 の 旅

4月23日 西安:成田から西安へ。城壁見学・唐歌舞ショー
4月24日 西安:花卉市場見学。列車で洛陽へ。
4月25日 洛陽:牡丹まつり見学・竜門石窟・市内の花見学。
4月26日 西安:西安市民と生け花の交流。
4月27日 西安:兵馬俑・華清池など見学。帰国。
   旅行費用:15万8千円
旅行企画実施:日中平和観光横浜支店  協賛:日本中国友好協会


 無料
 一日中国語入門教室

3月26日(日)第1回 午前10時から12時  第2回 午後1時から3時
 福島市民会館501号室(市内霞町) 

 講師: 福島大学教員 金敬雄(第1回、長尾光之(第2回) アシスタント:中国人留学生 黄菲菲 

はじめて学ぶ人を対象に中国語についての基礎的知識と発音や簡単な会話を学びます。
学校や自習ですこし学んだことのある人も歓迎します。


2006年2月5日号          通算2055号    付録

福 島 の ギ ョ ー ザ 宇 都 宮 に 出 店

 福島市の一四の餃子専門店でつくる「ふくしま餃子の会」の会員が二月宇都宮市のフードパークに期間限定で出店することとなりました。業界で「餃子の聖地」と呼ばれる宇都宮に会員の店の焼きたて餃子が登場するのははじめてです。

 餃子の会が店を出すのは、昨年開店した宇都宮市簗瀬町の「宇都宮餃子共和国」。宇都宮や大阪、神奈川の餃子専門店十一軒が出店するフードパークです。ここに、二月四日から一ヶ月間、「満腹」「照井」「山女」が順番で職人を派遣します。
 宇都宮市は「餃子の町」として全国に宣伝活動を続けています。同共和国では二月から、東北地方の餃子の名店を期間限定で紹介するイベントを企画しており、同市と同様に第二次世界大戦後に餃子文化が根付き、独自の文化をはぐくんできた福島市から「ふくしま餃子の会」が出店することになったのです。


G D P 中 国 、 世 界 4 位 に

   はじめて英国上回る

 中国の国内総生産(GDP)は〇五年に英国を抜き、米ドル換算で世界四位の規模となりました。イギリス統計局が一月二五日発表した〇五年の実質成長率は一・八%と一三年ぶりの低い伸び率にとどまり、ドル換算したGDP総額は約二兆ドル(約二三〇兆円)。中国のGDP総額は約二兆一千億ドル相当で初めて英国を上回りました。〇四年に世界五位だったフランスはまだ公式統計を発表していませんが、一兆九五〇〇億ドル前後という見方がつよいようです。このため中国経済が米国や日本,ドイツに次ぐ規模に成長したのはほぼ確実です。


思想信条の自由を守り軍事大国化に反対する2/11福島県集会

記念講演

  今 だ か ら 考 え る 戦 争 と 平 和   中 村 政 則 氏 (神奈川大学特任教授)
              
  2月11日(土)1:30市民会館第2ホール  参加費:300円


第 2 回 禁 演 落 語 を 聞 く 会

   立 川 談 之 助 師 匠        2月5日(日)県文化センター小ホール
                             開場13:30 開演14:00  
                             会員券:一般1500円 小中高大生500円


2006年1月25日号          通算第2054号  付録

福島支部
第 一 回 理 事 会 ひ ら く

 一月二一日(土)午後二時から、支部事務所で第一回理事会が開かれ、理事六人全員が出席しました。
 長尾光之理事長が「日本と中国の関係は「政冷経熱」から、「政冷経涼」と言われるように政府間の関係は悪化しているし、世論調査によると国民感情も相互に悪化している。このようななかで、上海の小学生たちの演芸公演が中国側の事情により、先生の出国ができなくなり、中止せざるを得なかった。状況にはきびしいものがあるが、草の根の交流には努力して行きたい」と報告し、討論しました。
 昨年一二月五日(日)に行われた「りんご狩り」はたいへんたのしく、会員や中国人との交流の点でも意義があったので、ぜひ来年も続けたい。しかし果樹園の方があまり負担になっても申し訳ないので、参加者も手伝いなどで協力して行こうと話し合われました。
 現在の中国語教室についてはクラスの状況先生の異動などについて意見交換しました。
 四月から始まる第二四期に向けては、公益信託基金の獲得へ向けて努力すること、リビング新聞へのチラシ、インターネットで受講生募集することが確認されました。
 また、「無料一日中国語教室」を開いて、中国語への興味・関心を持っている人々の要望にこたえる企画を実施することにしました。
 今年夏日華里優人旅行社で雲南旅行を計画していますが、日程・内容などが適切であれば支部として協賛し、参加者募集も行うこととしました。
 第二回理事会は三月十一日午後二時から開きます。

全 国 の 平 和 展 運 動 交 流

全国各地でおこなわれている「平和のための戦争展」の運動経験を交流する集いが1月14,15の両日、東京・江戸川区の総合文化センターなどで開かれました。2日間でのべ140人が参加しました。東京の「平和のための戦争展」実行委員長鈴木定夫さんは「戦争の本質と実態を明らかにし、訴えてきたこの運動を大いに語っていこう」とあいさつ。 早稲田大学の大日方純夫教授が「日中韓三国共通歴史教材から見えてきたもの」と題して記念講演しました。
 「平和のための戦争展」は、地域での戦争遺跡や戦争体験の掘り起こしと継承、現代の戦争の問題と向き合って取り組まれています。
 日中友好協会の長尾光之さんは、福島市の信夫山の地下にある中島飛行機製作所の工場跡地を公開するよう市に働きかけていることを紹介しました。
 「戦争体験をどう受け継ぐか」など4つの分科会では、「参加型の『戦争展』をどうつくっていくか」「今年の『平和のための戦争展』では、憲法や国民保護法がどうなっているかもポイント」など活発に議論されました。(「しんぶn赤旗」1月16日号)



太 極 拳 無 料 体 験 教 室 の お 知 ら せ
                            (情報)
 県内各地で健康講座の講師として活躍されている、吉井雅彦氏の太極拳
無料体験教室が下記の要領で開催されます。氏は太極拳のみならず、気功
ヨガにも精通しておられ、人体の機能や発達にもとずいた健康講演は好評
です。以前、福島支部中国語教室で学ばれ、中国語も堪能です。日中友好
交流会では健康講話と実技を披露し、好評でした。

  日時:1月30日(月)10:15〜
  場所:波恵ダンスカルチャーバーク(福島市新町,Tel.526-0850)



2006年1月15日号     通算第2053号

福 島 支 部 へ の 年 賀 状

あ り が と う ご ざ い ま し た

日本中国友好協会会長    伊藤敬一
日本中国友好協会秋田支部
日本中国友好協会盛岡支部
日本中国友好協会山形県連
日本中国友好協会宮城県連
日本中国友好協会愛知県連
日本中国友好協会岐阜県連
日本中国友好協会福井支部
日本中国友好協会和歌山県連
日本共産党議長        不破哲三
元中国語教室講師       陳  軍  
       同          黄旭団             
       同           曲 春華 
       同          邵 勤風
  
相原 茂、赤井作男、朝倉美和子、阿部兼也、阿部裕美子、石田幹、臼井嘉一、江田 清、大泉正気、大泉賑子、大内寛隆、大崎やま子、大須賀ミチ子、王  征、岡部恵久子、加藤三由紀、菅野家弘、北村 寧、庫山恒輔、栗原浅子、小塙公子、黄菲菲,小林英三、菰口 治後藤孝一、斎藤 実、 島貫謙次、謝 清平、庄司他人男、庄野弘晃、新谷義隆、高橋明子、手代木有児、手代木由美、寺崎文 司、中川利子、永山俊子、西本幸子、初沢敏生、初沢智子、羽田正見、樋口子吉、比佐千鶴子、深谷岩光、深谷富士子、藤川稔、藤川淑子、堀 政好、真木実彦、三浦正雄、村上健、村上みどり、村松勝三郎、森  清、森川登美江、門間春江、山崎四朗、渡辺 正

豪 雪 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す

 昨年から今年にかけて、日本は大変な寒さに襲われ、それにともなって各地で大雪が降っております。新潟、長野をはじめとする地方では死者やけが人も出ており、今後は雪崩の恐れもあります。心からお見舞い申し上げます。
 福島県内、市内でも例年になく雪が多く、被害に会われた方もおられると思います。お見舞い申し上げます。
 なお、中国外務省の孔泉報道官は「この冬に、日本の一部地区で大雪の災害が起き、多くの死傷者が出ている。雪害に見舞われた地域の日本国民および犠牲者の遺族に心からお見舞いとお悔やみを申し上げる。被災地の人々が困難を乗り越え、通常の生産、生活秩序を早期に取り戻すものと信じている」との談話を発表しました。


2006年 1月 5日号   通算2052号

あけましておめでとうございます

 本年も日本と中国の友好関係発展と両国の人々の相互理解を深めるためにがんばりますので、よろしくお願いします。
2006.1.1
福島支部役員
支部長   北村 寧
理事長   長尾光之
理 事 大崎やま子
 同    深谷岩光
 同    比佐千鶴子
 同    大泉和久
事務局長  長尾文枝
    

ごあいさつ    
                    福島支部長   北村 寧
 みなさん。あけましておめでとうございます。昨年十一月の総会で支部長に選ばれました。以前理事長を担当したことがありましたが、支部の役員はしばらくぶりです。どうかよろしくお願いします。
 七〇年代の国交回復後、八〇年代の中国の改革開放政策後とちがって、最近の日中関係にはきびしさが立ちはだかっているようです。とくに日本の過去の中国やアジアに対する侵略戦争の事実を見ようとせず、A級戦犯が合祀されている靖国神社参拝を続ける小泉首相には中国や韓国から大きな非難の声が寄せられています。この態度を改めない限り、日本とアジア諸国の間には正常な国と国の関係は打ち立てられないでしょう。
 しかし、日本と中国の間にはさまざまな民間レベルの交流があります。福島市にも留学生など多くの中国人が在住しており、わが支部は交流会、りんご狩り、中国語教室などを通して中国人との友好を図っています。支部の内外にも旅行や仕事で訪中する人も多くおります。
 これらの草の根の友好交流を進めて行くことによって、わが協会の発足以来の趣旨である対等平等な「真の日中友好運動」が進展するものと考えられます。
 本年も会員や中国語受講生のみなさんが、健康に留意されつつ、支部の多彩な活動に参加されることを期待いたします。


カレンダー普及へのご協力ありがとうございました
 3年前、本部で初めて作成したカレンダー「中国悠久の旅」は2006年版もとりくまれました。おかげさまで、12月で190本の普及ができました。全国でも9千本を越えました。
 売り上げの一部は本部を通して「残留孤児」国家賠償裁判の支援連絡会へ贈られます。
 会員・役員のみなさまのご協力・ご支援を感謝いたします。

銀 世 界 で の り ん ご 狩 り と 交 流 会
                                             中国語教室   安藤 斎

 十二月四日(日)、福島市飯坂町の後藤りんご園で、福島支部りんご狩りが開催され、中国語教室の先生と生徒、福島大や福島医大の留学生など二〇数名が参加した。この日は朝から雪がちらつき、福島市のシンボル信夫山のトンネルを抜けると五センチ以上も積もっていて、銀世界でのりんご狩りとなったが、日中は風が無く、暖かい日差しの下で楽しむことができた。
 まず、りんご園の主人である後藤さんから、おいしいりんごの見分け方と上手なもぎ方を教わり、大玉の「サンふじ」りんごを目がけて散っていった。それぞれこれはと思うりんごを慎重に選んでいたが、いっぱい詰めすぎてビニール袋が破けてしまった人も。そのうち、かわいい園児三人とイケメン留学生が雪合戦を始めた。園児には応援がどんどん増え、イケメン君は四面楚歌状態に。 すると「私は○○君の見方よ」とイケメン君に加勢する女子留学生も現れて、雪合戦の輪は広がっていった。日頃運動不足である私は、ちょっぴり汗をかき溜まったストレスを解消した。
 そしていよいよ交流会。まず、後藤さんから日中友好協会との関わりの話があり、理事長からは、後藤さんの好意により開催できたこと、今年で二回目になること、が紹介された。そのうえ、後藤さんの奥さんと近所の友達が心を込めて作った豚汁も振る舞われた。なお、今回の留学生の参加費は無料とのこと。
 りんごと豚汁でお腹が満たされてきたところで、自己紹介が始まった。交流の機会が増えたと後藤さんに感謝する支部関係者、去年後藤さんのりんごの味を知ってからは他のは食べられないという先生。またカタコトの日本語で自己紹介する医大の留学生もいれば、流暢な中国語で拍手を浴びるステップアップコース班の生徒も。さらに、「私の中国語うまいでしょ」と言い出す福島大の留学生(?) もいて笑いを誘った。その後は、豚汁をおかわりしたり、持ち寄った手料理をごちそうになったりしながら、話の輪がいくつもできていった。
 その夜、おみやげのりんごを食べた母は「うまいうまい。うーんと甘いわ」とご満悦。私は嬉しくなり、参加して良かったと家に帰ってからも思った。
 昨年の年末、上海のある大学の日本語学部の授業を見学した時のこと。急に雪が降り始め、窓の外が真っ白になって、学生の大半を占める女子学生は大喜び。すると学生の一人が黒板に「瑞雪兆豊年」(大雪は豊年の兆し)と大書して、意味を説明してくれた。雪があまり降らない上海地方では、年内の雪は特に縁起がいいと先生が解説を加えてくださった。
 また来年、後藤りんご園で、豊年の果実を味わえますように。

 



2005年12月15日号   通算2051号

福島支部
雪 の 中 で り ん ご 狩 り

 福島支部では12月5日、昨年につづいて「りんご狩り」を行いました。場所は福島市内飯坂町の会員・後藤孝一さんのりんご園です。前日の4日には初雪が降り、天候が心配されましたが、当日は快晴となりました。
 各人にポリ袋一枚づつが渡され、真っ赤に熟れたりんごをその袋いっぱいになるまで採りました。子ども達は今年はじめて降った雪の中で歓声を上げながら雪合戦をしていました。今回は福島大学・福島医科大学に留学している中国人が12名が加わり小学生・幼稚園児も入れて総勢30名になりました。
 昼食時には庭先にテーブルをセッティングされ、後藤さんの奥さんが熱々の豚汁を準備してくださりました。参加者は、採ったばかりのみずみずしいりんごや、みなが持ち寄った餃子、焼き鳥、花生米、漬物などを食べながら、楽しく歓談しました。「来年もぜひ実現して欲しい」との声が多く上がり、後藤さんも「大歓迎します」と答えていました。
 中国人留学生・鄭楓君は「おいしいリンゴを頂いただけでなく、雪合戦もでき、楽しい一日でした。あまり運動をしていなかったので身体に良かっただけでなく、ストレス解消にもなりました」と話していました。


お礼        
                          福島支部理事長 長尾光之

 会員のみなさん。中国語教室受講生のみなさん。二〇〇五年は様ざまな面でたいへんお世話になりました。厚くお礼申し上げます。
 日本と中国をめぐっては、直接的な交流がより深まるなかで、中国の対日抗議デモやそれを受けた日本の反中意識のたかまりなどの困難もありました。
 わたくしたちは、中国語教室・平和のための戦争展・憲法九条の会などを通じて、草の根の日中友好運動を進めてきました。
 みなさまが、健康に留意され、良いお年をお迎えになりますように。



2005年12月5日号     通算2050号

福 島 支 部 〇 六 年 度 総 会 ひ ら く

来 年 以 降 は 毎 年 六 月 に 支 部 総 会 を

 十一月二十六日(土)午後二時から福島市民会館で〇六年度福島支部総会が開かれました。
 議長には理事の大泉さんが選ばれました。はじめに支部規約に照らして委任状を含めて総会が成立していることが確認されました。つぎに、協会本部・東京都連・宮城県連・一関支部からのメッセージが披露されました。
 長尾光之理事長が、延期された五四大会が大成功のうちに終了したことなどの協会をめぐる情勢について報告しました。また、中国語教室、りんご狩り、交流会、平和のための戦争展などの福島支部の活動報告をおこなうとともに、来年度も同様の行事をさらに質を高めておこなう、活動方針を提起しました。長尾文枝事務局長は決算案、予算案を提案しました。討議ののち、すべて原案どおり採択されました。
 来年度から毎年全国大会後の六月に総会を行うことが提案され、それにともなって支部規約の会計年度を五月から四月に変更する規約改正提案も承認されました。
 村上支部長が病気により辞任を申し出ておりますので、後任には北村寧氏を選出しました。村上みどり理事が辞任したほかは他の役員はすべて再選されました。
 最後に長年支部の活動に貢献されてきた村上支部長と村上みどり理事に「表彰状」が贈られました。 終了後、茶話会が開かれ、残留孤児問題、中国旅行についてなど一時間にわたって歓談しました。

福島支部役員

支部長   北村 寧(新)
理事長   長尾光之(再)
理 事   大崎やま子(再)
 同    深谷岩光(再)
 同    比佐千鶴子(再)
 同    大泉和久(再)
事務局長  長尾文枝(再)
会計監査  安藤勝夫(再)
 同    手代木有児(再)


2005年11月25日号    通算2048号   付録

日中友好協会
第 五 四 回 大 会  に 参 加 し て

                            福島支部代議員・長尾文枝

 中国の日本に対する抗議デモを口実とした右翼のいやがらせにより延期された全国大会が11月5(土)、6(日)の2日間、東京都新宿区で開催されました。私は福島支部選出の代議員として参加しました。
 東京都連のみなさんのご努力による会場警備が行われ、さいわい右翼の妨害もなく無事終了しました。
 大会では「中国人との対話を各地で行おう」という発言が相次ぎ、また、中国語・太極拳などの文化活動が全国で幅広く推し進められている様子がよく分かりました。「反日」の統計もありますが、日本にいる中国人は、親身な交流を望んでいることも理解できました。日本人も中国人とさらなる友好的な関係を望んでいますし、中国旅行の希望者も多くおります。
 大会に参加することによって日中友好運動に自信を持つことができました。
 大会最後の表彰式で福島支部は「優秀組織」として表彰されました。賞状を受け取り、たいへんうれしく思いました。
 最後に大会派遣募金にご協力いただいたみなさまに感謝申し上げます。

 福 島 支 部 総 会 1 1 月 2 6 日 に 開 催

 福島支部の定期総会が11月26日(土)午後二時から福島市民会館202号室で開催されます。
 当日は活動報告、決算、活動方針、予算、新役員について討議されます。 会員のみなさまは万障くりあわせてご参加ください。出席できない方は委任状をお忘れなく。

2005年度活動報告(案)

 協会は自主的・民主的な立場に立って日本と中国の正常な関係を打ち立てることを目標にするとともに、日本の中国に対する侵略戦争への反省と適切な戦後処理を行うことを主張してきました。また、お互いの立場を尊重した日本人と中国人の交流やさまざまな文化活動を行ってきました。
 福島支部でも前記の全国的な活動を行うとともに、支部独自の活動を行ってきました。

1.中国語教室第23期を開講しました。中国語検定2・3級合格と通訳力養成をめざす  ステップアップコースを新設 し、受講生総数は52名となりました。以前から受けて  いた福島市補助金が継続されるとともに、今期からうつくし ま基金が助成されること  になりました。

2.04年12月5日、会員・後藤さんの農園で「りんご狩り」を催し、中国人7人を含む22人が参加しました。

3.7月29日「日中友好交流会」を開き、中国人10人を含む31人が参加しました。

4.「平和のための戦争展」協賛団体となり、実行委員長を出すとともに、事務所を提供しました。同行事では7月2日 から5回にわたって平和講演会「私の見たイラク戦争」  「福島と戦争」「日の丸君が代問題と東京の教育、私の戦 争体験、日本の中国・アジ ア侵略」を開き、合計 人が来聴しました。7月31には「福島の戦跡めぐり・フィ  ールド ワーク」を開き、TVなどに報道されました。8月15日には展示会を開き、   約3000人が参観しました。10月23日に開 かれたアウシュビッツ生存者講演会に協賛しました。当日、ロビーでは福島、郡山の「平和のための戦争展」を展示
しました。

5.中国に関する情報を提供しました。協会事務所に寄せられた質問に答えたり、翻訳の支援などを行いました。

6.05年10月、福島支部ホームページを開設しました。

7.理事会を定期的に開きました。日中友好新聞福島支部版を全国版と同一回数発行しま  した。11月5、6日に延期され、東京で開催された全国大会には代議員1名を派遣しました。

2006年度活動方針(案)

1.中国語教室第24期をより質の高い内容で開催します。昼初級コース、昼中級コース、  夜初級コース、夜中級コ ース、夜会話コース、夜ステップアップコースの6コースを 開設します。また、一日中国語教室を開催します。

2.福島市とその周辺に到来、居住している中国人との交流を行います。

3.中国との交流を希望する団体や個人に適切な助言をします。

4.太極拳、きりえ、中国語、中国文学、中国映画、囲碁などの中国文化についての情報を集め、希望者に提供しま す。

5.06年にも平和のための戦争展と平和講演会、戦跡巡りフィールドワークを行います。平和をめぐる各種運動に協 賛します。「平和の波」に協賛します。

6.りんご狩りやピクニックなどの会員や留学生と親睦をはかる行事を実施します。

7.理事会を定期的に開き、方針を実行します。第55回大会に代議員を派遣します。

8.その他、会員や会外の人々の要望にもとづく本会の趣旨に沿った活動を行います。




2005年11月5日号   通算2048号    付録


 福 島 支 部 総 会 十 一 月 二 六 日 に 開 催

 福島支部の定期総会が11月二六日(土)午後二時から福島市民会館で開催されます。
 当日は活動報告、決算、活動方針、予算、新役員について討議されます。
 会員のみなさまは万障くりあわせてご参加ください。出席できない方は委任状をお忘れなく。


中 国 の 1 0 大 作 家 ・ 読 者 投 票

 このほど、中国出版科学研究所と浙江省新聞出版局により、中国ではじめて「読者が選ぶ中国10大作家が発表されました。台湾の作家が3人入っていることが注目されます。
 1.魯迅                 6.老舎
 2.金庸(香港の武侠小説家)    7.賈平凹
 3.瓊搖(台湾の恋愛小説家)   8.古龍(台湾の武侠小説家)
 4.巴金                  9.三毛(台湾の作家)
 5.謝氷                 10. 王朔
 


巴 金 死 す
    
 中国の著名な作家巴金氏が一〇月一七日に死去しました。 氏は一九〇四年、四川省成都生まれ。学生時代アナキズムに同調しました。中華人民共和国成立後、一九六〇年には全国文連副主席。文化大革命のときには迫害されてトイレ掃除をさせられていました。文革後は中国作家協会主席などを担当しました。『家』『寒夜』『第四病室』などで、日本人にも親しまれています。協会副会長で中国近現代文学研究家の丸山昇さんは「しんぶん赤旗」一〇月二八日付に「巴金の死に思う」を発表しました。