救国へもう一つの道、地域通貨の発行を!
大阪学院大学教授 丹羽春喜
正論平成十三年一月号より

深刻な危機的状況
平成12年度のわが国経済には、一見、不思議に思われる現象がつきまとってきた。すなわち、マスコミが盛んに企業業績の回復など景気回復を囃し立てているにもかかわらず、株価の大幅な低落・低迷が続いてきたということがそれである。つまり、株式市場は、わが国経済の今後について、きわめて悲観的に見ているということなのである。しかし、すこしよく考えてみれば、それは、けっして、不思議なことではない。
周知のごとく、六百数十兆円にものぼる国債と地方債の発行残高をはじめとして諸種の政府ならびに地方自治体の公的債務(ないしその不良債権)はきわめて膨大な額に達しており、その返済・償還のめどを立てるといったことは、まったくなしえない状況である。その圧力で、宮沢蔵相が幾度も表明しているように、平成十三年度以降は国債や地方債の新規発行額は厳しく制限されざるをえないであろう。たとえ、タブー視されてきた日銀による新規発行国債の直接引き受けが行われることになったとしてさえも、結局は、国債や地方債の発行規模は、ますます姑息な程度にとどめられるようになっていくにちがいない。
ということは、景気を支えるための総需要喚起型の財政政策がますます貧弱になっていくということであり、わが国経済の不況・停滞は、いやがうえにも激化する危険性が濃い。そのことは、税収をいっそう落ち込ませ、政府や地方自治体の財政破綻をますます深刻化させる。それが、さらなる緊縮財政と、さらなる不況激化をもたらすことになるのは、言うまでもない。政府や地方自治体の公的債務の返済・償還や財政再建といったことは、ますます絶望的になり、不況→財政破綻→緊縮財政→不況という悪循環は、とどまるところを知らない。米国の景気後退が始まれば、わが国の経済にとって、事態はいっそう苛酷なものとなろう。もとより、今日のこのような状況となってしまっては、もはや、増税や緊縮財政や行革といった手段でわが国の国家財政や地方財政を再建するなどということは、実際問題としては、まったく不可能になってしまっている。IT関連投資にしても、現在、これは年間一兆円ないし二兆円程度でしかない。それが今後かなり増えるとしても、上記の悪循環からの脱出がはたされるほどにマクロの総需要が増えるという可能性はむしろ乏しい。株式市場が日本経済の今後について悲観的なのは、むしろ、当然である。
いわゆる「供給サイド」構造改革は誤り
ここで、はっきりと理解しておくべきことは、いわゆる「供給サイド」構造改革をいくらやっても、この悪循環からの脱却には役にたたないということである。実は、近年のわが国では、在庫変動額の対GDP比率は、わずかに0.1〜0.5パーセントでしかない。つまり、需要に対する企業サイドからの諸商品(サービスをも含む)の生産・供給は、きわめて敏速・的確に行われ、諸商品の需給は立派に均衡しているのである。供給面での構造的欠陥といったものはまったく無い。この意味で、いわゆる供給サイド型の「構造改革」なるものを、わざわざ国家政策としてまでやらねばならぬといった理由は皆無である。
ただ、マクロ的に総需要の水準が低く停滞させられてしまっているために、諸商品の需給が立派に均衡しているといっても、その需給均衡点それ自体も低い水準にとどまることを余儀なくされてきた。したがって、生産能力の面では、資本設備についても労働力についても、稼働率の低下や失業がーーすなわちデフレ・ギャップがーー長年にわたって膨大に生じてきている。すなわち、GDP換算で年間300兆円という巨大なデフレ・ギャップが発生し居座っているのが現状である。このデフレ・ギャップは生産能力の余裕であるから、国民経済的に見ればこれこそが活用されるべき「真の財源」にほかならないのであるが、総需要の低迷のゆえにこの「真の財源」が活用されず、デフレ・ギャップの拡大という形で膨大な潜在GDPが実現されえずに空しく失われてきているのである。過去二十数年間に合計四千兆円の潜在実質GDPが実現されえずに失われてしまったが、いまの趨勢では今後の十年間でさらに四千兆円〔1990年価格評価〕が失われるであろう。
諸悪の根源は総需要の低迷という「需要面」にある
要するに、諸悪の根源は総需要の低迷という「需要面」にこそあるのであり、「供給面」には構造的な問題はない。したがって、需要サイドからの「総需要拡大政策」の緊急な必要性を否認し去って、供給サイド型「構造改革」政策をもってそれに替えよと叫んでいる構造改革論者たちは、まさに、犯罪的な誤りをおかしていると言わねばならない。ましてや、「構造改革」と称して「真の財源」である余裕生産能力をつぶしてしまうような政策が強行されてしまえば、そのときには、日本経済再生の希望はまったく絶たれよう。
デフレ・ギャップ計測の詳細は、私の著書『日本経済再興の経済学』
(原書房、平成十一年刊)の第十六章を参照されたい。また、それを
改訂した私の英文論文が米国の学術誌Journal
of Asian Economics,Vo11(Summer2000)に掲載されている(この論文はhttp://www.osaka−gu.ac.jp/php/haruniwa/でも読むことができる)。
「政府紙幣」の発行を行って財源とせよ
私は、早くから上述のごときゆゆしい事態の到来を予見・深憂し、わが国の経済を不況・停滞と財政破綻の悪循環から脱出させ、ふたたび力強く興隆させていくための、有効性・即効性が十分に高い決定打となりうるような経済政策を工夫し、提言し続けてきた。要するに、現在の日本経済には、巨大なデフレ・ギャップという形でマクロ的に膨大な生産能力の余裕という活用すべき「真の財源」があり、したがって、インフレ・ギャップが発生する怖れが皆無であって、しかも、今のわが国では外貨不足で対外支払いに困るといった心配も無用なのであるから、そのような裏づけがある以上は、政府は、現行法でも明記されている「国(政府)の貨幣発行特権」(セイニアーリッジ権限)という「打ち出の小槌」を大規模に発動すればよいのである(「通貨の単位および貨幣の発行等にかんする法律」、昭和六十ー年、法律第42号、第4条参照)。
すなわち、明治維新成功の決め手となった「太政官札」(不換政府紙幣)発行の故知にならっての「平成の太政官札」といった「政府紙幣」の発行、あるいは、その「発行権」一定額ぶんの政府から日銀への売却(この場合に政府がディスカウントをしてやれば日銀もその資産内容を改善しうる)といった手段を駆使すれば、政府にとっても国民にとっても(今後将来とも)まったく負担にならないところの無尽蔵に近い超巨額の財政収入を政府が得ることができる。この「打ち出の小槌」を用いて、ケインズ的総需要拡大政策の大々的実施によるわが国経済の再生・再興と、政府財政の再建とを、一挙かつ同時に達成してしまえばよいのである。
全国民に40万円のボーナスを支給せよ
ただし、各省庁や地力自治体あるいは財界などが、長年の不況・停滞のためにすっかり消極的になってしまっていて、そのような超巨額の内需拡大予算を合理的に消化するような準備ができていないというのであれば、ここ二、三年ぐらいは、老人から乳幼児にまでいたる全国民に、たとえば、一律、年額数十万円ずつ、したがって、合計で年額50兆円程度(対GDP比で約10パーセント相当)の「潜在経済力活用費」といった名称のボーナスを政府が支給する(全国民の預金口座に振り込む)ことにすればよいであろう。これは、対GDP比でわずかに0.14パーセントの給付額でしかなかった過日の地域振興券とは異なって、金額が桁違いに大きく、その財源も税金ではなく、国民の負担にはまったくならずに国民の所得を大きく増やすことになる。
このような施策が景気浮揚と経済成長をもたらす効果は百パーセント決定的・即効的に確実であり、しかも、簡単明瞭かつ公平で、政府機構の肥大化の心配も無く、「消費者主権の原理」を基礎とする市場経済システムに最も適合していて、経済に歪みを残す怖れがまったく無いのであるから、きわめて優れた政策案である。これこそが、私が声を大にして提言し続けてきた「救国の秘策」なのである。誰であろうと、先入主的な偏見を棄てて、虚心坦懐に考えてみさえすれば、この「秘策」こそが、現在のわが国経済の窮境を打開しうる国家政策としては、ほとんど唯一の「決め手」であるということが、わかるはずである。
ところが、いま、わが国では、「・・・・・・政府の財政支出が長年にわたってきわめて膨大に増加させられてきたにもかかわらず、それによる乗数効果が低くなっていて、財政支出による総需要拡大効果は期待しえなくなっている」とする俗説がひろく流布されており、「・・・・・・だから、丹羽提言のようなケインズ主義的政策には効果が無い!」と叫んでいる論者も多い。しかし、実は、これは悪質きわまる思想謀略的な虚言のデマ宣伝である。
わが国の実質GDPは、1970年から90年代末の1998年までに2.5倍に伸びた(年度ベース)のであるが、この同じ期間に「政府支出」(一般政府の公的投資および政府最終消費)の実質額は2.4倍の伸びに留まっている。1980年から98年までの期間では、実質GDPの伸び1.64倍に比べて、政府支出の伸びは1.51倍でしかない(『国民経済計算年報』平成12年版、38〜41頁)。すなわち、実質GDPのうちに占める政府支出額のウエートが特に肥大化してきたといった事実はまったく認められない。上記の俗説は、まったくのウソである。要するに、客観的な統計データは、俗説とはまさに正反対の事実を示しているのであって、私が提言してきた上述のケインズ的「救国の秘策」の有効性に疑念を抱く必要などは、まったく無いのである。
政策提言に耳を貸さず、無為無策を続ける政府と政党
実は、私は、とくにこの二年というものは、同志諸氏とともに「日本経済再生政策提言フォーラム」(会長・宍戸駿太郎氏、理事長・加瀬英明氏)を結成して政策提言活動に力を注いできたのであるが、平成十二年夏の総選挙にさいしても、いちはやくその二カ月も前に各政党へのアッピールを発表し、上述したような正統派的なケインズ主義に基づく効果的かつ決定的・即効的な「救国の経済政策」を具体的に提示して、各党の選挙公約へのその採用を要望したのであった。幾つかの政党に対しては、その首脳者や政策担当者に面談して長時間にわたって説明・説得するといった努力も重ねた。しかし、残念ながら、私自身ならびに同志諸氏によるそのような努力は、徒労に終わった。各党とも、私たちが提言したような「救国の経済政策」を公約するだけの決断がつかず、従来と変わらない無為無策の政策姿勢にとどまってしまったのであった。このことが、わが国民の大多数に深い失望感を与えたことは、言うまでもない。
要するに、現在、わが国の政府も諸政党も、わが国の経済・財政における事態の深刻さを認識せず、私たちが提言してきたこのほとんど唯一とも思われる打開策をまじめに取り上げて採用・実行しようとは、まったくしていないのである。経団連をはじめとする財界や大新聞などのマスコミも同様である。かくて、在来の思い切りの悪い財政政策がますます姑息な形でずるずると続けられるのみといった状況となっており、わが国の経済は、刻々と、底無しの破局へと引き込まれつつある。
脱却するべき「地域通貨」運動の自縄自縛的タブー
このように、政府や国政にたずさわる政治家たちが頼みにならない現状において、では、われわれ国民は、どうすればよいのか?多分、すでに多くの人たちが思いついていることであろうが、現在わが国でもかなり数多く試みられはじめている「地域通貨」運動には、上述のごときわが国経済の窮境を打開するための、民間で実行しうるような一つの有効な手段となりうる可能性の萌芽が、宿されているように思われるのである。「地域通貨」はLETS(Local Exchange Trading System)とも呼ばれ、また、「エコマネー」(加藤敏春氏の造語)と俗称されることも多い。戦前の経済思想家シルビオ・ゲゼルの着想からはじまり、戦後は、ドイツの大作家ミヒャユル・エンデがこの「地域通貨」運動を全世界的に推進しようと努力したことで、一般にもかなりよく知られるようになってきている(河邑厚徳・グループ現代『エンデの遺言』NHK出版刊参照)。
欧米では戦前から今日までずいぶん数多くのそのような試みがなされてきており、わが国でも、現在すでに三十以上の組織が「地域通貨」の発行をはじめている。しかしながら、これまでは、種々様々な先入主的な思い込みやタブー概念(その多くは、ゲゼルやエンデの考え方それ自体からも発している)に縛られ、きわめて矮小化された活動にとどまってきた。たとえば、つつましく余生を送っている老人たちが公園の清掃奉仕をしてくれたようなときに、ささやかな「商品券」ないし「金券」といった性格の「地域貨幣(通貨)」をほんの少し渡すといった程度のことに限定されてきたのが通例である。そのような「地域貨幣(通貨)」にわざわざ通用期限を付している場合も多く、また、そのほとんど全部が、「地域貨幣(通貨)」で利息を稼ぐことをしてはならないとしている。円やドルといった法定通貨と「地域通貨」との交換ということに関しても、それを「してはならない」と定めている場合が多い。こういった自縄自縛の矮小化された活動にとどまっているかぎりでは、せっかくの「地域通貨」発行運動も、あまり意味がないと言うべきであろう。
ゲゼルを称賛したケインズ
しかし、あのケインズが、かれの主著『雇用、利子、貨幣の一般理論』(通称『一般理論』)の結論的な部分とも言うべき第二十三章で、異例なほど多くのページを費やしてゲゼルを称賛してやまず、ゲゼルの経済政策思想へのケインズ自身の傾倒の念を吐露したことは、よく知られている。このことを想起すれば、要するに「ゲゼル+エンデ+ケインズ」といった政策体系に則って、従来のような矮小なやり方ではないところの「地域通貨」発行とその活用を、有志の商店・企業・市民グループによって行い、幾つかの相当に広い地域の経済を、ひいては日本全体の経済を、様変わりに上向かせることができるはずだという積極的な考え方が浮かび上がってくるのは、むしろ、当然であろう。
実は、平成十二年六月初旬のことであったが、神戸で、基本的にはこのような積極的なビジョンを持っている市民活動家たちが集まって、「神戸〈地域通貨〉発足準備会」という懇談会が開かれ、私もそこに招かれて意見を求められた。その席上、私は、そのような積極的なビジョンに、賛意を表したようなしだいである。
なお、神戸では、すでに長田区の商店街の一部など、一、二カ所で、地域通貨発行の小規模な実験がはじまっているが、私を上記の懇談会に招いてくれたグループは、それらのグループとは別であった。また、市民活動家たちといっても、かれらの政治的立場はけっして左翼ではなく、どちらかと言えば、むしろ、右派に属する人たちのように見受けられた。
貨幣は「有効需要支出」として使うべきである
ケインズとゲゼルとでは、貨幣政策ないし金融政策についての両者の考え方は、相互にきわめて異質的であるように見える。にもかかわらず、なぜケインズが、あの『一般理論』の終わりに近い結論的な章で、ゲゼルの経済政策思想に対する傾倒の念を、あれほどにも熱っぽく延々と書き綴ったのであろうか。
ゲゼルもケインズも、貯金された貨幣のある部分が退蔵されたり不毛な賭博的マネー・ゲームに使われるだけになってしまって、「有効需要支出」(生産されるモノやサービスを買うための支出)として用いられなくなった場合には、そのような貯金部分はマクロ的に見れば空しく失われてしまったことになり、経済の成長・発展には役立たなくなるということを、はっきりと知っていた。確かに、ゲゼルとケインズは、通底しあっていたのである。
ゲゼルの貨幣を「有効需要支出」として支出させるための工夫
ゲゼルは、そのようなことになるのを防ぐために、貨幣に、毎月、一定額の切手(スタンプ)を貼らせることにし、さらに、所定枚数の切手を貼り終えてしまった貨幣は、通用期限が終わったものとして、それを無価値にしてしまうといったことを考案した。このようにして「人々が、貨幣を手にしたときには、それを大急ぎでモノやサービスの購入という「有効需要支出」として支出せざるをえないように仕向けるという工夫をしたのである。こうしておけば、貨幣は、否応無しに、経済の成長・発展に役立つように使われるだろうというわけである。確かに、このゲゼルの考案は、一応は筋が通っているが、毎月、切手を貼らねばならなかったり、通用期限が定められていたりして、実際にはかなり煩雑で手間がかかり、非現実的な面があることは否めない。
ケインズは、政府の財政政策や中央銀行の金融政策で、貨幣を「有効需要支出」として用いることを工夫
他方、ケインズは、貯蓄された貨幣のなんらかの部分が退蔵されるなどして有効需要支出としては用いられない状況が起これば不況が発生するが、その有効需要支出の低迷による経済の不況・停滞を是正・克服するためには、政府の財政政策や中央銀行の金融政策で、有効需要支出を増やすような形で貨幣を経済に注入すればよいと考えた。もちろん、このケインズの考え方も、立派に筋が通っている。しかし、政府や中央銀行が、ケインズの理論にしたがって財政・金融政策を合理的に運営するということを、やってくれないとすれば、どうしようもない。現在の日本の、どうしようもない状況がまさにそれである。
『一般理論』が公刊されてからしばらく経つと、ケインズの考え方の正しさが全世界的に認められるようになり、そのようなケインズ主義を肯定・是認するグローバルな思想界の状況が、ケインズの死後も1960年代までは続いた。しかし、ケインズが『一般理論』の執筆を行っていた1930年代前半の時期では、おりからの「世界大不況」で人々が塗炭の苦しみを嘗めていたにもかかわらず、かれがどんなに懸命に政策提言を行っても、政策担当者たちが、それを、いっこうに受け人れようとはしてくれないという苦汁を、かれは嘗め続けていたはずである。だからこそ、ケインズは、『一般理論』全巻の最末尾のしめくくりとして、あの、あまりにも有名な下記の言葉を書き遺すにいたったのであろう。
「・・・どのような知的影響とも無緑であると自ら信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴 隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者 から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである」(塩野谷裕一訳ケインズ『一般理論』東洋 経済新報社刊より引用)
このケインズが書き遺した言葉から、われわれは、ちょうどいまわれわれが日本で感じつつあるのと同様な、当時のケインズの腹立ちに満ちた焦燥感や失望感を、痛いほどに感じ取らざるをえない。そして、同書のこの箇所のまさにすぐ前と言ってもよいような至近の箇所で、ケインズは、ゲゼルへの傾倒の念を熱っぽく語っているのである。このように読み解いていくと、私には、当時のケインズの、本当の考えがわかるような気がする。つまり、財政政策や金融政策に関するケインズ自身による政策提言が時の政策担当者たちの容れるところとならなかったような場合には、それに代わる選択肢として、ケインズは、ゲゼル流の「地域通貨」発行運動を念頭に置いていたのではないだろうかということである。
「ゲゼル+エンデ+ケインズ」型の「地域通貨」発行運動
とは言え、上記でもふれたように、ゲゼルのオリジナルの案は、いかにも煩雑で手間がかかる。戦前の欧米では、このゲゼル方式をそのまま実行しようとする「地域通貨」発行運動が幾つか試みられたのであったが、結局、みな長続きしなかった。しかも、現在では、どの街にも「金券ショップ」があり、それが「地域通貨」の流通に大きな役割をはたすことになるはずである。しかし、ゲゼル方式の切手が貼られねばならず、通用期限も短く限定されているような「地域通貨」では、それを「金券ショップ」がとり扱うことは、とうてい無理であろう。つまり、今日においては、「地域通貨」発行運動は、必ずしもゲゼルの原案に固執せずに、もっと柔軟かつダイナミックに構想を広げ、また、ケインズ的な有効需要政策の考え方も、十分に盛り込んでいくべきであろう。以下に私が素描する「地域通貨機構」のシステム・デザインは、まさに、そのような考え力に立脚している。
積極的「地域通貨」機構のシステム・デザイン
北海道の栗本町では、すでに「クリン」という名の地域通貨を発行しているが、その発足にさいして、その流通を促進するために、まず、全町民に二万クリンずつを配布した。この栗本町の試みは、その規模が小さいとはいえ、私が、叫び続けてきた上述の「国(政府)が全国民に、一律、数十万円のへ潜在経済力活用費〉(ボーナス)を支給して、わが国の経済を不況・停滞から一挙に脱出させるべきだ!」という提言と、かなり類似している。このような「丹羽提言」の考え方に範をとり、従来の「地域通貨」運動を矮小化させてきた諸種の先入主的な思いこみやタブー観念などを思い切って振り捨て、たとえば京浜地区や阪神間の全域といった相当に広い地域の多数の住民や企業に、それぞれ、かなりの金額に相当する「地域通貨」を事実上は無償に近い形で配布するといったケインズ主義的なやり方で大きな追加購買力を注入すれば、その地域全体の経済の景気を良くして経済成長率を高め、人々の生活水準を大幅に引き上げることが可能なはずである。
上述のごとく、ケインズ的政策の有効性には疑う余地がないのだから・・・。当然、そうなれば、日本経済全体の景況も良くなる。とは言っても、一足飛びにそれがすぐに実現されうるわけではなく、当初はごく小規模な試行段階から着手していくべきであることは言うまでもない。
「丹羽提言」方式の「神戸地域通貨機構」(仮称)
以下、もうすこし具体的に、そのような「地域通貨」システムのイメージを描いてみよう。いま、かりに、上記の「神戸〈地域通貨〉発足準備会」という懇談会を開いたグループが、かなり数多くの商店や企業・事業所などの賛同を得て「神戸地域通貨機構」(仮称)といった組織体を結成し、たとえば「神戸LETS」(仮称)といった名称の「地域通貨」−−実質的には「金券」ないし「商品券」−−を発行したとする。発行された時点では、そのために必要であった経費は、紙代と印刷代だけである(発行のための担保の問題などについては後述する)。
次に、この「地域通貨」発行運動に賛同・協力する意向を待った各商店・企業(神戸・阪神間以外に立地していてもかまわない)などは、たとえば人件費や商品仕入れ代金のうちの一部分をこの「神戸LETS」で支払うことにして、それぞれ、どれだけの金額相当ぶんの「神戸LETS」の配分を受けたいと希望するかを、発行元の「神戸地域通貨機構」に申し出ることになる。その申し出に応じて、「神戸地域通貨機構」では、それぞれの希望額ぶんの「神戸LETS」を、それらの商店・企業などに、ごく僅かの入会金・会費(および保険料)などを納めてもらうだけで、事実上は無償に近い形で配布するわけである。商店やその他の企業・事業所にしてみれば、たとえば人件費は、いずれにしろ支払わねばならないものである。そのかなりの部分を事実上は無償に近い形で配布された「神戸LETS」で支払うことができるということになると、経営がずいぶん楽になり、助かるはずである。それを受け取った従業員にしてみても、「商品券」(ないし「金券」)であるところの「神戸LETS」で諸種の商品の買いものができるのであるから、給料や賞与の一部を「神戸LETS」で受け取っても損にはならない。たとえば、まず、このようなやり力で「神戸LETS」の配布・流通を始めればよいわけである。
もちろん、一般消費者にも「神戸LETS」を配布することになる。この場合も、「神戸LETS」による経済興隆という趣旨に消費者の立場から賛同・協力する意向を表明した人たちに、居住地域の限定など無しに、適当に(一口以上、何口でも)入会してもらい、同じくごく僅かの人会金・会費・保険料など以外には事実上無償で、それらの消費者たちに一定額ぶん−−たとえば、円に換算して一口十万円程度ぶん−−ずつの「神戸LETS」を配布して、それによって諸種の商品の購入をしてもらうようにすればよいのである。
この機構の会員である商店・企業が商品を販売するにつれて、その手元には、この「神戸LETS」の券が還流してくる。それらの商店・企業は、この券を使って仕入れ代金や人件費を支払えばよいわけである。あるいは、それを「金券ショップ」に持ち込んで、ある程度割り引かれはするであろうが、それらを法定通貨の円に換えることもできる。これらの会員企業にとっては、もともとは、事実上無償に近い形で配布された「神戸LETS」が相当に大きな額であったのであるから、「金券ショップ」で割り引かれたからといっても、正味の差し引き勘定で言えば、やはり、なお、利益のほうが大きい場合が多いはずである。そのうえ、「神戸LETS」による売上額の大きい商店や企業に対しては、なんらかの褒賞措置(たとえば、売り上げ点数制による券の無償交付割り増し)を講じておけば、なおさら、このことは問題にならなくなるであろう。「金券ショップ」を利用しうるのは、消費者会具の場合も同様である。
そこで「神戸LETS」を売る個人や企業があるとともに、それを格安に購入・入手しようとする個人や企業も多いであろう。「金券ショップ」で「神戸LETS」が法定通貨の円に換えられれば、その「お金」を投資信託などの金融資産で運用しようとする人も出てくるにちがいない。それはそれで、よいのである。
このようにして、「神戸LETS」は流通しはじめるようになり、この機構への入会を希望する個人や商店・企業もどんどん増えていくはずである。なにしろ、わずかな入会金・会費・保険料などを別にすれば、事実上は無償に近い形で、相当に大きな額(購買力)の「神戸LETS」を給付されるのだから・・・。こうなってくれば、たとえ当初はごく小さな流通規模から出発するものであるとしても、比較的短期間のうちに、たとえば神戸・阪神間地域の経済活性化に顕著な貢献をなしうるようになると期待しえよう。そして、そのような経済活性化のプロセスは他地域にも波及していくであろう。もちろん、このような地域通貨システムは、そのかなりの部分を電子マネー化することも可能であろう。
三つの重要な点
ここで、非常に重要なことを3点、吟味しておく。第一は税金の問題、第2は万一の事態にさいしての保証の問題、そして、第3は「地域通貨」発行のための担保の問題である。
第一点は、税金ならびに節税の問題
第一点は、税金ならびに節税の問題である。すなわち、会員にはまったくの無償で相当な額の「神戸LETS」が与えられるとなると、それには贈与税がかかってくる。企業の場合、まだ利潤がそんなに得られていないのにこの贈与税が高率にかかってくると、苦しいことになる。それを避けるために、商店や企業の場合も個人の場合も、「神戸地域通貨機構」から給付された「神戸LETS」は、すべて借入金という形にしておく必要がある(これは脱税ではなく正当な節税である)。ただし、「神戸LETS」が流通しはじめ、神戸・阪神間地域の景況が好転したおかげで所得が増えることになった企業や個人が、それに応じた額の法人税や所得税を納めることになるのは、これは当然のことであろう。
第二点は、万一の事態にさいしての保証の問題
第二点は、不測の事態によって「神戸LETS」の流通が打ち切られねばならなくなったときの問題である。「不測の事態」と言ったが、戦前のドイツやオーストリアでは「せっかくうまく流通していてその地域の経済活性化に多大の貢献をしていたにもかかわらず政府の命令で発行・流通の打ち切りのやむなきにいたった「地域通貨」の例が幾つかあった(ただし、現在のところ、欧米でも日本でも、政府や地方自治体は、むしろ、「地域通貨」の発行を奨励・助長する姿勢でいる)。
いずれにせよ、万一、流通が打ち切られねばならなくなったときには、その時点で「神戸LETS」を持っていた人たちや企業に、保証をしなければならない。そのためには、上述のごとく、事実上無償に近い形で「神戸LETS」の給付を受けた−−上記にの税務対策上の顧慮もあって貸し付けを受けたという形式となっている−−個人会員や企業会員が、そういった万一の場合には、それぞれ、その無償に近い給付を受けたぶんに相当する額を「返済」する義務を負っているという形で、この保証を可能にするものと決めておけばよいであろう。なお、原則として、流通過程で存在することになる「神戸LETS」の総量は、企業会員や個人会員に事実上無償で給付された量と等しいわけであるから、このように決めておきさえすれば、万一の場合の保証が、すべてできるはずだということになる。
とは言っても、そんな万一の事態が生じたときの保証の問題をいつも心配していたのでは、この地域通貨機構の会員たちは、みな、夜もおちおち眼れず、「神戸LETS」の流通もうまくいかなくなる恐れが生じてしまう。したがって、保険会社とタイアップして、会員たち(個人会員も企業会員も)のために、その入会時に、万一のさいにおける会員それぞれの保証義務に相当する額だけの保険(損害保険)もかけておくということが必要であろう。はじめの2年間ぶんぐらいの保険料は、その会員の入会時に入会金とともに納めてもらい、それ以降は、むしろ、「神戸LETS」で諸種の商品を売ることのできた商店・企業などが、その販売額のたとえば0.5パーセント程度をこの保険料(および、この地域通貨機構の運営費)として拠出することにしておけばよいであろう。当然、「神戸LETS」の流通速度が速くなればなるほど、つまり、毎年におけるその回転の回数が多くなればなるほど、この保険料は、諸商品の売上額との対比で言えば、相対的に安くすむようになる。いずれにせよ、上記でも触れたように、「神戸LETS」による商品販売額を多くすることのできた商店・企業などには、点数制のような仕方でなんらかの褒賞を与えるシステムを工夫するべきであろうが、それはまた、この地域通貨の流通状況や保険料などの拠出状況をモニターするのにも役立つはずである。
第三の点は、「地域通貨」発行のための担保の問題
ここまで考察してくれば、きわめて重要な第三の点、すなわち、何が「神戸LETS」発行の「担保」となるのかという問題に解答を与えうるようになる。つまり、上述のように、この「神戸地域通貨機構」の会員は、個人会員も企業会員も、事実上無償に近い形で供与を受けた「神戸LETS」を、貸し付けを受けたものとしてそれをとり扱い、万一、流通打ち切りといった事態になったようなときには、その受けた供与に相当する額を「返済」する形で保証義務に応じることを約束することになるわけである。当然、そのことを記した文書も作成されるにちがいない。また、そのことを確実に裏付けるために、保険にも入る。つまり、会員の返済・保証義務を記した文書と、それを裏付ける保険証書とが、「神戸LETS」発行のさいの主たる担保となるのだと、考えればよいわけである(もちろん、このような民間発行の「地域通貨」とは違って、政府が「国の貨幣発行特権」を発動する場合には、担保などは要らない)。
「国民経済予算」のシステム実現
以上のような「矮小化されていない形」での「地域通貨」発行運動が、全国各地で行われはじめたとするならば、わが国経済はマクロ的にも高度成長の軌道に乗りうることになろう。しかし、その反面で、わが国が一種の貨幣的無政府状態に陥る危険も生じてくる。したがって、ある段階で、たとえば「神戸地域通貨機構」が呼びかけて、各地の「地域通貨」発行機関の全国合議体のような組織体を結成し、マクロ的なデフレ・ギャップ(あるいはインフレ・ギャップ)の発生状況をモニターしながら、この合議体から全国の諸機関に対して、「地域通貨」の発行・配布をどの程度に行うべきか、または、どの程度に制限するべきかといった指示を、適切に与えるようにしたらよいであろう。
このように、デフレ・ギャップ、インフレ・ギャップの発生状況をモニターしながら、総需要政策を適切に見積もりつつ実施していこうというやり方を、「国民経済予算」のシステムと呼ぶわけで、市場経済にこのシステムを結び付けたものこそ、人知のおよぶかぎりでの「最善の経済体制」なのである。従来はこのような「最善の経済体制」の実現ということは、官僚組織からの根強い反対・妨害で阻止されてきた。デフレ・ギャップの発生状況でさえ、国民や政治家の目から秘匿されてきたし、いまも秘匿されている。
しかし、上述のごとく、一種の市民社会的共同体原理で「地域通貨」発行運動を協調させれば、この「国民経済予算」システムを、事実上、実現しうる可能性も拓かれうるであろう。
民間草莽の士によってすぐに始めることができる!
本稿の前半で述べたように、現在のわが国では、たとえば政府の財政政策のあり方を画期的に変革させて「救国の秘策」を実施させようとしても、そのためには、官僚機構のものすごい抵抗と、政治家たちの因習的かつ先入主的な誤った思い込みとに、打ち克たねばならない。それは、ほとんど絶望的なほどに困難なことである。もとより、われわれが、それにくじけることなく、考えうるかぎり唯一の有効な国家政策であると思われる「国の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」を財源手段とする「救国の秘策」の実行を、政府や官界・政界に対して今後も要求し続けるべきであることは、当然のことである。それは当然であるとしても、しかし、政治家や官僚など政策担当者たちが頑なに「救国の秘策」の実行を拒み続けている以上は、われわれ国民にとって残された選択肢は、本稿で詳論した「ゲゼル+エンデ+ケインズ」型の「地域通貨」発行運動があるのみであろう。
「地域通貨」発行運動の最大の長所は、国家政策を動かそうとする場合とは違って、いわば民間草莽の人士ともいうべき意見の一致したごく僅かの商店主、企業主、一般市民たちが協力しあうだけで、小規模ではあっても、「地域通貨」の発行・流通を、すぐに始めることができるという点である。そして、成績がよければ、どんどん、その「地域通貨」の発行・流通量を増大させていくことができ、そして、そのことは、とりもなおさず、巨大なデフレ・ギャップという形で現在のわが国の経済に潜在している超膨大な余裕生産能力すなわち「真の財源」を活用しうるようになるということであるから、当該地城の、そして、ひいては日本全体の、全般的な経済活動を再生・興隆させ、国民の生活水準も何上させていくことができるようになるわけである。もちろん、そうなりさえすれば、政府財政の再建も、容易に達成されうろことになろう。
道は細くとも、救国へと通じているのだ