「ジャパンポスト」平成14年4月1日号掲載
日本経済再生政策提言フォーラム会長
大阪学院大学教授 丹羽 春喜
政府は無意味な糊塗策の自己欺瞞から脱却せよ
−−市場は、実体経済の悪化をまだ織り込んでいない−−
きわめて重要なマイナス要因を見逃すな!
空売り制限の強化措置が発動されたことを契機として、また、米国経済の景気動向についても「すでに底入れした」とするような楽観的な観測がマスコミでしきりに流されるようになったこともあって、二月末より本稿執筆時点の三月初旬にかけて、わが国の株価は意想外の大幅上昇となった。ニ月中旬までの弱気一色が、一転して、総強気に変わってしまったかのごとくである。 しかしながら、三月前半のそのような強気ムードの支配という状況下では、実は、きわめて重要なマイナス要因が見逃されてしまっているということが指摘されねばなるまい。
なぜならば、本年度(平成一四年度)の政府ならびに地方自治体の財政支出の削減が大幅であり、さらに、民間投資の冷え込みがきわめて甚だしいことを考えただけでも、その直接・間接の波及効果による実体経済の面での落ち込みが、本年の夏以降、わが国においてはきわめて厳しいものとなることが必至であると予測されねばならないからである。
にもかかわらず、この重大な要因が、いま、わが国のマスコミにおいてはほとんど無視されており、そして、株式市場もまた、そのことを織り込むことを忘れているようである。
ちょうど、本誌本号が書店に出るころには国会を通過するはずの平成一四年度の政府予算案では、中央政府の一般歳出(国債等への利子支払い額や償還額を除く)が、公共事業費の一割削減をも含めて、対前年度比で2.3%減、地方自治体の歳出も対前年度比1.9%減、そして、「財投」(財政投融資計画)も対前年度比で17.7%の大幅減額とすることが予定されている。これら三項目の削減額は合計で9兆円近くにも達する。
正味の財政支出(中央および地方)の減少額は6.5兆円、マイナス方向の乗数効果13兆円ないし16六兆円
ただし、中央と地方との重複部分があるので、正味の財政支出(中央および地方)の減少額は6.5兆円程度であると考えられるが、いずれにせよ、この財政支出削減額は、民間経済にはまったく還元されないのである。この6.5兆円の財政需要削減からの波及効果−−すなわちマイナス方向の「乗数効果」−−によるGDPの低下額は13兆円ないし16六兆円に達すると見積もらねばならない。これだけでも、GDPは3%前後のマイナス成長になってしまう。激しい不況期のいま、それに追い討ちをかけるかのごとく、このように景気冷却的な緊縮財政をあえて強行しようとする小泉政権の姿勢は、まさに正気のさたではない。
波及効果(すなわち「乗数効果」)は常に大きく働いている
わが国の経済評論家の多くは、この波及効果(すなわち「乗数効果」)が今ではほとんど作用しなくなってしまっているかのごとく言い立てているのであるが、それは、とんでもない間違いである。現在のわが国の経済においては、プラス方向にせよマイナス方向にせよ、「乗数効果」は常にけっこう大きく働いているのであるから、本年から来年にかけて、財政支出の削減による波及効果だけでも、上記のごときマイナス成長がもたらされることは、不可避なのである(わが国経済の「乗数効果」について関心をお持ちのエコノミスト諸氏は、『大阪学院大学経済論集』第14巻、1・2・3号合併号、2001年3月刊所収の丹羽論文を、ぜひ、読んでいただきたい)。
平成14年度は6.6%ないし8.2%のマイナス成長=GDPが33兆円ないし41兆円の低下!
また、周知のごとく、現在、民間企業の設備投資額は対前年同期比で十数%もの大幅減少となっている。住宅投資も、かなりの落ち込みである。このように冷え込みが甚だしい民間投資が急速に回復するといった可能性は、当面、ほとんど無い。したがって、平成一四年度を通じて、民間投資額が対前年度比で少なくとも一割は低い水準で推移するものと見積もらねばなるまい。
すなわち、民間投資支出による最終需要が約10兆円も減少するわけであり、そのことからの直接・間接の波及効果で、GDPは20兆円ないし25兆円の低下とならざるをえない。要するに、このような民間投資の落ち込みと上記の政府財政支出(中央および地方)が削減されることの影響だけを見積もってみただけでも、その両方の合計で、今年から来年にかけてGDPが33兆円ないし41兆円も低下するという計算になる。6.6%ないし8.2%もの大幅なマイナス成長になってしまうわけである。しかも、すでに平成一三年度中に大規模かつ急激に行われてきたりストラや倒産の多発に起因する失業の増大ということも、その後遺症として、本年における消費支出を低迷させ、いやがうえにも景況を悪化させる要因となるであろう。
また、昨年から本年の二月ごろまでは、円安による輸出促進効果が、不況の激しさをわずかながらも緩和してきたのであるが、内需不足による輸入の低迷でわが国の貿易黒字がまたもや拡大しはじめたことを反映して、最近では、為替レートが円高へ向けて反転しはじめている。したがって、今後、わが産業は輸出面でもますます苦戦せざるをえなくなり、産業空洞化がさらに深刻化してこよう。
物価低下が止まったとしても、「デフレ不況」が克服されることはない
このような重要な諸要因が見落されているという奇妙な状況は、現在の政策問題のホットな焦点となっている「デフレ・スパイラル」についての論議における下記の二つの盲点と密接に結びついているようである。
第一に、いま、マスコミや政界では「デフレ」というコンセプトを物価下落のことだと把えて、それさえ食い止めることができれば、金融恐慌の発生も回避しえて景気は自ずと回復しうると見ているかのごとくであり、いま、「デフレ克服!」と叫ばれているのは、このような意味でしかない場合が多いが、しかし、これは、いかにも短絡的で真相を見逃している。1990年からの物価の動きを見てみると、消費者物価の場合には、ゆるやかな上昇傾向をたどって98年には90年当時に比べて9%強ほど高い物価水準にまで達した。それ以降はほぼ横ばい、ないし、ごくわずかな下降となり、昨年の2001年の消費者物価は90年のそれに比べて8%高の水準となっている(総務省統計局のホーム・ページによった)。GDPデフレーター(すなわち、名目GDPを実質GDPに換算するために用いる総合物価指数)の場合も、じり高の傾向が90年代の前半には続いて95年まででほぼ5%高になり、その水準が98年まで保たれていたが99年以降はじり安となり、2001年のGDPデフレーターの水準は90年のそれとほぼ同じとなった(内閣府経済社会総研の年報およびホーム・ページによる)。つまり、90年代から今日まで、わが国の物価はきわめて安定しているのであるが、そのなかで、強いて言えば98年ごろまでは、物価は幾分か上昇傾向にあったのである。だからといって、その98年ごろまでの90年代においては「平成不況」は発生していなかったなどと言うことは、できないであろう。
つまり、たとえ、いま生じているような些細な物価低下が止まったとしても、「デフレ不況」がそれによって克服されるといったことには、けっしてなりはしないのである。また、デフレ・ギャップが巨大で、インフレ・ギャップ発生がありえない現状では、インフレ・ターゲット政策などでどんなに努力してみても、物価を引き上げることが、そもそも不可能なのである(このことは本誌昨年10月1日号の本欄で詳述)。
付図 デフレ・ギャップの推移(1990年価格評価実質値)
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(付図への注記)
本図は、平成12年(2000年)までわが国で公式に用いられていた算定方式でのGDP概念に基づいた暦年ベース算定値を図示した。
労働と資本設備の総合的な生産性(いわゆるTFP)の向上率を「技術進歩率」と呼ぶことにすると年率ベースでは
GDP成長率(%)=技術進歩率(%)+労働と資本設備の総合投入の伸び率(%)
である。したがって、「技術進歩率(%)/GDP成長率(%)」という比率が与えられれば、完全雇用・完全操業の状態での総合投入の伸び率から、同じく完全雇用・完全操業での潜在GDPの成長率を年率ベースで算定しうる。それを、連接していけば、本図のごとく、その長期的な成長経路をも示しうることになる。
本図で「完全雇用・完全操業 潜在実質GDP」の成長経路の「高」として示されているのは、「技術進歩率(%)/GDP成長率(%)」という比率を1/3と仮定した場合、「中」は同じく1/3.5と仮定した場合、そして「低」は同じく1/4と仮定した場合である。なおこれよりも低くこの比率を仮定することは不適切である。なぜならば、そのような極端に低い技術進歩率という仮定の下では、ハイテク産業を確立しえたわが国産業の顕著な技術進歩実績との整合性が、失われてしまうからである。
なお、本図で「完全雇用・完全操業 潜在実質GDP」として示されている状態でも、なお、摩擦的な要因等による3%のデフレ・ギャップは残されている。
計算プロセスならびに使用データの詳細については、丹羽春喜『日本経済再興の経済学』原書房、平成11年刊、第16章を参照されたい。また、これを改訂した丹羽の英文論文が、米国の経済学術誌Jounal
of Asian Economics,Vol11,No.2〔2000〕に掲載されている。(これはホーム・ページhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/haruniwa/でも読むことができる)。
パニック防止のための金融措置が成功しても緊縮財政による総需要低迷から生じる不況の激化を避けえない
第ニに、政策当局もマスコミも、ともに、いわゆる「デフレ・スパイラル」の危機を、金融恐慌が発生する危険だとのみ把えているのも、いかにも視野狭窄的だ。もちろん、劇症性の金融パニックを防止するための対症療法的な応急措置は必要であろう。しかし、そういったパニック防止のための金融措置が成功裏になされたからといって、たとえば上述のごとき緊縮財政による総需要低迷から生じるような不況の激化を、それによって避けうるわけではない。事実、とりたてて金融恐慌といった事態は生じなかったにもかかわらず、付図が示すように、わが国経済では、総需要の不足により、完全雇用・完全操業状態が達成された場合に実現されるはずの潜在実質GDPの水準から見て、ずっと低いところに現実の実質GDPが低迷してしまうという意味でのデフレ・ギャップが、1970年代の半ばから発生し、巨大化し続けて近年にまでいたっているのである(バブル期においても、投機的マネー・ゲームの盛行とは裏腹に実体経済の回復は不十分であったため、このギャップが縮小するまでにはいたらなかった)。
また、エコノミストたちにとっては周知のことであるが、現在のわが国経済のように激しく長く続く不況の場合には、いわゆる「流動性のわな」に落ち込んだ状態となり、金融政策では景況回復の効果は期待しえない。にもかかわらず、そのように効果がきわめて乏しいことが当初から分かっているはずの金融面での施策だけが実施されているのみで、肝心の内需拡大でデフレ・ギャップ解消を目指すべきケインズ的政策がまったく忘れ去られているかのごときわが国の現状は、まことに異常である。
大々的な内需拡大策がぜひとも必要である
このような無意味に近い糊塗策による自己欺瞞を脱して、真になすべきことは、私が繰り返し指摘してきたように、わが国の経済で超巨大なデフレ・ギャップが三〇年近くも拡大し続けてきて、それによって年々失われてきた潜在実質GDPが、過去四半世紀を通じて合計4000兆円(90年価格評価の実質値)という天文学的に莫大な額に達しているという惨状を勇気を持って直視することである。そして、いまや年率390兆円にも達する「空しく失われている潜在GDP」(付図および付表の(中)のケース参照)を失わせずに実現させ、活用するために、大々的な内需拡大政策の断行がぜひとも必要なのだということを、わが全国民は、真剣に理解しなければならないのである。
付表 デフレ・ギャップ計測結果の要約(2000年についての算定)
| シミュレーションのために前提された 「技術進歩率(%)/実質GDP成長率(%)」 |
(高)1/3 | (中)1/3.5 | (低)1/4 |
| @完全雇用・完全操業潜在実質GDP* (1990年価格評価:兆円) |
976.6 | 878.3 | 818.0 |
| Aデフレ・ギャップ額(兆円)** (上記@−実質GDP実際値) |
490.6 | 392.3 | 332.0 |
| Bデフレ・ギャップ率(%)*** ((A÷@)×100) |
50.2 | 44.7 | 40.6 |
* 操業率が97%に達し、したがって、デフレ・ギャップ
が3%(摩擦要因などによって不可避的に生じる最小限デフレ・ギャップ)にまで縮小した状態を、事実上の「完全雇用・完全操業」状態であると想定した。
** 実質GDPの2000年実際値は486兆円であった(1990年価格評価)
*** 上の*で注記された摩擦要因などによるミニマムなデフレ・ギャップ3%を含んでいない。
(注)算定方法ならびに典拠資料等については、前掲の付図を参照されたい。