『ジャパンポスト』平成14年8月1日号 掲載
日本経済再生政策提言フオーラム
会長 丹羽春喜(大阪学院大学教授)
丹羽経済塾
塾長 丹羽春喜(大阪学院大学教授)
中国の経済的追い上げの脅威に対処する大道
誤った思い込み、空洞化必然論
「中国の脅威」が叫ばれない日は無いと言ってもよいような昨今である。本来ならば、急速な中国の軍備拡張による軍事的な脅威こそが、強調されてしかるべきであろう。事実、現在の軍事的な戦略情勢は、日清戦争前の明治二十年代前半、鎮遠、定遠の二大戦艦を主力とする大艦隊(明治ニ十四年に威嚇目的でわが国に来航)を整備して飛躍的に強大になった清国の軍事力に、当時のわが国の朝野が深刻な危機感を持たざるをえなかった時期に、対比しうるはずである。
しかしながら、敗戦後五十数年を経過して、すっかり国防意識を失った今日のわが国では、中国の軍事的な脅威への関心は薄い。いま、わが国で「中国の脅威」が叫ばれているのは、もっぱら経済・産業の面に限られていると言ってよい。すなわち、主として工業生産でわが国が中国に追いつかれ、追い抜かれつつあること、中国産の安価な商品にわが国の製品が価格面で競争できないこと、そして、そのような状況がもたらす帰結として、わが国の産業は生産・営業拠点を中国や東南アジアに移さざるをえなくなり、わが国内における産業空洞化が進行しつつあること、等々が、現在のわが国での「中国の脅威」論議の具体的な内容である。
このような「中国の脅威」や、あるいは、韓国、台湾などアジアNIES諸国にわが国の産業が追いつかれ、追い抜かれつつあるのではないかといった議論で、これまでもしばしば言われてきたのは「雁行的発展法則」ということである。
大空を渡る雁の群れは、先頭の鳥からしんがりの鳥まで、くさび型の隊形をなして飛んでいく。それと同じパターンで、アジアで、まず先頭をきって工業化に成功したのが日本であり、次に台湾や韓国の経済発展がこれに続き、さらに、中国の沿海部などが急速な経済成長を開始してそれを追うといった形になっているというわけである.このような「選手交代」の形で経済発展が受け継がれていくのが、いわば必然的なプロセスだとするのが、「雁行的発展法則」の考え方である。
したがって、このような「法則」がある以上は、たとえば中国の経済発展によってわが国が追い抜かれ、わが国の産業が「空洞化」するのは「やむをえない」といった意見が出てくることになる。しかし、実は、そのような「追い抜かれたわが国の産業空洞化やむなし」とするシニカルな意見は、為替レートのはたす本来的な機能についての無理解から発している根本的に間違った思い込みなのである。
為替レート「ハンディキャップ機能」の重要性
為替レート(通貨の交換比率)という特殊な価格のはたすきわめて重要な機能の一つは、わかりやすく言えば、ゴルフ競技での「ハンディキャップ」のそれである。ゴルフでは、初心者には「ハンデイキャップ」が与えられ、練達のプレ一ヤーが相手でも、いわば同等に勝ち負けを競いうる仕組みになっている。老いて技量が衰えた者にも「ハンディキャップ」が与えられるので、若い熟練者に対しても対等の勝負を楽しむことができる。「為替レート」の機能もこれと同じである。
たとえば、大部分の場合、後進の発展途上国や衰退してしまった老大国では、その生産性の水準が、進歩・興隆を続けている先進工業国のそれに比べて大幅に劣っている。それも、実質人件費の安さでカバーしうる程度の生産性の低さといった、いわば相対的な意味で劣っているだけではなく、むしろ、「実質賃金額」(「購買力平価」換算)を「一単位支払うことによって」雇用しうる労働量当りの生産量という絶対的な意味での生産性においてさえも、劣っているのである。多くの場合、ほとんどあらゆる産業の生産性の水準において、進歩・興隆を続ける先進工業国が上記のような意味で絶対的に上回っており、後進の発展途上国や衰退した老熟国では絶対的に下回っているといった状態になっているのである。
もしも、このような絶対的生産性較差のある両国が、共通に一つの通貨のみを用いて、そして、「一物一価」の法則が隅々まで働くような単一の市場圏を形成して経済活動を営むことになれば、諸商品のあいだの割安、割高といった相対価格における両国間の差異も消失し、絶対的に生産性の低い国の生産するすべての商品が、絶対的に生産性の高い国の生産する同種の商品によって、ことごとく駆逐されてしまうことになってしまう。つまり、低生産性国は、その産業のすべてを失い、その住民たちも、大部分が失業し、職を求めて高生産性国に移住しなければならなくなる。
先年、西独と東独とが合併したさい、西独地域に比べて絶対的に生産性の劣っていた旧東独地域では、この悲劇的な事態が現実に生じたのである。そして、単一通貨による単一市場圏を実際に形成してしまった西ヨーロッパにおいては、今後、そのような悲惨な事態の頻発が不可避となろう。
しかし、今後の西ヨーロッパを別にすれば、ほとんどの場合、そのような極端かつ悲惨なことにはならないですむ。なぜならば、現実には、国ごとに通貨を異にしていて、「為替レート」によってそのような異なった通貨のあいだの交換がなされており、この為替レートが、国と国とのあいだにおける絶対的な生産性水準の較差をうずめる「ハンディキャップ」の役割を演じているからである。
共存共栄の世界経済実現への基本原理はこれだ!
ひとたび、このような為替レートの「ハンディキャップ機能」によって、生産性水準(諸産業平均の生産性水準)の、国と国とのあいだの絶対的較差がうずめられてしまえば、その後は、それぞれの国の国内における産業間の「比較優位性」の高低によって輸出入が決まることになる。
すなわち、右記で述べた例のような、すべての産業において生産性の水準が絶対的に低いといった国の場合でも、為替レートという「ハンディキャップ」によって護られることになったわけであるから、その産業や雇用を全面的に失うといった心配は要らなくなる。そして、その国内の諸産業間の比較において相対的に生産性が高く国内相対価格で「割安」に商品を作りうる産業ーーつまり「比較優位性」を持っている産業ーーの生産物は、それを輸出することが可能になる。また、同じく国内の諸産業間の比較において「比較劣位」の一一すなわち国内生産が「割高」になるーー産業の生産物のみが、輸入されるだけになる(第1図参照)。

このメカニズムが機能しているときにこそ、全世界の国々は、真の意味で、「国際分業の利益」を享受しうることになるのである。また、このメカニズムにより、後進性や社会の老熟によって生産性の絶対的水準がはなはだしく低い国であってさえも、「経済自立」が可能になるのである。このことは、アダム・スミス流の表現を借りれば、まさに「神の恵み深い見えざる手」の働きそのものであり、これによって、人類文明のグローバルな国際経済関係は、基本的には、全てのプレ一ヤーが「利益」を得る共存共栄のノン・ゼロサム・ゲーム、ポジティブ・サム・ゲームの世界になりうるわけである。このことから全人類が得ることができるべネフィット(利益)の巨大さは、まさに、はかりしれないものがある。
以上のような考察に立脚すれば容易に理解しうるように、かりに、韓国や中国の沿海地方などが、大幅な経済進歩を達成して、大部分の産業で、「実質賃金費用」(「購買力平価」換算での)一単位当たりでの生産性においてさえも、日本を追い抜いて凌駕するにいたったとしても(未発達で不備な問題点を数多くかかえている中国経済が、近い将来にそうなりうるとは思われないが)、為替レートの「ハンデイキャップ機能」が作動しているかぎり、そして、その為替レートそれ自体がわが国内における総需要の完全雇用・完全操業状態への十分な接近に照応したレートに決まってさえいれば、わが国としては、なんら、産業空洞化問題について心配する必要はないのである。
現在、わが国の経済には超巨大なデフレ・ギャップという形で、膨大な生産能力の余裕が存在している。対外支払いの面でもまったく心配は要らない状況である。したがって、私が本誌でも繰り返して提言してきたように、「国(政府)の貨幣発行特権」の大規模な間接的発動という無尽蔵な財源を活用した大々的なケインズ的内需拡大政策を断行しても、何ら問題なく、経済の高度成長と財政の再建を達成することができる。国民にも、何の負担にもならない。
このように、わが国の経済が私が提言してきたような大々的な内需拡大政策の実施によって完全履用・完全操業の状態に向けて右肩上がりの発展軌道に乗ることになれば、わが国の産業は繁栄と成長をとりもどして、総じて、十分な利潤を稼ぐことができるようになる。もちろん、そうなれば、輸入も大幅に増え、わが国の輸出超過は減少し、輸入超過になることも予想されうる。しかし、だからといって、心配は要らない。なぜならば、その結果として、現行の変動為替相場制度(フロート制)を前提とするかぎり、必然的に「円安」になり、わが産業は為替レートによる「ハンディキヤップ」をより多く受けて対外競争力を回復し、しかも、同じくフロート制の特性によって、貿易収支(ないし国際収支)も適切な程度に均衡することになるにちがいないからである。わが国がこのような経済運営を続けていくかぎり、「中国の脅威」といったことは何ら問題にならないのであ
り、わが国が「産業の空洞化」に苦しめられることもないのである(第2図参照)。

「反ケインズ主義」の迷妄脱却こそが焦眉の急
とは言え、現在のわが国経済については楽観は許されない。現在のわが国では、朝野をあげての「反ケインズ主義」のマインド・コントロール−−小泉政権の政策姿勢はそれを極度に激化させている−−の呪縛下にあって、総需要拡大政策はきわめて不十分にしか行なわれない状況となってしまっている。かくて、総需要の不足が続き、わが国の経済は慢性的な不況・停滞に苦しみ、輸入が抑えられ、また、わが産業の外需依存への程度がいやがうえにも高まって、輸出超過の傾向が強まらざるをえず、その結果、「円高」が趨勢的に進行し、わが輸出産業は苦戦に陥り、不況と産業空洞化の悪循環的な永続化が続いてきている(第2図参照)。
すなわち、現在のわが国の経済においては、肝心の為替レートによる「ハンディキヤップ機能」が大幅に失われてしまっているわけであり、わが国産業の「空洞化」は、どんどん進行し続けていて、とどまるところを知らないような状況である。「中国の脅威」が叫ばれざるをえない理由は、まさしく、ここにある。
かくて、わが国の経済は、いまや、疑いもなく、決定的な衰亡への道をたどりつつある。わが政府とわが国民が、そして、とりわけ、わが国のマスコミが、「反ケインズ主義」の迷妄から脱することが焦眉の急であることの所以(ゆえん)は、まさに、ここにあるのである。