小泉経済政策は犯罪的な誤りだ!丹羽春喜

ジャパンポスト平成13年6月1日掲載論文


構造改革では需要の回復なし

小泉内閣の登場とともに、いまや、わが国のマスコミは、構造改革フィーバーの様相を呈している。それを幾分かは好感しているのか、このところ、株価もやや回復傾向を示しているただし、これは、構造改革が買われているというよりは、むしろ、本年二月、三月の大幅下げにともなう単純な自律反発(とくに外人の買い)といった面が強いと見るべきであるかもしれない。

 株式相場は生き物であるから、半年や一年は実体経済の動向とはかけ離れて株価が動くといったことが、しばしぱある。しかし、そうした株価の回復傾向が当面は糠くかもしれないとしても、それとは別に、実体経済に関する限りでは、小泉内閣の構造改革政策でわが国の経済が成長を再開し、景気が良くなるようなことは、まず、ありえないと考えねばならない。なぜならば、誰でもがすぐにわかるはずのことであるが、構造改革政策なるものをいくらやってみたところで、総需要は増えないからである。総需要が増えないかぎり、経済は成長しえず、景気が回復することもありえない。

 実は、はなはだ奇妙なことであるが、「構造改革なくして日本の再生と発展はない!」と大見栄をきっているにしては、五月七日の衆院本会議における小泉首相の所信表明演説では、経済・財政についての構造改革政策として述べられたことは、むしろ、内容の乏しいものでしかなかった。

 あの四月六日に政府・与党が公表した迫力に欠けることはなはだしい「緊急経済対策」の実行をあらためてうたい、それと内容的に重複する不良債権の処理や銀行の株式保有制限(しかし、株買い取り機構の設立は延期となってしまった)などが述べられているにすぎない。

 端的に言って、このような諸施策は、「構造改革」といっても、根本的なものというよりは、どちらかと言えば、小手先の彌縫策的な対症療法である。もちろん、これらの諸施策は、景気回復にはほとんど役に立たず、われわれ国民としては全く希望が持てない。それらは、むしろ、わが国の経済の不況をいっそう激化させる危険性が濃いのである。「規制改革」(これは聞きなれない言葉だ)による競争促進ということも述べられているが、これまた小手先的な「制度いじり」にすぎない。それによってわが国の経済の構造改革が、大幅に進められるなどとは思われない。もとより、それによって景気がよくなるなどということは、ほとんどありえないほどに不確実なことでしかない。わが国経済の真に緊迫した危機的現状を想えば、今は、そのような不確実きわまる効果しか期待できないような施策に賭けてよいような時ではないはずである。

 政府財政については、来年度の国債発行額を三〇兆円以内に抑えると述べられたが、これによって財政再建が達成されうるというわけのものでは全くない。しかも、国債発行がこのように多少ともあれ抑制されるということは、とりもなおさず、国債を財源としてなされる景気テコ入れのための財政出動もまた、不可能になるということをも意味している。要するに、「虻蜂とらず」という結果になるわけであって、現在すでにきわめて破局的な状況に陥ち込んでしまっている政府の「財政構造」は、さらに、いっそう悪化することになるわけである。


「不良債権」の処理強行は危険

このように、小泉首相の今回の所信表明演説の内容には空虚さが目につく。とはいえ、その「構造改革政策」の中心が「不良債権の処理」を急がせるということにあることは、明らかである。これは、「儲かっていない企業は、どんどんつぶせ!」ということにほかならないわけであるから、不況を激化させる要因である。

 しかも、他方では、上述のごとく、景気テコ入れのためのケインズ的財政政策がほとんど実施されないことになるのであるから、今後、わが国経済の不況・停滞は、いっそうはなはだしいものとなるにちがいない。

 当然、そのことは、ますます税収の低下をもたらすから、政府財政の破綻も、いっそう深刻化せざるをえないであろう。にもかかわらず、小泉内閣は、「構造改革なくして景気回復なし」という政策姿勢に立脚して、このような政策を「痛みをおそれず」強行しようとしているわけである。

 なぜなのか?それは、小泉首相や経済財政担当相の竹中平蔵氏が「こ!!不良債権を抱えたままでは景気回復が不可能だ!」としているからである。

 これは、小劉内閣当時の経済戦略会議が「言二企業が遊休生産キャパシティーを抱えたままでは景気回復はできない!」として、「遊休生産能力をつぶしてしまえ!」という政策を打ち出したことと、軌を一にしている(竹中平蔵氏は当時の経済戦略会議の指導的メンバーであった)。
 しかし、そのような理由づけはきわめて奇矯であり、まったく誤っている。なぜならば、現在のわが国のように、巨大なデフレ・ギャップという形でマクロ的に生産能力の余裕が大きく存在しているような場合には、不良債権があろうと、生産設備の遊休が生じていようと、総需要さえ十分に増やされれば景気はたちどころに回復し、経済は力強く成長を始めることができるからである。そして、不良資産、不良債権は、たちまち優良資産、優良債権に一変してしまうはずである。

 要するに、今は、なによりも大々的な総需要拡大による景気回復政策の断行(それも国債発行を財源とするのではなく、私が本誌5月1日号で提言したような「国の貨幣発行特権」の発動を財源とするものであるべきだ)が最優先であるべきであり、また、それが最も容易に成果をあげうるのであって、構造改革などということは、後回しでよいのである。


構造改革政策など要らない!

そもそも、本来的に言えば、構造改革政策なるものは、需要に対して企業サイドからの諸商品の生産・供給がうまくいかないような状況がある場合に、それを是正・改善するためになされるものである。

 しかし、わが国の場合、需要に対して諸商品の生産・供給が追いつかないといったことは、まったくなかったし(戦時中は例外)、今もそういった事 力についても、稼働率の低下や失業が態は生じてはいない。

 現在、わが国の経済において、在庫変動額の対GDP比率が、わずかに〇・一ミ〇・五%にすぎないということは、諸商品の需給のミス・マッチといったことがほとんど生じていないということを物語っている。

 つまり、需要に対する企業サイドからの諸商品の生産・供給は、きわめて敏速・的確に行われており、諸商品の需給は見事に均衡しているのである。この意味で、わが国経済における市場メカニズムは、現在も立派に機能しているのである。

 この点を見れば、わざわざ国家政策としてまで構造改革を促進しなければならぬといった理由は皆無だということが、わかるはずである。

 ただし、総需要水準が低く停滞させられてしまっているために、諸商品の需給が見事に均衡しているといっても、そのマクロ的需給均衡点ーーいわゆるケインジアン・クロス点ーーそれ自体も低い水準にとどまることを余儀なくされてきた。

 したがって、私が本誌においても本年5月1日号で計測結果を示して強調したように、わが国の経済では、生産能力の面で、資本設備についても労働力についても、稼働率の低下や失業がーーすなわちデフレ・ギャップがーー長年にわたって膨大に生じてきているのである。

 完全雇用・完全操業状態で達成可能なはずの「天井」とでも呼ぶべき潜在実質GDPの可能上限水準は、年率ハ百数十兆円にも達しており、しかも、この「天井」が今でも若干は上向きで上昇傾向を保っていると算定しうるのであるが、総需要の不足・低迷のゆえに、実際の実質GDPの水準は、この「天井」よりも四割以上も低い年率四八〇〜四九〇兆円程度(九〇年価格評価の実質値)にとどまっている。これがわが国経済の現状である。つまり、デフレ・ギャップが四〇%以上にも達しているのである。

 しかし、この巨大なデフレ・ギャップは「生産能力の余裕」にほかならないのであるから、これこそがわが国の社会が持っている「真の財源」であると言ってよい。これがあるかぎり、総需要が十分に増やされさえすれば、たちどころに、わが国は「右肩上がり」の高度成長経済を再現しうるのである。ところが、近年、竹中平蔵氏をはじめわが政府の政策ブレ丁ンたちは、「潜在成長率」が低下してきたことが日本経済の成長を制約して不況・停滞をまねいているのだと言い続け、それを構造改革政策の必要性への理由づけの一つとしてきた。

 しかし、そのような理由づけは、まったくの誤りである。なぜならば、そもそも「潜在成長率」とは、上記の完全雇用・完全操業での潜在実質GDPの可能上限という「天井」の勾配のことだからである。現在、わが国経済においては、この「天井」は、実質GDpの実際値の水準よりもはるかに上方に離れて高いところにある。しかも、この「天井」自体が今でも若干の上向き勾配ーーつまり「潜在成長率」ーーを保っている。したがって、「潜在成長率」(「天井」の勾配)の高低といったことは、現実の日本経済の回復・成長への制約などには、全くならないのである。

 要するに、現在のわが国経済では、諸悪の根源は、総需要の低迷という「需要面」の欠陥にあるのである。「供給面」には構造的な問題はない。したがって、需要サイドからの「総需要拡大政策」の緊急な必要性を否認し去って、「構造改革」政策をもってそれに代えよと叫んでいる小泉内閣の、徹底して構造改革主義に偏った政策スタンスは、まさに、犯罪的な誤りに立脚しているものにほかならないのである。